第44話 偽物だった人生
北方施設では、《冬》が本人の拒否に反して第十四番目へ選定された。
処理が完了すれば、十三人全員が《本物ではなかった人生》として固定され、地下に保存されている《元の人物》だけが唯一の本人となる。
だが。
《偽物になる》とは、何を失うということなのか。
名前か。
戸籍か。
家族との関係か。
財産か。
それとも、自分自身の記憶まで。
残された猶予は二日。
レインたちはベルナードへ戻り、北へ向かう前の最後の確認を始める。
白鯨号は。
夕方前。
ベルナード港へ戻った。
三十年前に沈んだ幽霊船。
今では。
港の人々も。
少しだけ見慣れ始めている。
それでも。
白鯨号が沖から現れるたび。
作業の手が止まる。
人々が。
見上げる。
「戻った!」
「二番!」
岸壁。
マリエとノア。
二番が甲板から手を上げる。
「ただいま」
言ってから。
二番自身が。
少し驚いた。
マリエも。
同じ顔をした。
「今」
二番が言う。
「自然に出た」
マリエは。
少し笑う。
「なら」
「今は、それでいいんじゃない」
二番も笑った。
父か。
トーマか。
二番か。
まだ。
決めていない。
それでも。
帰ってきた。
◇
凪は。
港務所近くの診療所にいた。
熱は下がっている。
顔色も。
前よりかなり良い。
五番は。
窓際。
椅子へ座れない幽霊なので。
壁にもたれるように浮いている。
「戻った」
五番が言う。
「はい」
「北」
「まずい?」
「まずいです」
五番が顔をしかめた。
「やっぱり」
凪は寝台から。
ゆっくり身体を起こす。
「聞かせて」
「今?」
「今がいい」
「体調は」
「医者に」
「話していいって言われた」
近くの医師も頷く。
「長時間でなければ」
レインは。
先に確認する。
「北方施設では」
「十三人の一人、《冬》が」
「本人の同意なく」
「第十四番目へ選定されています」
「処理完了まで」
「最短で二日」
「第十四番目は」
「十三人のうち一人を」
「元の本人として固定することもできます」
「ただし」
凪が言う。
「別の使い方もある」
「はい」
「十三人全員を」
「《本物ではなかった人生》として固定し」
「地下に保存されている」
「共通人生の元になった人物だけを」
「唯一の本人とすることもできます」
凪は。
目を閉じた。
「冬は」
「それを拒否してる?」
「霜さんの証言では」
「拒否しています」
「それでも進む」
「はい」
◇
「偽物になるって」
五番が尋ねる。
「消えるの?」
「そこを」
「これから確認します」
レインは。
霜へ尋ねる前に。
冬至から受け取った。
北方施設の第十四固定仕様を。
エルナと一緒に整理していた。
紙を広げる。
「北方施設で使う《人生》という言葉には」
「複数の層があります」
一。
身体記録。
二。
名前・戸籍・出生記録。
三。
財産・契約・職歴。
四。
家族関係。
五。
社会的な記憶。
六。
本人自身の人生記憶。
七。
施設側の《正史》記録。
「偽物固定が」
「どこまで及ぶかで」
「被害が変わります」
五番。
「全部じゃない?」
「冬至さんの説明では」
「最終段階まで進めば」
「ほぼ全部」
診療室。
静まる。
「身体も?」
凪。
「身体そのものは」
「すぐ消えません」
「でも」
「どうなる」
「《その人生を持つ正当な本人ではない身体》として」
「記録される可能性があります」
「……意味分からない」
「例えば」
エルナが説明する。
「春さんが」
「現在、妻と娘と暮らしているとします」
「はい」
「春さんが《偽物人生》と固定される」
「すると」
「法律上」
「その妻と結婚したのは」
「地下にいる元人物だったことに」
「書き換えられる可能性があります」
凪が。
顔を上げる。
「でも」
「元の人は」
「その結婚をしてないだろ」
「はい」
「だから事実と記録が食い違う」
「北方施設は」
「記録を事実側へ合わせるのではなく」
「事実の意味を」
「正史へ合わせる仕組みです」
「春さんの娘は」
「誰の娘になる」
五番が尋ねる。
誰も。
すぐ答えない。
「最悪の場合」
エルナ。
「《本来存在しなかった関係から生まれた子》」
「あるいは」
「《元人物の人生に付随した子》として」
「再分類される可能性があります」
「そんな」
五番の声が低くなる。
「親まで」
「取り上げるの?」
「記録上は」
「あり得ます」
◇
凪が。
自分の手を見る。
「人生が偽物って」
「そういうことか」
「ただ」
「お前は偽物ですって」
「言われるだけじゃない」
「はい」
「その人が」
「今まで作った関係全部を」
「別の誰かの人生へ」
「付け替える」
「はい」
「財産も」
「職歴も」
「家族も」
「場合によっては」
「周囲の人の記憶まで」
凪は。
ゆっくり。
レインを見る。
「記憶まで?」
「北方施設が」
「周囲の人生記録と接続しているなら」
「可能性があります」
「例えば」
「春さんの娘が」
「《春が父だった》と覚えている」
「その記憶が」
「正史と矛盾する」
「すると」
「施設は」
「その記憶を異常として」
「修正する可能性」
「あります」
五番が。
立ち上がる。
「それ」
「海底鐘と同じじゃん」
「はい」
「死者を覚えてる記憶を」
「勝手に海のものにした」
「北は」
「今度」
「生きてる人の記憶を」
「正しい人生に合わせる?」
「そうかもしれません」
◇
エルナが。
資料の一部を指す。
「ただし」
「まだ全機能は起動していません」
「現在は」
第十四候補固定。
人生正史候補選定。
関係記録照合。
「この段階」
「つまり」
「十三人の社会記録を」
「集め始めている」
「はい」
「まだ書き換えてはいない」
「冬至さんの説明では」
「はい」
「二日後?」
「最短」
「そこで正史固定」
「それまでに」
「止める」
「止めたいです」
◇
「凪さん」
レインは。
ここで。
一番重要なことへ進む。
「北方施設の外門までは」
「あなたの旧名なしで」
「入れる可能性があります」
「でも」
「第十三人生室や」
「統合停止の一部機能には」
「旧名が必要な可能性が残っています」
「……」
「今」
「その名前を使うことを」
「望みますか」
凪の顔が。
固まる。
五番が。
隣から何も言わない。
答えを。
代わりに出さない。
「今は」
凪が言う。
「使いたくない」
「はい」
「でも」
「二日なんだろ」
「はい」
「俺が使わないって言って」
「十三人が」
「偽物にされたら」
呼吸。
少し乱れる。
「それ」
「俺のせいになる?」
「いいえ」
レインが答える。
即答。
凪が。
驚く。
「なぜ」
「その仕組みを作ったのは」
「凪さんではありません」
「でも鍵は俺」
「鍵に設定された」
「はい」
「使えるのに使わなかった」
「はい」
「それでも?」
「それでも」
「十三人を危険な状態へ置いた責任と」
「あなたが自分の名前を使わない選択は」
「同じではありません」
「でも」
「何もしないことにも責任はあるだろ」
「場合によっては」
「あります」
「じゃあ」
「だから」
レインは続ける。
「具体的に」
「あなたが何をできるのか」
「使った場合の危険」
「使わなかった場合の危険」
「代替手段」
「全部確認してから」
「もう一度決めてもらいます」
「今ここで」
「《使う・使わない》を」
「人生全部の責任みたいにしません」
凪は。
しばらく。
天井を見る。
「ほんと」
「面倒だな」
「はい」
◇
五番が。
小さく言う。
「俺」
「北へ行かない」
「はい」
「でも」
「今度は」
「逃げたからじゃない」
「理由を」
「聞いていい?」
「ベルナードに残る」
「なぜ」
「海底鐘」
「まだ三十日なんだろ」
「はい」
「俺」
「ここにいたほうがいい」
「海が怖いから?」
「それもある」
「でも」
五番は。
港を見る。
「死者が」
「また戻ってきたとき」
「怖いって言う人」
「必要な気がする」
レインは。
少し目を細める。
「役割として?」
五番も。
その言葉に気づく。
「……違う」
「怖いことを」
「危険だって言える人」
「でも」
「全部止めるんじゃなくて」
「どこまでなら」
「やれるか」
「一緒に考える人」
「それを」
「自分でやりたい?」
「うん」
「海鐘守の《恐怖》へ戻るのではなく」
「自分の経験を使う?」
「そう」
五番は。
自分で言う。
「俺」
「怖いから」
「分かることあると思う」
「記録していい?」
「うん」
五番。
北方調査には同行しない。
現在、ベルナードに残り、海難死者暫定対応へ協力することを希望。
旧《恐怖》海鐘守としての固定役割へ戻ることは拒否するが、自身が現在保持する恐怖経験を、危険確認および本人意思確認の補助へ自発的に用いたいと表明。
五番。
記録を読む。
「これならいい」
◇
「凪さんは」
「北へ同行しますか」
凪は。
黙る。
「行きたくない」
「はい」
「名前を」
「使わせろって」
「言われるのが怖い」
「はい」
「十三人を見たら」
「俺が」
「使わなきゃって思うかもしれない」
「はい」
「だから」
「行かない」
「分かりました」
「ただ」
「通信では」
「つながる?」
「可能な限り」
「なら」
「必要な時」
「俺に聞いて」
「はい」
「名前を」
「使うかどうか」
「俺が」
「ここで決める」
「分かりました」
凪は。
少し安堵した。
「北へ行かなくても」
「関係者でいられる?」
「もちろん」
凪が。
小さく笑う。
「じゃあ」
「残る」
◇
ベルナード。
その夜。
北へ向かう同行者の確認が始まった。
一番。
「行く」
「理由は」
「北の十三人」
「俺たちと似てる」
「でも違う」
「自分の中に」
「ガレスの記憶も」
「カイルの記憶も」
「ほかもある」
「北のやつらが」
「過去を取り戻したら」
「今の自分がどうなるか」
「知りたい」
「自分のためでもある?」
「そう」
◇
二番。
「行かない」
レインが少し驚く。
「理由は」
「マリエと」
「話したい」
「北の事件より?」
「俺にとっては」
「こっちも途中」
二番は。
岸壁にいる。
マリエを見る。
「トーマの記憶」
「調べるって決めた」
「白鯨号の原因も」
「でも」
「北へ行ったら」
「また何日も」
「その話を止めることになる」
「今は」
「ベルナードに残りたい」
「分かりました」
◇
三番。
「行く」
「リナさんも?」
『行く』
「二人で?」
三番は。
少し笑う。
「一緒ではない」
「同じ場所へ行く」
「関係は?」
「別」
リナも。
『そう』
「理由は」
三番。
「感情を」
「移された人間が」
「今の感情をどうするか」
「北にも」
「似た問題がある」
リナ。
『私は』
『記憶を移す技術の始まりを見たい』
「同じ旅」
「別の理由」
『そう』
◇
四番。
「行く」
「理由」
「北の食事」
「それ以外は」
「ある」
「何」
「人生の記憶を」
「一人へ入れたら」
「食べ物の好みも」
「混ざるだろ」
「たぶん」
「日常の記憶が」
「どれだけ本人を作るか」
「見たい」
エルナが。
少し驚く。
「ちゃんとした理由もあったんですね」
「失礼だな」
◇
六番。
「残る」
「理由」
「エマと」
「話したい」
「あなたも?」
「うん」
「俺の中の《帰る場所》が」
「命令じゃなくなったあと」
「今の俺が」
「エマをどう思うか」
「知りたい」
「北へ行くより」
「今は」
「こっち」
「分かりました」
◇
七番。
「行く」
「変わらず?」
「うん」
「責任を」
「一人の人生へ付け替える」
「北の十四番目」
「俺の中の責任鐘と」
「似てる」
「見たい」
「オルドは」
「残せ」
老人オルドが。
近くで顔をしかめる。
「俺は自分で決める」
「行きたい?」
レインが尋ねる。
「行かない」
「理由」
「ベルナードで」
「白鯨号の記録を」
「全部出す」
「辞任も」
「調査協力も」
「途中だ」
「北へ逃げたと思われたくない?」
「それもある」
「でも」
「今度は」
「本当に」
「ここでやることがある」
◇
若いオルド。
『行く』
「老人オルドが残っても?」
『だから行く』
「なぜ」
『違う道を』
『選びたい』
「北で」
『自分が』
『あいつと同じ過去から』
『どこまで違う人になれるのか』
『見たい』
◇
老人カイル。
「残る」
「理由は」
「エマ」
即答。
エマが。
横で眉を上げる。
「私のために決めないでって」
「違う」
「俺が」
「三十年」
「話さなきゃいけない」
「今」
「北へ行ったら」
「また先延ばしになる」
「だから」
「ここに残る」
エマは。
しばらく。
カイルを見る。
「それなら」
「分かった」
◇
最終的に。
北へ向かうのは。
レイン。
ミラ。
セシリア。
エルナ。
バルド。
一番。
三番。
四番。
七番。
リナ。
若いオルド。
そして。
白鯨号の船長は。
『行かない』
「理由は」
『船を』
『ベルナードへ残す』
「北へは陸路?」
バルドが。
少し嬉しそうに顔を上げる。
「陸路だな?」
「雪冠公国なら」
「途中まで陸路です」
「よし」
『嬉しそう』
「船よりいい」
◇
「白鯨号を残すと」
「一番たちは」
「北へ移動できる?」
エルナが確認する。
一番たち。
海底鐘の鎖を切ってから。
白鯨号への依存は。
大きく減っている。
地上での安定も。
可能。
「短距離なら」
一番。
「問題ない」
三番。
「長距離は」
「分からない」
「では」
セシリア。
「霊体安定符を用意します」
「本人の同意で」
「当然です」
◇
次。
北方施設で。
《偽物固定》された場合。
具体的に何が失われるか。
霜へ。
冬至へ。
さらに確認する。
霜は。
ベルナードの宿で。
今も身体を休めていた。
「霜さん」
「第十四固定が完了した場合」
「十三人の記憶そのものも」
「書き換えられますか」
「最後は」
「たぶん」
「順番は」
「最初」
「公的記録」
「次」
「契約」
「次」
「家族記録」
「次」
「他人の記憶」
「最後」
「本人」
「本人の記憶が最後?」
「うん」
「なぜ」
「本人を先に変えると」
「反発が強いから」
「外を先に変える」
レインの顔が険しくなる。
「どういうこと」
「例えば」
霜は。
自分の膝を見る。
「私が」
「自分は霜だって覚えてる」
「でも」
「周りの人」
「役所」
「家」
「手紙」
「全部が」
「《そんな人はいない》ってなる」
「それから」
「最後に」
「自分の記憶も」
「消す?」
「違う」
「《勘違いだった》って」
「修正する」
「……」
「自分が」
「二十三年生きたことを」
「夢だったって」
「思わせる」
◇
バルドの顔が。
露骨に嫌悪で歪む。
「死ぬより」
「嫌かもしれんな」
霜。
「人による」
「私は」
「嫌」
「春さんの娘は」
レインが尋ねる。
「どうなる可能性があります」
「娘の記憶から」
「春が消える?」
「最終段階なら」
「たぶん」
「代わりに」
「元の人が父だったことになる?」
「そこは」
「分からない」
「もし」
「元の人が」
「その時代」
「地下で眠っていたなら」
「矛盾します」
「施設は」
「矛盾を」
「関係記録の誤認として」
「処理するかもしれない」
「娘自身を」
「不正人生の派生として?」
「あり得る」
春だけではない。
十三人の子。
配偶者。
友人。
仕事仲間。
十三人が。
二十三年で作った。
すべての関係。
危険。
◇
「十三人の中で」
「家族を持つ人は」
霜。
「三人」
「配偶者」
「四人」
「子ども」
「三人」
「別れた相手は」
「もっと」
「仕事は」
「全員違う」
「では」
エルナが言う。
「十三人だけを守ればいい事件ではない」
「少なくとも」
「数十人」
「場合によっては」
「百人規模の関係記録が」
「巻き込まれる」
「はい」
「雪冠公国側の行政記録も」
「書き換わる」
「はい」
「なら」
セシリアが言う。
「公国政府へ」
「連絡が必要です」
「でも」
「施設が国家機関なら」
バルド。
「知らせた相手が」
「実験側かもしれない」
「まず」
エルナ。
「公開記録から」
「現在の白灰療養院の管理母体を調べます」
「北へ向かいながら?」
「はい」
◇
「霜さん」
「あなた自身の現在記録は」
「北方施設に残っていますか」
「ある」
「なら」
「偽物固定の対象」
「うん」
「あなたは」
「白鯨号へ人生転送した」
「今は施設外」
「それでも」
「対象になる?」
「なる」
「どう分かる」
霜は。
自分の腕を見せる。
薄い。
白い文字。
正史照合中。
「いつ出た」
「昨日」
「体調は」
「今は」
「平気」
「記憶の混線」
「少し」
「誰の」
「冬」
「春」
「雨」
「夢だけ?」
「昼も」
「たまに」
「止められる?」
「分からない」
◇
その瞬間。
霜の表情が。
変わった。
「……娘」
「霜さん?」
「違う」
「娘が」
「いる」
「あなたに?」
「違う」
霜は。
頭を押さえる。
「春の」
「春の娘」
「名前」
「言わないでください」
「違う」
「私」
「抱いたことある」
「春さんの記憶?」
「たぶん」
「あなた自身には」
「娘は?」
「いない」
「では」
「混線が進んでいる」
セシリアが。
霜へ月光境界。
「現在自己確認をします」
「名前」
「今の呼び名」
「霜」
「年齢」
「四十二」
「今いる場所」
「ベルナード」
「自分に子どもは」
霜が。
苦しそうに。
「いない」
「春さんには」
「いる」
「今抱いた記憶は」
「春さんのものだと思う」
「分かりました」
「今」
「記憶を消したい?」
「嫌」
「では」
「区別だけ記録します」
◇
レインも書く。
霜。
第十四正史固定進行に伴う影響と推定される他人生記憶の混線を確認。
春の娘を抱いた記憶が一時流入。
霜本人は現在、自身に子どもはいないと認識し、当該記憶を春由来と推定。
記憶の削除は望まず、由来を区別した状態で保持することを希望。
霜が。
呼吸を整える。
「これ」
「あと二日も」
「続く?」
「分かりません」
「冬至さんへ確認します」
◇
冬至。
遠隔接続。
混線は。
加速する。
「止める方法」
第十四選定を。
一時凍結。
「どうやって」
十三人生全員の。
現在自己宣言。
「十三人全員?」
そうだ。
「何を宣言する」
私は。
今の人生を。
現在の自分の人生として保持する。
「それで」
正史固定が。
一時的に矛盾状態へ戻る。
「猶予は」
半日から一日。
「本人全員の同意?」
必要。
「凪の名前は」
不要。
全員の表情が変わる。
「それを」
「もっと早く」
バルドが言いかける。
冬至。
さっき。
思い出した。
「本当ですか」
本当だ。
「なぜ今」
霜が。
施設外で。
自己宣言を維持したから。
「霜さんが」
「実験的に証明した?」
そうだ。
「なら」
「十三人へ確認します」
◇
問題。
十三人全員。
現在。
接触できるのは。
冬。
春。
夏。
秋。
雨。
霜。
六人。
残り七人。
「冬至さん」
「残り七人へ」
「連絡できますか」
私からなら。
できる。
「でも」
「冬至さんが内容を伝える前に」
「本人へ」
「この宣言を聞きたいか確認してください」
分かった。
「宣言文も」
「こちらで決めません」
「それぞれ自分の言葉で」
必要な意味だけ。
同じなら。
構わない。
「では」
「本人ごとに」
◇
まず。
冬。
私は。
冬として生きた二十三年を。
誰かの間違った人生として。
消すことを望まない。
春。
私は春だ。
元であっても。
元でなくても。
娘の父として生きた人生を。
私の人生として持つ。
夏。
弱い声。
私は。
共通人生の下に。
別の過去があっても。
今の夏を。
捨てない。
秋。
私は。
レオに言われたことが。
嘘だったとしても。
その後に。
自分で選んだ人生まで。
嘘にはしない。
雨。
私は。
自分の出生が。
空白でも。
空白だから。
人ではなかったとは。
認めない。
霜。
「私は」
目の前で。
「逃げた」
「北から」
「今」
「ベルナードにいる」
「この逃げた人生も」
「私のもの」
◇
そして。
残り七人。
初めて。
一人ずつ。
声が届く。
七人目。
低い男の声。
『《雲》』
「現在の呼び名?」
『そう』
「宣言を」
『俺は』
『十三人の中で』
『一番静かな人生だった』
『だからって』
『何もなかったことにするな』
◇
八人目。
女性。
『《雪》』
『私は』
『結婚した』
『別れた』
『どっちも』
『間違いじゃない』
『元の人が』
『結婚してなくても』
『私がした』
◇
九人目。
若い男。
『《雷》』
バルドが。
少し顔をしかめる。
『何』
「いえ」
『俺は』
『人を殴った』
『捕まった』
『謝った』
『今も』
『許されてない』
『それも』
『俺の人生』
『都合よく消すな』
◇
十人目。
女性。
『《風》』
『私は』
『施設に』
『一度戻った』
『自分で』
『逃げたあと』
『戻った』
『それを』
『元の意思に負けた人生って』
『言わないで』
◇
十一人目。
男。
『《霧》』
『俺は』
『自分が誰か』
『まだ分からない』
『でも』
『分からないまま生きた時間は』
『あった』
『それを』
『なかったことにするな』
◇
十二人目。
女性。
『《露》』
『私は』
『子どもを産んだ』
『その子は』
『今も私を母と呼ぶ』
『誰かの人生の枝じゃない』
『私が』
『母になった』
◇
最後。
十三人目。
声が。
非常に小さい。
性別も。
分かりにくい。
「現在の呼び名は」
長い沈黙。
『……《夜》』
「今」
「自分の人生について」
「何を残したい」
『私は』
沈黙。
『何も』
「何も?」
『生きたくなかった』
全員が。
静かになる。
『今も』
『生きたいか』
『分からない』
レインは。
急がない。
「では」
「《人生を消されたくない》とも」
「今は言えない?」
『うん』
「《偽物にしてほしい》?」
『それも』
『違う』
「では」
「今」
「何を勝手に決めてほしくない?」
夜。
長い。
長い。
『私が』
『生きたいかどうか』
『それを』
『施設に決めないで』
「はい」
『私が』
『自分で決めるまで』
『私の人生を』
『勝手に終わったことにしないで』
レインは。
記録する。
《夜》。
現在、自身が生き続けたいかについて明確な結論を持っていない。
一方、北方施設が本人に代わって人生を《偽物・存在しなかったもの》として固定することは拒否。
自身の今後について、自分で考え選ぶための時間を保持することを希望。
「これでいい?」
『うん』
◇
十三人。
全員。
同じ言葉ではない。
同じ理由でもない。
しかし。
現在の人生を。
施設が勝手に。
偽物へすることは。
全員。
拒否した。
レインは。
一括文にしない。
十三人分。
別々に。
冬至へ送る。
「今」
「凍結できますか」
できる。
「本人の宣言そのものを」
「変えずに」
使う。
北。
遠く。
十三本の光。
白灰療養院。
地下。
地上。
それぞれの人生記録へ。
戻っていく。
霜の腕。
正史照合中。
文字が。
揺れる。
変わる。
正史固定――異議申立て中。
霜が。
息をのむ。
「止まった?」
冬至。
一時停止。
「猶予」
推定。
三日。
バルドが。
大きく息を吐く。
「増えた」
「はい」
「三日」
「はい」
「これなら」
「ベルナードで」
「最低限」
「準備できます」
◇
五番が。
少し笑った。
「十三人」
「全員違った」
「はい」
「でも」
「全部」
「偽物にされたくないって?」
「夜さんは」
「少し違います」
「そうだった」
「生きたいか分からない」
「でも」
「施設に決められたくない」
「はい」
五番は。
自分の胸元を見る。
「俺と」
「似てるかも」
「何が」
「怖いから」
「行かない」
「でも」
「誰かに」
「行くなって決められたいわけじゃない」
レインは。
頷いた。
◇
翌朝。
北へ向かう準備。
霜は。
同行を希望した。
「北へ戻る?」
「うん」
「逃げてきたのに?」
「逃げたかったから」
「逃げた」
「今は」
「戻りたい?」
「今は」
「うん」
「理由」
「冬に」
「言いたい」
「何を」
「逃げても」
「人生は消えなかった」
「それだけ」
「春には?」
「自分だけが逃げたかったんじゃないって」
「本人へ言う?」
「うん」
「記録していい?」
「いい」
◇
北へ向かう一行。
最終。
レイン。
ミラ。
セシリア。
エルナ。
バルド。
一番。
三番。
四番。
七番。
リナ。
若いオルド。
霜。
十二名。
「多い」
バルドが言う。
「途中まで別々の馬車にします」
エルナ。
「幽霊は重量ありません」
「それは助かる」
『バルドは重い』
「大剣だ」
◇
出発前。
凪が。
診療所から。
杖を借りて。
港まで来た。
「見送り?」
レインが尋ねる。
「一つ」
「渡す」
「何を」
凪は。
首元から。
小さな金属片を外す。
「これは?」
「昔」
「統合者だった頃の」
「認証片」
「名前が入っている?」
凪の手が止まる。
「旧名は入ってない」
「本当に?」
「確認していい」
エルナが。
術式だけ調べる。
「文字情報なし」
「識別波形だけ」
「本人名の復元は?」
「これ単体では不可能です」
「では」
凪。
「持っていって」
「何に使える」
「北の外門」
「旧名なしで」
「俺が関係者だって」
「証明できるかもしれない」
「渡すことを」
「望んでいますか」
「うん」
「返却は」
「帰ってきたら」
「それまで」
「俺が」
「持ってたくない」
「なぜ」
「見るたび」
「昔の名前を思い出すから」
「では」
「一時保管として」
「預かります」
「使うときは?」
「何に使うか確認します」
「凪さんの旧名を復元できないことも」
「もう一度確認してから」
「うん」
◇
五番も。
来た。
「北」
「怖い?」
レイン。
「はい」
「レインも?」
「怖いです」
「なんか」
「安心した」
「なぜ」
「怖くない顔してるから」
「そう見えますか」
「うん」
レインは。
少し考え。
「死者の声を」
「聞き続けると」
「慣れたように見えるだけです」
「怖くない?」
「怖いです」
「なら」
「ちゃんと戻って」
「努力します」
「約束?」
「戻ることを」
「保証はできません」
「でも」
「危険なら」
「戻る選択をします」
五番は。
頷いた。
「それでいい」
◇
馬車が。
ベルナードを出る。
海から。
陸へ。
北。
雪冠公国。
白灰療養院。
残り。
三日。
霜は。
馬車の窓から。
南へ遠ざかる海を見る。
「変」
「何が」
「逃げるとき」
「二度と北へ戻らないって」
「思った」
「今は」
「戻ってる」
「矛盾しますか」
「する」
「でも」
霜が笑う。
「両方」
「私」
◇
半日後。
雪冠公国との国境へ。
まだ雪はない。
だが。
空気は。
冷たくなる。
ミラが。
突然。
馬車の屋根へ上がる。
『北』
「何か」
『十三人』
「声?」
『うん』
「混線?」
『違う』
「では」
『歌ってる』
「十三人が?」
『別々の歌』
「同時に?」
『うん』
霜が。
顔を上げる。
「歌?」
『一つだけ』
ミラ。
『同じところがある』
「歌詞?」
『うん』
「何と」
ミラは。
聞こえた言葉を。
そのまま言う。
『私は』
『誰かの代わりに』
『生まれたんじゃない』
十三の声。
旋律。
速度。
声。
全部違う。
でも。
その一節だけ。
同じ。
霜が。
小さく呟く。
「知らない歌」
「十三人共通の記憶?」
「違う」
「では」
『今』
『作ってる』
十三人が。
離れた場所で。
夢の混線を通じ。
同じ一節を。
自分たちで。
今。
作っている。
共通人生ではない。
施設が与えた共通記憶でもない。
十三人が。
現在。
それぞれの意思で。
共有し始めたもの。
「同じものを持つことが」
レインが言う。
「必ずしも」
「一人になることではない」
霜が。
頷く。
「うん」
◇
だが。
歌の途中。
ミラの表情が。
変わった。
『一つ』
「何」
『十三人じゃない声』
「冬至?」
『違う』
「地下の元人物?」
ミラが。
ゆっくり。
頷く。
『起きてる』
全員が止まる。
「十九歳のまま」
「眠っていた人?」
『うん』
「何と言っている」
遠い。
北の地下。
二十三年以上。
十九歳のまま。
保存されていた。
共通人生の元。
その生者。
声。
かすか。
『十三人』
ミラが伝える。
『私の人生を』
『返して』
馬車の中。
誰も。
すぐには話さない。
元の人物。
自ら人生を残したいと。
最初は望んだ。
しかし。
今。
返して。
と言う。
「何を返してほしいのか」
エルナが呟く。
「記憶?」
「人生?」
「名前?」
「二十三年?」
「それとも」
レイン。
「十三人の中に残っている」
「自分由来の部分だけ?」
まだ。
分からない。
そして。
また。
一つへ決めてはいけない問い。
ミラが。
さらに聞く。
『もう一つ』
「何です」
元人物の声。
『私を』
『本物にしないで』
全員が。
息を止めた。
「本物にしないで?」
『うん』
地下の一人。
十三人全員を偽物にすれば。
唯一の本物となるはずの人物。
本人自身が。
それを。
拒否している。
レインは。
すぐに帳面を開く。
北方地下保存人物と思われる生者より、遠隔音声反応をミラが感知。
発言一――《十三人、私の人生を返して》。
発言二――《私を本物にしないで》。
最後。
二発言の意味は未確認。矛盾として消さず、本人へ直接確認する。
馬車は。
北へ進む。
雪。
白灰療養院。
十三人。
冬至。
そして。
《本物にされたくない元の人》。
残り。
三日。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
北方施設で十三人が《偽物》として固定された場合、失うのは単なる肩書きではありません。
戸籍。
仕事。
財産。
結婚。
親子関係。
周囲の人々の記憶。
そして最終的には、
「自分がその人生を生きた」という本人自身の認識
まで《勘違いだった》と修正される可能性があります。
しかし十三人全員が、それぞれ異なる言葉で《施設に人生を偽物と決められること》を拒否。
現在自己宣言によって、第十四固定は一時凍結され、猶予は約三日へ延びました。
また五番と凪は、北へ同行しないことを自分で選択。
五番はベルナードの海難死者対応へ協力し、凪は旧名を使用する必要が生じた場合、遠隔で本人へ改めて確認する形を選びました。
そして北へ向かう途中。
地下に保存されていた《共通人生の元の人物》が目覚めます。
その人物は二つの言葉を残しました。
「十三人、私の人生を返して」
そして――
「私を本物にしないで」
次回、第45話「本物にされたくない人」。
レインたちは雪冠公国へ入り、白灰療養院を目指します。
十三人へ自分の人生を渡した元人物は、なぜ返してほしいと望みながら、自分だけを本物にすることを拒否するのか。
北方十三人生事件の中心人物との、最初の聞き取りが始まります。




