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アキラの歓迎会が終わり、 艦長室に戻ったウァレリアが上着の前を緩めていると、扉が鳴った。
三度。間隔が正確に等しい。
『アントニウスにございます。エイデンも同席しております。入ってよろしいでしょうか』
……この時間に、二人揃って。
用件の見当はついた。ついたからこそ、少しだけ返事が遅れた。
「入れ」
扉が開いた。
先に入ってきたアントニウスが、内側で一礼する。背筋は相変わらず定規のように真っ直ぐで、酒の席にいたはずなのに襟の乱れひとつない。眉間の皺だけが、いつもより深く見えた。
その後ろからエイデンが音もなく続く。
「夜分に失礼をいたします」
「よい。座れ」
「立ったままで結構でございます」
アントニウスの険しい顔を見て、やはりそういう話かと、覚悟を決める。
「——とんでもない御仁を、引き込まれましたな」
「さて」
ウァレリアは椅子に腰を下ろした。
「何の話だ」
「では、順に申し上げます。
まず既存のシグヌムの技術体系から全く外れた性能を持ち、古代遺産を流用したとされる未知の素材で作られた機体。
そしておそらくプリマをも凌駕する神経接続精度」
「……」
ウォレリアは黙ってアントニウスの言を聞いていく。
「次に重力と大気のある惑星でしか通用せぬ、地上戦に極端に偏った経験。最後に、失われた黄金の時代——地球の武術を父君から教わったというアキラ殿本人の証言」
ウァレリアは息を一つ吐き、天井を見上げた。
「これだけ材料が揃っていながら、とぼける御積もりで?」
「地球の武術、か」
ウァレリアは天を見上げたまま呟いた。
「聞いたことのない名だと思っていたが。エイデン、知っているか?」
「ええ、少々は」
壁際に控えていた老女が、静かに前へ出た。
手にはまだ、片付けの途中だった布巾を握っている。それを丁寧に畳んでから、話し始めた。
「昔、王宮の記録室に保管されていた文献で読んだことがございます。まだわたくしが若かった頃のことでございますが」
この老女がどこで何をしていたのか、ウァレリアは実のところ半分も知らない。
「〈カラテ〉。これを修めた者は、その拳ひとつで天を裂き、地を割ったとか」
「拳で」
「〈アイキドー〉。相手に触れることなく制圧したと」
「触れずに」
「〈ジュードー〉。山をも投げ飛ばしたと伝わっております」
……。
ウァレリアは、口を半分開いたまま固まった。
「どれも、失われた地球の武術にございます」
ウァレリアは椅子の背もたれに沈み込んだ。
あの男は言っていた。父の影響で習わされた。他にも色々やらされて大変だったと。大変だったの一言で済ませていた。
昨日彼は十二メートルの機体で後ろ回し蹴りを放った。
あれが、その一端なのか。
「……エイデン」
「はい」
「あの蹴りは、その中のどれだ」
「おそらくはカラテかと」
老女の目が、皺の中で細く光った。
「もっとも文献では拳で天を裂くとありましたが。あれは脚でございましたね」
「手加減されていたということか」
「さて。どうでございましょう」
「閣下」
アントニウスの固く鋭い声が、場の温度を下げた。
「お戯れはそこまでに」
「戯れてはおらん。本気で怯えている」
「ならば結構。ここからが本題です」
彼は机の前まで進み出た。
「我らが帝国の正式名称を、いま一度」
「……神聖アウレア銀河帝国」
「アウレア、黄金を意味する言葉。何を指しますか」
答えは決まっている。
幼い頃から、耳にたこができるほど聞かされてきた。
「人類発祥の聖星。失われた人の母星『地球』。その黄金の時代の後継を名乗る、という意味だ」
「では、現在の皇帝家の正統性は、どこにございますか」
ウァレリアは、答えなかった。
答えられなかったのではない。答えたくなかった。
「統一地球の血」
アントニウスが代わりに答えた。
「聖星を統一した人類の直系である。それだけが、皇帝家が皇帝家である唯一の根拠です。領土でも武力でも財でもない。血です」
「……わかっている」
「では、もし」
彼は一度、言葉を切った。
「もしホシ・アキラ殿が、現皇帝家よりも強く、その尊き血を引く人物であったならば」
部屋が、静かになった。
空調の音だけが残った。
「帝国が、揺れます」
ウァレリアの手が、机の縁を掴んでいた。
三日前の執務室で、彼女が一度だけ考えて、そのまま畳んだ考えだ。
その蓋を、この男が開けにきた。
「一刻も早く、アキラ殿の目的を確かめるべきかと」
「わかっている」
「わかっておられるならっ」
「アキラ本人から言われている。自分の正体は明かせない、と」
ウァレリアは声を絞り出した。
「……アウレル家を守るためでございましょうな」
アントニウスは少し思案したのに返事を返す。
「真実を知ったうえで匿えばそれは反逆罪です。知らなければ、ただの手違いで済む。いざという時には切り捨てろと」
ウォレリアはアキラの顔を思い出す。
あの男は、そんな顔を一度もしていなかった。
剣を受け取る時も跪く時も、ずっと落ち着かなさそうにして、こちらが敬語を使うと本気で困った顔をして。
そして「死にません」と。
「……難しい舵取りになるな」
机の上に突っ伏したかったが臣下の手前、自嘲する。
「もうひとつ、考察をよろしいですか」
「まだあるのか?」
「なぜアウレル家なのか、という点です」
アントニウスは指を三本立てた。
「一。当家は現皇帝家に冷遇され、伯爵に降爵されその力を失っている。
二。良くも悪くも社交界の注目の的である。動けば、必ず噂になる。
三。降爵したとはいえ、当家は皇帝家の血をいくらか継いでいる。継承名アウグスタを許された、十一家のひとつです」
三本の指が、そのまま止まった。
「つまり」
彼の声は静かに淡々と続く。
「客観的にみても、担ぐにはこれ以上ない家ではないかと。現皇帝家を廃し新たな血を立てる。その旗を掲げるには、皇帝家と親密ではなく、しかも血の格が足りている家門が要ります」
「アントニウス、止まれ」
「そして、もしアキラ殿が尊き血を持ち主であるなら、ウォレリア様が嫁として入られれば正統性も完成いたします」
「……んんっ?」
不忠で血生臭い話に続いていくと思い、副官を止めようとしたが、何故急に自分の婚約の話になるのか。
思わず肘を机にぶつけてしまい、勢いで書類が二枚、床に落ちる。
「待て待て待てっ、どうして急に私の輿入れの話になった!?」
痺れる肘を抑えながら、抗議する。
「わたくしはあると思いますよ」
エイデンが微笑みながら入ってくる。実に穏やかな声だった。
「先の誓剣の儀を思い出してくださいませ。アキラ殿は定型句を守りませんでした。
『汝は我が命を己が命より重く扱うか』。ここへの返答は、本来の誓剣の儀での返答は『誓います』でございます」
エイデンは布巾を置いた。
「あの方は、こう答えられました。死なずに、守り抜くと」
「……確かに」
「命を捨てて守るのではなく、生きて守り続けると。これは騎士の誓約ではございません」
老女は顔を上げウァレリアを見つめる。
皺の中の目が、心底楽しそうに笑っている。
「あれこそ、求婚に他なりませんでしょう」
「——ッ」
ウァレリアは、そのまま机に突っ伏した。
先ほどは家臣の手前、こんなはしたない姿は見せれないと控えたが、今は自分の顔をみられる方が恥ずかしい。
顔が、耳まで熱い。
あの時のあれはそういう意味だったのか。いや、あの男はただ定型を知らなかっただけかもしれない。教わったばかりで、緊張していて、それで。
いや教わっている。この目の前の老女が教えたのだ。
知っていて、……わざと変えたのか。
「閣下、耳が真っ赤でございますよ」
「うるさい!」
そうか、そういうことだったのか。
あの時の覚悟を決めたような強い瞳には、そういう意味が込められていたのか。
ウォレリアとて貴族の娘、恋愛など物語だけのことで、政略結婚をするのもだと受け入れている。
アキラの事も嫌いではない、しかしあまりにもまだお互いのことを知らなすぎる。
勝手に誓われても、その、困る。
「——よい。この話は終わりだ!」
ウァレリアは顔を上げ、浮わついた思考を吹き飛ばし机を叩いた。
「謀叛などという愚かな事、今は考えるな。考えることすら許さん」
「閣下」
「命令だ」
「では、最後にひとつだけ」
アントニウスは引かなかった。
この男は、こういう時にだけ、決して引かない。
「当家の者は皆、アウレル家に、ウァレリア様に仕えております。ですが、仕える先の家が消えれば、皆どこへも行けませぬ。忠義には、行き先が要るのでございます。そして、これは噂の域を出ませんが」
アントニウスが固く、冷たい声を落とす。
「第七暗域の折、上位貴族の艦隊は不自然に戦線を退いております。マルクス様とアエリア様の両艦隊だけが、最後まで残られた」
息が、とまる。
「……お前」
「帝国はあの竜の出現を事前に把握していたのではないか。そういう噂が、いまだに消えておりません」
「アントニウス!」
ウァレリアは立ち上がっていた。
自分でも驚くほど鋭い声が出た。
「それ以上は言うな。控えよ」
「……は」
「その噂は状況証拠のみで根拠はまったくない」
「お言葉の通り、失礼をいたしました」
アントニウスは深く腰を折る。
彼の表情からは何の感情も読み取れなかった。
二人が下がっていく。
扉が閉まって、艦長室に一人になった。
ウァレリアは椅子に沈み込んで、黒い手袋を外した。
指先が震えている。
言うな、控えよ、思考も許さんと命じた。
なのに、自分の頭の中から、それは出ていかなかった。
ウァレリアは深く腰掛け、再び天を見上げた。
三年前父は何も言わずに連れていかれた。ただ一言だけ残して。
いつか、必ず意味がわかる。と。
「……アキラ」
自分でも気付かないうちに、初めての専任騎士の名前が零れ落ちた。




