第51話 舟が覚えている道
七つの失われた歌。
第一歌《波》は、一番の中から再び歌えるようになった。
第五歌《眠り》は、凪の睡眠外部記録層。
第六歌《声》は、若いオルドの臨死記録。
そして第二歌《舟》は――白鯨号そのものが、何かを覚えている。
三十年前。
白鯨号は、海底鐘へ引かれる直前、一度だけ地図に存在しない《逆潮》を通った。
その航路には。
リナも。
老人オルドも。
記憶していない乗船者がいた。
記録された目的地は、
《眠らない海》
そして。
《帰港予定なし》
夜明け前。
ベルナード港。
白鯨号。
甲板。
まだ。
出航はしない。
まず。
調べる。
「逆潮を」
「再現する前に」
エルナが言った。
「三十年前の航海記録を」
「もう一度」
「全部並べます」
船長。
『全部?』
「残っているものだけ」
『かなりあるぞ』
「だから」
「人間の記憶だけで」
「探しません」
リナ。
『私も見る』
老人オルド。
「俺も」
若いオルド。
『俺も』
「自分の死ぬ前?」
『見たい』
「途中で」
『嫌になったら止める』
「はい」
◇
白鯨号。
旧船長室。
机。
帳簿。
航路盤。
船員名簿。
積荷記録。
鐘機関の整備記録。
海図。
そして。
三十年前。
事故直前の。
最後の航海。
正式航路。
ベルナード西港発。
西方外洋第四補給点。
漂流者捜索。
帰港予定――三日後。
「表向きは」
エルナ。
「普通の捜索航海です」
「実際は」
老人オルド。
「海底鐘の異常を」
「調べるためだった」
「誰が」
「命令した?」
老人オルド。
止まる。
「俺」
「単独?」
「……違う」
「誰と」
「港務局」
「海軍」
「それから」
「鐘務関係者」
「具体名」
老人オルド。
「覚えている」
「でも」
「今」
「ここで全部出していいか」
「迷う」
「では」
「必要な箇所だけ」
「本人の責任確認と」
「この航路調査に関係する範囲で」
「お願いします」
◇
エルナ。
船員名簿。
「正式乗船者」
四十八名。
「そのうち」
「事故後に」
「生存確認」
老人オルド。
カイル。
リナ。
ほか。
「死亡確認」
「多数」
「未確認」
三人。
「でも」
エルナが。
別紙を出す。
「積載重量が」
「合いません」
船長。
『何が』
「食料」
「水」
「寝具」
「救命具」
「全部」
「四十九人分」
全員。
止まる。
「一人」
バルド。
「名簿にいない」
「はい」
◇
「密航者?」
一番。
「可能性」
エルナ。
「ただし」
「最初から」
「食料も寝具も」
「一名分増やしてあります」
「なら」
セシリア。
「乗組側は」
「存在を認識していた」
「でも」
「正式名簿から外した」
「はい」
「機密乗船者」
リナ。
顔をしかめる。
『知らない』
「本当に?」
レイン。
『今の記憶では』
『知らない』
「思い出したくない感じは」
『ある』
「では」
「無理に掘らない」
『でも』
「はい」
『調べたい』
「理由」
『その人が』
『海底王国へ行ったなら』
『私の知らない』
『三十年前が』
『まだある』
◇
「積荷」
エルナ。
「一名分の追加」
「寝具」
「保存食」
「水」
「防寒具」
「そして」
「一つだけ」
「不自然な物」
「何」
小型鐘一基。
「鐘?」
ミラ。
『海の?』
「材質」
エルナ。
「青銅」
「銀」
「黒珊瑚」
波歌が。
大きく反応する。
『それ』
「知っていますか」
『潮鐘』
「海底王国の?」
『うん』
「何に使う」
『道』
「道を開く?」
『ちがう』
「では」
『道に』
『きく』
◇
「道に聞く」
バルド。
「どういう意味だ」
波歌。
『海は』
『いつも』
『おなじじゃない』
「潮」
『うん』
「海流」
『うん』
「だから」
「行き先を決めて」
「進むのではなく」
『みちが』
『いるか』
『きく』
「逆潮が」
「出ているか確認する?」
『うん』
エルナ。
「固定座標ではなく」
「条件成立型航路」
「地図に書けない理由」
「それですね」
◇
「潮鐘は」
「今」
「白鯨号に残っていますか」
船長。
『見たことない』
リナ。
『事故前には』
『あったかもしれない』
老人オルド。
「覚えてない」
「若いオルドさん」
『俺も』
「では」
「船に聞く?」
バルド。
「またそれか」
「はい」
◇
船。
意思。
まだ。
確定ではない。
しかし。
反応は。
一貫している。
船長が。
甲板中央へ。
手を置く。
『三十年前』
『潮鐘を』
『積んでいたなら』
『一回』
沈黙。
ゴン。
一回。
全員。
顔を見合わせる。
『事故後』
『なくしたなら』
『一回』
ゴン。
「なくした」
エルナ。
「では」
「どこで」
『海底王国へ』
『渡したなら』
『一回』
沈黙。
ゴン。
「渡した?」
リナが。
顔を上げる。
『誰に』
◇
船長。
『乗船者に』
『持たせたなら』
『二回』
ゴン。
ゴン。
「機密乗船者?」
レイン。
「その人が」
「潮鐘を持って」
「白鯨号から降りた?」
船体。
ゴン。
一回。
「では」
「目的地」
「眠らない海」
ゴン。
全員。
静かになる。
◇
「でも」
エルナ。
「海底王国へ」
「白鯨号自体は」
「入っていない?」
波歌。
『たぶん』
「なぜ」
『大きい』
「船が?」
『入口』
「狭い?」
『それも』
「ほかには」
『生きた船』
「白鯨号は」
「普通の船だった?」
『そのときは』
「海底王国へ入るには」
「船自体にも条件?」
『うん』
「死者の船?」
『ちがう』
「歌を持つ船?」
波歌。
『そう』
◇
「白鯨号が」
「第二歌《舟》を」
「持っているなら」
「今は条件を満たす?」
波歌。
『まだ』
「何が足りない」
『舟が』
『自分のうたを』
『うたう』
「船自身の?」
『うん』
船長。
『どうやって』
波歌。
『しらない』
バルド。
「全員分からないな」
◇
エルナが。
航海記録の。
下。
薄い紙。
剥がす。
「二重紙」
「何」
「下に」
「別記録」
古い。
消しかけ。
インク。
名前。
上から。
削られている。
「読めますか」
「名前は」
「難しい」
「でも」
「役職」
エルナ。
目を細める。
潮歌記録補助員。
波歌。
『しおうたい』
「潮歌いではなく」
「補助員?」
『あとに』
『できた』
「何をする」
『かく』
レイン。
「歌を文字に?」
『うん』
「レオの時代に近い?」
『たぶん』
◇
「乗船者」
「潮歌記録補助員」
「目的地」
エルナ。
さらに。
文字。
《眠らない海》
帰港予定――なし。
「帰らない前提」
バルド。
「向こうへ」
「移住?」
「あるいは」
セシリア。
「任務完了後」
「帰還できないと」
「分かっていた」
「なぜ」
エルナ。
「備考があります」
小さな。
一行。
《第二歌を返還し、門を閉じる》
波歌が。
光を震わせる。
『第二歌』
「白鯨号が」
「覚えているだけではなく」
「三十年前」
「一度」
「返還された?」
『たぶん』
「でも」
「今また」
「白鯨号が反応する」
『だから』
「何」
『返ってない』
◇
「返還したつもりで」
「失敗?」
レイン。
『うん』
「あるいは」
「一部だけ」
エルナ。
「第二歌が」
「舟と」
「乗船者に」
「分かれていた可能性」
「あります」
「潮歌は」
「複数差分で残る」
「一つを返しても」
「別の形が残る」
「はい」
◇
老人オルドが。
突然。
椅子へ。
座った。
「思い出した」
全員が。
見る。
「無理しないで」
レイン。
「話す?」
「話す」
「その人」
「知ってる」
「名前は?」
老人オルド。
口を開き。
止まる。
「……名前が」
「出ない」
「顔は」
「出る」
「どんな人」
「女」
「たぶん」
「三十代」
「髪」
「黒」
「短い」
「右目に」
「白い傷」
「役職」
「海軍じゃない」
「教会でもない」
「何と呼んでいた」
老人オルド。
目を閉じる。
「……《先生》」
◇
「先生?」
リナ。
反応。
『私も』
「思い出した?」
『少し』
「同じ人?」
『右目』
『傷』
「何を」
『歌』
「歌を知っていた」
『うん』
老人オルド。
「俺たちに」
「逆潮へ」
「入る方法を」
「教えた」
「潮鐘?」
「そう」
「なぜ忘れていた」
「分からない」
リナ。
『忘れたんじゃない』
「何」
『消した』
「自分たちで?」
リナ。
苦しそうに。
『たぶん』
◇
「理由を」
レイン。
「今」
「思い出せますか」
リナ。
『その人が』
『戻らないから』
「記憶を消す必要が?」
『違う』
『王国へ』
『行った人を』
『覚えてると』
『道が』
『残る』
「道が」
「記憶を追って」
「再接続される?」
『そう』
「だから」
「帰らない人を」
「陸側が忘れる?」
波歌。
『むかし』
『あった』
「海底王国の」
「防衛?」
『うん』
「道を閉じるため」
「送り出した人の記憶を」
「薄くする?」
『うん』
老人オルド。
「俺は」
「それに」
「同意した?」
リナ。
『私は』
『した気がする』
「老人オルドさんは」
「自分の記憶に」
「その同意がありますか」
「ない」
「なら」
「同意したと」
「扱いません」
◇
エルナ。
「消された記憶を」
「今」
「戻す方法は」
波歌。
『第二歌』
「舟の歌?」
『うん』
「なぜ」
『舟は』
『人より』
『道を』
『わすれない』
「船が」
「人間の消した記憶を」
「持っている?」
『少し』
◇
「白鯨号」
レイン。
「三十年前の」
「その女性について」
「記憶を」
「見せられますか」
船体。
反応。
なし。
「質問が」
「曖昧?」
エルナ。
「船は」
「言葉で」
「記憶映像を出す構造ではありません」
「なら」
四番。
「航路を」
「もう一回」
「なぞる」
「それが」
「第二歌を」
「再生する?」
波歌。
『たぶん』
◇
「危険」
セシリア。
「三十年前と」
「同じ逆潮へ」
「入り直す」
「王国側は」
「波歌と第一歌を」
「来させるなと」
「警告しています」
「しかも」
「現在」
「白鯨号には」
「第一歌保持者の一番」
「波歌」
「余白」
「若いオルド」
「いろいろ」
「反応要因が多すぎます」
バルド。
「つまり」
「危険」
「はい」
「でも」
「行くんだろ」
「まだ」
「決めません」
「やっぱりか」
◇
「まず」
「白鯨号自身が」
「行くことを」
「以前」
「反応で示しました」
「でも」
「新しい情報が増えた」
「王からの警告」
「第一歌の反応」
「第二歌の過去」
「機密乗船者」
「なので」
「もう一度」
「確認します」
船長。
『船に?』
「はい」
◇
質問。
『海底王国へ向かいたいなら』
『一回』
『行きたくないなら』
『二回』
沈黙。
船体。
ゴン。
一回。
「変わらず」
エルナ。
「次」
『三十年前の逆潮を』
『もう一度通ることが』
『嫌なら』
『一回』
『構わないなら』
『二回』
ゴン。
ゴン。
「一貫」
「ただし」
「これを」
「完全な意思確認とみなす?」
船長。
『俺は』
『みなす』
「船長自身の判断?」
『そう』
「では」
「記録には」
「船体反応を」
「船長が意思表示と解釈した」
「とします」
『それでいい』
◇
次。
一番。
「行く」
波歌。
『行く』
余白。
『行く』
若いオルド。
『行く』
「六つ目の調査?」
『うん』
リナ。
『行く』
「三十年前を」
「思い出す可能性」
『怖い』
「それでも」
『行く』
老人オルド。
長い。
「俺は」
「行かない」
全員が。
少し驚く。
「理由」
「ベルナードで」
「やることがある」
「前と同じ?」
「それも」
「でも」
「三十年前を」
「船の上で」
「もう一回やるのが」
「怖い」
「それを理由に」
「残る?」
「そう」
「逃げ?」
「そうかもしれない」
「でも」
「残る」
「分かりました」
◇
二番。
「残る」
六番。
「残る」
五番。
「絶対残る」
『絶対?』
余白。
「海は無理」
『でも』
「無理」
凪。
当然。
「残る」
「ただ」
「第五歌の件」
「もし海上で」
「必要になったら」
「通信で確認して」
「はい」
◇
「海底王国へ」
「実際に入る人」
「まだ」
「全部決めません」
「まず逆潮まで」
レイン。
白鯨号。
「その先」
「入口で」
「もう一度確認」
バルド。
「途中確認が多いな」
「危険情報が」
「増えるからです」
◇
その夜。
第二歌の。
手掛かり。
白鯨号の。
船底。
古い。
隔壁。
エルナが。
見つけた。
「ここ」
「何が」
「三十年前に」
「修理されている」
「事故後?」
「事故前」
「誰が」
記録。
臨時補修担当――潮歌記録補助員。
「機密乗船者」
「はい」
「壁に」
「何かあります」
塗料。
剥がす。
その下。
文字ではない。
線。
波。
舟。
歌の。
譜。
「第二歌?」
波歌。
結晶が。
震える。
『ちがう』
「では」
『舟の』
『こえ』
「白鯨号自身の?」
『うん』
◇
線。
船体の。
軋み方。
波を受ける。
角度。
速度。
潮。
すべて。
譜面。
「航路と」
「歌が」
「同じ」
エルナ。
「この舟歌を」
「白鯨号が」
「三十年間」
「船体そのもので」
「保持していた?」
波歌。
『うん』
「第二歌は」
「船の中にある」
『でも』
「まだ?」
『歌ってない』
「白鯨号が」
「自分で」
「歌う必要」
『うん』
◇
「どうすれば」
船長。
『船を』
『逆潮へ』
「やっぱり」
『うん』
「そこで」
『舟が』
『むかしの道を』
『もう一回』
『選ぶ』
「誰かが」
「操船する?」
『する』
「船自身は」
「航路反応を出す」
『うん』
「人が」
「それに従うか」
「判断する?」
『うん』
ここでも。
船が。
全部を決めるのではない。
人も。
全部を決めない。
◇
翌朝。
出航。
目的。
海底王国へ。
まだ。
入らない。
逆潮の。
入口確認。
参加。
レイン。
ミラ。
セシリア。
エルナ。
バルド。
一番。
三番。
四番。
七番。
リナ。
若いオルド。
霜。
余白。
波歌。
白鯨号船長。
そして。
船。
◇
「多い」
バルド。
「幽霊が多いです」
「船だから」
「別に重くない」
「助かる」
◇
港を出る。
通常航路。
西。
三時間。
変化なし。
四時間。
海面。
静か。
波歌。
『ここじゃない』
リナ。
『もっと』
「記憶が?」
『うん』
「無理に」
『まだ大丈夫』
◇
五時間。
空。
曇る。
海。
奇妙。
波が。
船の進行方向と。
逆へ。
動く。
「逆潮」
エルナ。
船体。
ゴン。
ゴン。
ゴン。
連続。
「歌?」
波歌。
『まだ』
「警告?」
『ちがう』
『よんでる』
「何を」
『舟を』
◇
船長。
『白鯨号』
『行くなら』
『進め』
舵。
誰も。
触れていない。
わずかに。
動く。
「船が」
「方向を」
エルナ。
「ただし」
船長。
『俺が』
『取る』
舵へ。
手。
『任せるんじゃない』
『一緒に行く』
白鯨号。
ギィ。
返事。
◇
逆潮へ。
入る。
瞬間。
海。
音が。
変わる。
通常。
波。
風。
帆。
それが。
少しずつ。
リズムへ。
なる。
ゴン。
ギィ。
ザァ。
ゴン。
ギィ。
ザァ。
波歌。
目を閉じる。
『二つは舟へ』
船体。
同じ。
リズム。
返す。
『舟は道を持たない』
ゴン。
『舟は道を選ばない』
ギィ。
『舟は』
ザァ。
『乗せた人が』
ゴン。
『どこへ行ったかを』
ギィ。
『忘れない』
全員が。
静かになる。
「第二歌」
レイン。
波歌。
『うん』
「白鯨号の歌?」
『今は』
『白鯨号の』
◇
船長が。
少し。
笑った。
『やっと』
「何が」
『こいつ』
『歌った』
白鯨号。
船体。
もう一度。
同じリズム。
ゴン。
ギィ。
ザァ。
歌。
言葉ではない。
でも。
意味がある。
◇
その時。
リナが。
甲板へ。
膝をつく。
『思い出した』
「何を」
『先生』
「機密乗船者?」
『うん』
「無理しない」
『話す』
「はい」
『名前』
「思い出した?」
リナ。
口を開く。
だが。
波歌が。
急に。
『待って!』
「何」
『名前』
『言わないで』
リナが止まる。
「なぜ」
波歌。
『道が』
『ひらく』
「名前で?」
『その人』
『門の鍵』
全員が。
緊張。
「では」
レイン。
「名前を言わない」
「リナさん」
「今」
「名前を記録しないことを」
「望みますか」
『うん』
「覚えていることだけ」
『うん』
◇
「その人は」
「何者」
リナ。
『潮歌記録補助員』
「なぜ白鯨号へ」
『第二歌を』
『王国へ戻すため』
「本人の希望」
『そう言ってた』
「あなたが」
「直接聞いた?」
『うん』
「帰らないことも」
『本人が』
『言った』
「理由」
『自分が』
『第二歌を』
『持ってたから』
「人の中にも?」
『うん』
「白鯨号と」
「その人」
「二つの第二歌?」
『違う』
「では」
『同じ歌の』
『違う形』
潮歌。
差分。
◇
「その人は」
「王国へ」
「何をしに」
『閉じる』
「門を?」
『うん』
「なぜ」
『王が』
『陸へ』
『名前を』
『取り始めたから』
全員の顔が。
変わる。
「三十年前から?」
『もっと前』
「海底王国の王核が」
「陸の死者や生者の名前へ」
「接続を広げた?」
『うん』
「その入口を」
「閉じるため」
『第二歌』
「舟は」
「道を覚える」
「だから」
「道を閉じることも?」
『帰れない道に』
『できる』
バルド。
「本人ごと」
「向こうへ残る必要が?」
リナ。
『そう言ってた』
◇
「それは」
「本人の自己犠牲?」
レイン。
『たぶん』
「でも」
「本人が本当に」
「他の方法がないと」
「知っていたか」
『分からない』
「周囲が」
「そう説明した可能性」
『ある』
「では」
「《必要だった》とは」
「まだ記録しません」
◇
逆潮。
さらに。
深い。
白鯨号。
今。
海面を。
進んでいる。
なのに。
遠く。
下から。
鐘。
ゴォン。
波歌。
『門』
「近い?」
『うん』
エルナ。
「海図上」
「ここは」
「普通の外洋」
「深度」
「異常」
「海底が」
「測れません」
セシリア。
「魔力層が」
「折り重なっています」
◇
突然。
甲板。
一人。
誰かが。
立っていた。
白い。
濡れた衣服。
右目。
白い傷。
黒い短髪。
三十代ほど。
女性。
リナが。
息をのむ。
『先生』
老人オルドは。
いない。
だが。
その女性を。
リナは。
覚えている。
「幽霊?」
ミラ。
首を振る。
『違う』
「生者?」
『違う』
「記録?」
『それも』
『だけじゃない』
また。
複数の状態。
◇
女性が。
白鯨号。
船縁へ。
手を置く。
「まだ」
「覚えていたのね」
船体。
ゴン。
一回。
女性。
少し。
笑う。
「久しぶり」
レイン。
「あなたを」
「何と呼べばいいですか」
女性。
レインを見る。
「名前は」
「まだ言わない」
「では」
「呼称なし?」
「《先生》で」
「それは」
「あなた自身が今使いたい?」
「今は」
「それでいい」
「分かりました」
◇
「あなたは」
「三十年前」
「白鯨号から」
「海底王国へ向かった人ですか」
「そう」
「目的は」
「第二歌を返すこと」
「そして」
「門を閉じること」
「帰る予定は」
「なかった」
「本人が選んだ?」
先生。
少し笑う。
「そこ」
「聞くのね」
「はい」
「選んだ」
「他の方法がないと」
「思っていた?」
「思っていた」
「実際は」
長い。
沈黙。
「違った」
全員が。
顔を上げる。
「別の方法があった?」
「後で知った」
「何」
「第二歌を」
「返す必要なんて」
「なかった」
波歌。
光が。
震える。
『なんで』
「必要だったのは」
先生。
白鯨号を見る。
「舟に」
「歌わせること」
「今日みたいに?」
「そう」
「でも」
「当時」
「誰も」
「船を記録の主体として」
「扱わなかった」
全員。
静まる。
「白鯨号は」
「ただの運搬手段」
「歌を持つのは」
「人間だけ」
「そう思っていた」
「だから」
「あなたが」
「第二歌の保持者として」
「残った?」
「そう」
◇
「でも」
先生。
船体へ。
優しく。
触れる。
「この舟は」
「三十年間」
「ずっと」
「歌を覚えていた」
「私が」
「戻らなくても」
「私が」
「消えても」
「第二歌は」
「消えなかった」
「それを」
「今知った?」
「今日」
先生。
目に。
涙。
「白鯨号が」
「歌ったから」
◇
リナ。
『先生』
「何」
『あなた』
『死んだ?』
先生。
答えない。
「今の存在状態を」
レイン。
「どう説明しますか」
長い。
「私は」
「王国へ入った」
「はい」
「第二歌を」
「王核へ渡した」
「はい」
「そのあと」
「名前を」
「取られた」
波歌。
『王に?』
「そう」
「身体は」
「死んだ」
「では」
「幽霊?」
「本来なら」
「でも」
「名前を」
「王核に取られた死者は」
「普通の幽霊になれない」
「なぜ」
「王の中に」
「登録される」
「あなたも」
「国の一部?」
「半分」
「半分?」
「歌だけ」
「外に残った」
◇
「第二歌が」
「あなたを」
「完全に王へ吸収させなかった?」
「そう」
「だから」
「今」
「白鯨号の第二歌が」
「再び歌われたことで」
「一時的に」
「外へ出られた」
「たぶん」
ミラ。
『この人』
『王の声も』
『混ざってる』
「先生自身の声と」
『うん』
◇
「今」
「王国へ」
「戻りたい?」
先生。
苦笑。
「もう」
「戻ってるようなもの」
「でも」
「王核へ」
「完全に戻ることは」
「望む?」
「望まない」
「外へ」
「完全に出たい?」
長い。
「それも」
「分からない」
「なぜ」
「王の中に」
「三十年いた」
「そこで」
「聞いた声がある」
「誰の」
「たくさん」
「その人たちを」
「置いて」
「自分だけ出ることが」
「怖い」
「それは」
「義務?」
「違う」
「では」
「今のあなたの希望?」
「今は」
「一緒に」
「声を戻せるなら」
「そうしたい」
◇
「第一歌《波》」
「個々の声を」
「再接続する可能性があります」
先生。
顔を上げる。
「見つかったの」
「はい」
「一番さんが」
「現在保持しています」
一番。
前へ。
「俺」
「持ってるらしい」
先生。
一番を見る。
「誰の歌」
「分からない」
「それで」
「持ってる?」
「今は」
「うん」
「……いいね」
一番。
「何が」
「昔なら」
「誰のものか分からない歌は」
「消した」
「危険だから」
「今は」
「私は」
「誰のものか」
「確認してから」
「本人が」
「どうするか決めればいいと思う」
◇
王国。
海の下。
鐘。
また。
鳴る。
国の声。
『第二歌』
『確認』
先生が。
顔を強張らせる。
『返還を命じる』
「誰へ」
レイン。
『舟』
全員が。
白鯨号を見る。
「白鯨号へ?」
『第二歌は』
『国の資産』
船長。
『船に』
『物を返せって』
『言うのか』
国。
『舟は』
『所有者ではない』
「では」
レイン。
「今」
「第二歌を保持している主体は」
「誰だと」
「国は判断していますか」
『王』
「白鯨号ではない?」
『違う』
「先生でも」
『違う』
「波歌でも」
『違う』
「では」
「国だけ?」
『そうだ』
◇
白鯨号。
船体。
低く。
ゴン。
ゴン。
「二回」
船長。
『嫌だって』
「解釈?」
『俺は』
『そう聞く』
「白鯨号自身が」
「第二歌を王核へ返すことを」
「拒否していると」
「船長さんは解釈する?」
『そう』
国。
『物に』
『意思はない』
その瞬間。
余白。
『あるかも』
国。
『ない』
『わたしも』
「余白」
『最初』
『道具だった』
『でも』
『いやって言った』
沈黙。
波歌。
『舟も』
『うたう』
国。
『停止せよ』
◇
先生が。
笑った。
涙を。
流しながら。
「三十年前」
「私も」
「同じこと言った」
「何を」
「舟は」
「歌わない」
「舟は」
「記録を持たない」
「だから」
「私が」
「第二歌を持っていく」
「結果」
「私は」
「王に取られた」
白鯨号。
ゴン。
一回。
「今さら」
先生。
「怒ってる?」
ゴン。
ゴン。
船長。
『二回だ』
「嫌ってこと?」
『たぶん』
先生。
泣きながら。
笑う。
「ごめん」
◇
レイン。
「先生」
「今の謝罪を」
「白鯨号が」
「受け入れたとは」
「まだ記録しません」
「分かってる」
「船長さん」
「今の船体反応を」
「どう解釈しますか」
船長。
しばらく。
『分からない』
「では」
「分からない」
『それでいい』
◇
王。
国。
『逆潮を』
『離れろ』
「命令?」
『そうだ』
「理由」
『第一歌』
『第二歌』
『波歌』
『同時接近』
「王核が」
「不安定になる?」
『そうだ』
「内部の個別声は」
『不要』
「先生さんは」
「王核の中で」
「個別声を聞いたと」
「証言しています」
『誤記録』
先生の顔が。
変わる。
「誤記録?」
『そうだ』
「本人は」
「今ここにいる」
『派生』
「国さん」
レイン。
「あなたは」
「現在も」
「個別の人を」
「自分に都合の悪い証言だから」
「派生や誤記録として」
「扱っていますか」
『国に』
『都合という概念はない』
「では」
「なぜ」
「先生さんの証言を」
「確認せず」
「誤記録と?」
沈黙。
◇
その時。
国の声の。
奥。
また。
男の声。
『離れろ』
以前。
やめてくれ。
と言った。
同じ。
一人の。
声。
「あなたは」
レイン。
「誰ですか」
『……』
「《国》ではなく」
「今」
「一人として」
「答えられますか」
『離れろ』
「それは」
「誰を守るため」
長い。
沈黙。
『……全員』
「王核内部の?」
『そうだ』
「第一歌が戻れば」
「個別声が戻る」
『そうだ』
「それが」
「危険?」
『最初は』
「最初は?」
『全員が』
『同時に』
『自分を』
『思い出す』
全員が。
止まる。
「どうなる」
『壊れる』
「誰が」
『王核』
「人々も?」
『一部』
「死者?」
『生者』
セシリアの表情が。
変わる。
「生者も」
「王核に接続されている」
『いる』
「個別声を」
「急に戻せば」
「生者の精神へ」
「負荷が出る?」
『そうだ』
初めて。
具体的な。
危険理由。
◇
「なら」
レイン。
「第一歌を」
「今すぐ」
「王核へ」
「持ち込みません」
一番が。
レインを見る。
波歌も。
見る。
「ただし」
「持って行かないと」
「決めたのではありません」
「安全に」
「一人ずつ」
「戻せる方法を」
「探します」
男の声。
『……』
「あなたは」
「それを」
「望みますか」
長い。
長い。
『分からない』
「では」
「分からないまま」
「記録します」
国の声。
急に。
重なる。
『接続終了』
◇
海。
静か。
逆潮。
まだ。
白鯨号を。
奥へ。
引いている。
波歌。
『レイン』
「はい」
『今』
『行かない?』
「入口までは」
「確認します」
『王国には』
「今日は」
「入りません」
バルド。
「珍しいな」
「何が」
「目の前まで来て」
「入らない」
「新しい危険が」
「分かったからです」
◇
「白鯨号」
船長。
『今日は』
『ここまででいいか』
船体。
ゴン。
一回。
「戻る?」
『戻りたいなら』
『一回』
ゴン。
「一致」
エルナ。
◇
先生。
「私は」
「どうなる」
「白鯨号が」
「逆潮を離れたら」
「あなたは」
「王核へ戻る可能性?」
「高い」
「それを」
「望む?」
長い。
「今は」
「戻りたくない」
「では」
「第二歌との接続を」
「利用して」
「白鯨号側へ」
「一時的に残れるか」
波歌。
『できるかも』
「危険」
『ある』
「本人へ」
レイン。
「白鯨号へ」
「一時的に記録接続を移す方法が」
「あるかもしれません」
「王核へ戻るより」
「現在のあなたの意思を」
「保ちやすくなる可能性」
「でも」
「歌への依存が強くなり」
「王核との接続が」
「切れる可能性もあります」
先生。
「中の声を」
「聞けなくなる?」
「可能性があります」
長い。
苦しい。
選択。
「……今は」
「移らない」
「王核へ戻る?」
「うん」
「理由」
「中の人たちが」
「どうなってるか」
「もう少し」
「知りたい」
「自分の意思で?」
「そう」
「危険」
「分かってる」
「次に」
「出られる保証」
「ない」
「それでも」
「戻る」
◇
「分かりました」
レイン。
「この選択を」
「記録していい?」
「いい」
《先生》。
三十年前に白鯨号より《眠らない海》へ向かった潮歌記録補助員。現在、個人名の記録・使用を望まない。
身体は既に死亡し、名前・人生の一部を王核へ取り込まれていると証言。第二歌との残存接続により一時的に外部へ現れている可能性。
白鯨号側へ一時退避できる可能性を提示されたが、王核内部の個別存在の状態をさらに確認したいとの現在意思により、王核側へ戻ることを選択。
当該選択は《犠牲》や《救出拒否》とは記録せず、本人が現時点で王核内部へ戻ることを選んだ事実のみ記録する。
先生。
「最後の」
「大事ね」
「はい」
◇
逆潮。
白鯨号。
旋回。
戻る。
その瞬間。
先生の身体。
薄くなる。
リナ。
『先生』
先生。
「何」
『三十年前』
『私』
『あなたを』
『忘れることに』
『同意した?』
先生。
少し。
驚く。
「あなたは」
「した」
リナ。
目を閉じる。
『理由』
「道を」
「閉じるため」
『私が』
『自分で?』
「うん」
『……そっか』
「でも」
先生。
「今」
「戻った記憶まで」
「もう一回消せとは」
「私は言わない」
リナ。
『うん』
「今のあなたが」
「決めて」
『そうする』
◇
先生。
次。
若いオルドを見る。
「あなた」
『何』
「六つ目」
『知ってる?』
「知ってる」
「あなたの中に」
「あるのは」
「残響だけじゃない」
『何』
「六つ目の」
「一部」
「誰の」
「まだ」
「言えない」
『なんで』
「その人が」
「王核の中に」
「いるから」
若いオルド。
『本人に』
『聞ける?』
「第一歌が」
「安全に使えるようになれば」
「たぶん」
『じゃあ』
「はい」
『それまで』
『勝手に出さない』
「分かった」
◇
最後。
先生。
波歌を見る。
「久しぶり」
波歌。
『知ってる?』
「あなたのこと?」
『うん』
「記録で」
「昔」
「少し」
「名前は」
『言わないで』
「言わない」
『おとうさん』
先生の表情。
変わる。
「……生きてる」
波歌。
光が。
震える。
『ほんと』
「ただし」
レイン。
「先生さん自身の認識?」
「はい」
先生。
「私が」
「王核の中で」
「声を聞いている」
「本人か」
「幽霊か」
「記録か」
「分からない」
「でも」
「あなたのお父さんの声は」
「ある」
波歌。
『会いたい』
「分かってる」
『おとうさんも』
先生。
長い。
「会いたいと」
「言っていた」
波歌が。
泣く。
『ほんと』
「うん」
「でも」
「今」
「あなたを来させたくないとも」
「言っていた」
『うん』
「両方」
『うん』
◇
先生。
薄くなる。
「次」
「第二歌を」
「王核へ」
「近づける時」
「気をつけて」
「何に」
「舟は」
「道を覚える」
「はい」
「でも」
「道も」
「舟を覚える」
エルナ。
「逆方向?」
「そう」
「一度」
「王国の門へ」
「第二歌を持つ舟が」
「近づけば」
「王国側から」
「白鯨号へ」
「道を開けるようになる」
「つまり」
「こちらから行かなくても」
セシリア。
「向こうから」
「白鯨号を」
「呼べる?」
「そう」
船長。
『勝手に?』
「昔は」
「そうだった」
「今も」
「可能性がある」
◇
「止める方法」
先生。
「第二歌を」
「白鯨号から」
「消す」
船体。
ゴン。
ゴン。
船長。
『嫌だって』
先生。
少し笑う。
「そうね」
「なら」
「別の方法」
「王国側の」
「呼び出し権限だけ」
「切る」
「どこ」
「門」
「海底王国へ」
「入らないと?」
「たぶん」
◇
先生の姿。
完全に。
薄くなる。
「また」
「呼べますか」
レイン。
「第二歌が」
「歌えば」
「でも」
「毎回」
「私が出られるとは限らない」
「分かりました」
「先生さん」
「今の呼称」
「継続?」
「今は」
「先生で」
「分かりました」
最後。
先生。
白鯨号へ。
「三十年前」
「ごめん」
船体。
沈黙。
返事。
なし。
先生は。
少し。
寂しそうに笑った。
「それも」
「答えね」
消える。
◇
逆潮を抜ける。
海。
普通の波。
白鯨号。
第二歌。
まだ。
船体へ。
残っている。
波歌。
『二つ』
「見つかった?」
『うん』
「第二歌《舟》」
『白鯨号』
「今の保持者?」
『うん』
「先生さんは」
『ちがう』
「先生の中にも」
「別形が?」
『ある』
「では」
「一つに戻さない」
『うん』
◇
レイン。
新しい記録。
第二歌《舟》。
三十年前、白鯨号に秘匿乗船した潮歌記録補助員《先生》が一形態を保持し、《眠らない海》へ向かったと確認。
同時に白鯨号自身も、船体の軋み・波受け・航路選択として別形の第二歌を保持していた可能性が高い。
現在、逆潮航行により白鯨号が第二歌を再び表出。波歌は現在の保持主体を白鯨号と認識。
《先生》側の第二歌と白鯨号側の第二歌について、どちらを正本とはしない。
その下。
第二歌の機能候補――道を記憶し、通った場所との再接続を可能にする。
注意――道も舟を記憶するため、一度門へ近づいた舟は海底王国側から呼び出される可能性あり。
◇
「つまり」
バルド。
「今」
「俺たちは」
「王国へ行く道を」
「見つけた」
「はい」
「でも」
「向こうからも」
「来られるようになる」
「可能性があります」
「最悪だな」
「便利でもあります」
「言い方」
◇
ベルナード。
帰港。
夕方。
白鯨号が。
岸壁へ。
接岸する。
老人オルド。
待っていた。
船を見る。
「どうだった」
「第二歌」
「見つかりました」
「先生は」
老人オルド。
息を止める。
「会いました」
「俺」
「行けばよかったか」
レイン。
「それは」
「今のあなたが」
「決めることです」
「先生さんは」
「次に出られる保証はありません」
「でも」
「会いたいなら」
「それを記録しておくことはできます」
老人オルド。
長い。
「会いたい」
「はい」
「謝りたい」
「何を」
「覚えてないことも」
「覚えてることも」
「全部」
「本人へ」
「聞いてほしい」
「《謝罪したい》という希望を」
「記録していい?」
「いい」
◇
その夜。
白鯨号。
誰も。
第二歌を。
王へ返さなかった。
第一歌も。
返さない。
波歌へ。
集めもしない。
一番は。
一番として。
第一歌を持つ。
白鯨号は。
舟として。
第二歌を持つ。
第五歌は。
凪の眠りの外。
第六歌は。
若いオルドへ。
残っている。
残り。
第三。
空。
第四。
石。
第七。
不明。
◇
そして。
深夜。
ベルナード。
港。
風。
ない。
なのに。
白鯨号の。
船鐘が。
一度。
鳴った。
ゴォン。
船長。
飛び起きる。
『誰も触ってない』
ミラ。
海を見る。
『来る』
「何が」
『道』
海面。
港の中。
波が。
逆へ。
流れ始める。
「逆潮?」
エルナ。
「こんな場所で?」
白鯨号。
まだ。
動いていない。
だが。
船体。
軋む。
ゴン。
ギィ。
ザァ。
第二歌。
勝手に。
鳴る。
◇
海底王国側から。
白鯨号が。
呼ばれている。
先生の警告。
早すぎる。
そして。
海面。
一つ。
黒い。
石。
浮かび上がる。
「石?」
バルド。
波歌が。
激しく。
反応する。
『四つ』
「第四歌?」
『うん』
全員。
止まる。
黒い石。
海から。
岸壁へ。
ゆっくり。
流れ着く。
その表面に。
文字。
ではない。
細い。
白い線。
歌。
波歌。
震えながら。
『四つは石へ』
石。
中から。
声。
『門を』
『開けるな』
老人。
女性。
子ども。
複数。
同時。
『王を』
『止めるな』
次。
別の声。
『王を』
『止めろ』
正反対。
同じ石。
違う声。
さらに。
『波歌を』
『返せ』
別。
『波歌を』
『近づけるな』
別。
『第一歌を』
『持って来い』
別。
『第一歌を』
『海へ捨てろ』
矛盾。
大量。
でも。
一つへ。
まとめられていない。
波歌。
泣く。
『石』
「第四歌?」
『うん』
「何をする歌」
波歌。
『ちがうことを』
『そのまま』
『置く』
石。
差異保存。
文字より。
固定せず。
歌より。
消えにくく。
矛盾を。
同時に。
持つ。
◇
「誰が」
「送った」
レイン。
石。
声。
何十。
重なる。
その中。
一つ。
はっきり。
『王じゃない』
「海底王国民?」
『そう』
「個人として」
「話せますか」
沈黙。
別の声。
『少しなら』
「この石を」
「送ることへ」
「誰が同意した」
長い。
『三十七人』
「全員?」
『違う』
「反対者は」
『二十一人』
「それでも送った?」
『送る人が』
『自分の歌を』
『送った』
重要。
国全体ではない。
賛成者。
反対者。
それぞれ。
◇
「王核の中ではなく」
「外にいる人?」
『外というより』
『端』
「王の中に」
「完全統合されていない?」
『そう』
「生者?」
『生者も』
『死者も』
「現在」
「個別意思を」
「保てる?」
『少し』
「第一歌が」
「戻れば」
『もっと』
「でも」
「危険も」
『知ってる』
「それでも」
石。
声。
いくつか。
『戻したい』
別。
『戻したくない』
また。
違う。
◇
レインは。
笑わない。
困らない。
ただ。
書く。
海底王国側より、第四歌《石》と推定される媒体がベルナードへ到達。
媒体内部には複数の異なる証言が同時保存されている。
《王を止める》《王を止めない》《波歌を返す》《波歌を近づけない》《第一歌を持参する》《第一歌を海へ捨てる》など、相互矛盾する意見を確認。
石送付については三十七名が自身の意思で参加したとする証言あり。二十一名が反対したとの証言もあり。
よって本件を《海底王国全体からの要請》とは扱わない。
◇
波歌。
石へ。
近づく。
『四つ』
石。
小さな。
子どもの声。
『波歌?』
『うん』
『ほんもの?』
波歌。
少し。
止まる。
『いまは』
『波歌』
子どもの声。
『そっか』
『わたし』
「誰」
『名前』
『まだある』
「使いたい?」
『今は』
『言わない』
「分かりました」
『波歌』
『王国に』
『来る?』
波歌。
『行く』
『こわいよ』
『うん』
『でも』
『わたし』
『会いたい』
波歌。
『わたしも』
誰か。
古い。
海底王国の。
子ども。
波歌を。
覚えている。
◇
レイン。
海を見る。
第一。
波。
第二。
舟。
第四。
石。
第五。
眠り。
第六。
声。
残る。
第三。
空。
第七。
未確認。
七つのうち。
五つ。
所在。
あるいは。
手掛かり。
急速に。
集まり始めた。
しかし。
これは。
便利な鍵集めではない。
一つ見つかるたび。
そこに。
誰かがいる。
誰かの意思がある。
誰かが。
持ち続けたい。
返したい。
返したくない。
怖い。
使いたい。
使いたくない。
七つ。
揃えば。
扉が開く。
そういう話ではない。
七つの声へ。
それぞれ。
聞かなければならない。
◇
黒い石。
最後。
一行。
白い文字が。
浮かぶ。
第三歌は、空へ返した。
エルナ。
顔を上げる。
「第三歌」
「空」
波歌。
『だれが』
文字。
帰ってこなかった舟乗り。
「誰」
次。
三十年前ではない。
全員が。
止まる。
百二十七年前。
さらに。
空へ上がった死者がいる。
バルド。
「死者が」
「空へ?」
文字。
いまも落ちてこない。
波歌。
『三つ』
「第三歌《空》」
『うん』
「場所は」
石。
最後。
王国の真上。
海の底から見える、空の墓。
文字。
消える。
◇
海底王国。
その真上。
海中なのに。
空の墓。
そこへ。
百二十七年前。
一人の死者が。
第三歌を持って。
上がった。
今も。
戻っていない。
レインは。
新しい頁へ。
第三歌《空》――海底王国上方《空の墓》に存在する可能性。
残る。
第七歌。
内容。
不明。
そして。
波歌の。
名前そのものに。
最も近い。
最後の歌。
その所在だけは。
誰も。
まだ。
口にしなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
第二歌《舟》は、白鯨号そのものが三十年間保持していました。
三十年前、秘匿乗船者《先生》は自分が第二歌を持っていると思い、海底王国へ残る道を選びました。
しかし今回、白鯨号自身が逆潮の中で歌ったことで、
舟そのものも記録主体になり得る
ことが判明します。
《先生》はすでに死亡しており、現在は王核へ人生の一部を取り込まれた存在でした。
それでも第二歌との接続によって一時的に外へ現れ、自分が三十年前に「船は歌わない」と決めつけたことを認めます。
そして白鯨号は、第二歌を王核へ返すことを拒否している――と船長は船体反応を解釈しました。
さらに帰港後。
海底王国側から第四歌《石》が届きます。
その石には、
「王を止めろ」
「王を止めるな」
「波歌を返せ」
「波歌を近づけるな」
という正反対の意見が、消されず同時に保存されていました。
そして第三歌《空》についても新たな手掛かりが判明。
百二十七年前。
第三歌を持った一人の死者が、海底王国の真上にあるという、
《空の墓》
へ上がったまま戻っていない。
次回、第52話「海の底にある空の墓」。
レインたちは第三歌《空》を探すため、《空の墓》が何なのかを調査します。
しかしその場所へ行くには海底王国を通らず、逆に《海面から深海へ落ちる》特殊な航路が必要でした。
そして第三歌を持って空へ上がった死者は――レインたちがよく知る人物の祖先だったことが明らかになります。




