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「ホシ卿ォーーーッ!」
格納庫に入った瞬間、それが飛んできた。
ルカだ。脚立の上に立って、工具を持った両手を振り回している。危ないからやめてほしい。
「ステラ、完璧です! あたしが触ったわけじゃないけど! 外から見ただけだけど! でも完璧です!」
「見ただけかい!」
「見ただけでわかるんですよ!」
周りの整備兵たちが笑った。
そしてその笑いのまま、全員が工具を持ち上げた。
鉄と鉄がぶつかる音が、格納庫の高い天井で跳ね返る。三十人ぶんの金属音が重なって、床から足の裏に響いてきた。
「行ってらっしゃい!」
「頼みます、ホシ卿!」
「うちの若い連中、返してくださいよ!」
俺は手を上げて応えた。それ以上は、うまい言葉が出てこなかった。
ステラの胸部が開く。
狭い窪みに滑り込んで膝を軽く曲げる。これで三度目だ。三度目なのに、手のひらに汗をかいている。
「失礼します」
背中にほんのり温かく柔らかな重みがかかった。
両腕が脇の下から回されて手のひらが胸の中心で重なる。銀色の髪が首筋に触れた。
「〈シンパテイア〉接続、開始します」
視界が一気に広がった。
格納庫の壁の厚み。整備兵たちの位置。天井の梁の一本一本。自分の体の輪郭が外界へ滑り出していく。
「相互同調率、三三・八パーセント」
「上がってるな」
「前回から四ポイントの上昇です。同衾の成果かと」
同衾言うな。
効果があるのが一番納得いかない。
俺は大きく息を吸い、吐いた。もう一度吸って吐く。
これから戦場へ向かうと思うと、心臓がうるさい。
「アキラの心拍数、平常時の一・八倍。血中コルチゾール濃度、上昇。アドレナリン分泌、顕著」
ノアは淡々と続ける。
「同時に、報酬系の活性を確認。ドーパミンの放出量が平常時を大きく上回っています」
「……それって、どういうこと?」
「緊張、恐怖、興奮。この三つが同時に発生している状態です」
なるほど、と思った。
自分でもよく分からなかったのだが、手が震えているのに逃げたいとは思っていない。怖いのに、どこかで待ち遠しい。
ぐちゃぐちゃに混ざりあい理解できない感情が胸の中で暴れていた。
名前がわかると、不思議と少し落ち着く気がする。
「便利だな、それ」
「はい。人間は自分の内部状態を正確に把握できません。非効率です。必要であれば随時報告します」
「……頼むわ」
『——アキラ、聞こえるか』
視界の端にモニターの窓が開いた。
レリアだった。
「はい、聞こえます」
『わかっているとは思うが初撃の確認だ。接触直後、可能な限り大型を潰してくれ。
中型と小型は数が多いがこちらでも対応できる。だが大型の装甲に対しては、戦艦の主砲ぐらいしか有効打がない。あれが一体でもドームに取りつけば、破断点が広がって内側が保たん』
「任せてください」
以前と同じ巨大で機動力の低いテリオンならば、テメノスを展開した突撃で一掃できるはず。
『助かる』
そこで、俺は気づいた。
宙に浮かんでいるモニターの中のレリアが、いつもの軍装ではない。
黒い、体に密着した服だった。首から爪先まで一続きで、装甲板がところどころに入っている。パイロットスーツというやつだろう。
スーツは身体に密着している。体の線が、完全に出ていた。
「パイロットスーツ?」
『ああ、これか』
レリアはこともなげに自分の格好へ視線を落とす。
『艦隊の指揮はアントニウスに預けた。今回は私も専用機〈アンテムラーレ〉で出る』
「専用機、持ってたんですか?」
『金が有り余っていた時分に作ったものだ。機体性能は一流だが、あいにくと乗り手の腕が付いてきていなかったのでな。壊せば修理費で家が傾くので今まで出さなかったが、事ここに至って出し惜しみはせん』
正直心配ではある。しかしそれを告げることはレリアにとって侮辱になることはわかっている。
不安を飲み込み、最低限の言葉を告げた。
「……気をつけてくださいね」
モニターの中で、彼女の赤い目に光が差した。
『なに、これでも武門の娘だ。そうそう遅れは取らんさ』
通信が切れる。
彼女は以前、自身のシグヌムの操縦技術については三流だと語っていた。
無茶しなければいいけれど。
「アキラ、ウァレリアの胸ばかり見ていましたね」
「はぃっ!?」
急に背中から、抑揚のない不本意な内容の声が来た。
「そ、そそそんなまったくことないが!?」
「心拍数の急上昇。血圧上昇。皮膚電気活動の変化により、少量の発汗を確認。アキラ、嘘はいけません」
「……ごめんなさい。思わず見てしまいました」
そんな淡々と、嘘発見器のようにならないで欲しい。
「アキラは胸の大きな雌を好む志向なのですか? だとすれば、現在の人格フレームの外観改造を行いますが」
「いらんいらん! 余計なことせんでいい!」
「なるほど」
背中から回された腕が、わずかに締まった。
「今のわたしの外観が最も好ましいということですね。生理反応の解析結果と一致します」
「そんなこと言ってないし、勝手に人の生理反応で真偽を測るな!」
ひどいプライバシーの侵害である。三千年後の宇宙に人権はないのか。
「今後の参考に知りたいのですが」
「え、この話まだ続くの?」
「アキラの好む異性の外見とは、どのようなものでしょうか」
……。
こんな話題は早く切り上げたかったが、聞かれると思わず考え込んでしまう。
「えっと……。どうだろ、あんまり考えたことなかったな」
「では過去に交際した異性の履歴から共通点を抽出しては?」
「うっ」
言葉に詰まる。
答えたくない、否、答えることができない。
「……さぁ、……どうだったかな?」
「——繁殖活動の経験なし、と」
「お前また測ったな!?」
アキラは叫んだ。少ないプライドはズタズタで、もうどうにでもなれという境地だ。
「ああそうだよ! 今まで女性と付き合ったことなんてないよ! 悪いか!?」
「悪い? なぜ罪悪感を感じるのですか? 理解できません。被害妄想です」
「どうせ俺は三十路手前で、いない歴イコール年齢ですよー!」
しょうがないじゃないか。生まれてこの方、異性にご縁が無かったんだんだから。
しばらく待ったが返事が来ない。
……。
なんだ。
妙に沈黙が長い。
「なんだよ。何黙ってるんだよ」
「いえ」
背中の腕が、また少し締まった。
「これが独占欲というものなのかと」
「はぁ?」
「確かにこれは、優越感と安心感を生み出します。強い快感につながる感情です。記録では理解していましたが、実際に発生すると——なるほど」
今度はこっちが黙る番だった。
なんだこれ。恥ずかしい。
ノアは今、俺に彼女がいなかったことを喜んだぞ。
「ちなみにですが、わたしもあらゆる色事、およびそれに伴う生殖活動は未経験です。人類の語彙ではーー処女です」
「そんな明け透けに言うな! はしたない!」
「相互同調率、三六・二パーセントに上昇。アキラが、わたしに異性経験がないという事実に好感を持ったことを確認しました。よかったですね、アキラ」
「もういっそ殺してくれ!」
羞恥心で死にそうだ。
断じて言っておくが、俺はそういう処女厨だとかユニコーンだとかそういう思想の持ち主ではない。相手の過去がどうであれ関係ないと、本気で思っている。思っているのだが。
しかし、嬉しかった。それが、数値に出て、しかも本人に報告された。
最悪だ。自己嫌悪しかない。
「……もういや」
アキラは顔を両手で多い、天を仰ぐ。
一周回って、恥も外聞も全部消し飛んだ。
もう何も隠すことなどない。むしろ恥部なんて暴くなら暴け。
「つーか、ノアはどうなんだよ? なんで俺を、こんなに助けてくれるんだ」
以前にも同じことを聞いたことはある。
視界の中で、格納庫の隔壁が動き始めていた。射出管制が動いている。もう時間がない。
「まだ言うべきではないと判断します」
「……また、それか」
なんとなく分かってはいた。
タイミングとか関係値がどうとか言って、肝心なところだけ渡してくれていない。
でも、待つと決めたのは俺だ。
「しかし、ひとつだけ言えることがあります」
「うん?」
「ホシ・アキラが、——わたしの運命であることは確定しています」
胸の奥が、じんと熱くなった。
変な話だ。三千年後の宇宙で、機械生命体に運命だと言われて、多幸感でいっぱいになっている男がここにいる。
「運命、ね」
思わず笑ってしまった。
「確かにそうかもな」
三千年寝て、目を開けて、最初にこの目に映ったのが自称機械生命体の美少女だったのだ。
運命でないなら何なんだ。
「もし、本当に運命があるんなら」
視界の向こうのは遥か広がる宇宙をみる。
ノア曰く、俺とノアが運命なのは確定しているらしい。
運命なんてものが本当にあるんなら、
————俺は、お前が運命でよかったよ。
思わず出てきた小っ恥ずかしい言葉を飲み込み、代わりにもっと回りくどい言い方を選んだ。
「こんな言い方するのもなんだけどさ、。もしこの後死んだとしても、ノアが一緒なら納得できる気がするよ」
「アキラはわたしの中に入っている限り、死ぬことはありえません」
「言い方! 言い方な!」
過敏になりすぎかもしれないが、やけにセンシティブに聞こえてしまう。
「相互同調率、四〇・一パーセントまで上昇を確認しました」
「ノアにはもっとムードという人類の文化を学んでほしいかなー!」
色々と台無しだ。情緒や風情なんかあったもんじゃない。
だけど、おかげで緊張や恐怖なんてものはどこかに消え去ってしまった。
『——〈ステラ〉、射出口へ』
管制の声が入った。
視界の前方で、隔壁が左右へ割れていく。その向こうに、黒がある。
星が多すぎる黒だ。初めて見て、綺麗だと思った黒。
今日はその向こうに、四千もの機械生命体がいる。
『第一射出口、〈ヤヌス〉開放』
『係留解除。臍帯、離断』
背中で機体を固定していたパーツが外れる音がする。
『射線クリア。弾道異常なし』
体が前へ滑り出していく。
管制の最後の一言が、耳の奥で鳴った。
『——征け、〈ステラ〉』
「アキラ、ノア。ステラ、発艦します!」
白と金の機械生命体が、宇宙へと飛び出した。




