第48話 歌の中に残った子ども
北方施設で自動生成された第十四人格《余白》。
彼女を正史判定装置から切り離した直後、その内部から、余白が生まれる以前から存在していた子どもの声が聞こえた。
その子は歌う。
一つは波へ。
二つは舟へ。
七つになっても、名前は返すな。
海。
舟。
七つ。
そして、名前を返すな。
北方施設より古い記録層に残されたその歌は、《海の十三と十四》よりさらに前の時代へつながっていた。
『十四番目を』
『また作ったの?』
透明な記録結晶。
その中。
余白の光とは。
少し離れた場所。
もう一つ。
小さな。
青白い光が揺れていた。
余白が答える。
『わたし』
『十四番目じゃない』
子どもの声。
しばらく。
沈黙。
『よかった』
その言葉だけは。
はっきりしていた。
◇
「話を聞いてもいい?」
レインが尋ねる。
子どもの声は。
すぐには答えない。
『だれ』
「レイン」
『なまえ?』
「今はそう呼ばれています」
『ほんとうの?』
レインは。
少し考える。
「現在使っている名前です」
『ふうん』
「あなたを」
「何と呼べばいい?」
沈黙。
『……』
「名前を使いたくないなら」
「使わなくていい」
『なまえ』
『わすれた』
「消された?」
『ちがう』
「自分で?」
『ちがう』
「では」
『うたにした』
全員が。
止まる。
「名前を」
「歌に?」
『うん』
「どういう意味」
『なまえは』
『よばれる』
『うたは』
『うたわれる』
「違いは?」
『なまえは』
『こっちを見る』
『うたは』
『みんなで見る』
ミラの表情が。
変わる。
『この子』
「何です」
『名前を』
『一人に向けるものって』
『言ってる』
「歌は」
『関係を』
『散らしてる』
エルナが。
すぐに筆を取る。
「識別情報を」
「単一名称ではなく」
「複数人が共有する旋律・語句へ分散した?」
子ども。
『むずかしい』
「すみません」
『でも』
『たぶん』
◇
「あなたは」
「何歳くらい?」
子ども。
『しらない』
「身体はありますか」
『ない』
「昔は?」
『あった』
「人間だった?」
『たぶん』
「死者?」
ミラが。
首を傾げる。
『この子』
『変』
「幽霊ではない?」
『死んだ声もある』
『でも』
『生きた記録もある』
「混ざっている?」
『うん』
また。
一つの分類では。
足りない存在。
「今のあなた自身は」
「自分を一人だと感じますか」
子ども。
長い。
『……うん』
「複数人では?」
『うん』
「どちらも?」
『そう』
余白が。
小さく言う。
『わたしも』
「何が」
『いろんな人から』
『できた』
「はい」
『でも』
『わたし』
「はい」
子ども。
『それでいい』
余白の光が。
少し明るくなる。
◇
「歌について」
レインが尋ねる。
「先ほど」
一つは波へ。
二つは舟へ。
七つになっても、名前は返すな。
「そう歌いました」
『うん』
「誰が作った歌?」
『みんな』
「何人」
『……』
子どもは。
数え始めるように。
歌う。
『ひとり』
『ふたり』
『さんにん』
『よにん』
『ごにん』
『ろくにん』
『ななにん』
そこで。
止まる。
「七人?」
『さいしょは』
「最初は七人」
『うん』
一番。
三番。
四番。
七番。
六人の分割死者。
海の七分類。
全員が。
少し緊張する。
「その七人は」
「海鐘守?」
『ちがう』
「記憶を七つへ分けた人?」
『ちがう』
「では」
『うたうひと』
「七人の歌い手?」
『うん』
◇
「いつの時代です」
エルナ。
レインを通じて。
「海洋統合実験より前?」
『ずっとまえ』
「王都鐘務局より」
『しらない』
「ネレイス島より」
『しま』
「ネレイス」
子どもの声が。
急に。
止まる。
『そのなまえ』
「知っている?」
『あとから』
「昔は違う名前?」
『うん』
「何と呼ばれていた」
子ども。
長い。
沈黙。
『……うたでは』
「歌では?」
『《眠らない海》』
霜が。
小さく言う。
「国の名前?」
『くに』
「島ではなく?」
『うみのした』
全員が。
静まる。
「海底?」
『うん』
第二部。
海底王国。
その言葉が。
初めて。
具体的な形を持つ。
◇
「海の下に」
「国があった?」
『あった』
「人が住んでいた?」
『いた』
「死者?」
『いきてるひと』
『しんだひと』
『どっちも』
「共存していた?」
『いっしょ』
セシリアが。
眉を寄せる。
「死者が社会へ」
「普通に参加していた?」
『しごと』
『してた』
「何を」
『うた』
「歌うことが仕事?」
『それも』
「ほかには」
『みち』
『おぼえる』
『うみ』
『おぼえる』
『ひと』
『おぼえる』
エルナ。
「記録社会?」
子ども。
『きろく』
『ちがう』
「違う?」
『きろくは』
『かく』
『あそこは』
『うたう』
「記録を」
「文字ではなく歌で残す?」
『うん』
◇
「なぜ」
「歌だったんです」
子ども。
『うみのそこ』
『かみ』
『ぬれる』
「紙が使いにくい」
『いし』
『われる』
「石板も」
『なまえ』
『とられる』
「名前も危険」
『うん』
「でも歌は」
『だれかが』
『おぼえてる』
「一人死んでも」
『ほかのひと』
「誰か一人へ」
「全部を置かない」
『そう』
レインの。
手が止まる。
レオが。
一冊の本ではなく。
人間へ記憶を残そうとした。
だが。
さらに前。
海底王国では。
一人へ。
全部を置かなかった。
複数人が。
一つの歌を。
少しずつ。
覚える。
「一曲を」
「七人で分ける?」
『ちがう』
「では」
『七人が』
『おなじうたを』
『ちがっておぼえる』
また。
視点差。
「歌詞が違う?」
『すこし』
「旋律も?」
『すこし』
「それで」
「どれが正しい歌か」
『きめない』
レインが。
息を止める。
「決めない?」
『みんなで』
『うたうと』
『わかる』
「何が」
『ちがうところ』
◇
七人。
同じ歌。
でも。
少しずつ違う。
全員で歌えば。
相違点が見える。
違いそのものが。
記録。
「それ」
エルナが。
立ち上がるほど驚く。
「多重照合型記憶保存です」
バルド。
「分かりやすく」
「一人が歌詞を間違えても」
「ほかの六人と比べれば」
「どこが違うか分かる」
「でも」
「多数決で直すのでは?」
「そこが違います」
エルナ。
「差分を消さない」
「七人の違いを」
「そのまま保存する」
ミラ。
『レオみたい』
「むしろ」
レインは。
「レオより古い」
◇
「七人の歌い手を」
「何と呼んでいた?」
子ども。
『《潮歌い》』
「潮歌い」
『うん』
「役割は固定?」
『ちがう』
「誰でもなれる?」
『うん』
「子どもも?」
『うん』
「死者も?」
『うん』
「生者も」
『うん』
「途中でやめることも」
『うん』
海鐘守とは。
違う。
役割へ。
人を固定しない。
「では」
「なぜ」
「後の時代に」
「七つの固定役割へ変わった?」
子どもの声が。
弱くなる。
『こわかったから』
「誰が」
『みんな』
「何が」
『うたが』
『かわること』
◇
「歌が変わることが」
「怖かった?」
『うん』
「なぜ」
『むかし』
『おおきなふね』
『しずんだ』
「海難事故?」
『いっぱい』
『しんだ』
「何人」
『しらない』
『いっぱい』
「その事故で」
『うたが』
『ばらばらになった』
「歌い手が死んだ?」
『うん』
「残った歌が」
「食い違った?」
『うん』
「どの記録が正しいか」
『けんかした』
「それで」
『ひとが』
『うみに』
『はいった』
「死者の声を」
「確かめるため?」
『うん』
「亡くなった?」
『いっぱい』
原初。
善意。
複数の違いを残す。
だが。
大災害。
矛盾。
混乱。
人々は。
不確定を。
怖がった。
「だから」
「歌を固定しようとした」
『うん』
「七人それぞれへ」
「担当を?」
『さいしょは』
『ちょっとだけ』
「何が起きたか担当」
「事実担当」
「感情担当」
海底鐘の七分類。
『そう』
「整理のためだった」
『うん』
「人を分けるためではない」
『うん』
それが。
何世代か。
何十年か。
何百年か。
変わって。
役割そのものへ。
人を固定した。
◇
「あなたは」
「その最初の七人の一人?」
子ども。
『ちがう』
「後の人?」
『うん』
「何代目」
『しらない』
「潮歌い?」
『みならい』
「子どもの頃から?」
『うん』
「名前を歌にしたのは」
「その頃?」
『もっとあと』
「なぜ」
子ども。
少し。
震える。
『くにが』
『しずんだから』
全員が。
止まる。
「海底王国が」
「さらに沈んだ?」
『うん』
「海底にあったのに?」
『もっとした』
「原因は」
『かね』
ミラが。
顔を上げる。
『鐘』
「海底鐘?」
『さいしょの』
「第一海葬記録庫?」
『そのなまえ』
『あと』
「元々は別?」
『うん』
「何だった」
子ども。
『《歌を集める鐘》』
◇
エルナの筆が。
止まらない。
「原型は」
「死者管理装置ではなく」
「潮歌いの歌を収集・照合する装置?」
『うん』
「自動分類は」
『あと』
「記憶固定は」
『あと』
「強制収容も」
『あと』
「最初は」
『きくだけ』
「鐘が」
「歌を聞いていた?」
『うん』
「誰かの歌が途切れたら」
「ほかの人へ知らせる?」
『うん』
「差分も」
『のこす』
原型。
今より。
はるかに。
聞き書き人の思想に近い。
なのに。
最終的には。
強制保存装置へ。
変わった。
◇
「国が沈んだ原因が」
「その鐘?」
『鐘を』
『なおした』
「誰が」
『王さま』
「海底王国の王?」
『うん』
「何を変えた」
『うたが』
『ちがうと』
『こまるって』
「正しい歌を」
「一つ選ぶ機能?」
『うん』
「王が」
「最終版を決めた?」
『さいしょは』
「その後」
『鐘』
「自動化?」
『うん』
バルドが。
小さく。
「また同じだな」
最初は。
人が。
最後を決める。
次に。
機械へ。
役割へ。
任せる。
◇
「王は」
「悪い人だった?」
レインが尋ねる。
子ども。
『しらない』
「嫌い?」
『……』
『きらい』
「理由は」
『おとうさん』
「何が」
『かえってこなかった』
「王の命令で?」
『うん』
「では」
「王が悪い?」
長い。
『それだけじゃない』
「ほかには」
『おとうさんも』
「何を」
『いった』
「どこへ」
『鐘を』
『とめる』
「自分で選んで?」
『うん』
「戻らなかった」
『うん』
理解。
でも。
王だけへ。
全部を。
置かない。
父自身も。
選んだ。
だから。
簡単に。
一人を悪者へできない。
◇
「あなたの名前を」
「歌にしたのは」
「国が沈んだあと?」
『うん』
「どうして」
『鐘が』
『なまえを』
『よぶようになった』
「名前を呼ばれたら」
「何が起きた」
『うたが』
『ひとつになる』
「本人の歌が」
「鐘の正しい歌へ修正される?」
『うん』
「だから」
「名前を使えなくした」
『うん』
「名前そのものを消したのではなく」
『うたに』
「分散した」
『うん』
◇
「あなたの歌」
「今」
「全部覚えていますか」
『ない』
「一部?」
『ななつ』
「七つに分かれている?」
『うん』
「どこに」
『しらない』
「一つは」
『わたし』
「残り六つ」
『なくした』
「誰かが持っている?」
『たぶん』
一番が。
小さく言う。
「七つ」
海の。
七分類。
現在の。
七人。
でも。
安易に。
同じとはしない。
「俺たち?」
一番が尋ねる。
レインが止めない。
本人が聞きたいこと。
子ども。
『ちがう』
一番が。
少し安堵し。
少し残念そうな顔。
「分かる?」
『あなたたちは』
『あと』
「後の技術」
『うん』
「では」
「七つの歌は」
「もっと古い別の存在へ」
『うん』
◇
ミラが。
突然。
ネレイス島で聞いた。
十二の子どもの声を。
思い出す。
『もしかして』
「何」
『十二人』
「ネレイスの?」
『あの子たちも』
『歌を知ってる?』
子どもの声。
反応。
『じゅうに』
「十二人の統合補助児」
『……』
「知っていますか」
『しらない』
「では」
『でも』
子ども。
『十三は』
『しってる』
「十三?」
全員が。
緊張する。
「凪?」
『ちがう』
「王都の第十三鐘守?」
『ちがう』
「では」
子どもの声。
『十三番目の歌』
◇
「歌にも」
「十三番目がある?」
『うん』
「七人では?」
『さいしょは』
「七」
『そのあと』
『十三』
「なぜ増えた」
『国が』
『おおきくなった』
「記録量?」
『うん』
「七人では足りなくなった」
『うん』
「でも」
エルナ。
「十三番目だけ」
「特別?」
子ども。
『十三は』
『うたわない』
「何をする」
『きく』
レインの。
胸が。
少し重くなる。
「十三番目は」
「聞くだけ?」
『うん』
「七人」
「あるいは十二人が歌う」
「十三番目が聞く」
『うん』
「正しい歌を決める?」
『ちがう』
「では」
『ちがうところを』
『おぼえる』
聞き書き人。
レオ。
十三番目。
また。
近い。
だが。
まだ。
同じとは決めない。
◇
「十四番目は」
レインが尋ねる。
子ども。
急に。
黙る。
「昔からいた?」
『……』
「話したくない?」
『こわい』
「では」
「止める?」
『でも』
「話したい?」
『うん』
「無理しなくていい」
『十四は』
声。
小さい。
『さいしょ』
『いなかった』
「後から作られた?」
『うん』
「何のため」
『十三が』
『きめないから』
「十三番目が」
「違いを覚えるだけで」
「結論を出さなかった」
『うん』
「それを」
「王や管理者が」
「困った」
『うん』
「だから」
『さいごに』
『きめるひと』
「十四番目」
『うん』
原型。
明確になった。
七。
十二。
十三。
十四。
最初から。
固定制度ではなかった。
人が増え。
記録が増え。
管理が難しくなり。
最後を。
早く。
一つへ。
決めるため。
十四番目が作られた。
◇
「あなたは」
「十四番目になったことがある?」
子ども。
長い。
長い。
沈黙。
『なった』
余白が。
光を震わせる。
『あなたも?』
『うん』
「本人の同意は」
子ども。
『……』
『いやって』
『いった』
「でも」
『つながれた』
「何を決めさせられた」
『七つの歌』
「どれが正しいか?」
『うん』
「選んだ?」
声が。
震える。
『えらんだ』
「誰の歌」
『おとうさん』
全員が。
静まる。
「お父さんの歌を」
「正しい歌として?」
『ちがう』
「では」
『まちがいって』
『した』
子ども。
泣いている。
『おとうさんの』
『うた』
『まちがいって』
『わたしが』
『きめた』
「自分で?」
『ちがう』
「装置に?」
『でも』
『わたしのこえで』
罪悪感。
責任。
自分の声で。
父の記憶を。
間違いと。
宣告した。
「それで」
「お父さんの歌は」
『きえた』
「完全に?」
『……わからない』
「あなたは」
「それを今も」
「自分の責任だと思っている?」
『うん』
「誰が装置を作った」
『おとな』
「誰があなたを十四番目へ」
『おうさまのひと』
「あなたは拒否した」
『うん』
「それでも」
『うん』
「では」
レインは。
慎重に。
「あなたが発音したことと」
「その仕組みを作り」
「拒否を無視して」
「あなたへ言わせた責任は」
「分けて記録します」
子ども。
『でも』
「はい」
『わたし』
『いった』
「それも記録します」
『おとうさん』
『きえた』
「その結果も」
「消しません」
『じゃあ』
「でも」
「全部を」
「あなた一人の責任にはしません」
長い。
沈黙。
◇
余白が。
小さく言う。
『わたしも』
「何」
『えらばされそうだった』
子ども。
『うん』
『でも』
『えらばなかった』
『うん』
『レインたちが』
『とめた』
『うん』
少し。
間。
『よかったね』
余白。
『うん』
同じ十四番目。
でも。
違う結末。
◇
「あなたの現在の希望を」
「聞いてもいい?」
子ども。
『おとうさんの』
「歌を」
『さがしたい』
「七つに分かれた?」
『たぶん』
「自分の名前の歌も」
『それも』
「どちらが先」
長い。
『おとうさん』
「分かりました」
「それと」
『なに』
「今いる場所」
「余白さんの結晶の中に」
「このままいたい?」
子ども。
少し考える。
『いや』
「外へ?」
『うん』
「別の媒体へ」
『うん』
「余白さん」
レイン。
「この子が」
「今」
「あなたの記録結晶内から」
「別の場所へ移りたいと希望しています」
『うん』
「あなた自身は」
『いい』
「出ていってほしい?」
『ちがう』
「では」
『この子が』
『いきたいなら』
「分かりました」
同じ場所を。
共有していても。
所有者ではない。
◇
「問題」
エルナ。
「この子の記録構造は」
「余白より古い」
「北方施設の技術と」
「完全には互換性がない可能性」
「移動は」
「今すぐ?」
「危険です」
「本人へ」
レイン。
「すぐ移すより」
「安全な媒体を調べてからのほうが」
「現在は危険が低いと考えています」
『どれくらい』
「まだ分かりません」
『ここ』
『いや』
「余白さんと同じ結晶内にいることが?」
『ちがう』
「では」
『ここ』
『北』
「北方施設そのもの?」
『うん』
「海へ戻りたい?」
『……うん』
「では」
「一時的に」
「余白さんの結晶ごと」
「北方施設外へ出すことは」
エルナ。
「可能です」
「独立移動より安全」
「余白さん」
『わたしも』
「外へ行きたい?」
『うん』
「どこ」
『雪』
地下人物と。
霜。
そして。
余白。
ここでも。
雪。
◇
翌朝。
療養院の温室。
大きな透明結晶。
余白。
その奥。
古い子どもの声。
雪が。
ガラス越しに見える。
『しろい』
余白。
『うん』
子ども。
『むかしも』
『こんなの』
「海底王国に雪?」
『ちがう』
『泡』
「白い泡?」
『うん』
『雪みたい』
「海の底で」
『天井から』
「何が」
『ひかりの泡』
元人物も。
保存装置の中から。
隣で聞いている。
『きれい?』
子ども。
『きれい』
余白。
『みたい』
『海?』
『うん』
子ども。
『こわいよ』
『でも』
『きれい』
恐怖と。
好意。
同時。
◇
「子どもさん」
レイン。
「呼称なしでは」
「記録上」
「区別しにくくなってきました」
「今」
「仮の呼び名がほしいですか」
長い。
『うた』
「《歌》?」
『ちがう』
「歌に関係する名前?」
『うん』
「候補を聞きたい?」
『うん』
ミラ。
『《音》』
四番。
「《泡》」
バルド。
「俺は今回は黙る」
『正解』
「おい」
エルナ。
「《潮》」
セシリア。
「《詠》」
余白。
『《波歌》』
子ども。
反応。
『それ』
「波歌?」
『うん』
「現在の呼び名として?」
『うん』
「余白さんの提案ですが」
「自分で選ぶ?」
『えらぶ』
「では」
北方第十四装置内の旧記録層から発見された子どもの記録存在。
現在の仮称として《波歌》を本人が選択。
名称由来は余白による提案。本人が自ら採用。
過去の個人名は歌へ分散したと本人が証言しているため、現時点では復元を試みない。
『うん』
◇
「波歌さん」
「お父さんの歌を」
「探すには」
「どこへ行けばいい」
波歌。
『海の下』
「ネレイス島?」
『もっと下』
「第一海葬記録庫?」
『その下』
「さらに?」
『国』
エルナが。
地図を広げる。
「海底王国」
『うん』
「まだある?」
波歌。
長い。
『ある』
全員が。
止まる。
「滅びたのでは」
『上は』
「上層部?」
『こわれた』
「下は」
『まだ』
「人がいる?」
波歌。
『しらない』
「死者」
『いる』
「たくさん?」
『うん』
「歌っている?」
『ずっと』
ミラが。
急に。
耳を押さえる。
『聞こえる』
「今?」
『すごく』
「どこから」
『海』
「ベルナード方面?」
『もっと遠い』
「海底王国?」
『たぶん』
歌。
これまで。
遠く。
細く。
時折だけ。
聞こえていた。
しかし。
波歌が。
名を選んだ瞬間。
何かが。
つながった。
◇
ミラが。
聞こえた歌詞を。
少しずつ。
伝える。
『波は』
『名前を知らない』
『舟は』
『帰る場所を知らない』
『死者は』
『自分だけでは』
『誰だったかを』
『決められない』
そして。
複数の声。
『だから』
『聞く』
『だから』
『歌う』
『だから』
『違うまま』
『残す』
レインの。
聞き書き帳。
勝手には。
書かない。
だが。
古い頁が。
風もないのに。
めくれる。
レオの。
言葉。
証言を捨てるな。
矛盾は、視点の所在を示す。
海底王国の。
歌。
レオの思想。
似ている。
あまりに。
似ている。
「レオは」
エルナが。
呟く。
「この歌を知っていた?」
冬至。
温室入口。
立っていた。
顔。
青ざめている。
「知っていた」
全員が。
振り向く。
「いつ」
「若い頃」
「どこで」
冬至。
長い沈黙。
「海底王国で」
◇
「行ったことがある?」
レイン。
「レオの記憶には」
「ある」
「あなた自身の身体では」
「ない」
「では」
「レオ時代」
「そうだ」
「なぜ」
「聞き書きの」
「修行」
「誰から」
冬至。
波歌を見る。
「潮歌い」
波歌が。
光を震わせる。
『レオ』
冬至の表情が。
凍る。
「知っている?」
『うん』
「どんな人だった」
波歌。
すぐには。
答えない。
『うるさい』
バルドが。
吹き出す。
「レオが?」
『いっぱい』
『きく』
「質問が多い」
『うん』
『なんでも』
『きく』
ミラ。
『レインと同じ』
「……」
冬至が。
初めて。
声を立てて笑った。
「そこは」
「変わらなかったらしい」
◇
「波歌さん」
「レオは」
「海底王国で」
「何を学んだ」
『うたを』
『かかないこと』
「書かない?」
『さいしょ』
「なぜ」
『かくと』
『ひとつにするから』
「文字にすれば」
「固定される?」
『うん』
「でも」
「後にレオは」
「聞き書き帳を使った」
『だから』
波歌。
『けんかした』
「誰と」
『わたしたち』
「潮歌いと?」
『うん』
「レオは」
「書くべきだと?」
『うん』
「理由」
冬至が。
自分で答えた。
「歌だけでは」
「失われるから」
波歌。
『そう』
「大災害で」
「歌い手が死んだ」
「記憶が途切れた」
『そう』
「レオは」
「文字も必要だと思った」
『うん』
「潮歌いは」
『かいたら』
『つよいひとの』
『こたえになるって』
「記録を持つ権力者が」
「一つの正史へ固定する危険」
『うん』
どちらも。
間違いではない。
歌だけでは。
失われる。
文字だけでは。
固定される。
◇
「だから」
冬至が。
小さく言う。
「レオは」
「両方を使おうとした」
「歌と文字?」
「そう」
「それが」
「聞き書き帳?」
「原型は」
「たぶん」
レインが。
自分の革の帳面を見る。
父。
ダリオ。
祖先。
レオ。
そのさらに前。
海底の。
歌。
「この帳面は」
「海から始まった?」
冬至。
「少なくとも」
「思想は」
◇
波歌が。
急に。
小さく歌う。
『かいたひと』
『うたったひと』
『きいたひと』
『みんなちがう』
「続き?」
『うん』
『だから』
『さいごのひとを』
『つくらない』
レイン。
息が止まる。
「最後の人」
「十四番目?」
『うん』
最初の。
原則。
歌。
文字。
聞き手。
それぞれ別。
誰か一人へ。
最後の決定を。
集めない。
後世。
そこから。
逆へ。
進んだ。
◇
「なぜ」
エルナ。
「その原則が」
「失われたんです」
波歌。
『こわいから』
「また」
『うん』
「何を怖がった」
『おわらないこと』
全員が。
黙る。
「終わらない」
『ずっと』
『ちがう』
『ずっと』
『けんか』
『ずっと』
『きまらない』
「だから」
「最後に決める人を作った」
『うん』
「十四番目」
『うん』
人は。
悪意だけで。
制度を壊すわけではない。
終わらないことへの。
疲労。
恐怖。
急ぎ。
それも。
強制を。
生む。
◇
レインは。
帳面へ。
新しい原則を書こうとして。
止まる。
「波歌さん」
『なに』
「今の話を」
「記録していい?」
『うん』
「歌詞も?」
長い。
『ぜんぶは』
『だめ』
「どこまで」
『さいごの』
「《最後の人を作らない》?」
『そこは』
『いい』
「最初の歌」
「一つは波へ――」
『それも』
『いい』
「海底王国の場所は」
『だめ』
「まだ具体的には」
「聞いていません」
『うん』
「理由」
『よばれるから』
「名前ではなく」
「場所も?」
『みちは』
『なまえとおなじ』
ネレイス島。
航路。
島と認識すると。
道が消えた。
同じ技術思想。
「では」
「海底王国の正確な位置は」
「本人の許可が出るまで記録しません」
『うん』
◇
レインは。
許可された範囲だけ。
記録する。
《波歌》証言。
北方第十四装置内に残存していた旧記録存在。過去に海底社会《眠らない海》で《潮歌い》見習いだったと証言。
同社会では、生者・死者を問わず複数の歌い手が、同一出来事を少しずつ異なる歌として保持し、差異そのものを記録として扱っていたとする。
初期の海鐘は、歌の差異を保存・照合する装置であり、正しい一つへ固定する機能は後世に追加されたと証言。
十三番目は《歌わず、異なる箇所を聞いて覚える者》として成立し、十四番目はさらに後世、《終わらない矛盾を一つへ決定する者》として追加されたとする。
波歌は過去に十四番目へ強制接続され、父親の歌を《誤り》として確定させられた経験を持つと証言。
現在、父親の歌を探すことを第一希望として表明。
さらに。
古い潮歌いの原則として、波歌は次の一節の記録を許可。
《書いた人、歌った人、聞いた人、みんな違う。だから最後の人を作らない》
◇
冬至が。
その文章を。
長く見る。
「レオは」
「最後の人を」
「作らないと学んだ?」
「はい」
「なのに」
「十四番目を」
「作る側へ行った」
冬至。
自分で。
言った。
「そうだ」
「なぜ」
「たぶん」
長い。
沈黙。
「終わらないことに」
「疲れた」
海底王国と。
同じ。
「人間は」
「同じ失敗を」
「何度もする?」
バルド。
「同じじゃない」
レイン。
「似た理由で」
「違う選択をする」
「なら」
「次は」
「何する」
レインは。
波歌を見る。
「海底王国へ行きます」
冬至が。
顔を上げる。
「北方の問題は」
「終わっていない」
「はい」
「十三人の出生記録」
「施設依存」
「元人物の身体」
「冬至さんと身体元所有者」
「余白さん」
「全部残っています」
「なら」
「今すぐではありません」
バルドが。
安心したような。
残念なような。
「また順番か」
「はい」
「まず」
「北方の緊急状態を」
「継続できる状態まで整える」
「その後」
「ベルナードへ戻り」
「海底王国へ行く方法を探します」
波歌。
『いく?』
「あなたも」
「行きたい?」
『うん』
「でも」
「今の記録状態で」
「海へ移動できるか」
「確認してから」
『うん』
◇
余白が。
小さく。
『わたしも』
「海へ?」
『いきたい』
「理由」
『波歌』
「一緒に?」
『うん』
「波歌さん」
「余白さんが同行を希望しています」
『いい』
「余白さん」
「海底王国へ行けば」
「古い十四番目の装置が」
「あなたへ反応する可能性があります」
『こわい』
「はい」
『でも』
「行きたい?」
『うん』
「では」
「今の希望として記録します」
◇
温室。
雪。
透明な保存装置。
元人物。
大きな記録結晶。
余白。
その奥。
波歌。
白い世界の中で。
海の話をする。
奇妙な光景。
元人物が。
小さく言う。
『海』
「行きたい?」
レイン。
『今は』
『雪』
「分かりました」
『海は』
『あと』
まだ。
彼女には。
今日の雪が。
必要。
◇
その時。
波歌が。
突然。
歌を止めた。
『……』
「どうしました」
『きこえる』
「何が」
『おとうさん』
全員が。
息を止める。
「歌が?」
『ちょっと』
「どこから」
波歌。
『海』
「海底王国?」
『うん』
「何と言っている」
波歌は。
震える。
歌ではない。
低い。
大人の男の声。
『波歌』
初めて。
誰かが。
彼女の現在名を。
呼んだ。
過去名ではない。
今。
本人が選んだ名前。
『聞こえるか』
波歌。
声が出ない。
『波歌』
『その名前で』
『今はいいのか』
波歌。
泣きながら。
『うん』
男の声。
『なら』
『波歌』
もう一度。
本人の選んだ名前で。
呼ぶ。
『帰ってくるな』
波歌が。
固まる。
「お父さん?」
『うん』
「なぜ」
男の声。
海の底。
『ここは』
『まだ』
『十四番目を作っている』
全員の顔が。
変わる。
『海底王国は』
『滅びていない』
そして。
『今も』
『王がいる』
波歌。
『おとうさん』
『王は』
『誰』
男の声。
長い。
沈黙。
『名前を』
『持っていない』
「自分で捨てた?」
レインが尋ねる。
声。
『違う』
『国中の死者の名前を』
『持っている』
ミラの顔が。
青ざめる。
名前を。
持っていないのではない。
多すぎる。
国中の死者。
名前。
記憶。
歌。
全部を。
一人で持っている。
そして。
男の声。
『王は』
『自分を』
『一人だと思っていない』
レインの手が。
帳面の上で止まる。
『国そのものだと』
『思っている』
海底王国。
歌う亡霊。
十三。
十四。
そして。
一人の王へ。
国全体を。
集めた存在。
男の声。
最後。
『来るなら』
『王を』
『一人の人間だと思うな』
通信。
切れる。
波歌が。
小さく。
『おとうさん』
もう。
返事はない。
レインは。
すぐには。
何も書かなかった。
「波歌さん」
『うん』
「今の会話を」
「記録していいですか」
長い。
沈黙。
『おとうさんが』
『いきてるって』
「生きている?」
『わからない』
「では」
『声が』
『届いたって』
「はい」
『それは』
『書いて』
「王については」
『書いて』
「全部?」
『うん』
レインは。
新しい頁を開く。
海底王国より、波歌の父親である可能性を持つ声との通信を確認。
当該声は波歌を現在本人が選んだ呼称《波歌》で呼び、現在名の使用意思を確認した上で使用。
声は、海底王国が現在も存在し、《十四番目》に相当する機構が稼働中であると証言。
また現在の王について、
《名前を持たないのではなく、国中の死者の名前を持っている》
《自分を一人の人間ではなく、国そのものと認識している》
と証言。
最後。
当該声が波歌の父本人、父の幽霊、記録人格、歌記録その他の存在のいずれであるかは未確認。
レインは。
頁を閉じる。
ようやく。
第二部の。
本当の目的地が。
見えた。
海底王国。
そこには。
亡霊たちの歌を。
聞く者がいる。
そして。
国中の死者を。
一人の《王》へ。
まとめた何かが。
待っている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
余白の内部に残されていた子どもの声は、自ら《波歌》という現在名を選びました。
波歌の証言によって、海鐘制度のさらに古い原型が明らかになります。
かつて海底社会《眠らない海》では、《潮歌い》と呼ばれる複数の生者・死者が、同じ出来事を少しずつ違う歌として残していました。
目的は、一つの正解を作ることではありません。
「違っている部分そのものを残す」
こと。
十三番目も、本来は歌を一つへまとめる者ではなく、
「違うところを聞いて覚える者」
でした。
しかし《結論が出ない》《終わらない》ことへの恐怖から、最後に一つの答えを決める十四番目が後世に作られていきます。
さらに波歌は、自身もかつて十四番目へ強制接続され、父親の歌を《誤り》として消す判断を、自分の声で言わされた過去を持っていました。
そして最後。
海底王国から、波歌の父親である可能性を持つ声が届きます。
海底王国は――まだ存在している。
しかも現在の王は、
「国中の死者の名前を持ち、自分自身を一人の人間ではなく《国そのもの》だと考えている」
という。
次回、第49話「国中の名前を持つ王」。
北方施設の安定化を進める中、レインたちは海底王国へ向かうために必要な条件を調べ始めます。
一方、波歌は《父の声》が本当に父本人なのかを確かめたいと望みます。
そして海底王国の王から、レインへ最初の言葉が届きます。
「聞き書き人。お前の名前も、もうここにある」




