ー19ー
与えられた部屋は、基地とは思えないほど広く綺麗だった。
ウェスペル基地の居住区、士官用の一室。壁は例の乳白色で、家具は最低限。だが窓がある。本物の窓だ。分厚い多層のガラス越しに、ドームの膜と、その向こうの薄紫の空が見える。
専任騎士というのは、それなりの待遇らしい。
俺は椅子に沈み込んで、こめかみを揉む。
長い一日だった。決闘して、跪いて、剣を貰って、酒を飲んだ。こないだまで冷凍庫の中にいた男の予定表としては、明らかに詰め込みすぎだ。
「疲れましたか?」
ノアが向かいに座った。背筋がまっすぐで、膝も揃っている。座り方まで完璧に綺麗だ。
「疲れた。でも、まあ、ちょっと騙してるみたいで心は痛いけど。この世界での居場所は、なんとかなったな」
俺は天井を見上げて身体の力を抜く。
「なぜ罪悪感を?」
返ってきたノア返答が、それだった。
「アウレル家の事前戦力分析と、ウァレリアの口から語られた現状に差異はありませんでした」
ノアは淡々と続ける。
「彼女の家は明確に困窮しており、戦力を必要としています。アキラとわたしの加入は、彼女にとって非常に効率的で最大の戦力増強にあたります。利益は本物です」
「いや、数字の問題じゃなくてさ」
ノアの方を向いて、俺は椅子の上で足を組み替えた。
「心の問題なの」
「心」
「そう。あの人はたぶん俺をなんかすごい血筋の人間かなんかだと思ってる。それは嘘だろ」
「人類の心などという曖昧なものは、所詮は自分の置かれた環境にあわせる後追いです」
……。
この子、たまにとんでもないことを平然と言うよね。
「現状が好転すれば、人間は不誠実な過程であろうとも満足します。逆に、誠実な対応であってたとしても現状が悪化すれば恨みます。評価は結果に対して事後的に付与されるものです」
確かにそうかもしんないけども。
俺は、少し黙った。
窓の外でドームの膜が夕陽を受けている。人工的な光だけではないようで。この星の恒星が遠くて薄い光を投げているそうだ。
「それってさ、逆もまた然りだよな」
「はい」
「現状が好転しなかったら、俺はただ嘘ついただけの奴になる」
「はい」
肯定は早かった。
ノアはこういう時に余計に慰めるようなことは言わない。まだ細かい感情の機微がわからないのか、わかってて言わないのか。
どちらにせよ、俺にとってはやりやすかった。
「じゃあ、頑張るしかないな」
椅子から立ち上がって、伸びをする。ピキピキと腰の骨が鳴った。
「そうだ、聞きたいことがあったんだ。ドラコー・アビュッシ、だっけ。例のめちゃくちゃデカいやつ。知ってる?」
ノアの返答が、いつもより一拍だけ遅れた。
「アマルテイアは、戦略級と分類される個体を四体保有しています」
……四体。
まさか話に聞いた大怪獣が、四体もいるんじゃないだろうな。
「人類がドラコー・アビュッシと呼称している個体は、第七保存圏で記録されたものと推定します。恒星間空間そのものを生息域としていた星間生物です」
「星間生物」
なんだそのとんでも生物。
「惑星に住んでいたのではありません。星と星の間の、何もない場所に生きていました」
何もない場所に、四十キロメートルの生き物がいる。
ちょっと理解できない。
想像しようとしたが、アキラの貧弱な脳が拒否する。
「アマルテイアの記録では、〈世界から半歩外れて泳ぐ竜〉と呼称されていました」
「……半歩外れて?」
「テメノスの基となった、位相境界場です。あらゆる攻撃が効かなかったという記録と矛盾しません」
……もう考えたくない。全長40キロメートルを超える星間生物とかいう化け物が、位相境界とかいう無敵バリアを備えてる。
どうやって倒せっちゅーんだ。
「……ちなみに、あとの三体は?」
「聞きますか?」
「聞きたくないけど、聞かないともっと気になって寝られない」
「では簡単な概要だけ。
まず〈脳を持たない千手眼〉。異星の深海に存在した捕食生物です。いくつもの独立した神経節をもつ巨大生物を基にしたテリオン。攻撃しても無数に分裂し、司令部がないため中途半端に破壊しても停止しません。
もう一体は〈進化の蟲母〉。巨大洞窟惑星に生息した社会性生物が原型のテリオン。単体ではなく無数の個体を産出し、産出された個体は幼体段階ではほぼ同じ遺伝構造を持ちますが、必要に応じて全く別の身体へ進化する。
最後は〈未来を見る虚空喰らい〉。暗黒海の頂点捕食者を基にした超巨大テリオン。捕食対象の質量を、そのまま自身に加算します」
「……なにその極悪四天王」
軽く聞いただけでげんなりする。
「こっわっ。普通に怖すぎる」
「四体すべてが人類側の宙域へ投入された記録はありません。現在稼働中と推定されるのは、竜のみです」
のみとか言うが、その一体に人類の大艦隊は全滅させられている。
「……勝てる?」
主語はあえて抜かして聞いた。
「現在のわたしたちでは、勝てません」
ドルススさんとの騎士の儀と同じ答え。
やっぱりか。
「しかし」
ノアが顔を上げた。
表情は変わらない。。
なのになぜだが、胸を張っているように見えた。
「シンパテイア接続率が百に達したわたしたちに、敵はいません」
「言い切ったな」
「事実ですので」
無表情の断言である。
こういうところ、この子は本当に自信家だ。
いや、ノアの言う通りシンパテイア接続が完全なものとなれば本当に勝てるのだろう。
「まあ、そうだよな。愛の力は最強らしいからな」
自分で言って、思わず笑ってしまった。
そんな未来で戦うかもしれない宇宙大怪獣の話は一旦置いておいて、今考えるべきな身近な、もっと差し迫った問題は別にある。
俺は部屋の奥に目をやった。
ベッドが、一台しかない。
「……おかしい」
「何がですか」
「俺は確かに、ベッドは二台でお願いしたはずなんだが」
「わたしが一台にするよう申し出ました」
犯人はお前かい。
「……いちおー聞くけど、なんで?」
「シンパテイア接続率の向上には、日常的な接触時間の確保が有効であると判断しました。
なお表向きの理由は、警備上の観点からということにしてあります」
やってくれたな。
しかも根回し済みだ。きっとレリアあたりに真顔で申し出たに違いない。レリアなら絶対に何かを勘違して許可したに違いない。
「あらかじめ言っておきますが、まだ身体を許すつもりはありません」
「なに言ってんの!?」
「簡単に身体を許すと、人類の雄は付け上がると理解しています」
彼女はベッドの端に腰を下ろした。両手を膝の上で揃えて、こちらを真正面から見ている。
「誠実な関係を構築せず、都合のいいように扱われるはめになる——と、記録にあります」
「確かにそういうクソ男はいるけども! 俺は断じて違う!」
「アキラがわたしに恋い焦がれている気持ちは、痛いほど伝わってきます」
「こっちからそんな怪電波は発信していないが!?」
「しかし、まだダメです」
ノアが人差し指を立てた。
「わたしたちは、健全に愛を育んでいかないと。めっ、ですよ」
……めっ。
俺は固まった。
それ、昨日俺がこいつに言ったやつだ。レリアとの握手を拒否したノアに向かって「めっ!」って。
覚えなくていいことばっかり覚えていく。
「こっちの話、聞いてる?」
「聞いています。アキラのその性欲はまだ抑えていてください」
「話が通じてない!」
結論から言うと、俺はノアと二人で同じベッドに入った。
床で寝ようとしたら「非効率です」と言われ、椅子で寝ようとしたら「不健康です」と言われ、最終的に「では、わたしが床で寝ます」と本気で床に横になり始めたので、慌てて止めた。
ノアに睡眠は必要ないらしいが、こんな美少女を床に転がして眠れるほど、俺の神経は太くない。
電気を落とす。
部屋が暗くなって、窓から入る星明かりだけが残った。
背中の向こう側に、人ひとりぶんの重みと仄かな暖かさが感じられる。
……眠れない。
当たり前だ。
背中が近い。というか触れている。ノアの体温はやや低いはずなのに、触れているところだけ、じわじわ熱を持ってくる。
シーツの擦れる音がやたら大きく聞こえた。
目を閉じても、まぶたの裏が明るい。心臓が首の裏で脈打っている。二十九年生きてきて、自分の心音をこんなにはっきり数えたのは初めてだった。
落ち着け。相手は機械生命体だ。
心の中でもう一度繰り返す、機械生命体なんていうとんでも生物だぞ。
……でも、いい匂いがする。
「アキラ」
「はいっ」
思わず声が裏返った。
「心拍数が上昇しています。就寝時の数値としては異常です」
「解析するな!」
しばらく、沈黙が続いた。
天井を睨んだまま、俺は考えていた。
先ほどからある疑問が頭の中を渦巻いていたのだが、果たしてこれは聞いていいことのか。
いや、健全な好奇心である。今後の共同生活における必要な情報収集だ。うん。そういうことにしよう。
「……なあ、ノア」
「はい」
「これは、その、あくまで好奇心として聞いておきたいんだけど」
「どうぞ」
俺は、暗い天井に向かって声を出した。
「ノアって、その……えっちできるの? 人間と、そういうこと」
言った。言ってしまった。
三千年後の宇宙で、俺は今、最強美少女兵器に何を聞いているんだ。
背後で、シーツが動いた。
ゆっくりと、こちらへ体重が寄ってくる。
耳のすぐ後ろで、息の気配がした。
「——やはり、試してみます?」
声が、違った。
抑揚がないのは同じだ。音量も、速度も、いつもとまったく変わらない。
なのに、その一言だけが、ぞっとするほど艶を帯びていた。
「……今日はやめとく」
「そうですか」
あっさりと身を引くノア。
何故だかわからないが、確信する。……こいつ、絶対にからかって楽しんでやがる。
いつか覚えとけよ。
俺は心の中で復讐を誓ったのだった。




