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異世界幽霊聞き書き帳――死者の声が聞こえる俺は、成仏できない亡霊たちを取材する  作者: たむ
第一章 墓守の息子と、名前のない少女

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第3話 幽霊は、真実だけを話すわけではない

幽霊の少年が見た黒い箱。


エドガーが存在を否定した娘エリナ。


レインは事故現場へ向かい、死者の証言が隠していた真実を探る。

 真夜中の街道を歩くとき、頼りになるものは三つある。


 道を照らす角灯。


 腰に下げた護身用の短剣。


 そして、自分より先に危険を見つけてくれる同行者。


 ただし、その同行者が二人とも幽霊である場合、本当に頼ってよいのかは別の話だった。


『こっち』


 右足の膝から下が透けている少年が、街道の先を指さした。


「本当に道を覚えているんだろうな」


『覚えてるよ』


「さっき、右か左か分からないと言っただろう」


『あれは墓地を出るときの話』


「墓地の門は一つしかない」


『夜だから間違えた』


「幽霊にも夜の暗さは関係するのか?」


『たぶん』


 少年の隣を漂うミラが、うんうんとうなずく。


『分からないときは、たぶんって言えばいいのよ』


「悪いことを教えるな」


『私が先に言っていたもの』


「だから余計に悪い」


 レインは角灯を高く掲げた。


 町リベルタを出て西へ延びる街道は、昼間であれば商人や農民の馬車が頻繁に行き交う。


 だが、夜ともなれば人影はない。


 道の両側には黒い森が迫り、枝の隙間から差し込む月明かりも弱い。


 聞こえるのは、レインの靴音だけ。


 ミラも少年も、歩いているように見えて足音を立てなかった。


「お前の名前は、本当に思い出せないのか」


 レインは少年へ尋ねた。


『うん』


「どこで死んだかは?」


『街道』


「いつ頃だ」


『分からない』


「誰かと一緒だった?」


 少年は答えなかった。


 先ほどまで軽く揺れていた半透明の足が止まる。


『箱の話をしようよ』


 明らかに話題を変えた。


 レインは追及せず、帳面の余白に記憶の質問を避けると書き加えた。


『また書いた』


 ミラが横からのぞき込む。


「忘れないように記録している」


『私のことも書いてる?』


「少しは」


『見せて』


「嫌だ」


『どうして?』


「本人の前で調査記録を見せると、都合よく証言を変える幽霊がいる」


『私は変えない』


「それを確かめるためにも見せない」


 ミラは不満そうに口を尖らせた。


 少年が楽しそうに笑う。


『ミラ、疑われてる』


『あなたもでしょう』


『僕は箱を見たよ』


『でも名前を忘れてる』


『そっちだって』


「張り合うところではない」


 レインが言ったとき、少年が突然道を外れた。


『ここ』


 街道脇の草むらへ入っていく。


 レインは角灯で足元を照らしながら後を追った。


 斜面を少し下ると、地面に深い車輪の跡が残っている。


 脇には折れた木片と、荷台を覆っていたらしい布の切れ端。


 エドガーの馬車が横転した場所で間違いない。


「三日前に雨が降っていたと言っていたが……」


 レインはしゃがみ、地面へ触れた。


 土は乾いている。


 ぬかるんだ跡もない。


 ただ、車輪の一方が道の外へ大きく逸れ、石に乗り上げた形跡があった。


「襲われて横転したというより、御者が操作を誤ったように見える」


『馬が急に暴れたんだよ』


 少年が言った。


「見ていたのか?」


『見てた』


「さっきは箱が溝に落ちていたとしか言わなかった」


『聞かれなかったから』


 レインは眉間を押さえた。


 幽霊への聞き取りで最も厄介なのは、彼らが重要だと思っていない情報を自分から話さないことである。


 生者であれば当然伝えるだろうと思うことも、死者には別の基準がある。


「最初から順番に話せ。馬車が来たところからだ」


 少年は街道へ向き直った。


『馬車がすごい速さで走ってきた』


「追われていた?」


『後ろには誰もいなかった』


「エドガー以外に乗っていた者は?」


『いなかったと思う』


「荷台の中は見えた?」


『布がかかってた。でも、黒い箱だけ見えた』


「なぜ箱だけ見えたんだ」


『透けてたから』


「何が」


『荷台と布』


 少年は当然のように答えた。


 レインは黒い箱が普通の物品ではないと確信した。


 幽霊には、生者の世界の物が薄く見えることがある。


 逆に、死者側に属する物ははっきり見える。


 黒い箱は、生者と死者の境界にある品なのかもしれない。


「それから?」


『馬が急に止まった』


「何かを見たのか?」


『女の人』


 ミラが表情を変える。


『墓地にいた人?』


『たぶん同じ。道の真ん中に立ってた』


「エドガーにも見えていたのか?」


『うん。びっくりして手綱を引いた。馬が横に曲がって、車輪が石に当たって、馬車が倒れた』


「襲撃者は?」


『いなかったよ』


「男の声を聞かなかったか。積み荷を渡せ、と」


 少年は首を振った。


『聞いてない』


「雨は?」


『降ってない』


「黒い箱はどうなった」


『荷台から飛び出して、こっちに落ちた』


 少年は斜面の下を指さした。


 レインが角灯を向けても、丈の高い草しか見えない。


「どの辺りだ」


『目の前』


「何もない」


『あるよ』


 ミラも斜面を下りる。


 草むらへ手を伸ばすと、彼女の指先が空中で何かに触れた。


『本当にある』


「大きさは?」


『これくらい』


 ミラは両手で、小さな荷箱ほどの形を示した。


『真っ黒。蓋に銀色の輪が描いてある』


 レインには見えない。


 手を伸ばしても、指先は空を切る。


「動かせるか?」


『やってみる』


 ミラが箱を持ち上げようとする。


 半透明の腕に力が入った。


 だが、箱は動かないらしい。


『重い』


『僕も手伝う』


 二人が見えない箱を持ち上げようとする光景は、傍から見れば地面に向かって唸っているだけだった。


「無理をするな。蓋は開くか?」


『鍵がかかってる』


 ミラは銀色の輪へ触れた。


 その瞬間、斜面を冷たい風が駆け抜けた。


 角灯の炎が大きく揺れる。


 ミラの表情が凍りついた。


『声がする』


「何と言っている」


『返して』


 墓地で聞いた女の声。


 レインは周囲を見回した。


 森の木々の間に、黒い服の女が立っていた。


 長い髪に顔を隠し、こちらを見つめている。


『返して』


「エリナか?」


 レインが呼びかけると、女は動きを止めた。


 答えはない。


「エドガーの娘、エリナなのか」


 黒い服の女は、わずかに顔を上げた。


 髪の隙間から、片方の目だけが見える。


『娘ではない』


「では、何者だ」


『返して』


「この箱を?」


『私の名前を』


 レインは帳面を開いた。


「エリナという名前を返せという意味か?」


 女の姿が揺れた。


『あの男が盗んだ』


「エドガーが?」


『名前も、顔も、死んだことも』


「順番に話してくれ」


『返して』


 女はそれ以外の言葉を忘れているかのように繰り返す。


 感情が強すぎる幽霊は、会話が成立しなくなる。


 怒りや執着だけが残り、記憶を言葉にできない。


 レインは帳面へ女の特徴を記録した。


「箱の中に、あなたの名前が入っているのか」


 女の目が箱へ向く。


 肯定と受け取ってよさそうだった。


「どうすれば開く?」


 女は答えない。


 代わりに、少年が声を上げた。


『あのおじさん、銀色のものを持ってたよ』


「いつ見た」


『馬車が倒れたあと。地面を這って探してた』


「銀色の何だ」


『小さい鍵』


「エドガーの遺体と一緒に埋葬された可能性があるな」


 レインは箱を回収できないまま、墓地へ戻る必要があると判断した。


 だが、その前に確かめることがある。


「女の幽霊。エドガーを殺したのは、あなたか?」


 ミラが息をのむ。


 女はしばらく動かなかった。


 やがて、ゆっくりと首を横に振る。


『止まれと言った』


「馬車を?」


『返せと』


「道の中央に立ったため、馬が驚いた」


 女は再び首を振った。


『馬には見えない』


「では、エドガーがあなたを見て、手綱を引いたのか」


 今度は、かすかにうなずいた。


 エドガーは幽霊が見えていた。


 少なくとも、事故の直前には女の姿を認識していた。


「エドガーは事故で死んだ。あなたが直接殺したわけではない」


『でも、私が出た』


「責任がないとは言わない。だが、殺すつもりだったかどうかは別だ」


 女は黙り込んだ。


 怒りに支配された幽霊にも、罪悪感は残っているらしい。


「箱を取り戻す。だから墓地へ来てくれ」


『あの男のところへ?』


「エドガー自身に開けさせる」


『嫌』


「あなたの名前を取り戻すには、それしかない」


 女は黒い服の裾を揺らしながら、森の闇へ溶けるように消えた。


『来るかな』


 ミラが尋ねる。


「来るだろう」


『どうして分かるの?』


「死者は、夜になると話が長くなる。そして、執着しているものの話になるとさらに長い」


『それ、関係ある?』


「少しはある」


 レインは少年へ向き直った。


「お前も墓地へ来てくれ。証言をエドガー本人に話してほしい」


『分かった』


「その後で、お前の名前も調べる」


 少年は驚いたように目を見開く。


『本当?』


「約束はできない。だが、街道で亡くなった子どもの記録を探す」


『じゃあ、行く』


 少年は満面の笑みを浮かべた。


 その笑顔を見たミラが、少しだけ寂しそうな表情をした。


 自分の記録が見つかる保証はない。


 レインはそれに気づいたが、今は何も言わなかった。


 根拠のない希望を与えることも、死者への嘘になる。


     ◇


 墓地へ戻ると、エドガーはまだ棺の中から叫び続けていた。


『遅いぞ!』


「戻ってくるとは言っていない」


『見捨てたのかと思った!』


「死んでいる者を墓に置いてきても、見捨てたことにはならない」


『俺はまだ死んだと認めていない!』


「では、生きている者として質問する。三日前、雨は降っていなかった」


 エドガーは黙った。


「襲撃者もいなかった。馬車は道の中央に現れた女性を避けようとして横転した」


『違う』


「目撃者がいる」


『子どもの幽霊など信用できるか!』


『見たもん』


 少年が墓石の上から言い返す。


『おじさん、すごい顔してたよ。女の人を見て、エリナって呼んでた』


 墓の周囲が震えた。


 エドガーの声が、再び複数の方向から響き始める。


『違う』


『知らない』


『娘はいない』


「その言葉を、誰に言い聞かせている」


 レインは墓の前に立った。


「俺たちか。それとも、自分自身か」


『黙れ』


「黒い箱は街道に残っていた」


『知らん』


「箱を開ける銀の鍵を持っていただろう」


 今度こそ、エドガーは完全に沈黙した。


 レインは墓石の裏へ回り、家族からの言葉を読み上げる。


「妻マルタ。息子ルーク。そして娘エリナ」


『エリナは娘ではない』


 低い声だった。


 先ほどまでの激しさはない。


 レインは筆を構えた。


「では、誰だ」


『妻の妹だ』


「なぜ娘として刻まれている」


『マルタが、そうしろと言った』


「エリナは、いつ亡くなった」


『十二年前』


「死因は?」


『病だ』


 森から冷たい風が吹いた。


 墓地の入口に、黒い服の女が現れる。


 エドガーの声が止まる。


 女はゆっくりと墓へ近づいた。


『嘘』


 その一言には、先ほどまでになかった明瞭さがあった。


『私は病気ではなかった』


「エドガー」


『……事故だった』


「どんな事故だ」


『荷馬車から落ちた』


 女の姿が大きく揺れる。


『違う』


『黙れ!』


 エドガーの叫びが響いた。


『お前が悪い! お前が箱を開けようとしたから!』


 レインは息を止めた。


 エドガーは自ら、箱の存在を認めた。


「何が入っていた」


『死者の記憶だ』


 男は観念したように答えた。


『古い墓から掘り出された品だった。銀の輪を持つ黒箱。死者が生前に残した記憶を閉じ込められると聞いた』


「盗品か」


『買った』


「誰から」


『墓荒らしからだ』


「それを商売に使ったのか」


『貴族は、死者の秘密に金を払う。隠し財産、愛人、裏切り、遺言。死んだ本人の記憶を見られるなら、いくらでも出す者がいた』


 レインは吐き気を覚えた。


 死者の記憶を盗み、秘密として売る。


 幽霊が見える彼には、それが墓荒らし以上に卑劣な行為だと分かった。


「エリナは何をした」


『箱を見つけた。俺の商売を知り、教会へ訴えると言った』


『だから、追いかけてきた』


 女が続ける。


『箱を取り返そうとして、階段から落ちた』


『突き飛ばしてはいない!』


「だが、助けなかった」


 エドガーは答えない。


『生きていた』


 エリナの声が震える。


『私は、まだ生きていた』


「エドガーは何をした」


『私の記憶を箱に入れた』


 ミラが青ざめる。


『どうしてそんなことを』


『自分が何をしたか、私が覚えていなければいいと思った』


「そして遺体を病死として処理したのか」


『妻には、エリナは急病で死んだと伝えた。医師には金を払った』


 エドガーの声が小さくなる。


『だが、マルタは何かを疑っていた。だから墓石に娘として名を残した。自分の妹ではなく、私たちの娘として弔いたいと』


 エリナは長い間、何も言わなかった。


 怒りに震えていた黒い輪郭が、少しずつ人間の姿へ戻っていく。


 髪の隙間から見えた顔は、ミラより少し年上の若い女性だった。


「事故の日、なぜ箱を運んでいた」


『売るためだ』


「エリナの記憶も入れたまま?」


『捨てるつもりだった』


『嘘』


 エリナが言う。


『私の記憶を売るつもりだった』


『違う!』


『箱の中で聞いた。買い手と話していた』


「誰が買う予定だった」


 エドガーは答えない。


 レインは帳面へ、証言拒否と書いた。


「銀の鍵はどこにある」


『上着の内側だ』


「遺体と一緒に埋葬されているな」


『ああ』


 レインは考え込んだ。


 墓を掘り返さずに鍵を取り出す方法はない。


 だが、エリナの記憶を箱に閉じ込めた術が死者側のものであるなら、エドガー自身が持つ鍵も死者の姿を持っている可能性がある。


「自分の上着を探れ」


『棺の中は暗い』


「目ではなく、持っていた記憶を使え。死者は、最後に身につけていた物を姿として再現することがある」


『できるわけがない』


「棺を叩く手を作れたのなら、鍵も作れる」


 エドガーの声が途切れる。


 土の上に、半透明の指先が現れた。


 次に腕。


 肩。


 やがて、恰幅のよい中年男性の幽霊が、墓からゆっくりと上半身を起こした。


 自分の死を認めたことで、棺の記憶から抜け出したのだ。


 エドガーは自分の透けた身体を見て、愕然とした。


『本当に……死んでいる』


 レインは同情しなかった。


「鍵を」


 エドガーは震える手を上着の内側へ入れた。


 そこから、小さな銀の鍵を取り出す。


 エリナが手を伸ばした。


 鍵は彼女の掌へ渡った。


 その瞬間、街道の方向から低い音が響いた。


 金属が開く音。


 ここから遠く離れた黒い箱の蓋が、ひとりでに開いたのだ。


 エリナの身体へ、白い光が流れ込む。


 彼女は両手で頭を抱えた。


 失われた記憶が一度に戻っている。


『エリナ!』


 ミラが支えようとするが、二人の身体は重なるだけだった。


 やがて、エリナが顔を上げる。


 瞳から黒い濁りが消えていた。


『思い出した』


「何を」


『全部』


 彼女はエドガーを見る。


 エドガーは怯え、後ずさった。


『許してくれ』


『嫌』


 エリナは即答した。


『許さない』


 エドガーの顔が絶望に歪む。


 だがエリナは続けた。


『でも、あなたを苦しめるために残るのも、もうやめる』


『エリナ』


『姉さんに、本当のことを伝えて』


 彼女はレインへ向き直った。


『姉のマルタは、まだ生きている』


「何を伝えればいい」


『私が病気ではなかったこと。エドガーがしたこと。そして、私が姉を恨んでいないこと』


「すべて伝えれば、家族は壊れるかもしれない」


『もう壊れている。でも、嘘の上で家族のふりを続けるよりいい』


 死者が望んだからといって、生者へ無条件で伝えるべきではない。


 だが今回の件は、犯罪が関わっている。


 エドガーが持っていた盗品の取引相手も調べなければならない。


「分かった。ただし、どう伝えるかは俺が決める」


『それでいい』


 エリナは微笑んだ。


 身体の輪郭が淡く光り始める。


『ミラ』


『私?』


『あなたの名前も、誰かが持っているのかもしれない』


 ミラの表情が固まる。


『私の名前を、誰かが盗んだってこと?』


『分からない。でも、名前は簡単には消えない。覚えている者が一人でもいれば、どこかに残る』


 エリナの姿が、光の粒へ変わっていく。


『探して』


 最後にその言葉を残し、彼女は夜空へ溶けるように消えた。


 成仏したのか。


 別の場所へ移っただけなのか。


 レインには分からない。


 ただ、先ほどまで彼女がいた場所には、怒りも悲しみも残っていなかった。


 エドガーは墓の前に座り込んでいる。


『俺は、どうなる』


「自分で考えろ」


『助けてはくれないのか』


「あなたの記憶は戻った。墓からも出られた。あとは、罪を認めるか、また嘘をつくかだ」


『死者を裁く者などいない』


「だからといって、罪が消えるわけではない」


 レインは帳面を閉じた。


 エドガーはすぐには消えなかった。


 おそらく、長くこの墓地へ残るだろう。


 自分の罪と向き合うのか。


 再び都合のよい記憶へ逃げ込むのか。


 それはレインが決めることではない。


 翌朝、レインは父を通じて町の衛兵へ匿名の報告を出した。


 街道の事故現場付近に、盗品が隠されている可能性がある。


 エドガーが墓荒らしと取引していた記録を調べるべきだ。


 生者には見えなかった黒い箱も、エリナの記憶が解放されると同時に普通の木箱として姿を現した。


 中には、名前の書かれた十三枚の薄い銀板が残っていた。


 エリナ以外にも、記憶を奪われた死者がいる。


 レインはその名前を一つずつ帳面へ書き写した。


 死者の言葉は真実とは限らない。


 エドガーは嘘をついた。


 自分が殺されたと主張し、襲撃者を作り、雨の記憶まで作り出した。


 だが、すべてが意図的な嘘だったわけでもない。


 自分の罪を認められず、記憶そのものを変えていた。


 幽霊だから真実を知っているわけではない。


 死んだから正直になるわけでもない。


 ならば、一人の話を聞くだけでは足りない。


 別の死者に聞く。


 現場を見る。


 記録を確かめる。


 食い違いを書き残す。


 レインは帳面の最初の頁へ、今後の決まりを記した。


死者の証言を、そのまま真実と決めてはならない。


忘却、誤認、感情、虚偽の可能性を考えること。


可能な限り、複数の証言と生者の記録を照合すること。


『難しいことを書いてる』


 肩越しにミラがのぞき込んでいた。


「見るなと言っただろう」


『私の記録じゃないからいいでしょう』


「そういう問題ではない」


『でも、役に立ったね』


「誰が」


『私』


「少しは」


『もっと感謝して』


「墓地にいろという指示を無視した」


『そのおかげで解決した』


「結果がよければ命令を無視してよいわけではない」


『私は死んでいるから、命はないけど』


「屁理屈を覚えるのが早いな」


 ミラは満足そうに笑った。


 少年の幽霊は、墓石の上で眠るように横になっている。


 レインは彼のことも記録した。


 名前不明。


 街道沿いに留まる少年。


 右足の膝から下が不明瞭。


 馬車事故を目撃。


 自身の死に関する質問を避ける。


 調査継続。


 帳面を閉じようとしたときだった。


 最後の頁が、ひとりでに開いた。


 黒い文字がゆっくりと浮かび上がる。


 墓地で最初に現れた警告とは違う。


 今度の文字は、古い筆跡だった。


鐘が十三度鳴る前に、死者の名前を集めよ。


 レインは息を止めた。


「ミラ」


『何?』


「この文字が見えるか」


 ミラは頁をのぞき込み、首を傾けた。


『何も書いてないよ』


「本当に?」


『真っ白』


 レインには、はっきりと見えている。


 鐘。


 十三度。


 死者の名前。


 エドガーの黒い箱には、十三人分の銀板が入っていた。


 偶然とは思えない。


「鐘の音を聞いたと言ったな」


『うん』


「何度鳴ったか、本当に覚えていないのか」


 ミラはしばらく考えた。


 そして、急に両手で耳を押さえた。


『やめて』


「どうした」


『聞こえる』


 夜明け前の空が、わずかに白み始めている。


 町の教会は静まり返っていた。


 鐘を鳴らす者などいない。


 それでもミラは、何かを恐れるように震えていた。


『また鳴ってる』


 レインには聞こえない。


 だが、墓地にいた幽霊たちが一斉に同じ方向を向いた。


 町の中心。


 聖導教会の建つ方角。


 遠く離れた場所で、見えない鐘が鳴っている。


 ミラが青ざめた顔で数えた。


『一回』


 静寂。


『二回』


 墓石の上の少年が目を覚ます。


『三回』


 墓地の幽霊たちが騒ぎ始める。


 泣く者。


 耳を塞ぐ者。


 地面の下へ隠れようとする者。


 レインは帳面を強く握った。


『四回』


 そこで、鐘の音は止まったらしい。


 ミラは荒い呼吸をするような仕草をしながら、ゆっくりと手を下ろした。


『今度は、四回だった』


「前は?」


『分からない』


 帳面に浮かんだ文字の下へ、新たな一文が加わる。


第一の名は、すでに失われた。


 レインがその文字を読み終えると、頁は勝手に閉じた。


 エドガーの事件は解決した。


 だが、ミラの謎は深まった。


 なぜ彼女だけが鐘を聞くのか。


 十三という数は何を意味するのか。


 失われた第一の名とは、誰の名前なのか。


 レインは知らなかった。


 この夜に書き始めた帳面が、自分を町の外へ、大陸各地へ、そして生者が決して足を踏み入れられない場所へ導くことを。


 彼はまだ、ただの墓守の息子だった。


 死者の声を聞き、その言葉を書き留め始めたばかりの青年にすぎなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


エドガーの事件は解決しましたが、黒い箱に残された十三人の名前と、ミラだけに聞こえる鐘の謎が残りました。


次回からは「壁の中で笑う女」編です。


夜ごと笑い声が響く古い宿屋で、レインは互いを生者だと思い込んでいる二人の幽霊と出会います。

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