表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界幽霊聞き書き帳――死者の声が聞こえる俺は、成仏できない亡霊たちを取材する  作者: たむ
第一章 墓守の息子と、名前のない少女

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/11

第2話 死んだ男は、自分が生きていると言った

墓の下から助けを求める声。


だが、その声の主はすでに死んでいた。


レインは初めて、死者への正式な聞き取りを始める。

 墓の下から、棺を叩く音が続いていた。


 どん。


 どん。


 どん。


 一定の間隔で響く音には、焦りよりも執念があった。


 自分がここにいると、誰かに気づいてもらうまで止めるつもりがない。


 そんな叩き方だった。


『頼む! 誰か、助けてくれ!』


 土の中から響く男の声に、レインは顔をしかめた。


 声だけを聞けば、生き埋めにされた男そのものだった。


 だが、レインには分かる。


 その声は空気を震わせていない。


 耳ではなく、もっと身体の内側へ直接届いている。


 死者の声だ。


「静かにしてくれ」


『誰だ!』


「墓地の管理人の息子だ」


『管理人だと? なら早く掘り返せ! 俺は生きている!』


 男の声がさらに大きくなる。


 棺を叩く音も激しくなった。


 レインは思わず耳を塞いだが、死者の声は耳を塞いでも聞こえる。


「死んでいる」


『何を言っている!』


「あなたは三日前に亡くなって、今日ここへ埋葬された」


『嘘だ!』


「嘘ではない」


『では、なぜ俺は話せる! なぜ考えられる!』


「死者でも話すし、考える」


『そんな馬鹿なことがあるか!』


「俺に言われても困る」


 レインは墓の前へしゃがみ込んだ。


 新しく盛られた土は柔らかい。


 今から父を呼び、棺を掘り返すことも不可能ではない。


 だが、掘り返したところで、出てくるのは死体だ。


 男がそれを見れば自分の死を理解するかもしれないが、そのためだけに墓を荒らすわけにはいかない。


 何より、夜中に埋葬したばかりの墓を掘り返しているところを見つかれば、説明がつかない。


『何とか言え!』


「まず、名前を確認する」


『名前だと?』


「墓石には、エドガー・モルドと刻まれている。あなたで間違いないか?」


 しばらく返事がなかった。


 棺を叩く音が止まる。


『……エドガー』


「覚えているのか」


『当然だ。俺の名前だ』


 レインは革表紙の帳面を開いた。


 角灯を墓石の根元へ置き、最初のページに書いた名前の横へ線を引く。


 エドガー・モルド。


 生前の職業は商人。


 死亡日は三日前。


 埋葬は本日。


「年齢は?」


『四十八だ』


「職業は」


『交易商だ。北部の村々から毛皮と薬草を買い付け、王都へ運んでいた』


「最後に覚えている場所は?」


『馬車の中だ』


「どこへ向かっていた?」


『リベルタだ』


 レインは記録を続ける。


 傍らでは、ミラが興味深そうに帳面をのぞき込んでいた。


『字が書けるのね』


「書ける」


『私も書けたのかな』


「今は静かにしてくれ」


『はい』


 ミラは素直に引き下がった。


 ただし、帳面をのぞき込むのはやめなかった。


「馬車の中で何があった?」


『襲われた』


 エドガーは即答した。


 その声に迷いはなかった。


「誰に」


『分からん』


「顔は見たか?」


『見ていない』


「人数は?」


『二人か、三人だ』


「なぜ襲われた」


『金だろう。俺は商人だ。狙われる理由など、それしかない』


 レインは筆を止めた。


 墓地の管理記録によれば、エドガーの遺体は街道脇で発見された。


 荷馬車は横転していたが、積み荷の多くは残されていたはずだ。


 父が葬儀の準備をしながら、そんな話をしていた。


「荷物は盗まれたのか?」


『全部だ』


「全部?」


『積み荷も、金貨も、馬も奪われた』


「遺体が見つかった時、荷馬車には荷物が残っていたらしい」


『そんなはずはない!』


 墓の下から、激しい声が返ってくる。


『奴らが持ち去った! 俺は見た!』


「顔は見ていないのに?」


『背中は見た!』


「棺の中からではなく、襲われた時の話をしているんだな」


『当たり前だ!』


 レインは帳面に、小さく書き加えた。


 証言に食い違いあり。


 ミラが袖を引くような仕草をした。


 実際には幽霊の指がレインの腕をすり抜けただけだった。


『ねえ』


「何だ」


『この人、少し変』


「何が」


『話すたびに、声の場所が変わってる』


 レインは墓を見た。


 エドガーの声は、確かに土の下から聞こえている。


「どういう意味だ」


『最初は棺の中から聞こえた。でも今は、墓の横からも聞こえる』


 レインは墓の右側へ視線を向けた。


 そこには何もいない。


 少なくとも、彼の目には。


『左にもいる』


 ミラが反対側を指さす。


『同じ人の声なのに、何人もいるみたい』


「エドガー」


『何だ』


「あなたは今、どこにいる?」


『棺の中だ』


「自分の身体は見えるか?」


『暗くて見えん』


「手を動かせるか?」


『動かしている! だから棺を叩いているんだ!』


「その手の感触はあるか?」


『感触?』


「木に触れている感覚だ」


 返事が止まった。


 レインは黙って待った。


『……ある』


「本当に?」


『あると言っている!』


 棺を叩く音が再び鳴る。


 だが、先ほどより音が軽い。


 何かを叩くというより、叩いていた記憶だけが繰り返されているようだった。


「なら、指が痛むはずだ」


『何?』


「何度も木を叩いている。生きているなら、拳が痛くなる」


『それは……』


「息苦しくないのか」


『苦しい』


「呼吸をしているか?」


『している!』


「胸は動いているか?」


 沈黙。


 墓地を抜ける風が、供えられた白い花を揺らした。


『分からん』


 エドガーの声が、初めて弱くなった。


「腹は減っているか」


『いや』


「喉は渇いているか」


『……いや』


「寒いか」


『分からん』


「身体の重さは」


『分からない』


 答えるたび、男の声から勢いが失われていく。


 自分が生きていると信じる根拠が、一つずつ消えていく。


『俺は』


 男がつぶやいた。


『俺は、本当に死んでいるのか』


「その可能性が高い」


『可能性だと?』


「死者の状態は人によって違う。自分の死体を見ても認めない者もいる。逆に、死んでいないのに自分を死者だと思い込む生者もいる」


『そんな者がいるのか』


「一人だけ知っている。高熱で三日間うなされていたパン屋だ」


『それはただの病人だろう』


「そうとも言う」


 ミラが小さく笑った。


 エドガーには聞こえていないのか、反応はなかった。


 レインは帳面を閉じかけたが、まだ肝心の話が残っている。


「あなたは、殺されたと言った」


『ああ』


「誰に殺されたと思っている?」


『分からん』


「手がかりは」


『一人、声を聞いた』


「何と言っていた?」


『積み荷を渡せ、と』


「男か、女か」


『男だ』


「年齢は」


『若くはなかった』


「知っている声だったか?」


 また沈黙が落ちた。


 今度の沈黙は、思い出せないのではない。


 答えるべきか迷っているように感じられた。


「知っている相手だったんだな」


『違う』


「なら、すぐ否定すればいい」


『知らない相手だ』


「名前は?」


『知らん!』


 男の声が荒くなる。


 レインは慌てず、帳面を再び開いた。


「では、別の質問をする」


『何だ』


「あなたの葬儀には、誰が来た?」


『葬儀など知らん。俺は生きていると思っていたのだから』


「死んでから、自分の周囲を見ていないのか」


『見ていない』


「声は聞こえなかった?」


『何も』


「家族の声も?」


 エドガーは答えなかった。


 レインは墓石を見る。


 今日の葬儀には、エドガーの妻と息子が参列していた。


 妻は長い間泣き続け、息子は一度も墓を見なかった。


 父からそう聞いている。


「妻の名前は?」


『マルタ』


「息子は」


『ルークだ』


「娘は?」


『いない』


 声が一瞬だけ揺れた。


 レインはその変化を聞き逃さなかった。


「本当に?」


『いない』


「墓石の裏に、娘の名前が刻まれている」


『何だと?』


 レインは角灯を持ち、墓石の裏へ回った。


 そこには、家族が故人へ贈った言葉が刻まれている。


 妻マルタ。


 息子ルーク。


 そして、娘エリナ。


「エリナという名だ」


『知らん』


「家族ではないのか」


『知らないと言っている!』


 突然、墓石の周囲で空気が震えた。


 白い花びらが、風もないのに宙へ舞う。


 墓の下から聞こえていた声が、一瞬だけ何重にも重なった。


『知らない』


『知らない』


『知らない』


 同じ言葉が、右から、左から、背後から聞こえる。


 ミラがレインの背後へ隠れた。


『また増えた』


「エドガー、落ち着け」


『娘などいない!』


「分かった。今はそれでいい」


『信じていないだろう!』


「あなたの記憶と墓石の記録が食い違っている。その事実を書いているだけだ」


『俺を嘘つきだと言うのか!』


「まだ言っていない」


『同じことだ!』


「違う」


 レインはきっぱりと言った。


「嘘と、間違った記憶は別だ」


 墓の周囲に散っていた声が止まる。


「自分に都合の悪いことを隠している可能性もある。だが、本当に忘れている可能性もある。今の段階では決められない」


『……決められない』


「だから調べる」


『何を』


「あなたの死と、荷馬車と、エリナという人物について」


『なぜ、そこまでする』


 レインは答えに詰まった。


 自分でも分からない。


 今までも多くの幽霊と話してきた。


 愚痴を聞き、頼みを聞き、時には生者へ伝言を届けたこともある。


 だが、こうして帳面へ記録し、証言を確かめようと思ったのは初めてだった。


 ミラと出会ったからかもしれない。


 名前も記憶もなく、それでも自分が誰なのか知ろうとしている少女。


 目の前のエドガーもまた、記憶の中に何かを失っている。


「死んだからといって、話を聞く価値がなくなるわけではない」


 レインはゆっくりと言った。


「それに、あなたが本当に殺されたなら、犯人を放っておけない」


『俺を信じるのか』


「信じるとは言っていない」


『お前は本当に失礼な男だな』


「生者にもよく言われる」


 エドガーの声から、わずかに緊張が抜けた。


 レインは新しい頁を開く。


「襲われた場所を、できる限り詳しく教えてくれ」


『リベルタの西。森へ入る手前の街道だ』


「目印は?」


『古い石碑がある。昔の領主が建てたものだ』


「時刻は」


『夕方だ』


「天気は」


『雨が降っていた』


 レインの筆が止まった。


 三日前、リベルタ周辺で雨は降っていない。


 空は一日中晴れていた。


「雨だったのか?」


『そうだ』


「間違いない?」


『荷台を覆う布が濡れていた』


「道はぬかるんでいた?」


『ああ』


「馬車の車輪も沈んだ?」


『そうだ』


「では、なぜ荷馬車は横転した」


『襲われたからだ!』


「襲撃者が倒したのか?」


『おそらく』


「見ていない?」


『突然のことだった』


 証言が少しずつ曖昧になっていく。


 レインは頁の端へ、天候の記憶に矛盾と記した。


「積み荷は何だった?」


『薬草と毛皮だ』


「それだけ?」


『それだけだ』


 また、声がわずかに揺れた。


「エドガー」


『何だ』


「荷台に、隠していたものはなかったか?」


『ない』


「本当に?」


『ない!』


 墓地の奥で、別の声がした。


『あったよ』


 レインとミラが同時に振り返る。


 古い墓石の上に、一人の少年が座っていた。


 年齢は十歳ほど。


 服は泥だらけで、右足の膝から下が透けて消えている。


 少年の幽霊は、退屈そうに足を揺らしていた。


『箱があった』


「いつからいた」


『ずっと』


「話を聞いていたのか」


『うん』


『誰だ!』


 エドガーの声が墓の下から響く。


 少年は墓へ向かって舌を出した。


『このおじさん、嘘ついてる』


『黙れ!』


『荷馬車の下に、黒い箱を隠してた』


「見たのか?」


『見たよ。街道の溝に落ちてたから』


「三日前に?」


『そう』


「なぜ、お前が街道にいた」


『いつもいるから』


 少年は当然のように答えた。


 この墓地の幽霊ではない。


 街道沿いに残っている幽霊なのだろう。


 おそらく、エドガーの葬列についてきた。


「箱の中身は?」


『知らない。開かなかった』


『そんな箱はない!』


 エドガーが叫ぶ。


 少年は顔をしかめた。


『あったってば』


『お前は誰だ!』


『知らない』


『ふざけるな!』


『名前を忘れたんだもん』


 ミラが小さく手を挙げた。


『私と同じ』


 少年は初めてミラへ気づき、墓石から身を乗り出した。


『君も名前ないの?』


『仮の名前はある。ミラ』


『いいな』


『あなたもつけてもらえば?』


『つけて』


「なぜ俺が」


 二人の幽霊が同時にレインを見る。


「今はエドガーの話が先だ」


『けち』


『けちね』


「知り合ったばかりで息を合わせるな」


 レインはこめかみを押さえた。


 死者への聞き取りは、一人ずつ行うべきだ。


 複数になると、話がすぐに脱線する。


「少年。黒い箱は今もあるのか?」


『あると思う』


「どこに」


『街道の溝』


「誰も拾わなかった?」


『見えないみたい』


「箱が?」


『うん』


 レインの背中に、冷たいものが走った。


 生者には見えない箱。


 幽霊には見える。


 それは単なる荷物ではない。


「エドガー。箱について説明してくれ」


『知らん』


「少年は見たと言っている」


『子どもの幽霊の話を信じるのか!』


「信じるとは言っていない。確認するだけだ」


『俺は何も運んでいない!』


「薬草と毛皮を運んでいたと言ったばかりだ」


『そういう意味ではない!』


「では、どういう意味だ」


 墓の下から返事がない。


 レインは、帳面へ静かに書き加えた。


 黒い箱の存在を否定。


 質問後、沈黙。


 ミラが墓へ近づく。


 そして土の上へしゃがみ込むと、目を閉じた。


「何をしている」


『声を聞いてる』


「さっきから聞いているだろう」


『違う声』


 ミラの表情が険しくなる。


『この人の奥に、別の声がある』


「別の幽霊か?」


『分からない。でも、ずっと同じ言葉を言ってる』


「何と」


 ミラは目を開けた。


『返せ』


 墓地の空気が、再び冷えた。


「誰が言っている」


『女の人』


 エドガーの声が、突然途切れた。


 棺を叩く音も止まる。


 完全な静寂が訪れる。


「エドガー」


 返事はない。


「エリナという娘を、本当に知らないのか」


『……知らん』


「黒い箱は、その娘のものか?」


『知らない』


「返せと言っている女は誰だ」


『知らない!』


 声が裏返る。


 それは怒りではなかった。


 恐怖だった。


 エドガーは何かを知っている。


 そして、その何かを思い出すことを恐れている。


「今夜はここまでにする」


『待て!』


「これ以上聞いても、同じ答えしか返ってこない」


『俺をここに置いていくのか!』


「墓から出たいのなら、自分が死んでいると認めるしかない」


『そんなことができるか!』


「なら、明日まで考えてくれ」


 レインは帳面を閉じた。


 そして、少年の幽霊へ視線を向ける。


「街道の箱まで案内できるか」


『できる』


「今から行く」


『夜だよ』


「知っている」


『怖くないの?』


「怖い」


『じゃあ、朝にすれば?』


「その箱が、生者に見えないとは限らない。誰かに拾われる前に確認する」


 ミラが嬉しそうに立ち上がった。


『私も行く』


「墓地にいろと言った」


『でも、勝手についていくなとは言われたけど、案内についていくなとは言われてない』


「同じ意味だ」


『違うと思う』


「違わない」


『多数決にしよう』


「三人のうち二人が幽霊だ。認めない」


 レインは角灯を持ち上げ、墓地の出口へ向かった。


 少年が宙を滑るように先を進み、ミラも当然のようについてくる。


 背後では、墓の中のエドガーが何かを叫んでいた。


 だが、その言葉は次第に遠ざかっていった。


 墓地の門を出る直前、レインは一度だけ振り返る。


 エドガーの墓の前。


 そこに、先ほどまでいなかった女が立っていた。


 長い髪。


 黒い服。


 顔は見えない。


 女の幽霊は、墓石へ手を置き、低い声でつぶやいていた。


『返して』


 レインが角灯を向けると、女の姿は消えた。


 残っていたのは、白い花の上に落ちた黒い雫だけだった。


 そして、閉じていたはずの聞き書き帳が、レインの腕の中で勝手に開く。


 エドガーの名前の下。


 何も書いていなかった余白へ、黒い文字が浮かび上がった。


参列者の中に、死者が一人いる。


 レインは息を止めた。


 今日の葬儀に参列した者の中に、幽霊が混じっていた。


 そして、その幽霊はおそらく、エドガーが隠している黒い箱を探している。


 レインは帳面を閉じる。


 静かだった夜は、もう戻らなかった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


エドガーが隠していた黒い箱。


存在を否定された娘エリナ。


そして、葬儀に参列していた一人の死者。


次回、レインとミラは街道へ向かい、幽霊の証言と実際の事故現場を照合します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ