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異世界幽霊聞き書き帳――死者の声が聞こえる俺は、成仏できない亡霊たちを取材する  作者: たむ
第二部 第1章 七人の夫が帰る港

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第35話 二番と呼ばれる父

七人のカイルを縛っていた役割鎖は切断された。


その直後、《事実》を担っていた二番の中から、一人の船員の名前が浮かび上がる。


トーマ・レイス。


白鯨号の機関士。


岸壁に現れた娘は、二番を父親と呼びかけた。


しかし二番は、三十年間カイルとして存在してきた自分を捨てて、トーマへ戻ることを望んでいるのか。

「父さんって、今は呼ばない!」


 岸壁に立つ女性が叫んだ。


「でも、話してほしい!」


 二番は白鯨号の甲板で、長い間動かなかった。


 海風が半透明の服を揺らす。


 カイルと同じ顔。


 三十二歳ほどの姿。


 だが、その口から出た名前は。


「トーマ」


 白鯨号の機関士。


 トーマ・レイス。


 乗組員名簿に記録された男。


 そして岸壁にいる女性の父親。


「話す」


 二番がようやく答えた。


「ただ」


「俺が誰か」


「一緒に調べてくれ」


 女性は泣きながらうなずいた。


「うん」


 レインはすぐに帳面を開かなかった。


 今の会話は。


 二番と女性の間のものだ。


 まず本人たちへ聞く必要がある。


「岸へ戻りますか」


 レインが船長へ尋ねた。


『まだ船そのものの帰港同意が終わっていない』


「では、小舟で」


 バルドが露骨に嫌そうな顔をする。


「また乗るのか」


『泳ぐ?』


 ミラが尋ねる。


「小舟でいい」


 エルナが言った。


「今回は港まで近いです」


「距離の問題じゃない」


「では幽霊船の上で面談しますか」


 岸壁の女性は生者だ。


 白鯨号へ直接乗れる保証はない。


 二番が船の縄を実体化すれば可能かもしれない。


 しかし。


 二番はまだ、自分が何者か分からない。


 父親かもしれない娘を、三十年前に沈んだ幽霊船へ乗せる判断まで背負わせる必要はない。


「港側で聞き取り場所を作ります」


 セシリアが決めた。


「白鯨号は沖へ停泊したまま」


「二番だけ岸へ?」


「本人が望めば」


 レインが二番を見る。


「どうします」


 二番は岸壁の女性を見る。


「行く」


「一人で?」


 二番は少し考え。


「ミラ」


『私?』


「一緒に来てくれるか」


『いいよ』


「理由は」


「もし俺の記憶が混ざったら」


「誰の声か聞き分けてほしい」


『分かった』


 二番は白鯨号を降りた。


     ◇


 岸壁近くの倉庫。


 前日、七人のカイルがいた場所とは別の建物が使われた。


 一つの机。


 椅子が三脚。


 窓は開けられている。


 海が見える。


 二番は幽霊なので、椅子へ完全には座らない。


 女性は向かい側。


 その隣に、十歳ほどの少女。


 先ほど一緒に港へ来ていた子どもだ。


「紹介します」


 女性が言った。


「私はマリエ・レイス」


「五十八歳」


「この子は孫のノア」


 少女が二番を見る。


「おじいちゃん?」


 マリエがすぐに言う。


「今は、そう呼ばない約束」


「でもお母さんの父さんなら、おじいちゃんでしょう」


 二番が困った顔をする。


「俺には」


「孫がいるのか」


「父さんが本当に父さんなら」


 マリエが言う。


「あなたが死んだあと」


「私は結婚して」


「娘が生まれて」


「その娘の子がノア」


「あなたは」


 二番は言葉を探す。


「何歳だった」


「父さんが死んだとき?」


「そう」


「二十八」


 二番の顔が止まった。


「大人だったのか」


「ええ」


「俺の記憶では」


 二番は頭を押さえる。


「小さい女の子が」


「青い帽子をかぶって」


「桟橋を走ってる」


 マリエの目が見開く。


「それ」


「私じゃない」


 二番が固まる。


「では誰だ」


「私に青い帽子をかぶせたことはない」


「違うのか」


「でも」


 マリエは少し考える。


「母さんなら」


「青い帽子を持っていた」


「あなたの妻?」


「ええ」


「若い頃の母さんが、よく青い帽子をかぶっていた」


「では」


 二番が頭を抱える。


「俺が見ている女の子は」


「妻の子ども時代?」


「父さんは、母さんと幼なじみだった」


 過去の時間が混ざっている。


 トーマの娘マリエ。


 トーマの妻。


 誰か別の少女。


 同じ《家族》の記憶が、二番の中で時系列を失っている可能性。


「急いで正しい順番へ並べないでください」


 エルナが言った。


「それぞれの断片を、断片のまま確認します」


「それで父さんか分かるんですか」


 マリエが尋ねる。


「分かる部分と、分からない部分が出ると思います」


「全部一致しなければ父ではない?」


「そうとも限りません」


「では、何で判断するんです」


 エルナは答えようとして。


 レインを見る。


「まず」


 レインが言った。


「《父親かどうか》の判定と」


「《二番が誰なのか》の確認を分けます」


「違うの?」


「二番の中にトーマさんの記憶が多く残っていても」


「現在の二番自身が、トーマとして生きたいとは限らない」


 マリエは苦しそうに眉を寄せる。


「父さんの記憶があるのに?」


「はい」


「では」


「父さんは戻ってこない?」


 二番がマリエを見る。


「俺も」


「それを知りたい」


     ◇


「二番」


 レインが尋ねる。


「今、トーマ・レイスという名前を聞いたとき」


「どう感じますか」


「懐かしい」


「自分の名前だと感じる?」


「半分」


「もう半分は?」


「他人の名前を知っている感じ」


「カイル・ノルドは?」


 二番はすぐ答える。


「自分の名前だった」


「だった?」


「今は」


「分からない」


「三十年間は?」


「ずっとカイルだと思ってた」


「名前を疑ったことは」


「なかった」


「役割鎖が切れてから?」


「トーマが出てきた」


「では、今すぐどちらか選びますか」


 二番は首を横に振った。


「選びたくない」


「理由は」


「カイルを捨てたら」


「三十年の俺が」


「偽物になる気がする」


 マリエが息をのむ。


 二番は続ける。


「でも」


「トーマを無視したら」


「この人の父親だった記憶を」


「また鐘の中へ押し込むことになる」


「だから」


「今は二番でいたい」


 レインは確認する。


「二番という呼び方を、現在の仮称として使うことを望みますか」


「うん」


「番号ですが」


「名前として?」


「違う」


「今の俺を区別するための呼び方」


「それなら」


「二番でいい」


 レインは記録する。


七分割死者・旧《事実》担当。


現在の仮称――《二番》。


トーマ・レイスおよびカイル・ノルド双方の名前に自己認識を持つが、どちらか一方へ現在の人格を確定することを望まない。


《二番》は管理番号を本人の本名とするものではなく、本人の希望による暫定的識別として使用する。


 二番は記録を見た。


「それでいい」


     ◇


「では」


 マリエが言った。


「私は、何を聞けばいいんです」


「聞きたいことを」


「何でも?」


「二番が答えたくない場合は、答えないこともあります」


 マリエは二番を見る。


「あなたに」


「父さんのことを聞いていい?」


 二番は少し迷う。


「いい」


「あなたを父さんだと決めるためじゃなく」


「トーマ・レイスがどんな人だったか」


「聞きたい」


「俺も」


 二番は答えた。


「知りたい」


 最初の質問。


「妻の名前は?」


 二番は目を閉じる。


「ミレナ」


 マリエの目から涙が落ちた。


「合ってる」


「母さんは、ミレナ・レイス」


「もう亡くなりました」


 二番の顔が固まる。


「いつ」


「十二年前」


「どうして」


「病気」


「苦しかった?」


「最後は、あまり」


「俺のことは」


 マリエは答えに迷った。


「母さんは」


「あなたを待っていました」


 二番の身体が揺れる。


「三十年?」


「最初の十年くらい」


「その後は」


「待つのをやめた」


 二番が顔を上げる。


「やめた?」


「父さんは戻らないと」


「死んだと」


「自分で決めた」


「怒ってた?」


「すごく」


「俺に?」


「父さんにも」


「海にも」


「港にも」


「でも最後の頃は」


「あなたの話をすると笑うこともあった」


 二番は頭を押さえる。


「ミレナ」


 記憶が流れ込む。


 若い女性。


 青い帽子。


 先ほどの少女ではない。


 大人のミレナ。


 風で帽子が飛び。


 トーマが追いかけ。


 二人で笑っている。


「青い帽子」


 二番が呟く。


「母さん?」


「たぶん」


「どこで」


「防波堤」


 マリエが泣きながら笑う。


「母さん、その話をしてた」


「父さんが海へ落ちそうになったって」


「落ちてない!」


 二番が反射的に答える。


 全員が止まる。


 二番自身も驚いた。


「今」


「考えずに出た」


「記憶?」


「たぶん」


 マリエが笑った。


「母さんも同じこと言ってた」


「落ちそうじゃない」


「滑っただけだって」


 二番の顔が崩れる。


 泣いている。


「俺は」


「トーマなのか」


「まだ分かりません」


 レインが答える。


「でも今の反応は」


「トーマの記憶と一致する可能性が高い」


「可能性」


「はい」


 二番は少し笑った。


「今は、それでいい」


     ◇


「私のことは」


 マリエが尋ねる。


「何か覚えている?」


 二番は彼女を見る。


 現在の五十八歳の顔。


 三十年前。


 二十八歳だった娘。


 それよりさらに前。


 幼い娘。


「赤い靴」


「何歳」


「分からない」


「雨の日」


「水たまり」


「叱った」


 マリエは首を横に振る。


「私は赤い靴を持っていなかった」


 二番の顔が曇る。


「違う」


「待って」


 マリエが言う。


「父さんの妹に」


「赤い靴の話があった」


「妹?」


「リサ」


「父さんには妹がいました」


 二番の身体が震える。


「リサ」


 別の記憶。


 小さな少女。


 赤い靴。


 雨。


 兄が手を引く。


「妹だ」


「たぶん」


「今も?」


「父さんが船に乗る前に亡くなっています」


「病気?」


「事故」


「馬車」


 二番が先に言った。


 マリエがうなずく。


「合ってる」


 記憶が出るたび。


 トーマの人生が少しずつ戻る。


 だが。


 同時に。


 カイルの記憶も消えていない。


「エマ」


 二番が突然言う。


「何です」


「カイルの妻」


「はい」


「魚に酸っぱい実」


「好き」


「それはカイルの記憶」


「おそらく」


「俺の中に」


「トーマとカイルがいる」


「ほかの人も」


 エルナが言った。


「いる可能性があります」


 二番は顔を覆う。


「では」


「俺はトーマでも」


「カイルでも」


「ない?」


「《でもない》とは限りません」


 レインが言う。


「両方の過去とつながっている」


「それ以外とも」


「でも現在」


「それら全部を持っている二番は」


「二番しかいません」


「それは」


「人間?」


 誰もすぐには答えなかった。


 ミラが言う。


『考えて』


「何を」


『嫌なこと言われたら怒る』


『怖いことは怖い』


『自分の呼び方を選ぶ』


『話したい人を選ぶ』


『それなら、私は人として話す』


 二番がミラを見る。


「幽霊に言われると」


「少し変だな」


『幽霊も人でしょう』


「そうだった」


 少し。


 空気が和らいだ。


     ◇


 孫のノアがずっと黙っていた。


 二番が尋ねる。


「何か聞かないのか」


「聞いていい?」


「答えられることなら」


「おじいちゃんじゃないかもしれないんでしょう」


「そうだ」


「でも、おじいちゃんの記憶はある?」


「あるみたいだ」


「では」


 ノアは考える。


「おじいちゃんが好きだった食べ物」


 二番が笑う。


「分からない」


「えー」


「豆の煮込み?」


「それは四番の担当でしょう」


 エルナが言う。


 二番はもっと考える。


「魚の内臓を塩で焼いたやつ」


 マリエが顔をしかめる。


「合ってる」


「母さん、匂いが嫌いだった」


「俺は好きだった」


「父さんはいつも」


「家の外で焼いてた」


 二番が笑う。


「怒られたから」


 ノアが言う。


「では」


「少しおじいちゃん?」


 二番はしばらく考えた。


「少しトーマかもしれない」


「二番でもある」


「それでいい?」


 ノアはうなずく。


「では、二番さん」


 マリエが驚いて娘を見る。


「そう呼ぶの?」


「本人が今はそう呼んでって言ったから」


 二番の目が大きくなる。


「ありがとう」


     ◇


 次に。


 記憶の照合を行った。


 トーマ・レイスの船員記録。


 港務所。


 家族の手紙。


 白鯨号の作業記録。


 機関整備日誌。


 そこへ二番の記憶を照合する。


「炉の第三弁」


 二番が図面を見る。


「事故当日」


「交換予定だった」


 エルナが記録を確認。


「整備日誌にもあります」


「でも部品が届かなかった」


「記録には《入荷遅延》」


「違う」


 二番の顔が変わる。


「海軍が持っていった」


「なぜ」


「海底鐘の接続具に使うため」


「同じ部品?」


「そうだ」


 白鯨号の魔導炉。


 安全弁。


 本来交換されるはずだった部品が。


 海底鐘実験へ流用された。


「では魔導炉事故は」


「単なる逆流だけではない」


 二番が言う。


「元から安全余裕が減っていた」


 エルナがすぐに記録する。


「海軍の資材流用」


「新しい責任要素です」


 老人オルドが顔をしかめる。


「知らなかった」


 二番が彼を見る。


「本当に?」


「知らない」


「今は信じない」


「それでいい」


「調べる」


 二番はレインを見る。


「俺」


「これを知りたい」


「白鯨号が沈んだ本当の理由」


「自分がトーマかどうかより?」


「両方」


「でも」


「事実担当だったからじゃない」


 二番は自分で言った。


「今の俺が知りたい」


 役割鎖が切れた後でも。


 事実を調べたいという意思は残った。


 それは命令ではない。


 現在の二番の選択かもしれない。


「記録します」


二番は、旧《事実》役割命令から解放された後も、白鯨号沈没原因の調査継続を希望。


本人は、役割としてではなく、《自分が知りたいから》と理由を説明。


     ◇


 午後。


 二番は白鯨号へ戻る前に。


 マリエと二人だけで話す時間を希望した。


「私たちは外へ出ます」


 レインが言う。


 ミラも。


『私も?』


「本人たちだけで話したいそうです」


『分かった』


 倉庫の外。


 聞き書き帳は閉じる。


 中の会話は記録しない。


 一時間ほどして。


 マリエが先に出てきた。


 目は赤い。


 だが泣き崩れてはいない。


「どうでした」


 セシリアが尋ねる。


「秘密」


「では聞きません」


 少しして二番も出てくる。


「記録したいことがあります」


 レインが帳面を開く。


「どうぞ」


 二番はマリエを見る。


「俺は」


「今のところ」


「マリエの父親だったトーマ・レイスの記憶を持っていると認める」


「自分がトーマ本人だとは?」


「決めない」


「マリエさんは?」


「今は」


 マリエが答える。


「二番さんを父本人だとは確定しません」


「でも」


「父について話せる相手として」


「これからも話したい」


「家族として?」


「それも」


 マリエは考え。


「今は決めない」


 二番が苦笑する。


「似てきたな」


「誰に?」


「レインたちに」


「嫌?」


「少し面倒」


 レインは記録する。


二番は、トーマ・レイスの家族記憶を保持していることを現時点で認める。


自身をトーマ本人と確定することは保留。


マリエ・レイスも、二番を父トーマ本人と確定せず、父に関する記憶を共有できる現在の相手として対話継続を希望。


両者は、将来の関係名称について現時点で決定しない。


「関係名称まで書く?」


 マリエが尋ねる。


「重要だと思います」


「父と娘って呼べば簡単なのに」


「簡単だからこそ、今は使わないと選んだ」


 マリエはうなずいた。


     ◇


 だが。


 問題は二番だけではなかった。


 一番も。


 三番も。


 四番も。


 五番も。


 六番も。


 七番も。


 鎖を切ったことで、内部の別の名前が浮かび始めている。


 夕方。


 白鯨号の甲板。


 一番がレインを呼んだ。


「俺も出た」


「名前?」


「そう」


「何と」


「ガレス」


 乗組員名簿。


一等甲板員 ガレス・ホルム。


「記憶は」


「帆」


「船長への反抗」


「右手の指を一本失ったこと」


 一番は自分の手を見る。


 カイルの姿なので、指は五本ある。


「俺の身体にはある」


「でも」


「ない感覚がある」


「幻肢のような?」


「たぶん」


 本人の過去の身体と。


 現在の幽霊の姿が一致しない。


「呼び名は」


「まだ一番でいい」


「ガレスへ戻さない?」


「戻すって言い方が嫌だ」


「分かりました」


「ガレスだった記憶が出てきた」


「それだけにして」


「はい」


 三番。


「俺にも名前が出た」


「誰」


「オルド」


 全員が老人オルドを見る。


「何だと」


「若い頃のお前の感情が多すぎる」


「だから?」


「俺は」


 三番は頭を押さえる。


「自分が、もう一人のオルドなのかもしれない」


 老人オルド。


 若いオルドの死者。


 七番にもオルドの責任記憶。


 さらに三番にも。


 一人の人間から。


 複数の人格断片。


「本物のオルドは誰だ」


 バルドが頭を抱える。


「その問いを今は使わないでください」


 エルナが言う。


「余計に混乱します」


 四番。


「俺は」


「名前より先に」


「自分が料理人だった気がする」


「白鯨号の厨房係?」


「名簿を見る」


炊事係 ベン・アード。


「ベン?」


「呼ばないで」


「分かりました」


「まだ四番」


 五番。


「俺は」


「名前が出ない」


「代わりに」


「自分を突き落とした顔が出た」


「カイル?」


「違う」


「では」


「海軍監督官」


 新しい人物。


 六番。


「俺は」


「エマだけじゃなく」


「別の港の女性を覚えてる」


「恋人?」


「妹かもしれない」


「名前は?」


「ナナ」


「乗組員?」


「分からない」


 七番。


「俺は」


「オルドの責任だけじゃない」


「船長の罪悪感もある」


 船長が顔を上げる。


『私の?』


「出航を止め切れなかった」


「部下を守れなかった」


「その感情がある」


『……』


 一人一人の内部に。


 二十四人以上の人間の断片が。


 複雑に絡み合っている。


 七人を一人ずつ元の乗組員へ割り当てることはできない。


 エルナが整理した。


「七人は」


「七人の器ではありません」


「複数人分の断片が」


「七つの分類ごとにまとめられ」


「カイルの基準人格で形を与えられた」


「では」


 老人カイルが言う。


「俺の顔をした」


「集団?」


「そう表現することもできます」


「でも」


 レインが続ける。


「七人それぞれに現在の意思があります」


「内部に複数の過去があることと」


「現在一つの存在として話していること」


「両方を記録します」


「一人の中に複数人?」


 バルドが言う。


「それを分けるのか?」


「本人たちが望むかどうかからです」


     ◇


 夜。


 七人を白鯨号の甲板へ集めた。


「内部にいる記憶人格を、一つずつ分離する方法は存在する可能性があります」


 セシリアが説明する。


「海底鐘の技術を使えば」


 一番。


「分けたらどうなる」


「分かりません」


「俺が消える?」


「可能性があります」


 二番。


「トーマが出てきて」


「俺がいなくなる?」


「可能性を否定できません」


 三番。


「俺の中の感情を全部持っていかれたら」


「何が残る」


 四番。


「飯の記憶は」


「今それですか」


「重要だ」


 五番。


「分けたくない」


 全員が見る。


「理由は?」


「怖い」


「自分の中に」


「知らない人がいるのは怖い」


「でも」


「分けた結果」


「俺がいなくなるほうが怖い」


「では現時点では分離を拒否?」


「うん」


 六番。


「俺も」


 七番。


「俺も」


 一番。


「俺も」


 二番は。


 マリエを思い出している。


「俺も」


「でも」


「トーマの記憶については調べたい」


「分離せず?」


「まずは」


「はい」


 三番。


「俺も」


「オルドの感情がどれだけあるか知りたい」


 四番。


「俺も四番のままでいい」


 七人とも。


 今は完全分離を望まなかった。


「では」


 レインは記録する。


七名の分割死者は、内部に複数の白鯨号関係者の記憶・感情・人格断片が存在する可能性を認識。


現時点では、それらを個別人格として強制分離する処置を全員が拒否。


現在の七存在を維持したまま、内部記録の由来を調査することを希望。


「今後、誰かが分離したいと言った場合は?」


 エルナが尋ねる。


「その時点で再検討します」


「全員同時でなくても?」


「はい」


「一人だけ分離を望む可能性もある」


「その人だけ検討します」


 七人は。


 初めて。


 同時に同じ選択をした。


 だが。


 同じ理由ではなかった。


     ◇


「もう一つ」


 二番が言った。


「何です」


「マリエに」


「トーマの名前を使ってほしくないって言った」


「なぜ」


「今」


「呼ばれると」


「答えそうになる」


「それが嫌?」


「嫌じゃない」


「でも」


「答えたら」


「トーマだって決まる気がする」


「だから」


「今は二番」


「はい」


「でも」


 二番は少し笑う。


「トーマって呼ばれたい日が来るかもしれない」


「そのときは?」


「自分で言う」


 ミラがうなずく。


『それでいい』


「お前、名前の話になると偉そうだな」


『私も決めたから』


「そうだった」


     ◇


 翌朝。


 白鯨号の帰港について。


 最初の遺族説明会が港鐘塔の前で行われた。


 レインたちは船を岸壁へ着けなかった。


 沖に停泊した状態。


 事故の生存者。


 死者。


 遺族。


 港務所。


 教会。


 それぞれの証言を聞く。


 最初に発言したのは。


 二番の娘。


 マリエだった。


「私は」


 大勢の前で声が震えている。


「白鯨号にいる二番さんの中に」


「父トーマ・レイスの記憶が残っている可能性が高いと聞きました」


 ざわめき。


「父親が帰ってきたのか!」


「死者が戻った!」


「生き返った?」


 マリエは首を横に振る。


「そう決めていません」


「二番さんも」


「自分を父だとは決めていません」


「でも」


「父のことを話せます」


「母のことも」


「私の知らなかった父の記憶も」


「だから」


 マリエは白鯨号を見る。


「私は」


「父を返せとは言いません」


「二番さんを」


「父の代わりにもしません」


「ただ」


「話すことを続けたい」


 遺族の一人が叫ぶ。


「そんな曖昧なことができるか!」


「自分の家族だったらどうする!」


 マリエは答える。


「私の家族だから」


「急いで決めたくないんです」


 その言葉に。


 別の遺族が黙った。


     ◇


 次に。


 一人の老人が前へ出る。


「ガレス・ホルムの兄だ」


 一番が甲板で身体を固くする。


「弟の記憶があると聞いた」


 一番は答える。


「あるかもしれない」


「俺のことを覚えているか」


 一番は老人を見る。


「左耳」


「何だ」


「子どもの頃」


「魚釣りの針が刺さって」


「耳が少し裂けた」


 老人の手が左耳へ触れる。


「ガレスしか知らん」


「では」


「お前はガレスか」


 一番は首を横に振った。


「分からない」


「俺は」


「三十年間、一番としてじゃない」


「カイルだと思って存在してた」


「昨日から」


「ガレスの記憶が出てきた」


「弟ではないと?」


「ガレスだった記憶はある」


「でも」


「今の俺を全部ガレスにすると」


「ほかのものが消える」


 老人は怒った。


「弟を返せ!」


 一番が顔を歪める。


「俺に言われても」


「弟の記憶を持ってるんだろ!」


「全部じゃない!」


「返せ!」


 老人が岸壁から白鯨号へ進もうとする。


 港務職員が止める。


「離せ!」


「弟だ!」


 一番が叫ぶ。


「俺も困ってる!」


 港が静まる。


「俺だって」


「自分が誰か知りたい!」


「でも」


「お前がガレスって呼ぶたび」


「俺の中の他の記憶が」


「全部偽物って言われてるみたいなんだ!」


 老人の動きが止まる。


 一番は続けた。


「弟を返したい気持ちは」


「分からないけど」


「でも」


「俺を消して返すって言われたら」


「嫌だ」


 老人は。


 しばらく何も言わなかった。


「では」


「俺は」


「どうすればいい」


 一番も答えられない。


 レインが割って入らない。


 本人同士が話している。


 やがて老人が言った。


「一番」


「何だ」


「今日は」


「そう呼ぶ」


「ありがとう」


「でも」


「ガレスのことを聞かせろ」


「俺が知ってることも話す」


 一番がうなずいた。


「それなら」


「話したい」


 また一つ。


 家族関係が。


 元へ戻るのではなく。


 新しく始まった。


     ◇


 説明会は。


 予定より長くなった。


 怒る遺族。


 泣く者。


 家族の名前が七人のどこにも出てこず、落胆する者。


 逆に。


 一人の中から二人分の家族記憶が見つかり。


 どちらも自分の家族だと主張する者。


 混乱。


 矛盾。


 だが。


 海底鐘のように。


 一つへ整理はしなかった。


 聞いた。


 記録した。


 分からないものは。


 分からないまま残した。


     ◇


 説明会の終わり。


 港務職員がレインへ一枚の古い資料を持ってきた。


「白鯨号の乗組員名簿を再確認していたところ」


「人数が合いません」


「二十四人では?」


「公式は二十四」


「リナを含めれば二十五」


「はい」


「ですが」


 職員は紙を広げる。


 船員への記憶分割割当表。


 番号がある。


 一から。


 二十五。


 さらに。


 二十六。


「二十六人目?」


 エルナが資料を奪うように見る。


「名前は?」


「削られています」


 役割欄。


基準人格補助。


 老人カイルが顔を強張らせる。


「基準人格は俺だった」


「補助とは?」


「知らない」


 オルドも。


「俺も知らない」


 リナが資料を見る。


『待って』


「何か」


『二十六人目』


『いた』


「誰」


 リナの顔に恐怖が浮かぶ。


『子ども』


 全員が固まった。


「白鯨号に子ども?」


『乗っていた』


「乗客名簿には」


『記録されてない』


「密航?」


『違う』


「では」


 リナは震えながら答える。


『実験用』


 セシリアの顔色が変わる。


「子どもを」


「記憶分割実験へ?」


『違う』


 リナは首を横に振る。


『あの子は』


『記憶を分ける側じゃない』


『集める側』


 エルナが息をのむ。


「七分類された記憶を」


「再統合するための補助?」


『そう』


 十三鐘守。


 七海鐘守。


 そして。


 分けたものを。


 一つへ戻すための存在。


「その子は」


 レインが尋ねる。


「白鯨号沈没後、どうなりました」


『分からない』


「死者の中にいますか」


 ミラが海へ耳を澄ませる。


『いない』


「生存者?」


 オルドが青ざめる。


「そんなはずは」


「事故後の生存者は」


「四人」


「俺」


「カイル」


「ほか二人」


『五人』


 リナが言った。


「何?」


『あの子も生きてた』


「誰が連れていった」


『海軍』


 オルドが首を横に振る。


「俺は見ていない」


『あなたの記憶から』


『その部分を取ったから』


「誰が」


『私』


 リナは自分の胸へ触れる。


『あなたが壊れると思った』


「俺を守るために?」


『違う』


 リナの声が冷たくなる。


『あの子を守るため』


「どこへ」


『王都じゃない』


『海軍施設でもない』


「では」


『南の島』


 港務職員が地図を広げる。


 ベルナードの南西。


 小さな島々。


 その中に。


 一つだけ。


 現在の地図から消されている島があった。


「島名が削られています」


 エルナが古い海図を重ねる。


 薄く残る文字。


ネレイス島。


 老人カイルが小さく言った。


「聞いたことがある」


「どんな島です」


「船乗りの間では」


「沈まない島」


 バルドが眉をひそめる。


「島は普通沈まないだろ」


「違う」


「海図から消えても」


「海へ行けばあると言われている」


『幽霊島?』


 ミラが少し楽しそうに言う。


「その可能性があります」


 エルナの目も少し輝いた。


「楽しそうにするな」


 バルド。


 レインは二十六人目の欄を見る。


基準人格補助。


 その下。


 消し切れなかった一文。


七つの記憶が人格として独立した場合、統合者を使用する。


「七人が独立した場合」


「子どもへ統合させる予定だった」


 セシリアが言う。


「では、七人のカイルの最終統合先は」


「老人カイルではなかった?」


 エルナ。


「海底鐘は、次期海鐘守として七人を固定しようとした」


「しかし初期の白鯨号実験では」


「二十六人目の子どもが統合器だった」


「その子が生きているなら」


 レインが言う。


「今、何歳です」


「事故当時の年齢が必要です」


 リナが答える。


『九歳』


 三十年後。


 三十九歳。


 まだ生きている可能性は十分ある。


「名前は」


 リナは目を閉じる。


『それが』


『思い出せない』


「消された?」


『違う』


『本人が』


「本人が?」


『自分の名前を』


『全員から抜いた』


 ミラが息をのむ。


『自分の名前を誰にも覚えさせないようにした?』


『そう』


「なぜ」


 リナは海を見た。


『自分が見つかれば』


『また七人を一つに戻すために使われるから』


 二十六人目。


 名前を自ら消した子ども。


 分割された記憶を統合するためだけに作られた存在。


 そして。


 三十年前。


 生きて逃げた。


 七人のカイルが海底鐘から逃げたように。


 その子も。


 もっと前に。


 自分に与えられた役割から逃げていた。


 レインは聞き書き帳へ記す。


白鯨号・未登録二十六人目。


事故当時推定九歳。


七分類された記憶が独立人格化した場合、それらを一つへ再統合する《基準人格補助》として使用される予定だった。


白鯨号沈没後に生存した可能性。


本人は追跡を避けるため、自身の名前に関する記憶を周囲から除去した可能性がある。


現在地候補――ネレイス島。


 最後に。


発見した場合でも、七名の再統合へ使用しない。


 二番がレインを見る。


「会いに行く?」


「まず」


 レインは七人を見る。


「あなたたちが、その人へ会いたいか確認します」


 一番。


「会いたい」


 二番。


「俺も」


 三番。


「怖い」


 四番。


「何をされるか分からない」


 五番。


「会いたくない」


 六番。


「今は分からない」


 七番。


「話は聞きたい」


 全員。


 違う。


「では」


 レインは帳面を閉じた。


「全員を連れて行く前提にはしません」


 五番が安堵する。


「俺は残れる?」


「はい」


「白鯨号に?」


「ベルナードに残りたいなら」


「考える」


 また。


 一つの旅へ。


 全員で向かう必要はない。


 第二部の海は。


 さらに南へ続いていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


《二番》の中には、白鯨号機関士トーマ・レイスの記憶が強く残っていました。


しかし二番本人も、娘マリエも、彼を即座に《トーマ本人》とは決めません。


三十年間カイルとして存在してきた二番の現在を消さず、父トーマの記憶とも向き合っていく道を選びました。


さらに、白鯨号には公式記録に存在しない《二十六人目》がいたことが判明します。


事故当時九歳。


七人の記憶が独立した場合、一つへ戻すための《統合者》として使われる予定だった子ども。


その子は自らの名前を周囲の記憶から消し、南の《ネレイス島》へ逃げた可能性があります。


次回、第36話「名前を消した子ども」。


レインたちは、七人全員を同行させるのではなく、それぞれに「会いに行くか」「ベルナードへ残るか」を確認します。


そして、海図から消えた《沈まない島》ネレイス島への航路を探し始めます。

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