ー16ー
演習場から五キロ離れた管制塔。
厚い遮光窓の向こうに、岩と砂だけの荒野が広がっていた。肉眼で見えるのは二つの点だけだ。細かいものは全部、正面の投影に頼ることになる。
ウァレリア・アウグスタ・アウレルは、その投影を見上げていた。
まだ、耳に残っている。
『ウァレリア様と、この家が守ってる人たちのために』
問答の定型は『我が主とアウレルの旗のため』、あの男はそれを変えた。
旗ではなく人だと。名は背負わないが責任は取ると。そして最後に、定型にない言葉をひとつ足した。仲間に、と。
ウァレリアは脚を組み直した。
「エイデン。どう思う?」
「さて、難しゅうございますね」
背後で幼い頃から頼りにしている家令が答えた。
「先日の戦闘映像どおりの挙動を、自由自在に出せるのであれば。一瞬で終わりましょう」
「出せなければ、な……」
ウォレリアの呟きに被さるように、横から若い声が割り込んだ。
「出せるわけがありません」
ルフスだ。当家に仕えるシグヌム乗りの一人。若手のホープ。窓に張りつくようにして投影を睨んでいる。
「あんな速度であんな軌道、人間が制御できるはずがない。絶対に何かカラクリがあるはずです」
ルフスの顔には嫌悪感ともとれる表情が浮かんでいる。
この男の父も兄も、アウレル家に仕え戦場で死んでいる。
アキラに対する敵意を、嫉妬だと切り捨てるには、あまりに尊く切実な忠義だった。
「確かにな」
ウァレリアは前を向いたまま答えた。
「常識では考えられん機動だった」
「でしょう」
「だが常識で考えられんものが、常識どおりに動くとも限らんぞ」
「もし——」
ルフスが食い下がった。
「もしこないだの超高速機動を対人戦で再現できないなら、絶対にドルスス殿が勝ちます」
「絶対か」
「はい」
ルフスは力強く頷く。
「ドルスス殿の立体機動は、まず捉えられません」
それは事実だ。
ドルススは伊達や酔狂で、エクエスを駆り十七年前線に出ているのではない。決して的を絞らせず、敵陣の奥深くまで潜り込み、最小限の被弾で戦果だけを持ち帰る。
軍の記録に残る異名は〈ウンブラ〉。
影。捉えようとした瞬間に、そこにいない者。
「ルカ、お前はどう見る。整備士の目からだ」
「えー、あたしっすか」
部屋の隅で、つなぎの金髪が跳ねた。
「んー、戦闘のことはわかんないっすけど」
ルカは工廠の三代目だ。祖父も父も、アウレルの機体を見てきた。三歳の頃から工廠に入り浸り、十を過ぎる頃には大人の整備兵より手が速かった。
言葉遣いには少々の難があるが、ウァレリアにとっては妹のようなものである。
その少女が、頭を掻いた。
「あの機体に使われてる素材、まったくの未知なんすよ。うちの正規登録材、全部照らしても該当なし」
「なるほど、興味深いな」
「だから、今までの常識では計れないんじゃないかなー、って」
ウァレリアは、少しだけ口の端を上げた。
この娘が「わからない」と言うのを、何年ぶりに聞いただろうか。
『これより、騎士の儀を開始する』
アントニウスの声が響いた。
『——始め』
灰色――コルウス――が、消えた。
次に投影に映った時、コルウスは高度四百にいた。
「早い」
誰かが呟いた。
跳んで落ちて、空を蹴るように、また跳ぶ。高度も方位も一定しない。上、横、斜め下。どこから来るかを予測させないための、ドルススが何年も戦功を立ててきた型だ。
白と金の機体――ステラ――は、その下で振り回されている。
撃たれた。左肩、腹、頭。しかし全てステラの張ったシールドに弾かれている
「見ろよ!」
ルフスが思わずといった感じで声を上げた。
「やっぱりだ! こないだの高速機動は、細かい調整が利かないんだ! あれは事前にコースを設定してたんですよ!」
正しい。
ウァレリアも、そう見た。
ステラが動いた。
地を蹴る
その一歩で、二機の距離は一瞬で縮まる。
その挙動に観測室が息をのんだ。
「——速いですね」
エイデンの声は静かだった。
「動きは直線的でございますが、あの初速は尋常ではありません。並のシグヌム乗りであれば、今のひと太刀で終わっております」
ドルススは避けたが、紙一枚の差。機体ごと横へ流れて、あの回避ができるのが、帝国広しといえど何人いるか。
「やっぱアキラの機体すごいって!」
ルカが飛び跳ねている。
「見てくださいよあのシールド! 機体の全面覆ってるんですよ!? どの角度からの弾も全部止めてる! マジどういう理屈!? 艦船用のを小型化した感じ!? どんな炉積んでんの!?」
「ルカ、うるさい」
「すいません!」
膠着した。
ステラの大剣は当たらない。コルウスの銃撃は効いていない。そんな攻防が五分続いた。
「どちらも決め手を欠いているな」
「左様でございますね」
ルフスが唇を噛んで戦況を見守っている。
「でもあんなシールド、燃費が悪いはずです。このまま撃ち続けて、エネルギー切れを狙えば——」
その時通信が入った。
『——ホシ殿。このままでは千日手ですな。提案があります』
投影の中で、ドルススの機体がライフルを地面に置いた。
「な——」
ルフスの声が裏返った。
「どうしてですか!? このまま削っていけば勝てたのに!」
「……先に残弾が尽きると、判断したか」
ウァレリアはそう言ったが、半分は違うと思っていた。
あの男は、そんな計算で剣を選ぶ男ではない。
背後で、エイデンが応える。
「おそらくは、本当の腕前を見たくなったのでございましょう」
「というと?」
「アキラ殿の操縦、どうにもチグハグなのです。ご覧くださいませ」
エイデンが投影されたステラを指した。
「地上での姿勢制御踏み込み、重心の移動。驚くほど滑らかでございます。ところが空中に上がった途端、まるで初めて機体を貰った新兵のような姿勢になる。スラスターの吹かし方も雑でございましょう」
言われて、初めて見えた。
ウァレリアは投影の中のステラを、改めて見直した。
今はただ歩いているだけだ。だがその歩き方に硬さが一切ない。
機体は歩く時、必ずどこかで機械の匂いがする。膝が伸びきる寸前の一瞬の間、着地の際の微細な揺り戻し、方向転換で腰が先に回るか肩が先に回るかの癖。乗り手の全員が、多かれ少なかれそれを持っている。
それがないのだ。
あの白い巨体は、人間が歩くのとまったく同じ順序で歩いている。
息を呑んだ。
「すげぇ……」
ルフスも気づいたらしい。
「なんでこんな精密制御ができる奴が、空中だとあんなに下手なんだよ……」
ウァレリアは〈プリマ〉である。
最高適合の判定を持って生まれ、幼い頃から機体に乗り、十年やって凡庸だと知った。血だけは一級品で腕は三級品。よく出来た笑い話だと、自分で言ったことすらある。
それでも努力だけは人の何倍もしてきた、自負がある。
あんな歩き方はできない。
十年やっても、できなかった。
「……とんでもない姿勢制御だな」
声が掠れないよう、腹に力を入れた。
「ドルススは、わざわざ不利な土俵へ降りたのか。あの技量を見るために」
「さて」
エイデンの声が、ほんのわずかだが楽しそうに弾んだ。
「不利かどうかは、まだ。単純な操縦技術だけで勝負は決まりませんよ」
ステラとコルウスの剣が交わった。
ステラが踏み込み大剣を振り下ろす。コルウスが斜めに剣を入れて、それを撫でるように逸らした。
勢いが横へ流れる。そこへ突きが伸びた。
「浅い」
ウァレリアは呟いた。
二撃三撃。スペックとして速いのはステラのはずなのに、剣筋が読めていない。振りが素直すぎる。
「アキラ殿には、まだ足りぬものがございます」
エイデンの声は変わらなかった。
「戦術、間合い、駆け引き。十七年で身についたものは、そう易々と埋まるものではありません」
ステラが押されている。
灰色が前へ出た。白が下がる。下がったところへ更に踏み込まれ、剣が高く跳ね上げられた。
決まる。
ウァレリアは、無意識に肘掛けを掴んでいた。
ステラが、大きく後ろへ跳んだ。
距離が開く。およそ三十メートル。
そして——投げた。
「は?」
大剣が、回転しながら宙を飛んだ。
「投げた!?」
ルフスが叫んだ。
「そんな小細工、ドルスス殿には——」
コルウスが動いた。
考えるより先に剣が上がり、飛来した大剣を真横から叩き落とす。見事な処理だった。
「勝った!」
武器を失ったステラ。
声を上げたルフス以外も、その場にいる誰もが、そこで終わったと思った。
大剣から視線を戻したときにはもう、ステラは一足飛びでコルウスの懐にいた。
右手が、コルウスの手首を掴んでいる。
ステラの軸足が地面を噛み、上体が捻れ、その回転が脚に乗って——
白い踵が、後ろから回った。
「馬鹿なっ!!」
ウァレリアは思わず立ち上がっていた。
コルウスの頭部の側面に、踵が入った。
音は届かない。五キロ先だ。だが投影の中で、コルウスの巨体が横へ流れて、砂の上に崩れた。
観測室が爆発した。
「マジかよ!?」
「スゲーーーッ!!」
悲鳴と歓声が混ざっている。ルフスが窓を殴っている。ルカが跳ねている。誰かが椅子から落ちた。
「見事!」
いつも落ち着いたエイデンすら声を上げた。
「……エイデン、今のは何だ」
返ってくる老女の声には、隠しきれない熱があった。
「スラスターで無理に姿勢を作ったのではございません。軸足で地面からの反発を受け、力を逃がさず腰の捻りで脚を運んだ。実に見事な後ろ回し蹴りにございますね」
ウァレリアは、言葉が出なかった。
シグヌムは人の形をしている。だが人のようには動かない。
膝の可動域が違う。重心の位置が違う。地面から返ってくる力の伝わり方が違う。だから乗り手は皆、姿勢制御装置を使って人の動きを機体の動きに翻訳し戦っている。
しかし今みた光景は紛れもない後ろ回し蹴りであった。
「……神業という他ないな」
投影の中で、白い機体が砂の上の大剣を拾い上げた。
そして起き上がろうとしている灰色の頭の、すぐ横に、刃を突き立てた。
ウァレリアは、通信を開いた。
「——そこまで!」
声が、自分の思ったより大きく出た。
「勝者、ホシ・アキラ!」




