第50話 七つの失われた歌
海底王国《眠らない海》へ向かう鍵は、場所の記録でも、王の許可でもなかった。
波歌がかつて分けたという、
七つの失われた歌。
それらが王核へ戻れば、現在《国》として一つにまとまっている声が、再び複数へ分かれる可能性がある。
《国》は、それを恐れている。
だからこそ波歌へ、
「来るな」
と告げた。
ベルナードへ戻ったレインたちは、まず七つの歌がどこへ残されているのかを探し始める。
しかし最初の一つは――予想していなかった人物の中にあった。
ベルナードが。
見えた。
二日ぶり。
港。
倉庫。
船。
赤茶色の屋根。
潮の匂い。
「戻った」
霜が。
馬車の窓から。
小さく言う。
「今度は」
「自分で戻った?」
レイン。
「うん」
「北へ逃げた時と」
「違いますか」
霜は。
少し考える。
「違う」
「何が」
「前は」
「ここに来たこと自体」
「よく分からなかった」
「人生転送?」
「うん」
「今は」
「北から」
「道を通って」
「戻った」
馬車。
何日か。
宿。
寒さ。
食事。
退屈。
全部。
大きな魔術ではない。
「それも」
「人生ですか」
霜は。
少し笑った。
「たぶん」
◇
青錨亭。
エマ。
カイル。
五番。
二番。
六番。
老人オルド。
白鯨号。
みんな。
それぞれ。
途中の続きを。
やっていた。
「おかえり」
エマ。
「思ったより早かったね」
「北方の緊急状態だけ」
「継続可能なところまで」
「整えました」
「解決した?」
「していません」
「そうかい」
エマは。
それ以上。
驚かなかった。
「いつものことだね」
「最近」
「そうなっています」
◇
五番。
すぐ。
余白の結晶へ近づいた。
「これ?」
余白。
『うん』
「十四番目?」
余白。
『ちがう』
「ごめん」
「今は」
「余白?」
『うん』
「俺」
「五番」
『ごばん』
「本名じゃない」
『わたしも』
「余白も?」
『うん』
「気が合うな」
余白。
少し。
笑う。
『でも』
『五番って』
『数字』
「そう」
『いいの』
「今は」
「いい」
『そっか』
互いに。
仮の名前。
でも。
今は。
それでいい。
◇
凪。
まだ。
診療所。
だが。
歩ける。
顔色も。
かなり戻っていた。
「北」
「どうだった」
「大変でした」
「それは分かる」
「十三人全員」
「今の人生を」
「偽物に固定される処理は」
「一時的に止まりました」
「本当?」
「はい」
「十四番目も」
「新しく作られましたが」
凪が。
固まる。
「作られた?」
「本人が」
「役割を拒否しました」
「それで」
「正史判定装置から」
「本人希望で」
「分離しました」
「……」
凪が。
余白を見る。
「その子?」
『余白』
「こんにちは」
『こんにちは』
「大丈夫?」
『わからない』
「そっか」
凪が。
少し笑う。
「俺も」
『なにが』
「大丈夫か」
「まだ」
「よく分からない」
余白。
『いっしょ』
◇
「凪さん」
レイン。
「預かった認証片」
「返します」
「使った?」
「外門で」
「関連者認証として」
「旧名を復元する用途には」
「使っていません」
「第十三人生室には」
「入っていません」
「分かった」
凪は。
手を出す。
でも。
途中で止まる。
「今」
「戻したくない」
「では」
「引き続き預かる?」
「うん」
「期限を」
「決めますか」
「海底王国から」
「帰ってきたら」
「分かりました」
「使用条件は」
「今まで通り?」
「うん」
「旧名復元」
「禁止」
「本人確認なしで」
「用途変更しない」
「そう」
◇
その日の午後。
最初の会議。
目的。
海底王国への航路ではない。
七つの歌。
「波歌さん」
エルナ。
「七つの歌について」
「分かっていることを」
「今の範囲で」
「整理してもいいですか」
『うん』
「七つは」
「あなたの元の名前を」
「分散した歌でもある」
『うん』
「同時に」
「お父さんの歌と関係する?」
波歌。
『ちょっと』
「同じ七つ?」
『ちがう』
「では」
「あなたの七つの名前歌」
「お父さんの歌」
「別」
『うん』
「今探すべきは」
「どちら」
『わたしの』
「理由」
『王核を』
『ばらばらに』
「分離させるため?」
『うん』
「お父さんの歌は」
『あと』
優先順位。
父を探したい。
でも。
まず。
海底王国へ入る方法。
◇
「七つの歌には」
「それぞれ」
「意味がありますか」
『ある』
「内容を」
「全部言えますか」
『むり』
「忘れた?」
『半分』
「残っている部分」
波歌。
少し。
歌う。
『一つは波へ』
『二つは舟へ』
『三つは空へ』
『四つは石へ』
『五つは眠りへ』
『六つは声へ』
そこで。
止まる。
「七つ目は」
長い。
『……ない』
「思い出せない?」
『そこだけ』
『きえてる』
「七つ目に」
「名前そのもの?」
『たぶん』
「つまり」
「一から六は」
「名前を守るための分散先」
「七つ目が」
「最後の識別部分?」
『たぶん』
エルナ。
「断定はしません」
「波歌さん自身も」
「《たぶん》と言っています」
◇
「一つは波へ」
「どこに」
『海』
「広すぎる」
「二つは舟へ」
『舟』
「白鯨号?」
波歌。
『ちがう』
「分かる?」
『ちがうって』
『感じる』
「三つは空」
「四つは石」
「五つは眠り」
「六つは声」
バルド。
「探し物として」
「最悪だな」
「全部広すぎる」
「はい」
「何か」
「反応させる方法は」
レインが尋ねる。
波歌。
『うたう』
「今の歌を?」
『うん』
「そうすると」
『ちかくに』
『あったら』
『かえす』
「何が」
『つづき』
◇
試す。
ただし。
港で。
いきなり。
大声では歌わない。
海底王国と。
王核。
何が反応するか。
分からない。
青錨亭。
地下倉庫。
海に近い。
でも。
人通りは少ない。
「ここなら」
エマ。
「昔」
「密輸品を隠してた」
「言っていいんですか」
「もう時効だろ」
「多分」
◇
余白の結晶。
波歌。
ミラ。
レイン。
エルナ。
セシリア。
バルド。
五番。
凪。
一番。
三番。
四番。
七番。
リナ。
若いオルド。
二番。
六番。
老人オルド。
人数。
かなり多い。
「全員必要ですか」
エルナ。
「分からないから」
一番。
「一回」
「聞いておきたい」
◇
波歌。
歌う。
『一つは波へ』
何もない。
『二つは舟へ』
白鯨号。
遠く。
少し。
鐘のような音。
「反応?」
ミラ。
『でも』
『違う』
「歌そのもの?」
『ううん』
『白鯨号が』
『聞いただけ』
続き。
『三つは空へ』
風。
倉庫の隙間。
吹く。
『四つは石へ』
床。
古い石。
わずかに。
光る。
「ここ?」
エルナがしゃがむ。
だが。
すぐ消える。
『ちがう』
波歌。
『五つは眠りへ』
その瞬間。
凪が。
頭を押さえた。
「凪さん!」
「待って」
「痛い?」
「違う」
「眠い」
「急に?」
「うん」
セシリア。
「座ってください」
凪。
「俺」
「何か」
「夢」
「見る」
「今?」
凪が。
目を閉じる。
◇
白い。
砂浜。
夜。
凪。
子ども。
違う。
これは。
凪自身の夢ではない。
誰かの。
記録。
海。
小さな少女。
歌。
五つは眠りへ。
少女。
眠っている。
その隣。
一人の男。
「眠っている間だけ」
「名前を隠せる」
少女。
『でも』
『起きたら?』
「また歌えばいい」
『忘れたら?』
「誰かが覚えている」
『誰もいなくなったら?』
男。
少し。
笑う。
「その時は」
「海が覚える」
◇
凪。
目を開ける。
「見た」
「誰を」
「波歌?」
『ちがう』
波歌。
『でも』
『知ってる』
「少女を?」
『うん』
「誰」
波歌。
『《眠り手》』
「役割名?」
『そのときの』
「固定役割?」
『まだ』
「まだ固定される前?」
『うん』
◇
「凪さん」
「なぜ」
「あなたへ」
「五つ目が反応した」
凪。
首を振る。
「分からない」
「統合核だから?」
冬至はいない。
でも。
エルナ。
「可能性はあります」
「ただし」
「別の理由も」
凪。
顔をしかめる。
「俺の中に」
「歌がある?」
波歌。
静か。
『ある』
全員が。
止まる。
「どれ」
『五つ』
「《眠り》?」
『うん』
凪の顔。
硬くなる。
「俺」
「北の鍵だけじゃなく」
「海の歌まで?」
レイン。
「今」
「それを持っていることを」
「どう感じますか」
「嫌」
即答。
「消したい?」
凪。
止まる。
「……分からない」
「では」
「今は」
「持っている可能性だけ」
「確認します」
「歌そのものを」
「無理に取り出さない」
「うん」
◇
「なぜ凪に」
五番。
「入ってるんだ」
リナが。
顔を上げる。
『私かもしれない』
全員。
リナを見る。
「どういう意味」
『三十年前』
『凪の名前を』
『消すのを手伝った』
「はい」
『その時』
『名前を』
『ただ消したんじゃない』
凪。
「何」
『隠した』
「どこに」
リナ。
苦しそうに。
『眠りの記録へ』
空気が。
止まる。
「凪さんの旧名を」
「《眠り》に?」
『そう』
「なぜ今まで」
「言わなかった」
『思い出せなかった』
「今」
「波歌の歌で?」
『戻った』
凪。
黙っている。
◇
「リナさん」
レイン。
「具体的に」
「何をしたんです」
『凪の旧名を』
『呼べない状態にするため』
『古い海底式の』
『名前隠しを使った』
「誰から」
『海軍の古い資料』
「その資料が」
「潮歌い由来?」
『今なら』
『そうだと思う』
「五つは眠りへ」
『そう』
「凪さんの旧名そのものを」
「五つ目へ移した?」
『全部じゃない』
「では」
『名前を』
『起動させる部分』
「鍵としての性質?」
『そう』
重要。
凪は。
名前を覚えている。
でも。
名前の《起動性》の一部が。
眠りの歌へ。
隠されている。
「だから」
エルナ。
「凪さんが旧名を思い出しただけでは」
「北方施設が完全起動しなかった?」
「可能性があります」
レイン。
「名前の記憶」
「名前の音」
「名前の命令機能」
「別々に扱う必要がある」
◇
凪。
顔を上げる。
「じゃあ」
「俺の名前」
「まだ」
「全部」
「俺の中にない?」
レインは。
すぐ答えない。
「少なくとも」
「名前に付随していた《施設を起動する機能》の一部が」
「眠りの歌へ分離されている可能性があります」
「名前そのものが」
「欠けているとは」
「まだ言えません」
「……」
「凪さん」
「今」
「その歌を」
「取り戻したい?」
長い。
長い沈黙。
「分からない」
「はい」
「怖い」
「はい」
「でも」
「俺の名前の一部なら」
「知らないままも」
「嫌」
「では」
「今すぐ戻すのではなく」
「何が分離されているか」
「先に調べる?」
「それがいい」
◇
波歌。
『五つ』
「凪さんの中に」
『ううん』
「違う?」
『凪の』
『眠りの中』
「本人の中ではない?」
『近い』
「どういう意味」
波歌。
難しそうに。
『夢の』
『外』
「夢の外?」
エルナ。
「睡眠時だけ接続される」
「外部記録層?」
『たぶん』
「つまり」
「凪本人の人格記憶とは」
「分離されている可能性」
「はい」
レイン。
「なら」
「勝手に開きません」
◇
「一つ見つかった?」
バルド。
「五つ目が」
「見つかった?」
エルナ。
「正確には」
「《所在候補が見つかった》です」
「また細かいな」
「重要です」
「凪さん本人の中に」
「歌本体があるとは」
「まだ確認できていません」
◇
波歌。
続けて。
歌う。
『六つは声へ』
その瞬間。
誰かが。
息をのむ。
一番でも。
三番でも。
四番でもない。
若いオルド。
『……』
「どうしました」
『聞こえる』
「何が」
『歌』
「波歌さんの?」
『違う』
「誰」
若いオルド。
胸元。
死者の身体。
青い線。
浮かぶ。
『俺』
「あなた自身?」
『違う』
『俺の中の』
「何」
『最初に』
『死んだ時の声』
◇
老人オルドが。
顔を上げる。
「俺?」
若いオルド。
『お前じゃない』
「では」
『死にかけた時』
『聞こえた』
「何を」
『海』
若いオルド。
目を閉じる。
『歌ってた』
「覚えていた?」
『今まで』
『音だけ』
「六つは声へ、で」
『言葉になった』
「何と」
若いオルド。
ゆっくり。
『六つは声へ』
『声は』
『死んでも』
『持ち主を』
『忘れない』
波歌が。
光を。
激しく震わせる。
『それ』
「六つ目?」
『うん』
全員が。
息をのむ。
「若いオルドさんに?」
『ちがう』
波歌。
『通った』
「通った?」
『このひとの』
『死んだとき』
『六つが』
『ここを』
『通った』
「今は」
『まだ』
『少しある』
◇
若いオルド。
『俺の中に』
『誰かいる?』
「すぐには」
「そう判断しません」
レイン。
「歌の断片」
「経路の残響」
「別人格」
「どれか確認が必要です」
『でも』
「怖い?」
『うん』
「今」
「調べたい?」
若いオルド。
長い。
『調べる』
「途中で」
『嫌なら止める』
「はい」
◇
ミラが。
若いオルドの近くへ。
『声』
「何人」
『一人じゃない』
全員。
また。
緊張。
『でも』
『人じゃない』
「歌?」
『うん』
『いっぱいの声が』
『一つの歌になってる』
「六つ目そのもの?」
『たぶん』
波歌。
『六つは』
『声を』
『いっぱい』
『持つ』
「だから」
「死の瞬間のオルドを」
「通り道にした?」
『うん』
「なぜ」
『死んだ人は』
『声の境目』
『うすい』
死者。
生者。
境界。
六つ目。
声へ。
保存された歌。
◇
「若いオルドさん」
「今」
「六つ目を」
「外へ出したい?」
『分からない』
「持っていたい?」
『それも』
『分からない』
「では」
「今は」
「所在確認だけ」
『うん』
老人オルド。
何も言わない。
でも。
顔。
苦しい。
「老人オルドさん」
「何を」
「思っています」
「俺が」
「一度死んだ時」
「あいつが生まれた」
「はい」
「その時」
「古い歌まで」
「巻き込んだ?」
「可能性があります」
「俺のせいか」
「まだ」
「因果は確認できていません」
「でも」
「俺の身体だった」
「はい」
「だから」
「責任を」
「全部自分へ集める?」
老人オルド。
黙る。
七番が。
横から言う。
「またそれやるのか」
「……」
「俺の中にも」
「お前の責任の記憶ある」
「だからって」
「俺がお前じゃない」
「若いほうに」
「歌が通ったからって」
「お前が歌を作ったわけじゃない」
老人オルド。
小さく。
「分かってる」
「でも」
「すぐ」
「そう考える」
「じゃあ」
七番。
「今は」
「考えたことだけ記録しろ」
レイン。
「本人が望むなら」
「……書いてくれ」
老人オルド。
若いオルドの臨死時に古い《六つ目の歌》が通過した可能性を知り、自身の身体・過去に関連することから責任を自分へ集約しようとする感覚を持ったと表明。
ただし現時点で、歌の発生・移動・残存について本人の具体的行為との因果関係は確認されていない。
「これでいい」
◇
五つ目。
眠り。
凪。
六つ目。
声。
若いオルド。
二つ。
場所。
候補。
出た。
「順番通りじゃない」
バルド。
「歌は」
「番号順に見つかる必要はありません」
エルナ。
「では」
「残り」
「一」
「二」
「三」
「四」
「七」
「五つ」
◇
「もう一度」
波歌。
最初から。
『一つは波へ』
今度は。
港の外。
白鯨号。
甲板。
海。
全員が。
移動した。
波歌の結晶。
余白。
固定台。
船の上。
バルド。
「また船か」
『まだ出ない』
「分かってる」
◇
波歌。
『一つは波へ』
海面。
波。
小さい。
変化なし。
『二つは舟へ』
白鯨号。
今度。
はっきり。
船体が。
鳴る。
ゴン。
「反応」
エルナ。
甲板下。
奥。
昔。
船鐘の。
配線。
青い。
一筋。
「二つ目?」
波歌。
『近い』
「白鯨号の中?」
『ううん』
「では」
『この舟が』
『知ってる』
「歌を?」
『うん』
◇
白鯨号。
幽霊船。
三十年前。
海底鐘。
七つの分割死者。
古い海流。
多くの記録を。
運んだ。
「船そのものに」
「記憶がある?」
四番。
「俺たちみたいに?」
ミラ。
『船にも』
『残響ある』
「人格?」
『そこまでは』
『分からない』
波歌。
『舟は』
『人より』
『長く』
『歌を』
『覚える』
「木材」
「船鐘」
「航路記録」
「全部?」
『うん』
◇
「二つ目は」
「白鯨号そのものではない」
「でも」
「白鯨号が」
「通った場所を知っている」
エルナ。
「航路」
リナ。
反応。
『待って』
「何」
『三十年前』
『事故の前』
『白鯨号』
『一度』
『変な海域を』
『通った』
「どこ」
リナ。
顔をしかめる。
『記録が』
『ない』
「消された?」
『たぶん』
「でも」
『船は』
『覚えてる?』
波歌。
『たぶん』
◇
「白鯨号に」
「聞く方法は」
バルド。
「船に質問するのか」
「幽霊船なので」
「普通の船よりは」
「可能性があります」
「最近」
「何でもありだな」
◇
船長。
白鯨号の。
現在の。
自発的船長役。
呼ぶ。
『船に聞く?』
「はい」
『どうやって』
「分かりません」
全員。
黙る。
『そこから?』
「はい」
◇
ミラ。
船鐘へ。
耳。
『声じゃない』
「何」
『リズム』
「波?」
『うん』
白鯨号。
船体。
波を受ける。
左右。
小さく揺れる。
ゴン。
ギィ。
ゴン。
ギィ。
波歌。
突然。
歌う。
『二つは舟へ』
船体。
揺れ。
変わる。
ゴン。
ゴン。
ギィ。
ゴン。
間。
ゴン。
波歌。
『これ』
「歌?」
『うん』
「二つ目?」
『まだ』
『入り口』
エルナ。
「波の周期を」
「航路情報として」
「船体へ残している?」
「二つ目は」
「舟そのものではなく」
「舟が覚えている航海リズム?」
◇
リナが。
顔を上げる。
『この揺れ』
「知っている?」
『うん』
「どこ」
『白鯨号が』
『海底鐘へ』
『引かれる前』
「事故前」
『そう』
「どこを通った」
『海が』
『逆に流れてた』
「逆潮?」
『うん』
「地図に」
『ない』
「その先」
リナ。
長い。
『歌が』
『聞こえた』
全員。
静まる。
「海底王国?」
『その時は』
『知らなかった』
「今は」
『たぶん』
◇
二つ目。
舟。
白鯨号が。
航路を。
覚えている。
「なら」
「海底王国へ」
「行く道」
バルド。
「見つかった?」
レイン。
「まだです」
「またか」
「でも」
「入口候補です」
◇
「波歌さん」
「白鯨号で」
「逆潮の航路へ」
「行きたいですか」
『うん』
「王から」
「来るなと」
「言われています」
『うん』
「船が」
「危険になる可能性」
『うん』
「同行者も」
『うん』
「それでも」
『いく』
「分かりました」
◇
「白鯨号の船長」
レイン。
「海底王国へ」
「船を出すことを」
「希望しますか」
船長。
長い。
『一回』
「何を」
『船に』
『聞きたい』
「白鯨号自身?」
『うん』
「どうやって」
『分からない』
「同じですね」
『うるさい』
◇
その夜。
白鯨号。
静かな港。
船長。
船首へ。
手を置く。
『この船』
『北じゃなく』
『海へ』
『また潜るかもしれない』
船体。
ギィ。
『嫌なら』
『鳴れ』
沈黙。
『行きたいなら』
『二回』
全員。
待つ。
一秒。
二秒。
船体。
ゴン。
少し間。
ゴン。
バルド。
「本当に返事したぞ」
エルナ。
「風の可能性も」
『今』
『風ない』
ミラ。
「確認を」
レイン。
「同じ質問を」
「順番を変えて」
船長。
『海底へ行きたくないなら』
『二回』
『行きたいなら』
『一回』
沈黙。
ゴン。
一回。
全員。
顔を見合わせる。
「反応としては」
「一貫」
エルナ。
「ただし」
「船体反応を意思と扱うには」
「追加確認」
船長。
『十分』
「船長さん自身が」
「そう判断する?」
『そう』
「では」
「船長本人は」
『行く』
◇
そこで。
一番が。
船縁から。
海を見ていた。
突然。
身体を。
固くする。
「一番?」
「待って」
「何が」
「俺」
「この歌」
「知ってる」
全員が。
向く。
「どの」
一番。
ゆっくり。
口を開く。
『一つは波へ』
波歌。
光。
激しく震える。
「続きは」
一番。
目を閉じる。
声。
ガレス・ホルム。
カイル。
ほか。
複数の。
行動記憶。
その中。
一つ。
古い。
もっと。
古い。
「波は」
「運ばない」
「波は」
「返さない」
「波は」
「ただ」
「触れた場所を」
「次へ伝える」
波歌。
『それ』
「一つ目?」
『うん』
全員が。
息をのむ。
「一番の中に?」
波歌。
『ちがう』
「また通った?」
『ううん』
「では」
『持ってる』
一番。
自分の胸を見る。
「俺が?」
『うん』
「なぜ」
波歌。
『分からない』
◇
一番。
《行動》として。
作られた。
ガレス・ホルム。
カイル。
複数の行動記録。
その中に。
さらに。
海底王国より古い。
波の歌。
「俺」
一番。
「これ」
「昔から?」
「記憶として」
「分かりません」
レイン。
「今まで」
「同じ歌を」
「思い出したことは」
「ない」
「波歌さんの歌が」
「鍵になった」
「はい」
「俺の中の」
「誰の記憶だ」
「調べます」
「でも」
一番。
レインを見る。
「もし」
「これが」
「誰かのものなら」
「返さなきゃいけない?」
波歌が。
静かになる。
大事な問い。
「誰か由来であることと」
「今の一番さんが」
「それを持っていることは」
「別です」
「本人が」
「返してほしいと」
「望む可能性もあります」
「でも」
「必ず消して返すという意味には」
「しません」
「じゃあ」
一番。
「今」
「歌っていい?」
「あなた自身が?」
「うん」
「波歌さん」
「一番さんが」
「一つ目の歌を」
「今の自分の声で」
「歌うことを」
「どう感じますか」
波歌。
長い。
『ききたい』
「返還だと思いますか」
『ちがう』
「では」
『一番の』
『うた』
一番が。
目を見開く。
「俺の歌?」
『いまは』
◇
一番。
海を見る。
そして。
歌う。
旋律。
波歌とは。
少し違う。
低い。
荒い。
船乗りのような。
歌。
一つは波へ。
波は運ばず。
波は返さず。
触れた岸を、次の岸へ告げる。
波歌。
同じ箇所。
少し違う旋律。
『一つは波へ』
『波は持たない』
『波は返さない』
『触れた声を』
『次の声へ渡す』
歌詞。
違う。
意味。
近い。
差異。
そのものが。
記録。
「どっちが正しい?」
バルド。
すぐ。
自分で。
「あ」
と。
口を閉じる。
レイン。
「決めません」
「だよな」
◇
波歌。
泣いていた。
『一つ』
「戻った?」
『うん』
「あなたの中へ?」
『ちがう』
「では」
『聞こえるようになった』
重要。
歌を。
一人へ。
戻さない。
波歌の中へ。
回収しない。
一番が。
一番として。
持つ。
波歌が。
波歌として。
聞く。
「これで」
「一つ目が復元?」
エルナ。
『復元』
波歌。
少し考える。
『ちがう』
「では」
『また』
『うたえる』
失われていた。
同じ形へ。
戻ったのではない。
今の二人が。
また。
歌える。
◇
レインは。
書く。
七つの失われた歌・第一歌《波》について。
一番の内部記憶から、波歌の歌と対応する別形の歌詞・旋律が出現。
波歌は当該歌を自身へ回収することを希望せず、一番が現在保持・歌唱することを認めた。
両者の歌詞・旋律には差異がある。
どちらを原型・正解とは現時点で判定しない。
波歌はこの状態を《戻った》ではなく《また歌える》と表現。
◇
「一番さん」
「この歌を」
「今後も保持したい?」
「うん」
「もし」
「海底王国へ入る鍵になるなら」
「使いたい?」
「使う」
「危険が」
「あるかもしれません」
「知ってる」
「それでも」
「行く」
「理由」
一番。
少し。
笑う。
「俺」
「ずっと」
「誰の行動か」
「混ざってる」
「でも」
「この歌」
「今」
「自分で歌った」
「それが」
「少し」
「嬉しい」
◇
第一歌。
波。
見つかった。
第二歌。
舟。
白鯨号が。
航路を覚えている可能性。
第五歌。
眠り。
凪の夢の外。
第六歌。
声。
若いオルドに残存。
残る。
第三。
空。
第四。
石。
第七。
不明。
「思ったより」
「集まってる」
バルド。
「まだ」
「確定は第一だけです」
エルナ。
「お前は」
「喜ばせてくれないな」
「正確性を」
「優先しています」
◇
その時。
白鯨号。
海面。
波。
逆方向へ。
動いた。
港へ。
向かう波ではない。
沖へ。
一本だけ。
細く。
流れる。
「逆潮」
リナ。
『あの時と同じ』
波歌。
震える。
『道』
「海底王国への?」
『たぶん』
船長。
『船が』
『覚えてる』
白鯨号。
船体。
ゴン。
二回。
◇
だが。
海。
遠く。
歌。
王。
国。
低い。
重なる声。
『第一歌』
『確認』
全員が。
凍る。
「国」
レイン。
『返せ』
一番。
顔を上げる。
「誰に」
『国へ』
「なぜ」
『国の歌』
一番。
「今」
「俺が持ってる」
『誤り』
「誰が決めた」
『王』
「俺」
一番。
海へ向かう。
「返したくない」
国。
声。
さらに低くなる。
『それは』
『お前の歌ではない』
一番。
少し。
黙る。
そして。
「元は」
「俺のじゃないかもしれない」
「でも」
「今」
「俺が」
「これをどうするかは」
「俺が決める」
国。
『盗人』
一番の顔が。
強張る。
レインが。
すぐ。
間へ入らない。
一番自身の。
返答を。
待つ。
「そうかもしれない」
一番が言う。
「だから」
「誰から」
「どう来たか」
「調べる」
「持ち主が」
「返してほしいって」
「本人として言うなら」
「聞く」
「でも」
「国がまとめて」
「返せって言うなら」
「今は返さない」
◇
国。
長い沈黙。
『第一歌を』
『王核へ戻せ』
「理由を」
レイン。
『王核の欠損』
「直すため?」
『そうだ』
「一つへ戻すため?」
沈黙。
『そうだ』
「では」
「波歌さんが」
「恐れていたことと」
「逆ですね」
『波歌は』
『過去』
「今」
「歌を持つ一番さんは」
『誤差』
一番。
「俺」
「誤差か」
国。
『そうだ』
その瞬間。
波歌が。
強く。
歌う。
『ちがう!』
全員が。
驚く。
『一番は』
『一番!』
『歌は』
『一つだけじゃない!』
国。
『波歌』
『お前が』
『差異を戻せば』
『国が壊れる』
波歌。
泣きながら。
『じゃあ』
『こわれればいい!』
沈黙。
波歌自身も。
言ったあと。
震える。
レイン。
「波歌さん」
『うん』
「今」
「《国が壊れればいい》と」
「言いました」
『うん』
「国民も」
「一緒に壊れる可能性があります」
『……』
「今も」
「同じ?」
長い。
長い。
『ちがう』
「訂正しますか」
『王が』
『一つでいるのは』
『壊れてほしい』
「国民そのものではなく」
『うん』
「一つの王として固定されている状態を」
『うん』
「分かりました」
◇
記録。
波歌。
《国》から第一歌返還を要求され、感情的に《国が壊れればいい》と発言。
その後、国民個々の存在まで損なうことを望むものではないと訂正。
現在は、《国》が一つの統一王として固定され続ける状態が解除されることを希望。
波歌。
『それ』
「はい」
『書いて』
◇
国。
最後。
『聞き書き人』
「はい」
『第一歌を』
『持って来るな』
「波歌さんだけでなく」
「一番さんも?」
『そうだ』
「理由」
『第一歌が』
『王核へ近づけば』
『王の中に』
『波が戻る』
「波とは」
国。
『伝達』
「何を」
『個別の声を』
全員が。
止まる。
第一歌。
波。
触れた声を。
次の声へ渡す。
「つまり」
エルナ。
「第一歌が王核へ戻れば」
「王内部の個別声同士が」
「再び伝達できるようになる?」
『そうだ』
「今は」
「互いの声が」
「切られている?」
沈黙。
国は。
答えない。
「国さん」
「王の中の人々は」
「現在」
「互いに話せない状態?」
長い。
沈黙。
『必要ない』
「できるかどうかを」
「聞いています」
さらに。
長い。
そして。
『できない』
ミラが。
目を見開く。
国。
一つ。
集合。
でも。
中にいる人々は。
互いに。
話せない。
「それで」
「一つの国?」
『そうだ』
「では」
レインは。
静かに言う。
「中の人たちが」
「それを望んでいるか」
「確認します」
『不可能』
「第一歌があれば」
『やめろ』
「できる可能性がある」
『やめろ』
声。
初めて。
国ではなく。
一人の男の声へ。
一瞬だけ。
変わった。
『やめてくれ』
ミラが。
息をのむ。
「今の声」
『王核の奥』
「一人?」
『うん』
すぐ。
また。
何百人もの。
国の声。
『接続終了』
海。
静かになる。
◇
一番。
海を見る。
「行く」
レイン。
「今の情報を聞いても?」
「行く」
「理由」
「俺の中の歌が」
「誰かの声を」
「もう一回」
「誰かへ渡せるなら」
「見たい」
「それで」
「王が壊れる可能性」
「ある」
「怖い?」
「怖い」
「それでも」
「うん」
◇
波歌。
『一番』
「何」
『歌』
「うん」
『なくさないで』
一番。
少し。
笑う。
「今は」
「なくさない」
「でも」
「俺が」
「いつか」
「持ちたくなくなったら」
波歌。
少し止まる。
『そのとき』
『きく』
「うん」
◇
七つの失われた歌。
第一歌《波》。
現在保持者候補。
《一番》。
海底王国への。
最初の鍵。
そして。
最初の危険。
王核へ戻れば。
国の内部に。
個々の声が。
再び。
届き始める可能性。
王は。
それを。
恐れている。
だが。
その瞬間だけ。
王核の奥から。
一人の声が。
確かに。
言った。
やめてくれ。
それは。
《国》の命令だったのか。
王核本人の願いだったのか。
あるいは。
中に閉じ込められた。
誰か一人の。
恐怖だったのか。
まだ。
分からない。
だから。
レインは。
その声を。
結論にはしない。
ただ。
記録する。
王核内部より、一時的に集合音声とは異なる一名分の男性音声を確認。
発言――《やめてくれ》。
誰の意思であるかは未確認。
その下。
新しい頁。
七つの歌・探索状況。
第一《波》――一番。現在保持を希望。
第二《舟》――白鯨号が航路・歌の入口を記憶している可能性。
第三《空》――未確認。
第四《石》――未確認。
第五《眠り》――凪の睡眠外部記録層に存在する可能性。本人は即時回収を保留。
第六《声》――若いオルドの臨死記録に残存する可能性。本人は調査を希望。
第七――内容・所在とも未確認。
七つ。
全部を。
揃える必要があるかも。
まだ。
分からない。
でも。
一つ目だけで。
王が。
ここまで。
恐れた。
なら。
残り六つには。
さらに。
国の形を。
変える力が。
眠っている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
《七つの失われた歌》の探索が始まりました。
今回判明したのは三つ。
まず第五歌《眠り》。
凪の旧名を消す際、リナは古い海底式の《名前隠し》を使い、名前に付随していた起動機能の一部を《眠り》へ退避させていた可能性が判明しました。
次に第六歌《声》。
若いオルドが一度死んだ際、その死の境界を六つ目の歌が通過し、現在も一部が残っている可能性があります。
そして最初に明確な形で見つかったのが――
第一歌《波》。
現在、その歌を持っているのは《一番》。
波歌が知る歌とは歌詞も旋律も微妙に異なります。
しかし波歌は、どちらかを正しい歌として選ばず、
「また歌えるようになった」
と表現しました。
さらに第一歌《波》には、
「触れた声を、次の声へ伝える」
機能がある可能性が浮上。
もし王核へ近づけば、現在互いに話すことができなくなっている《国》内部の個々の声が、再びつながるかもしれません。
《国》はそれを強く拒否。
しかし最後。
集合音声の奥から、一人だけの男の声が漏れました。
「やめてくれ」
それが誰の願いなのかは、まだ分かりません。
次回、第51話「舟が覚えている道」。
白鯨号に残る第二歌《舟》の手掛かりを追うため、レインたちは三十年前に白鯨号が一度だけ通った《逆潮》を再現します。
しかしその航路記録には、リナも老人オルドも知らない一人の乗船者が残されていました。
その人物の記録には――
《目的地:眠らない海。帰港予定なし》
と記されていました。




