ー6ー
三千年ぶりの風呂は、最高だった。
与えられた個室には、残念ながら湯船はなかったが、ちゃんと湯の出るシャワーが備えられていた。元の世界の船のように、宇宙船の水は貴重だろうと遠慮して五分で出るつもりだったのに、気づいたら三十分立っていた。
あとで聞いたら、艦内の水は完全に循環しているとのことで使い放題らしい。三千年の進歩ってすごい。
予想外の進歩はトイレだった。
見た目は普通だ。座り心地も悪くない。もちろん温熱便座もウォシュレットも完備。用を足して立ち上がったところで自動で流れる。そして喋った。
『処理を完了しました。本日の生体状態を報告します』
「うわっ」
『解析中』
人の排泄物を勝手に解析しないで欲しいんだが。
『――――ナノマシンが検出されませんでした。再取得を試みます』
「え」
『解析中――――ナノマシンが検出されませんでした。再取得を試みます』
「いや、もういいって」
『解析中――――』
三千年後の便器は、俺の排泄物を理解できずに壊れた。
アキラは見なかったことにした。
◇
昨日のレリアとの食事のあと、しばらくお世話になる艦を見てまわろうと提案し、
まずは他のロボットであるシグヌムを見たいと格納庫を見学させてもらうことに。
トイレを済ませアキラが格納庫に戻ってくると、乗ってきた外骨格フレームの前で、ノアと一人の作業着姿の女性がなにやら押し問答をしている。
「機密です」
「えー!」
「機密です」
「けちー!」
昨日、工具を持って突撃しようとして、周りに羽交い締めにされていた子だ。
波打った金髪。かなりの量がある。癖の強い髪が肩から胸まで波打っていて、その内側に水色が混ぜてある。動くたびに金の下から青が覗く。派手だ。派手なのだが、油と煤で汚れているせいで、不思議と安っぽくならない。
つなぎは上半身を脱いで、袖を腰に巻いていた。下に着ているのはスポーツブラのようなもので、お腹が完全に露出している。腰には工具ベルト、太ももにも小型の器具が入ったポーチをぶら下げている。
「あ、来た! あなたの機体すごくカッコいいよね! こんな洗練されたシグヌム始めてみた!」
彼女はアキラを見つけ、駆け寄ってくる。
「ねぇ、ちょっとだけでいいから、あたしに触らせてよ! あっちの女の子は機密の一点張りでとりつく島もなくてさ!」
「いや、いきなり言われてもっ」
「ねー! ちょっとぐらいいいでしょー。ね、お願い!」
なんとも勢いのある子だ。
思わずノアにの方を見るも相変わらず無表情。
「あたしは工廠所属、ルカ! 名前だけ。平民だから」
ルカと名乗った彼女は、ノアの外骨格フレームを見上げる。
「三代目の整備工。じいちゃんも親父も先祖代々機械触ってた。あたしはこの艦で一番腕がいい。自称じゃなくて、隊長が言ってる」
「はあ」
「で、そのあたしが!」
ルカが勢いよくこちらを振り返る。
「昨日から一晩、この機体を見てて、一個も分かんない」
悔しさより先に、興味が津々と緑の目が輝いていた。
「お願い、触らせて! ちょっとだけ、先っぽだけでもいいから!」
その言い方は先っぽだけでは済まないやつでは?
「いや、でも機密なんだよ」
ノアに習い、機密で押しきろうとするがなかなか諦めてくれない。
「じゃあ外だけ、外だけ! 外だけならセーフ! なんの機密にも触れてない!」
押しが強い。
困った。どうしよう? とノアを見る。
ノアは無表情で立っているだけだが、どこか呆れているような雰囲気が出ている。
「いい?」と聞くと、仕方ないとばかりに頷いた。
「……じゃあ、外からだけなら」
「やったね! ありがとう愛してる!」
感謝を言いきる前に、すでに外骨格フレームの前へ駆けていた。なんとも慌ただしい。
ルカはまず機体の脚に手のひらを当てた。
撫でるように、ゆっくり下から上へ。真剣な顔だった。さっきまでの勢いが嘘みたいに静かだ。
それから、しゃがみ込んだ。
「……やっぱり、こうして触っても留め具がない」
ルカは立ち上がりながら装甲の表面を指先で繊細になぞっていく。
「見てこれ。板はちゃんと分かれてんの。関節の前後、放熱口の縁、腰から下なんか何十枚も重なってる。そこは普通。そこは分かる」
彼女は縁に爪を差し入れて、そのまま横へ滑らせた。
「でも、留めてない」
「留めてない?」
「ボルトもリベットも溶接跡もない。噛み合わせの爪すらない。板と板が、触ってすらいないの。隙間が均一に空いたまま、勝手に定位置にいる」
言われてみれば、背中に四枚浮いているあの刃も、どこにも繋がっていない。
「それって、すごいのか?」
「自分の機体なのにわかってないの? まず不可能だよ」
ルカは装甲の縁を指で押した。
薄い金属の板が、押された形にへこんだ。そして手を離すと、水面が戻るみたいに、音もなく元の輪郭に返った。
「……で、こっちがもっと無理。なにこれ装甲板が変形してんの? ヒンジで動いたんじゃない、金属そのものが形を変えてる。マジ意味わかんない」
ルカは太ももから何かスキャナーらしきものを抜いて、装甲に当てる。
「腰から下のドレスの裾みたいな多重装甲のあれ、動くたびに広がって閉じるでしょ。あれ全部この素材でできてる。普通の機体だと可動部の隙間から被弾するから、装甲を厚くして重くして、遅くなって、また撃たれる。そのイタチごっこを三百年やってんの。この子はそもそも隙間って概念がない」
スキャナーが短く鳴った。
ルカが画面を見て、固まった。
「……なにこれ」
「どうした?」
「材質、該当なし。これ今艦で一番最新のいいやつ。帝国軍の正規登録材、全部入ってる。それで該当なしってことは」
スキャナーを覗き込んだまま、何やら設定を変え再度調べるが結果は変わらず。
「登録されてないまっきり新しい材料で出来てる。今までの概念を覆すような見たことない金属。何年先に進んでんのって感じ、あり得ない」
爛々と眼を輝かせどんどん外骨格フレームを調べていくルカ。
流石に色々バレるんじゃないかと不安になり、ノアの方を確認すると、なぜか満足げな空気を漂わせている。
こいつ、自分の外骨格が褒められて、バレるリスクとか忘れて気持ちよくなってやがるな。
「ねえ、これどこで作ったの?」
ルカがスキャナーから顔を上げた。
「工廠の名前だけでいいよ。うちの艦の在庫と照らしたいだけだから。系列がわかれば予備部品の当たりもつくし」
来た。
やっぱり気になるよね。
「何度も言ってるけど、機密です。諦めて」
「えー」
「本当に機密なんだよ」
同じことの繰り返しになってしまうが、結局これが効果がある。未知の最新材料だと思ってくれているので機密にも説得力が出る。
ルカはしばらく、覗き込むように俺の顔を見ていた。
内心の疚しさを悟られないように、目をそらさず見つめ返す。
「……ふーん」
それだけ。
彼女はスキャナーを腰に戻して、また機体を見上げた。
「ま、いいけど」
絶対納得はしていないが、彼女も軍属である以上無茶な追求はして来ないだろう。
「じゃあさ、中も見せてよ」
「絶ー対だめ」
「ちぇー」
あの中は、狭い窪みがひとつあるだけだ。操縦桿もペダルもモニターもない。人ひとりが収まる窪が空いているだけで、そこに後ろから彼女が入ってきて、胸に手を当てる。それで動く。
整備工が内装を見て、何も思わないわけがない。
「これでこの話は終わり! あんまり駄々をこねるとウァレリアさんに頼んで接近禁止にするよ」
「うっ、それは困る。たとえ外からだけでも、もっとこの子を見ていたい……」
責任者の名前を出してやっと引き下がった。
しかし、この分だと当分はノアのことで付きまとわれるかもしれない。あんまり酷かったら本当にレリアにちくってやろう。
「外からでも調べさせたんだから、今度はそっちがなにか情報教えてくれる番だよな。実は自分の機体以外あんまり触ったことなくて」
俺は三千年後の常識を何ひとつ持っていない。ノアは聞けば答えてくれるが、あくまでもテリオン側からみた情報としてで、細かいところや実態とは離れている可能性があるとのこと。
その点、お喋りの整備工は最高の教科書だ。
「まずは、そうだな……。素人質問で悪いけど、シグヌムってそもそもどういうものなの?」
ルカの目が、光った。
「よくぞその質問をあたしに聞いてくれました!」
アキラの方へずずぃっと、にじり寄ってくる。
「Svnchronized Integrated General-purpose Neurolink Utility Machine で、S.I.G.N.U.M。帝国軍が開発し、人類統一の大きな原動力となった、同調統合汎用神経連結機動兵器。
全長十二メートル。これ帝国標準ね。三百年ずっと十二メートル。理由は炉のサイズ。搭載してる縮退炉ってのがあって、あれ以上小さくすると出力が落ちるし、あれ以上大きくすると人型で歩けなくなる。だから十二で止まってんの」
凄まじい早口。
さっきまでの三倍くらい早い。
オタク特有のなんとやらだ。
「動かし方は神経接続。頭にインプラント、神経や血液にナノマシン入れて、そこから直で繋ぐ。手足を動かすのと同じ感覚で機体を動かすわけ。だから訓練より先に、まず適合するかどうか。適合率は生まれつき決まっている。神経が接続にどんだけ耐えられるかっての」
ルカは指を三本立てた。
「適合率によりランク分けされて、上から〈プリマ〉〈セクンダ〉〈テルティア〉。
で、ご存知の通り適合率って、遺伝すんのね。だから高い家系がずっと軍のえらいとこ独占してる。貴族ってそういうこと。血筋が資産なの。うちの指揮官ももちろん〈プリマ〉」
なるほど。
なるほど、じゃない。
俺は昨日、便器に言われたことを思い出していた。
ナノマシンが検出されませんでした。
適合率どころの話じゃない。俺の体には、繋ぐための機械が一個も入っていない。
「あのさ」
「うん?」
「インプラントやナノマシンって、みんな入ってるの? 」
「は? 当たり前でしょ」
アキラの質問にルカが変な顔をした。
「インプラントは生まれた時にすぐに入れるし、ナノマシンに至ってはもう何百年も前から人類に定着して、腸内の細菌叢みたいに親から子へ受け継がれているよ。入ってない人間なんかいないよ」
いや、いる。
ここにいる。
「そっか。うん、そりゃそうだよな」
俺は笑った。たぶんうまく笑えていなかったし、冷や汗が止まらない。
「で、機体も三系統」
ルカは気づかずに続けていた。
「〈エクエス〉と呼ばれる貴族の家門機。一機ずつ手作りで、家紋入りのワンオフ。うちの艦にも二機ある。性能はいいよ。いいけど、壊すとめちゃめちゃな額が修理代で飛ぶから、みんな前に出たがらない」
「賠償」
「そう。だから貴族様は無茶しないし、指揮に専念」
声に少しだけ棘があった。
「で、正規の〈シグヌム〉。これが今うちの基地には十八機。標準機。可もなく不可もなく」
彼女は指を三本目に折った。
「最後に〈ミレス〉」
そこで、少し間が空いた。
「これが二十八機。あった。今は……何機だっけな」
ルカは天井を見上げた。
「シグヌムともいえない量産機。適合率が低くても、無理やり繋いで動かせるやつ。最低適合率の平民用。安いから数が出るし、兵士からは棺桶なんて呼ばれたりもする」
「棺桶って物騒な。……そんなに酷いのか? 」
「反応が普通のシグヌムより平均して0.4秒遅い」
彼女はこちらを見ずに言った。
「0.4って、聞くと短いでしょ? でも、その0.4秒が戦場でどれだけ生死をわけるか。あたしずっと言ってんの。あれ乗り物じゃなくて棺桶だって。歩く棺桶。整備しながら言ってやってんのに、あいつら笑って乗ってく」
ルカは腰の工具を意味もなく触っていた。
「昨日、十八機返ってこなかった。そのうち十五がミレス」
なんて言葉を出せばいいかわからなかった。
昨日、俺が七分で終わらせた戦場のことだ。
俺が着く前に、十八人が死んでいた。
「……ま、そういうこと」
ルカがぱっと顔を上げた。
さっきまでの声とは別の、明るい声だった。
「だからさ。あんたのその機体、めちゃくちゃ気に入ってんの。あんな出鱈目な材質初めて見た」
彼女は白い装甲を見上げて、心底楽しそうに笑った。
「あれがもし量産できたら、うちの若いのが誰も死ななくて済むじゃん」
俺は、何も答えられなかった。
量産どころか、あれは製造すらされていない。
機械仕掛けの神により造られた、最強兵器なのだから。




