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数字を見ていた。
執務室の端末には、昨日の戦いによる損耗報告が並んでいる。喪失十八。うちミレスが十五、シグヌス一、輸送艦一隻が大破。戦場への復帰可能な軽、中微の損害は数えきれない。
補充と修理の見積もりはアウレル家の年間収入の七割にも到達する。
ウァレリア・アウグスタ・アウレルは、三度目の計算をやめた。
何度やっても答えは変わらない。
三年前、栄誉あるアウレル家が沈んだ日から、彼女がやってきたことは要するにこれだ。減っていく数字を見つめどこを削るかを決める。削れる場所は年々少なくなり、削った先には必ず誰かの生活がある。
昨日、奇跡のような出来事により基地は救われ、この星にいる人間、八万人は助かった。
しかし、目の前の数字は大打撃を受けている。
守れば守るほど痩せていく仕組みの中で、彼女は三年間立っている。
◇
扉が叩かれ、数字の世界から引き戻された。
あの男だった。後ろに一緒にやって来た女を連れている。
「ちょうど休憩しようと思っていたところだ。かまわん、座ってくれ」
社交辞令だ。休憩など、ここ三年した覚えがない。
男は座らなかった。
「あの、」
妙な間があり、昨日ホシ・アキラと名乗った男は、なにか決意を固めたように口を開いた。
「……人払いを、お願いできますか」
ウァレリアの指が、書類の上で止まった。
前線の艦で、指揮官と二人きりにしろという要求。作法としては失礼にあたるが、問題はそこではない。
この男は副官の前で言えない話を持ってきているということ。
昨日から何かわけありであることはわかっていた。しかし向こうが語らない以上、命を救われた立場で、無理に問い詰めるのは自身の矜持が許さなかった。
ただホシという家については調べた。結果は何もわからず仕舞い。そんな家は帝国には存在しない。
だがアキラが自ら明かした以上、その名前には何か大きな意味があるのだと思う。
「アントニウス、下がれ」
「閣下、しかしっ」
「下がれと命じている」
アントニウスの視線が痛い。正体不明の連中と護衛も付けずに密室で会うなどと、公爵令嬢であった時には考えもしなかった。
だが伯爵に降爵され、こうして最前線になる辺境に飛ばされた家の娘など、誰が害しようか。
社交界では既に、放っておいても勝手に消えていくだけの家門だと見なされているのに。
聞けば後戻りの出来ない、特大の厄介事である可能性は十分にある。それでも聞きたかった。
アウレル家の置かれたこの惨状を変える、手がかりが欲しかった。
「詳細は、お話しできません」
アキラは最初にそう言った。
「事情があって元いた場所には戻れません。帰る方法も、ありません」
それだけだった。
説明がない。補強もない。
話せないということだけを正直にに話して、そこで止まっている。
「行く当てがなくて、この艦にたどり着きました。……あなたの家が、元は公爵家で、皇帝家に血が繋がっていると聞きました」
指が動かなくなった。
なぜそこの事実がこの場で出てくるのか。
この男は——あるいは男の背後にいる誰かは、アウレル家の血筋を選定基準にしたということ。
血を頼ってきたということだ。
血をたよる理由とは、何だ。
「本当は補給を受けたら、黙ってすぐに去るつもりでした」
それはそうだろう、とウァレリアは思った。
あれほどの機体と、大きな秘密を抱えて、辺境の一艦隊に関わる理由がない。
「でも、この艦を見ていて……」
アキラの言葉がそこで詰まる。
「艦の設備を見ると大変な苦境にいるとわかります」
――――。
顔に出るなと自分に命じた。
貴族は、これを面と向かっては言わない。他家の困窮を指摘することは、この帝国では最大級の侮辱にあたる。
なのに、この男は平然と口にした。
悪意がまるでなかった。
礼儀を知らない者の無神経ではない。礼儀という制度の、外側に立っている人間の言い方だった。
「それでも、あなたは敵を真っ直ぐ見つめ諦めずに、帝国の軍装を着て艦橋に立ってる」
やめろ。
「昨日、あの戦場で一番前に出たのはあなたの艦でした。戦況を分析し、民や部下を守るため自分を危険に晒しても、少しでも勝利を掴もうと最善の選択肢をとる」
やめてくれ。
「そのか細い肩に、全てを背負って堂々と立っている。帝国貴族のあるべき姿をみたと思いました」
ウァレリアは何も言えなかった。
三年だ。
三年間誰も言わなかった。
社交界は僭称と陰口を叩き、軍務省は報告書に加点をつけず、部下は同情で目を伏せる。
母は家を出ていき、兄姉は最前線に送られ戦死、母星には帰りを待つ2人の幼い弟と妹を残している。
父の名は封印され、当主にすらなれず、代行という肩書きだけを持って辺境に立っている。
自ら選んだ道だ。誰かに褒められたくてやっているのではない。
そのはずだったのに。
目の奥が熱くなって、ウァレリアは慌てて奥歯を噛みしめ耐えた。
馬鹿な。
これは取り込みだ。相手はなんらかの交渉に来ているのだから、こちらの弱いところを突いてくるに決まっている。分かっている。分かっているのに――。
目の前のアキラの目には、計算の色がひとつもなかった。
自分の目で見て、感じたことを素直に言葉にしただけ。そんな顔だった。
「厚かましいのは分かってます。でも、俺は、そんなあなたに助けて欲しいのです」
アキラが頭を下げた。
ウァレリアには、なんとしても確認しなければならないことがあった。
本来であれば言うべきではない。この言葉を口に出せば、返答次第では引き返せなくなる。だが、これを確かめないまま家を賭けるわけにはいかない。
「ひとつだけ、確認をしたい」
「はい」
「私は貴公が誰かは問わぬ。だが、貴公は『尊き血』に連なる者であるのか」
アキラは答えなかった。
つまり、否定しなかった。
「アキラ様、続きはわたしから」
隣に立っていた女が口を開いた。
――――アキラ様。
ウァレリアの背筋を、冷たいものが走った。
ノアと紹介された女は、アキラに仕えている。
しかし昨日の食事の際には、そのような様子は微塵も見せなかった。つまりアキラの身分は周囲にバレてはいけないということ。
ウァレリアは初日からノアがただ者ではないと見抜いていた。
ウァレリアとて黎明期から続く帝国の武門の娘である。幼い頃よりある程度の格闘戦の手解きを受け、そんじょそこらの兵士より強い自信があった。
だが、このノアという女にはまるで勝てる気がしなかった。まるで機械のように、何時いかなる時でもまったくブレることがない軸。僅かな呼吸の乱れも見当たらず、自然体でありながらまったく隙がない理想的な姿勢。
それこそ最初はアンドロイドかと思ってしまった。しかし、食事を取る姿を見てそれが間違いであったと気付いた。そんな機能を持ったアンドロイドなど存在しない。アンドロイドならば、バッテリー一つで動力を確保できる方が余程合理的だ。
身体のいくらかは機械化しているかもしれないが、食事を取る必要がある程度には人間なのだろう。
おそらくノアはアキラの護衛なのだろう。しかし、表ではその事は隠している。
コストを度外視し、おそらく古代文明の遺産が使われているであろう誰もみたことのない素材と、想像も出来ない技術の粋が集められた至高のワンオフ機体に、超一流の護衛。
それがアキラという男一人のために用意されている。
「わたしたちの存在が公になれば、帝国は大きく揺れます。勢力の均衡が崩れ、内戦に至る可能性もあります。アキラ様はそれを望んでおられません」
内戦。
その言葉でウァレリアの思考が一本の線に繋がった。
内戦が起きる条件など、この帝国にはひとつしかない。
――――継承権だ。
全部が収まった。
ホシという家名を持ちながら継承名がないのは、名乗ることを許されていないから。名簿に存在しないのは、記録から抹消されたから。培養肉を不味いと感じる舌を持ちながら宮廷作法を知らないのは、最上位の暮らしをしたまま、社交界に一度も出されなかったから。
隠されて育った。
アキラという男は、そういう血の出自なのだ。
「――――承知しました」
気付けばウァレリアは立ち上がっていた。
机を回り込み、正面に立ち、片膝をつく。
三年ぶりの動作だった。この礼を最後にしたのは、父がまだ公爵だった頃だ。
アキラたちが退出し、扉が閉まって足音が遠ざかった。
アキラを護ると誓いを立ててから、今までまるで夢を見ていたかのように現実感がない。
ウァレリアは机に手をつき、しばらく動かなかった。
全身が熱い。指先まで脈打っている。手袋の中で、震えが止まらない。
戦闘のせいではなかった。
そして思い出したことがひとつある。
三年前、我が家の降爵の事由は発表されなかった。
つまり、公表すれば帝国の体面が損なわれる場合。もしくは——皇族が関与している場合。
父は最後まで何も言わなかった。娘にすら、言わなかった。
拘禁される日ただ一言だけ残した。
いつか必ず意味がわかる。
三年間ウァレリアはその言葉を理解できなかった。
今日まで。
もし、アキラが正統な血であるなら。
もし、現皇帝家より上位の継承権を持つ者であるなら。
その者を庇護し、いずれ擁立する側に回った家は――
ウァレリアはそこで思考を止める。
呼吸が浅く早くなっている。机の縁を掴んでいた指が、白くなっていた。
考えてはいけない。
口に出せば首が飛ぶ。書に書けば、家が消える。三年前、父がどうなったかを見ているはずだ。
だが。
一度浮かんだものは消えなかった。




