第13話 半分食べたのは、私です
「半分食べたのは、私です!」
私の声が梁を震わせた瞬間、掴んでいたデンの腕がびくりと固まった。
神殿長は眼鏡をずり落としそうになり、門番長はあんぐりと口を開け、ハルムに至っては息を吸い込んだまま白目をむいていた。
「ゆ、ユッカ聖女様? 何を仰っておいでで」
神殿長がおそるおそる尋ねてくる。
私はデンのたくましい右腕を両手で抱え込んだまま、胸を張って言い放った。
「この人が一人で食べたのではありません。燭台の裏に蜜柑の皮を四角く畳んで押し込んだのは、私です。焼き葡萄の軸を隠したのはデンですが、無花果を引っ張り合って真ん中で千切ったのも、竈の灰で焼いた不格好な林檎を二本の木匙で両側から掘って、真ん中で匙をぶつけたのも、私とこの人です!」
「あんた、何を全部喋ってるんですか!」
デンが耳まで真っ赤にして、掴まれた腕を揺すった。
「黙ってれば聖女様の落ち度にはならなかったでしょうが! なんで自分から泥舟に飛び乗ってくるんですか!」
「あなたが一人で泥をかぶろうとするからでしょう! 私の分まで卑しい盗人呼ばわりされて、たまるもんですか!」
「卑しい盗人って言いましたね! あんただって『喉が渇いたから生姜湯を持ってこい』って番兵に命令した共犯じゃないですか!」
「あなたが塩辛いパンなんか押しつけてくるからでしょうが!」
「あれは兵舎の窯でいちばんうまいのを取っておいてやったんだ!」
二人の言い合いが響く中、門番長がこらえきれずに「ぶふっ」と盛大に吹き出した。慌てて拳で口元を覆ったが、太い肩が小刻みに揺れている。
神殿長は深く長いため息をつき、眉間を指で揉みほぐした。
「炊き出し番は、まだか」
ちょうどそのとき、扉が開いた。若い修道女に袖を引かれて入ってきたのは、炊き出し番を務める、がっしりした中年の修道女だった。
おばさんは長机の上の出納帳を一瞥するなり、呆れたように手を打った。
「なんだい、赤紐の壺のことかい! 帳簿が合わないって大騒ぎしてたのは!」
おばさんは懐から、泥の染みた赤い麻紐の切れ端と、素焼きの欠片を二つ、机の上に放り出した。
「嵐の夜、詰所の北の棚が水で傾いたときだよ。馬車の奥へ押し込んだ拍子に、積んであった鉄鍋の角がぶつかってね。壺の首が木枠の中で粉々さ。中の蜜が泥水に溶けて使い物にならなくなったから、見習いの子たちと一緒に川岸の溝に埋めて片づけたんだ。日誌には書いたつもりだったけど、水防の騒ぎで清書を忘れてたよ」
欠片に残った赤紐の結び目を見て、ハルムの顔が引きつった。
「わ、割れたのは一つだろう! では、もう一つは! やはりこの男が」
「もう一つ?」
おばさんが眉を跳ね上げた。
「何言ってるんだい。棚の荷を馬車へ移したとき、赤紐ははなから四つきりだったよ。私がこの指で数えて、炊き出しの控えにつけたんだから間違いない」
ハルムの口が、半開きのまま止まった。
「僕も数えました」
デンが静かに言った。
「幌馬車から壺を運び込んだとき、荷台の赤紐は四つでした。最初から、四つです」
寺務所の空気が、さっきまでとは違う冷え方をした。
神殿長がゆっくりと顔を上げ、ハルムを見た。
「ハルム。帳簿の五つ目は、どこにある」
「そ、それは、その。数え違いで」
「大祭の封印壺を、お前が数え違えたことは、三十年でただの一度もなかったな」
ハルムの額に、玉のような汗が噴き出した。
「一つ、心当たりがあります」
デンが口を開いた。
「仮配属の初めの晩です。南の港へ下る商船の積荷に、素焼きの壺がひとつありました。『蜂蜜』と申告されていましたが、かぶせた麻布の下に、赤い麻紐が巻いてあった。船主は、神殿倉庫番の名の入った払い下げ証を持っていました。『傷物につき払い下げ』と。見習いの僕には止める権限がないので、通しました。ただ、日誌には全部書き留めました」
「おう、その晩の日誌なら詰所にある」
門番長が太い腕を組んだ。
「お前があんまりしつこく検分するもんだから、船主が俺のところまで文句を言いに来たんだ。払い下げ証の写しも、日誌に綴じてあるぞ。俺の判つきでな」
ハルムの膝が、目に見えて震えだした。
「ち、違う、あれは本当に傷物で、神殿の損にならぬよう、私が気を利かせて」
「大祭の封印壺に、払い下げはない」
神殿長の声は静かだった。静かすぎて、寺務所の誰もが息を詰めた。
「封を切ってよいのは、大祭の朝の私だけだ。三十年仕えたお前が、それを知らぬはずがない」
「読めたぞ」
門番長が、低く唸った。
「大祭の朝に壺の数が足りなきゃ、ばれる。だから水防の騒ぎに紛れて、なくしたことにしたかった。それだけじゃない。払い下げ証を見た番兵が一人いる。そいつを盗人に仕立てちまえば、盗人の書いた日誌なんぞ、誰もまともに読まん。そういう算段か。うちの新任に、濡れ衣を着せて」
ハルムの顔から、血の気がすうっと引いていった。灰色になった唇が、何か言おうとして、ぱくぱくと空を噛む。
私は一歩、前に出た。
「神殿長。供物の帳簿の十二皿も、調べ直してください」
「ユッカ?」
「私たちが食べたのは、干し無花果を半分ずつ。焼き葡萄を二粒。干し蜜柑をひとつ。それだけです。十二皿なんて、二人でいくらお腹を空かせても食べきれません」
門番長が、今度は笑わなかった。
神殿長が、ゆっくりとハルムに向き直る。
「供物も、売っていたのだな。至聖所で減ったことにして」
「ひっ」
ハルムが椅子を倒して後ずさり、そのまま床に膝をついた。這うようにして、神殿長の白衣の裾にすがりつく。
「お、お慈悲を! 神殿長、三十年です、三十年お仕えしてまいりました! 倉庫の鼠の数まで存じております! ほんの出来心で、ほんの、ひと壺だけ」
「三十年仕えた者が、五日前に門に立ったばかりの若者に、罪を着せようとした」
神殿長は、裾を掴む手を見下ろした。
「それが、いちばん重い」
神殿長の手が、ハルムの指を一本ずつ、白衣から引き剥がしていった。
「ハルム。本日をもって倉庫番の任を解き、神官の位を剥ぐ。売り払った壺と供物の代価は、家屋敷を売ってでも残らず弁済させる。帳簿を洗い終えるまで、身柄は門番長に預ける。済み次第、町の役所へ引き渡す」
「そ、そんな、家を、家を売ったら、私は、この歳で、どこへ」
「門番長。頼む」
「承知した」
門番長が顎で合図すると、戸口に控えていた番兵が二人、両脇からハルムの腕を取った。
「いやだ、離せ! 離せ、私は神官だぞ、番兵ごときが!」
暴れた拍子に、白衣の袖が肩口からびりりと裂けた。番兵たちは表情ひとつ変えず、喚き続ける老人を、引きずるようにして連れ出していく。廊下の向こうで、すすり泣きとも悲鳴ともつかない声が、長く尾を引いて遠ざかっていった。
扉が閉まる。
炊き出し番のおばさんが「やれやれ」と肩を回し、デンの背中を力任せに叩いた。
「この番兵さんが盗むわけないと思ったよ。目がまっすぐだもの」
デンは居心地悪そうに首を縮めた。
神殿長が咳払いをし、居住まいを正した。
「さて。第二聖女ユッカ、ならびに川門番兵デン」
「はい」
二人の声が重なった。
「まず、自分たちの手で、至聖所の祭壇に無花果を一皿供え直しなさい。神様も、腹が減っておいでだったかもしれんからな」
神殿長はちらりと門番長と目を交わし、苦笑まじりに口元をゆるめた。
「大祭を三日後に控えて、聖女の祈祷を止めるわけにもいかず、川門の番兵を減らすわけにもいかん。よって、処分は合同の労役とする」
「労役、ですか」
「明朝から大祭の朝までの三日間、毎朝、夜明けの鐘の半刻前から、神殿前広場の落ち葉掃きと、噴水の泥抜きを命じる。二人並んで、広場の隅々まで磨き上げなさい。以上だ」
「謹んでお受けいたします」
また、声が重なった。
寺務所を出て、東回廊の角を曲がったところで、二人同時に足が止まった。
あたりには誰もいない。
冷たい秋風の吹き抜ける回廊で、私とデンはしばらく、互いにあらぬほうを見ていた。
「あんたさあ」
デンが頭を抱え、しゃがみ込むようにして呻いた。耳の付け根どころか、首筋まで真っ赤だ。
「『真ん中で匙をぶつけた』なんて、言わなくていいことまで全部ぶちまけましたね」
「あなた、私が皮を押し込んだところだけ飛ばしたでしょう。黙っていていいことくらい、私に選ばせてよ」
私も顔から火が出そうだった。落ち着いて考えれば、神殿長や門番長の前で、夜食の手口を洗いざらい白状してしまったのだ。
「おかげで神殿じゅうの笑い草ですよ。あの門番長、絶対に今夜の兵舎の酒の肴にしますよ」
「いいじゃないの。壺を盗んだ悪党にされるより、食い意地の張った番兵のほうがずっと健全よ」
「あんたも『食い意地の張った聖女』の仲間入りですけどね」
「なっ」
言い返そうとして、デンの顔を見上げる。
デンも、ふてくされたような、それでいて笑いをこらえきれないような顔で、私を見下ろしていた。
ふ、とデンの喉が鳴る。
私の唇も、引き結びきれずにほどけてしまった。
どちらからともなく吹き出して、回廊の壁に手をつき、二人で肩を震わせて笑った。
恥ずかしい。穴があったら入りたいくらい、格好が悪い。
それなのに、胸の中は雨上がりの空みたいにすっきりしていた。
もう、暗がりで息をひそめなくていい。
笑い疲れて息を整えたデンが、ふと真顔になって、私の正面に立った。
「ユッカ様」
「何よ」
「助かりました。あんたが腕を掴んでくれなかったら、僕、あの場で一人で突っ張ってるしかなかった。塩パンの弁護までする羽目になるとは、思ってませんでしたけど」
「礼なら結構よ。あなたを一人で行かせる気なんて、最初からなかっただけ」
デンがゆっくりと右手を伸ばした。
今度は至聖所の暗がりではなく、昼の光の差し込む回廊で、ためらいもなく私の手を包み込んだ。
硬くて温かい指が、私の指に絡む。
「明日の朝、夜明けの半刻前ですよ。寝坊しないでくださいね」
「あなたこそ。箒を握ったまま居眠りしないでよ」
回廊の向こうから、足音が近づいてきた。
今度は二人とも、手を離さなかった。




