当日
劇場、営業、ライブ、野坂との漫才のネタづくり、居酒屋のアルバイト…。
僕がごちゃごちゃと考えている間にも、日々は忙しく続いていく。
いつも通りを心掛けているおかげで、あれ以来野坂にも気を使わせることもなくなった。
『結局何も変わってないじゃないか』
時々囁く心の声は、聞こえないふりをした。
そして、あっという間に日々は過ぎ。
ついに、僕達が漫才をやる日。
野坂にとっては、最後の舞台に立つ日になった。
そんな大切な最後の舞台は、倉田先輩が主催する事務所の小さなライブである。
「緊張してきました」
と、口では言うが、彼女は至っていつも通りに見えた。
対する僕はといえば、内心の緊張と不安をどうにかするので精一杯だ。
野坂にとっての最後の舞台。
その舞台の相方に、僕を選んでくれたこと。
絶対、彼女に後悔はさせたくない。
「私、幸せでした」
ふいに、野坂が呟いた。
「何だ、急に」
「だって、幼い頃の夢だった芸人になれた上に、たくさんの仲間に出会えたんですから」
夢を叶えられる人間なんて、ほんの一握りだ。
天才を自称する僕だが、それはただ自分を必死に鼓舞しているだけだ。
野坂は、本物の天才だ。
このままお笑いを続けていれば、きっと凄い芸人になるに違いない。
だけど、一人娘で地方の実家を継がなくてはならない彼女に、それは叶わない。
相方もそうだ。
相方は、誰もが認める天才だった。
でも、ある日突然、相方は未来を奪われた。
人を笑わせるのが好きで、漫才を愛していた相方。
そして、僕に漫才の面白さを教えてくれた相方。
僕を天才だと呼んでくれた相方。
その瞬間。
ようやく『私』は目が覚めたような気がした。
もう、彼と漫才をすることは、絶対に叶わないのだと。




