第38話 海で失敗した十四番目
ネレイス島地下で発見された《第十四海洋記録試験室》。
十三人を一つの海洋管理人格へ統合した後、その人格を「正しい完成形」として固定するための場所だった。
そして最初の第十四候補として記されていたのは――レオ・アスター。
王都の第十三鐘守と関わった、古代の聞き書き人。
彼はなぜ海洋実験へ参加し、そしてなぜ、
この部屋を使うな。
私にも、最後を決めさせるな。
という警告を残したのか。
「レオ・アスター」
レインは扉に刻まれた名前を見つめた。
王都の第十三禁書庫。
第四十九番目の黒い本。
そこに残っていた、古い聞き書き人。
彼は第十三鐘守の時代に存在し。
ミラたちが分かれる以前から。
鐘務局の危険性を知っていた。
だが。
「海の実験のほうが先?」
エルナが古い文字へ光を当てる。
「少なくとも、この扉の建設年代は王都中央塔より古いです」
「どれくらい」
「四十年ほど」
セシリアが眉を寄せる。
「では、王都の十三鐘守制度は」
「海洋実験を改良したもの?」
「その可能性が高いです」
バルドが扉を見る。
「失敗したものを、場所を変えてもう一度やったのか」
「人間はよくやります」
エルナが答える。
「改善したと思って」
『改善してない』
ミラが言った。
「はい」
レインは扉へ近づいた。
第十四候補を確認。
聞き書き人。
文字が再び光る。
入室には、最終証言固定権限が必要。
「入りません」
レインが答える。
扉。
権限保有者を確認。
「持っていても使いません」
矛盾。
「持っていることと」
「使うことは違います」
扉が沈黙する。
『こういう扉、レインと相性悪いね』
ミラが言う。
「向こうも同じことを思っているでしょう」
◇
「壊しますか」
バルドが聞く。
「まだです」
「聞くと思った」
「入口にレオの警告があります」
「本人が中へ情報を残した可能性がある」
「でも、使うなと書いてある」
「部屋を起動するなという意味かもしれません」
エルナが壁面を調べる。
「入ること自体を禁止しているとは限りません」
「都合よく解釈してないか」
「だから確認します」
エルナはレオの筆跡の周囲を見る。
「文字が続いています」
「どこ」
「削られていますが」
薄い。
ほとんど読めない。
月光を斜めから当てる。
文字が浮かぶ。
入るなら、答えを持って入るな。
その下。
十三人の声を、一人の人格として扱うな。
さらに。
この部屋に置かれている《私》も、私の全部ではない。
「レオの記録が中にある」
レインが言った。
「本人そのものではなく?」
「本人がそう警告している」
「なら」
セシリアが扉を見る。
「入室して、記録として聞くことは可能かもしれません」
「起動は?」
「しない」
「最終固定も?」
「しません」
レインは扉へ言った。
「第十四海洋記録試験室へ」
「記録調査のため入室します」
「統合人格の作成」
「証言の固定」
「最終判断は行いません」
扉が答える。
規定外使用。
「はい」
許可不能。
バルドが大剣へ手をかける。
「規定外入室なら、物理的に――」
「待って」
「またか」
ミラが扉へ近づく。
『中に誰かいる』
「レオ?」
『たくさん』
「十三人?」
『もっと』
ミラは目を閉じる。
『何度も作り直された』
「何が」
『十四番目』
◇
全員が黙った。
「レオ一人ではない?」
エルナが尋ねる。
『最初はレオ』
『でも失敗したから』
『次』
『また次』
「歴代十四番目?」
『たぶん』
「何人」
ミラは長く耳を澄ませる。
『七人』
「レオを含めて?」
『うん』
「七人の聞き書き人?」
『違う』
『二人は神官』
『一人は裁判官みたいな人』
『一人は船長』
『一人は』
ミラの表情が曇る。
『子ども』
「また子ども?」
セシリアの声が低くなる。
『最後の一人は』
「誰」
ミラが。
レインを見る。
『名前がない』
「名前を消した?」
『違う』
『最初から』
『名前を持つ前に』
『記録された』
新生児。
あるいは。
生まれる前の記録。
「それを十四番目に?」
エルナが青ざめる。
「人格形成前なら」
「矛盾を持たない」
「だから、最終判断に向いていると?」
レインの胸が冷える。
矛盾しない存在。
迷わない存在。
まだ価値観を持たない者へ。
正解を決めさせる。
「最悪だな」
バルドが呟く。
「はい」
◇
「扉を開ける別の方法があります」
エルナが側面を見つけた。
「非常開放」
「条件は」
「《最終固定機能を停止した状態でのみ開放》」
「できる?」
「外から三系統切れば」
バルドが剣を抜く。
「今度は俺の出番か」
「一つずつ確認します」
「分かってる」
三つ。
人格統合回路。
証言優先順位決定回路。
最終固定回路。
「全部止めます」
レインが言う。
「統合も?」
「はい」
「中の記録が崩れない?」
セシリア。
「保存回路は別です」
エルナが答える。
「少なくとも図面上は」
「少なくとも」
バルドが嫌そうに繰り返す。
「それ以上は言えません」
「では斬るぞ」
一撃。
人格統合回路。
青い線が消える。
二撃。
証言優先順位決定。
消える。
三撃。
最終固定。
大剣が触れた瞬間。
扉の向こうから。
『待て』
男の声。
バルドが止める。
「誰だ」
『最後まで切るな』
「レオ?」
レインが尋ねる。
『その名前に近い記録だ』
「本人ではない?」
『私は』
『第十四候補として複製されたレオ・アスターの判断記録』
「なら」
「最終固定回路を切るなという理由は」
『切れば』
『私たちは自由になる』
「問題ですか」
『自由になることを望んでいない記録もいる』
全員が止まった。
また。
一括解放が危険。
「中にいる七人の十四番目記録」
「全員、別の意思がある?」
『ある』
「あなたは外へ出たい?」
『私は出たい』
「他は」
『一人は残りたい』
『二人は停止を望む』
『一人は統合機能へ戻りたい』
『一人は自分が誰か確認できない』
『最後の一人は』
声が止まる。
「何です」
『まだ』
『何も選んでいない』
「新生児記録?」
『そうだ』
「意思がない?」
『あるのかどうか』
『私たちには分からない』
だから。
回路を切れば全員解放。
それもまた。
一括処理になる。
「では」
レインは大剣を見る。
「最終回路は切らない」
「どう開ける」
エルナが考える。
「回路を切断せず」
「制御だけ停止できれば」
「外から?」
「難しい」
そのとき。
役割から切り離された元監督官が。
ゆっくり歩いてきた。
「私ならできる」
全員が見る。
「あなたが?」
「この施設の管理権限が」
「まだ一部残っている」
「外部命令は切ったのでは」
「管理室内部だけ」
「使いたいですか」
レインが尋ねる。
男は黙る。
「役割だからではなく?」
「……分からない」
「では使わなくても」
「いや」
男は扉を見る。
「中を」
「見たい」
「なぜ」
「私が」
「何を管理していたのか」
「知りたい」
役割ではない。
現在の疑問。
「分かりました」
◇
元監督官が。
扉へ手を置く。
「管理権限」
「試験室十四」
「統合機能を停止状態へ移行」
扉。
管理者名を確認。
男の手が止まる。
「名前は」
出ない。
「監督官では?」
ミラが聞く。
「それは」
「役割だった」
「今は使いたくない?」
長い沈黙。
「今は」
「使わない」
扉。
認証失敗。
「名前以外の認証は」
レインが尋ねる。
男は考える。
「昔」
「海軍では」
「認証句もあった」
「覚えている?」
「一つだけ」
「何です」
男は。
少し苦しそうに言った。
「《帰港しない者を、記録する》」
扉。
反応。
管理記録一致。
「それはあなた自身の言葉?」
「分からない」
「でも覚えている?」
「はい」
「今もその目的を選ぶ?」
男は海の方角を見た。
「帰港しない者を」
「記録すること自体は」
「必要だと思う」
「閉じ込めることは?」
「……今は」
「必要とは言えない」
「では、その現在の意思も付けて認証します」
レインが記録する。
旧海軍監督官管理記録。
《帰港しない者を記録する》という旧認証句を記憶。
現在、記録行為自体の必要性は認めるが、本人の意思を無視した固定・統合については支持を保留。
扉が。
長く沈黙。
管理記録更新。
一時認証。
開いた。
◇
第十四海洋記録試験室。
円形。
中央に椅子。
一脚。
周囲に十三の席。
十三人を一つへ統合し。
中央の十四番目が。
その人格が何者なのか。
何を正しいとするのか。
確定する。
壁には。
何百もの証言。
私は海へ残りたい。
帰りたい。
家族を呼びたい。
呼びたくない。
忘れてほしい。
忘れないでほしい。
私は船長を恨む。
船長を恨んでいない。
事故だった。
事故ではない。
私が悪い。
私ではない。
矛盾。
大量の。
矛盾。
「これを」
エルナが言う。
「一つの海洋管理人格へまとめたあと」
「十四番目が」
「どれを真実として採用するか決める」
「なぜ、そんなことを」
バルド。
「海難事故の裁定」
セシリアが答える。
「死者の証言を行政や司法へ使うため」
「死者の声が複数あれば」
「責任を確定できない」
「だから」
レインが言う。
「一つへした」
それが。
海の十四番目。
◇
中央の椅子。
その背後に。
七つの透明な人影。
最初。
レオ・アスター。
若い。
王都禁書庫で見た記録よりも。
さらに若い。
『来たか』
「先ほどの声?」
『そうだ』
「あなたを」
「レオと呼んでいい?」
『この記録に限り』
『レオ判断記録でいい』
「本人そのものではない?」
『違う』
「あなたは」
「ここで何をした」
レオ判断記録は。
十三の席を見る。
『最初は』
『正しいと思った』
「何が」
『死者の矛盾を』
『整理すること』
「一つの答えへ?」
『そうだ』
全員が黙る。
後世。
レオは。
矛盾を一つへしない思想を残した。
だが最初からそうだったわけではない。
『私は』
『聞き書き人だった』
『証言が違えば』
『どれが事実か確かめる』
『それが仕事だと思っていた』
「今も事実確認は必要です」
『そうだ』
『問題は』
『事実と』
『選択を』
『同じ方法で決めようとしたことだ』
「どういう意味」
『船が何時に沈んだ』
『誰が弁を開けた』
『風向きは何だった』
『これは照合できる』
『だが』
『誰を許すか』
『誰を愛していたか』
『何と呼ばれたいか』
『旅立ちたいか』
『それまで』
『一つの正解があると思った』
レインは静かに聞く。
「いつ気づいた」
『最初の十三人を』
『統合したとき』
◇
室内の光景が変わる。
過去の再現。
十三人の海洋実験対象。
大人。
子ども。
死者。
記録人格。
混在している。
十三席。
全員が鎖でつながれている。
中央。
レオ。
『統合人格』
施設音声。
『最終証言を確定せよ』
一人の巨大な人影。
十三人の顔が。
何度も入れ替わる。
『私は帰りたい』
『帰りたくない』
『私は船長を恨む』
『恨んでいない』
『名前を残して』
『消して』
『家族に伝えて』
『伝えないで』
施設。
『矛盾を一つへ』
若いレオは。
迷った。
そして。
一つを選んだ。
帰還希望。
瞬間。
巨大人格の中で。
『嫌だ!』
別の声が叫ぶ。
だが。
消える。
次。
船長への怨恨あり。
『私は恨んでない!』
消える。
次。
実名保存。
『呼ばないで!』
消える。
若いレオの顔が。
青ざめていく。
施設は。
成功と判断する。
矛盾減少。
統合安定。
だが。
人影は。
静かになっただけだった。
「死者が納得したわけではない」
レインが言う。
『声を消しただけだった』
レオ判断記録が答える。
『私は』
『静かになったことを』
『解決と勘違いした』
◇
「その統合人格は」
「どうなった」
『三日後』
『自壊した』
「なぜ」
『消された十二の選択が』
『内部で戻った』
「十三人全員の?」
『そうだ』
『私が選ばなかった声は』
『なくなったのではなかった』
『押し込められていた』
「それで」
『人格は』
『自分が誰か分からなくなった』
『一つの身体で』
『十三人分の相反する意思が』
『同時に戻った』
「救えた?」
レオ判断記録は。
首を横に振る。
『全員』
『失った』
重い沈黙。
最初の失敗。
海で。
十三人。
十四番目。
そこで。
レオの思想が変わり始めた。
「だから警告を書いた」
『そうだ』
「でも実験は続いた」
『私が止め切れなかった』
「なぜ」
『海軍は』
『失敗原因を』
『十四番目の迷いだと判断した』
「統合方式ではなく?」
『そうだ』
「だから次は」
『迷わない人間を選んだ』
◇
二人目の十四番目。
神官。
『神の教義なら』
『一つの正解を決められると思われた』
「結果は」
『教義に合わない証言を』
『死者の混乱として削除した』
「失敗?」
『統合人格は安定した』
「それなら」
『ただし』
『本人の過去と』
『ほとんど別人になった』
安定はした。
だが。
元の十三人の声が。
ほとんど残らない。
「成功扱い?」
『一時は』
三人目。
裁判官。
『罪と責任を』
『一人へ確定する能力を期待された』
「何が起きた」
『証拠ではなく』
『最も一貫した証言を真実とした』
「一貫している嘘が勝った?」
『そうだ』
四人目。
船長。
『現場判断能力』
『迅速性』
「結果」
『自分の経験と似る証言を優先した』
五人目。
別の神官。
『死者を救済対象として見た』
「本人の望みより」
『救済を優先した』
六人目。
子ども。
レインの拳が硬くなる。
『大人の価値観が少ないため』
『公平だと考えられた』
「何歳」
『十一』
「本人は同意した?」
『理解できていなかった』
「結果は」
『十三人全員の感情を受け』
『自分の感情と区別できなくなった』
「その子は」
『自分の名前を忘れた』
ミラが俯く。
◇
「最後」
レインが言う。
「名前を持つ前の記録」
レオ判断記録の顔が。
最も暗くなる。
『胎児記録』
「まだ生まれていない?」
『母体から』
『反応と記憶形成前の神経記録だけを』
『抽出した』
セシリアが怒りを抑えた声で言う。
「誰が許可した」
『母親には』
『子どもの健康検査と説明した』
バルドが大剣の柄を握る。
「……」
「結果は」
『何も選ばなかった』
「当然です」
『施設は』
『それを理想と判断した』
「矛盾しないから?」
『そうだ』
「意思がないことを」
「公平と見なした?」
『そうだ』
レインは。
言葉を失いかけた。
判断しない存在。
選択を持たない存在。
だから。
どんな結論でも。
外部から書き込める。
「それは十四番目ではない」
レインが言った。
「空白の道具です」
『私も』
『最後にはそう結論した』
「最後?」
『胎児記録へ』
『最終命令が書き込まれる前に』
『私が施設を止めた』
「レオ本人が?」
『本体のレオが』
「あなたは?」
『私は』
『ここへ残された』
「なぜ」
『最初の失敗を』
『忘れないため』
◇
「では」
エルナが尋ねる。
「海洋実験が停止されたあと」
「王都で十三鐘守計画が始まった」
『そうだ』
「誰が技術を持ち出した」
『複数』
「初代鐘務局長も?」
『当時はまだ若かった』
「海へ来ていた?」
レオ判断記録が。
レインを見る。
『来ていた』
全員が息を止めた。
「初代局長が」
「この実験を見ていた?」
『見ていた』
「立場は」
『記録補助員』
「母親を亡くした後?」
『そうだ』
初代局長。
母親の名前。
記憶。
保存。
彼は。
海の失敗を。
知っていた。
「それなのに」
レインが言う。
「王都でも似た制度を作った」
『彼は』
『海の失敗原因を』
『別に解釈した』
「何と」
『十三人を一つへしたことではない』
『十四番目が』
『十三人を理解できなかったことが失敗だと』
「だから」
「王都では」
『第十三鐘守自身に』
『統合機能を持たせた』
海。
十三人を統合。
十四番目が確定。
失敗。
王都では。
第十三鐘守自身に。
名前。
記憶。
身体。
意思。
矛盾統合。
そして十四番目は。
最終確認。
確定。
「改善したつもりだった」
『そうだ』
「でも」
『根本は同じだった』
誰かが。
他者の矛盾を。
一つの答えへする。
◇
「レオは」
ミラが尋ねた。
『止めなかったの』
『止めようとした』
「初代局長へ?」
『何度も』
「聞かなかった?」
『一部は聞いた』
「だから、証言を捨てない思想が王都に残った?」
『そうだ』
「でも」
『初代局長は』
『矛盾を保存することと』
『矛盾を最後まで未確定にすることを』
『別だと考えた』
「全部保存したうえで」
「最後に一つ決めればいい」
『そうだ』
「だから十四番目が必要だった」
『そうだ』
レインの役割。
聞き書き人。
そこで。
海から王都へ。
一本の線がつながった。
◇
「レオ判断記録」
レインが尋ねる。
「あなたは今」
「この部屋から出たいと言いました」
『そうだ』
「なぜ」
『もう』
『失敗を保存するだけの役割でいたくない』
「外へ出て何をしたい」
長い沈黙。
『見たい』
「何を」
『海』
「ここも海底ですが」
『記録された海ではなく』
『今の海』
「ほかには」
『レオ本人が』
『その後何を選んだか知りたい』
「王都のレオ記録と話す?」
『可能なら』
「統合したい?」
『望まない』
「なぜ」
『私は』
『この失敗を経験した私だ』
『王都にいる記録は』
『その後の時間を持つ』
『同じ過去があっても』
『今は違う』
王都で。
何度も出た結論。
「では」
「外へ出す方法を探します」
『ありがとう』
◇
「ほかの六人にも」
レインが言う。
「一人ずつ聞きます」
二人目の神官記録。
『私は残る』
「理由は」
『私が何を削ったか』
『ここで見続けたい』
「罰として?」
『分からない』
「後で変える可能性は」
『ある』
三人目。
裁判官記録。
『停止してほしい』
「消去ではなく?」
『考えたくない』
「再開可能な状態で?」
『そうだ』
四人目。
船長記録。
『外へ出たい』
「何をしたい」
『船に乗りたい』
バルドが顔をしかめる。
『生者の船に乗る必要はない』
「それなら」
バルドが少し安心する。
五人目。
神官記録。
『私は』
『統合機能へ戻りたい』
「なぜ」
『救える者がいる』
「本人の拒否を無視して?」
『以前は』
『それを救済と呼んだ』
「今は?」
『……分からない』
「では」
「今すぐ戻すのではなく」
「考える時間を取りますか」
長い沈黙。
『取る』
六人目。
十一歳の子どもの記録。
『外へ出たくない』
「怖い?」
『大人の声が』
『多い』
「静かな場所へ移る?」
『ここがいい』
「では残します」
『でも』
「何です」
『扉は』
『閉めないで』
「分かりました」
◇
最後。
七人目。
胎児記録。
人の形は。
ほとんどない。
小さな光。
「聞こえますか」
返事なし。
「こちらの声を理解できますか」
光が。
一度。
瞬く。
「はい?」
一回。
「いいえ?」
二回。
「一回が肯定?」
一回。
エルナが驚く。
「反応学習?」
「あるいは意思形成」
「質問を続けます」
レインは慎重に。
「このまま」
「ここに残りたいですか」
光。
反応しない。
「外へ出たい?」
反応なし。
「分からない?」
一回。
全員が静まる。
《何も選んでいない》ではない。
今。
分からないと。
応答した。
「現在」
「この記録を」
「何かの役割へ使ってほしい?」
二回。
いいえ。
「では」
「役割へ使いません」
光。
一回。
ミラが小さく笑う。
『この子』
『話してる』
「はい」
身体はない。
生まれた経験もない。
だが。
今。
問いに。
自分で答え始めている。
「呼び名を」
「今、必要としますか」
二回。
「不要?」
一回。
「では」
「無理につけません」
一回。
レインは記録した。
第十四海洋記録試験・第七候補。
胎児期に採取された神経・反応記録を基礎とする存在。
現在、単純な肯定・否定および《分からない》の意思表示を確認。
役割への使用を拒否。
現在呼称を必要としないと表明。
人格性については継続確認。
意思表示可能な存在として扱う。
光が。
ゆっくり。
一度瞬いた。
◇
「これで」
エルナが七人分の記録をまとめる。
「最終固定回路を」
「一括で切る必要はなくなります」
「個別接続を分けられる?」
「はい」
旧監督官が装置を見る。
「管理権限で」
「七記録の保存先を分離できる」
「やりますか」
「やる」
「理由は」
「今」
男は少し考え。
「そうしたい」
「記録します」
「毎回必要か」
「重要な操作では」
「面倒だ」
「はい」
男が。
ほんの少し笑った。
「誰かに似てきたな」
バルドが言う。
エルナが即答する。
「レインでしょう」
◇
七つの記録。
それぞれ。
別の保存領域へ。
レオ判断記録。
船長記録は。
外部移動可能状態。
二つの神官。
裁判官。
子ども。
胎児記録。
それぞれ本人の希望に合わせる。
最後に。
中央椅子。
第十四最終固定装置だけが残る。
「これは」
バルドが聞く。
「斬る?」
「今度は」
レインは装置を見る。
「使う者がいません」
「でも将来」
「また誰かが使う可能性があります」
エルナ。
「保存して研究対象にする?」
セシリア。
「危険です」
「完全破壊?」
「歴史記録まで消える可能性」
レオ判断記録が言う。
『機能だけを』
『無効化できる』
「どうやって」
『十四番目自身が』
『最終判断を拒否すればいい』
「俺が?」
『現候補として認証されている』
「それを使えば」
「十四番目になる?」
『一時的に』
「嫌です」
『分かる』
「ほかの方法は」
『ある』
「何です」
『七人の旧十四候補全員が』
『最終判断そのものを拒否する』
「全員?」
『そうだ』
「胎児記録も?」
『現在は意思表示できる』
レインは七人へ。
一人ずつ確認する。
レオ判断記録。
『拒否する』
神官一。
『拒否する』
裁判官。
『拒否する』
船長。
『拒否する』
神官二。
迷う。
『……今は』
『拒否する』
子ども。
『嫌』
最後。
光。
「最終証言を」
「一つへ固定する役割を」
「望みますか」
二回。
否定。
七人。
全員。
別々の理由で。
拒否。
レインは記録する。
第十四海洋記録試験・歴代候補七記録。
現在、全記録が《十三人または複数証言を一つの正解へ最終固定する役割》を拒否。
中央装置。
ひび。
一つ。
二つ。
しかし。
壊れない。
代わりに。
文字が変わる。
最終固定機能――停止。
再開条件――関係記録本人全員の同意。
「これなら」
エルナが言う。
「一人の十四番目だけでは再起動できない」
「はい」
海で失敗した十四番目。
ようやく。
役割として止まった。
◇
だが。
その瞬間。
部屋の奥。
隠されていた壁が。
開いた。
「まだあるのか」
バルドが嫌そうに言う。
中。
一冊の。
古い航海日誌。
表紙。
レオ・アスター個人記録。
「本人の?」
レオ判断記録が驚く。
『知らない』
「あなたにも?」
『私が複製された後の記録だ』
「開いていい?」
表紙の内側。
文章。
この記録は、私の死後、アスター家の聞き書き帳を継ぐ者に限り閲覧を許す。
レイン。
条件に該当する。
「でも」
「本人の死後に?」
現在。
レオの記録人格は存在する。
本人の魂がどうなったかは分からない。
「条件が曖昧です」
エルナが言う。
「死後というのが肉体死か、全記録消滅か」
「王都のレオ記録へ確認します」
レインが答えた。
「今は開かない」
『私も』
レオ判断記録が言う。
『そのほうがいい』
「自分の記録なのに?」
『私は』
『これを書いた私ではない』
重要な区別。
同じ名前。
同じ過去。
でも。
情報の所有まで自動的に共有しない。
レインは航海日誌を封印布へ包んだ。
閲覧保留。
王都禁書庫に存在するレオ・アスター関連記録へ、閲覧条件の解釈および開示意思を確認後、再検討。
◇
そのとき。
日誌の表紙に。
勝手に文字が浮かんだ。
中を開いていない。
外側。
一行だけ。
海の十三は失敗した。
次。
王都の十三も失敗した。
さらに。
三度目は、北で始まった。
「北?」
セシリアが顔を上げる。
さらに文字。
雪の国では、十三人ではない。
一人の人間を、十三の人生へ分けた。
全員が黙る。
「今度は逆?」
エルナが呟く。
海では。
複数人を。
一つへ。
王都では。
一つの役割へ。
複数人格を。
そして北では。
一人の人間を。
十三の人生へ?
最後の一文。
そのうち一人は、まだ生きている。
文字が消える。
「これ」
バルドが言う。
「開いてないよな」
「はい」
「では誰が書いた」
ミラが日誌へ耳を近づける。
『中じゃない』
「では」
『もっと遠い』
「誰」
ミラは。
北を見た。
『レオ』
「王都の?」
『違う』
「ほかにも?」
ミラが。
ゆっくり答える。
『生きてる人の声』
全員が息を止めた。
「レオ・アスターが」
レインの声が低くなる。
「生きている?」
『名前は』
ミラが首を振る。
『レオじゃない』
「では」
『でも』
『同じ声』
遠い北。
雪の国。
一人を十三の人生へ分けた実験。
そして。
古代の聞き書き人レオと同じ声を持つ。
生者。
レインは。
日誌を閉じたまま。
新しい頁へ記録した。
追加調査候補。
北方において、《一名を十三の人生へ分割した》とする記録あり。
現在も生存する一人格が存在する可能性。
ミラは、遠方よりレオ・アスターと類似する声を持つ生者を感知。
同一人物とは断定しない。
書き終わる。
その瞬間。
ベルナード方面から。
五番の記録窓が。
激しく開いた。
『レイン!』
「どうしました!」
『凪が目を覚ました!』
「状態は」
『熱は下がった!』
「それなら」
『でも!』
「何です」
五番の声が震える。
『凪が』
『自分の昔の名前を』
『思い出した』
全員が止まった。
「本人は」
「その名前を知りたいと望んでいましたか」
『そこが』
「何です」
『凪自身が』
『思い出したくなかったって言ってる』
「では、呼ばないでください」
『呼んでない!』
「名前そのものを」
「こちらへ伝えることも」
『してない!』
「よかった」
『でも』
五番の声。
『名前を思い出した瞬間』
『ベルナードの海底鐘が』
『また動いた』
「なぜ」
『分からない!』
凪の弱い声が。
記録窓から届く。
『俺の名前』
『鍵だった』
「何の」
『ネレイス島じゃない』
凪は息を整え。
言った。
『北の施設への』
『鍵だ』
レインたちは。
同時に。
北を見る。
海。
王都。
ネレイス。
そして雪の国。
古い実験は。
三つでは終わっていなかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
《第十四海洋記録試験室》では、レオ・アスターを含む七つの「十四番目候補」が試されていました。
レオ自身も最初から正しかったわけではありません。
彼は当初、矛盾する証言には一つの正解があると考え、十三人の統合人格へ最終判断を下しました。
その結果、選ばれなかった十二の声は消えたのではなく、内部へ押し込められ、最初の統合人格は自壊します。
この失敗こそが、後のレオの「証言を捨てず、矛盾を視点として残す」という思想の原点でした。
さらに海洋実験の失敗を見ていた若き初代鐘務局長は、《十四番目が十三人を理解できなかったこと》を失敗原因と解釈し、後の王都十三鐘守制度へ技術を持ち込んだ可能性が明らかになります。
そして最後に現れた、新たな手掛かり。
北方では――
一人の人間を、十三の人生へ分ける実験が行われていた。
次回、第39話「思い出してはいけない名前」。
ベルナードで目覚めた凪は、自ら消したはずの昔の名前を思い出してしまいます。
しかしその名前は単なる過去の呼び名ではなく、《北方施設》を開くための鍵として設定されていました。
レインたちは、「本人が知りたくない自分の名前を、調査のために利用してよいのか」という新たな問題へ直面します。




