7、否定
今のままじゃだめ。だからもっと、がんばりなさい。
立派な大人になりなさい(人様に私が自慢できるように)
私たちは、人から否定的な、今の自分を否定される言葉を聞くと、
思いの外、傷つく。当たり前だ、今、その人の前で、いきいきとあるいのちへの否定なのだから。
さて、そういって、否定すること自体をやめろというつもりではない。否定するならば、その言葉に責任を持つべきだ。例えば、気軽に相手にブス、というならば、あなたは相手に対して、「ブス」というコトバの呪いを、かけたことになる。相手は、一生苦しむかもしれない。あなたは、そのことにきちんと責任をもって、言葉を発しているだろうか。
否定的な言葉も、正しく使うことができれば、相手をきちんと成長させることができる。相手の成長を導く力強さをもつからこそ、自分をわきまえていれば、これほど有効なものはない。
さて、問題は、なにも指導できない精神的に未熟な大人たちからの言葉だ。
彼らの言葉は汚泥だ。ひどいにおいで、どろどろとまとわりつき、そして、人をたやすく狂わせる。
素晴らしい!人を壊すのに、これほどまでに、素晴らしい凶器は無いだろう。
そして、これは、平然といたるところにころがり、私たちは無意識に飲み干し、無意識に胸の内を損ね続けている。
さて、毒を飲み干したなら、すぐにでも浄化しよう。言葉で、祈りで。
自分を励ます練習をしよう。
毒が回っていると、自分のことを信じることができない。
自分の美しさを認めよう。
自分の可能性を、賛美しよう。
神様は、偉大なるクリエーターだ。無駄なことなんて、一つもない。無価値なものなんて、一つもない。
安心していい。だからこそ、自分を励ます練習こそ、必須である。
誰もが、偉大なるクリエーターの愛児なのだから。