ー17ー
旗艦〈アウレルム〉の艦長室は、一昨日通された執務室とは別の部屋だった。
こちらのほうが広い。天井も高く、床に敷物が敷かれている。壁の端末は一枚もなく、代わりに正面の壁いっぱいに、一枚の旗が掛かっていた。
白地に、紅。
中央に双頭の鷲と、その足に握られた麦の穂。
布は明らかに古かった。縁が擦り切れて、色の抜けたところが何箇所もある。紅の染めが薄くなって、ほとんど桃色になっている部分すらあった。
そして紋章の上に冠が乗っていた。
「我がアウレル家の紋章だ」
いつの間にか隣に並んだレリアが教えてくれる。
「……麦なんですね。武門の家なのに」
「初代が輸送船団の長でな。飢えた星に麦を運び続けて、それで公爵位を貰った家だ。軍功貴族として名を馳せるのは二代目からだな」
彼女は目を細め旗を見上げる。
「鉄より先に、麦を。それが家訓だ」
こないだの戦場を思い出した。
この人は、旗艦を前に出して輸送艦を下げさせていた。
「もっとも公爵だった時代のものだがな」
「作り直していないんですか?」
思わず聞いてしまい、しまった、と思った。
「金がなくてな」
レリアは前を向いたまま答えた。
「それに、あの冠を外す作業を、うちの者にはさせたくない」
◇
部屋には人が並んでいた。
正面にレリアが立っている。
白地に紅縁の正装。金の飾緒。黒の外套。黒の手袋。制帽の徽章は彼女の父のものらしい。
腰に細身の剣を佩いている。昨日までは佩いていなかったものだ。
部屋の右側に家門騎士の代表として二名。ドルスス、その後ろにルフス。左側に家令のエイデンと副官のアントニウス。隅で整備班代表のルカが背伸びをしている。
全員が礼装だった。すでにつなぎのイメージで固定されてしまっていたルカですら、礼装を着ている。
「〈誓剣の儀〉を執り行う」
アントニウスの声が響いた。
「これは家門への臣従ではない。主人個人に、剣を預ける儀である」
個人に。
俺は改めて専任騎士の意味を噛みしめる。
アウレル家に仕えるのではない。ウァレリアに仕える。家が潰れても、爵位が消えても、旗が焼かれても、この人が立っている限り続く契約だ。
「前へ」
俺は歩き出した。
ノアは扉のそばに残った。ノアは俺の従者としての立場を取るため、レリアの騎士となることは辞退していた。
振り返らなかったが、視線が背中に張りついているのは分かった。
レリアの三歩手前で止まる。
剣を持っていないので、敬礼はしない。教わった通り、右の拳を左胸に当てた。武器を持たない者の礼だ。
それから左膝を床につけ、右膝は立てる。
頭は下げない。
これも教わった。臣従なら頭を垂れる。だが騎士の儀は違う。主の前で膝は折る。だが敵を見る目は伏せない。そういう武門の作法らしい。
だから俺は、顔を上げたままレリアを見た。
レリアが動かなかった。
一秒。二秒。
部屋が静かになる。
彼女の手が、腰の剣の柄にかかったまま止まっていた。
レリアは何か決意を固め、大きく息を吸って、そして剣を抜く。
細身の直剣だった。
刃は磨かれているが、鍔の細工が古い。装飾の溝に、落としきれなかった黒ずみが残っている。
先に教えてもらったが、あれは代々の当主が〈誓剣の儀〉にだけ使ってきた剣だそうだ。
彼女はその剣を、当主ではないまま抜いた。
本来この儀式を執り行えるのは当主だけだ。父はまだ生きていて、地位も剥奪されていない。だから本来彼女にはその権利がないらしい。しかし誰も咎めなかった。
剣の平が右肩に置かれた。
冷たい。金属の重みが、肩の骨まで届く。
「力を」
次に左肩へ移った。
「責任を」
そして剣が持ち上がり、切っ先が胸の前で止まった。
触れない。
「意思を」
胸先数センチのところで、剣先が静止している。
「ホシ・アキラ。――汝はその力を、我が前に置くか」
「置く」
教わった通りに答えた。
「汝は我が命を、己が命より重く扱うか」
ここも答えは決まっている。『誓って』と決まった通りに返せばいい。
でも。
俺はそこで止まった。
聞いた限りではあるが、この人は兄と姉を戦場で亡くしている。
父は牢の中で、母星には幼い弟と妹が残っている。
アウレル家に仕えると誓った人間が、これまで何人死んだのか、俺は知らない。ルフスの父も兄も死んだ。ドルススさんのように長年仕える人間もいる一方で、何人が帰ってこなかったのか。
この人はきっと、その全員から同じ言葉を貰っている。
命を貴女より軽く扱いますと。 そして全員本当にそうした。
「……ホシ・アキラ?」
レリアの声が、少し揺れた。
「俺は、死にません」
部屋の空気が動いた。誰かが息を呑む音がした。
「死なずに、守り抜くと誓います」
……言ってしまった。
定型を無視するのはこれで二度目だ。前回はアドリブが許されていたが今回は違う。命を捨てないと言っているのだから、下手をすれば不誠実と取られる。
でもこれしか言えなかった。
この人はもう、誓って死んでいく人間を十分に見ている。
レリアは何も言わなかったが、剣がわずかに震えた。
切っ先が、胸の前で小さく揺れて——それから、止まった。
「……続けよ」
声が掠れていた。
俺は、教わった口上を唱えた。
「我が剣はあなたの前に。我が盾はあなたの前に。我が命はあなたの隣に」
前に前に、隣に。
「あなたが進むなら道を開き、あなたが留まるならその前に立つ。
あなたが誤るなら諫め、あなたが倒れるなら支え、あなたがなお進むなら最後まで共に行く」
自分の中の何かを吐き出すように、名乗り上げる。
「星明。我が名と、この剣において誓う」
名前だけは本物だ。ホシ・アキラ。三千年前の日本で親がつけた名前で、今ここで、俺は誓っている。
誓った内容にも嘘はない。
最初はただただ自分の保身から始まった事ではある。しかし、自分より年下の女の子が重責を抱え戦う姿や、それを命懸けで支える人々の覚悟を見て、自分も彼女を支えようと自然と思えた。
嘘なのは、この人が俺を何だと思っているか、それだけだ。
俺はそれを訂正できない。
「——ウァレリア・アウグスタ・アウレルの名において、汝の剣を受ける」
向けられていた剣が引かれた。
「汝の働きを奪わず、汝の名誉を売らず、汝の命を我が都合のために捨てさせない」
そこだけ少し強く言った。
「汝が我を守る限り、我もまた汝を守ろう」
剣が鞘へ収まる音がした。
「立て」
レリアが手を差し出した。
「——我が専任騎士、アキラ」
名を呼ばれ、俺は立ち上がる。
膝が少し痺れていた。
後ろで布地の擦れる音がした。
振り返ると、ドルススさんが進み出ており、両手で鞘に収まった剣を捧げ持っている。
レリアがその剣を受け取って、俺の腰へ回してくれた。主が佩かせる。お前の振るう武力を私が認める、という意味だという。
金具が留まる小さな音がした。
腰にずっしりとした重みが増えた。
三千年後の世界で、俺は初めて、自分の武器を持った。
「以上をもって——」
アントニウスが声を張り上げた。
「ホシ・アキラを、アウレル家当主代行専任騎士に任ずる!」
拍手が起きた。
最初に手を叩いたのはドルススさんだった。次にエイデン。アントニウス。壁際の全員。
ルフスは少し遅れていた。
唇を噛んだまま、二拍ほど遅れて、それでも手を叩き始めた。全力ではない。まだ何か納得していない顔をしている。
それでいいと思う。
全員が簡単に納得したら、値打ちが下がる。
扉のそばで、ルカが跳ねながら口笛を吹いており、エイデンさんに小突かれていた。
こうして俺は、正式にアウレルの列へ名を連ねた。




