第一話 モブとして
この世界には魔獣や妖精、精霊がいた。
そして、そのさらに上に神がいた。
基本神は天界から地上を見下ろすとされ、偶に気まぐれで人間界にやって来ることがある。
どれも滑稽なお伽噺で、絵空物語だと幼少の子ども以外、誰もが思っていた。
伯爵と出会う一年半前の冬。
「聞いているのかい?! ソニア!!」
その怒鳴り声でハッと意識が手繰り寄せられる。
パッと顔を上げると上質なヴェールを被り、眉を顰める中年ほどの女性が自分を見下ろしていた。
「あ、えっと……」
思わずそう返すと、パチン! と、頬を打たれる。
ジンジンする頬にそっと手を添えると、急激に色々なことが思い出される。
元々、三十五歳で飲食店で働いていたこと。高校のインターハイで空手全国ベスト四に入ったこと。中学でこっぴどく振られたこと。小学生の夢は魔法少女になること。
それらを思い出して、急速に心と体が重くなる。
ちらり、周囲を見渡すとニタニタと笑みを浮かべる三人の少年。
そして見上げるとチクチクと痛む、低品質で質素な服と違い、サラサラとした生地の服を着た修道女。
「……ったく! 次やったら承知しないからね!」
修道女は最後にそう吐き捨てると何処かへと消えてしまった。
視線を下げ、足元を見ると割れて水が飛び散った花瓶。
あぁそうだ、これはこいつらがやったんだった。
それらを思い出し、一番近くにいた少年の頬を殴り、次いで一つ奥の少年の腹を右足で横蹴り。
そのまま右足を地面にダンッ! と下ろすと、反撃すると思っていなかったのだろう、阿呆みたいに口を開けた一番奥の少年に左回し蹴りを食らわせる。
「これ、あんた達がやったんだから、自分たちで片付けなよ」
告げ口も考えなくもなかったが、これだけ痛い目にあったのだ。さすがに言わないし、そもそも小心者だ。その心配はない。
ガリガリの体で人を殴った事により赤く、痛くなった拳を誤魔化すように軽く振る。
前世では考えられなかった長い髪を掻き上げると、そのままこの場を後にした。
思い出したのは前世だけではない。
ここがどこであるかもだ。
孤児院の名前は『ジギタリス』。綺麗な花が由来でありながら、その実院長の不正。その取り巻きである修道女の虐め。
そして国から援助を受けながら子どもにご飯を禄に与えない上に衛生環境も最悪という場所だ。
まさに名前のとおり、『不誠実』で『偽り』に満ちた『毒』のような場所。
急いで部屋に戻り、隅々まで探しまくると見つけたのは地図。
やはりここは昔、本で読んだダリア王国で、『聖女は偽りを許さない』というものであった。
地名、たまに聞く国の現状、国王の名前。
そのどれもがこの本に当てはまるのだ。
そして私、ソニアは完全なるモブである。
風呂に何日も入ってないせいで油っぽくなった亜麻色の髪に、同じ色の瞳。
七歳にも満たないくらいでありながらも、水仕事ばかりするせいで荒れた肌。寒さのせいで赤くなった鼻の頭。
名前も容姿も、見たことが無い。
この世界は容姿がいい人物が多い中、こんなにパッとしない姿ならば確実にモブ以外の何者でもない。
それはいい。金が欲しいなら学んで稼げるようになればいいし、愛情が欲しいなら自分を偽って他人に尽くせばいいのだから。
でも、この世界は確実にバッドエンドに向かう物語で、最後に残るのは聖女と王子、そして仲良くしていた執事やらメイドばかり。
国民の大半は戦争とも呼べるほどの災害に巻き込まれ、死んでいった。
そんな中の、モブ。
死、確定である。
ぐるぐると脳裏に聖女と仲良くなる、国外逃亡する。
自分が生き残れそうな事ばかり駆け巡る。
「いやいや、どちらも非現実的すぎる」
頭の中を白紙にするために、小さくそう呟く。
そもそも、この世界が一度バッドエンドを迎えたのは元聖女のせいだ。
迫害され、人間が嫌いになり、人を恨むようになり、結果として聖女でありながら復讐のために身を投じ、無辜の民すらも殺す魔女へと転じた。
この世界に唯一と言っていい白銀の髪に、真っ白な死人のような肌。
真っ白だらけの中、赤い唇は一層映え、見るものを虜にするという。
そんな元聖女が大嫌いであった。
復讐するなら周囲の人間に留めておけよとも思うし、そんなのに巻き込まれるだなんて真っ平だ。
暦を調べてみると千二百三年。そして、来月には春の豊穣祭があり、諸々のことが動き始める年だと両手に汗を流しながら愕然とする。
その豊穣祭の日、一人の少年が馬車に引かれかける。少年は公爵家の息子で、それを救った子どもが後の聖女……主人公兼ヒロインで魔女を倒す者だ。
その功績を称え、公爵家に引き取られたのだ。
そして後の彼女は当たり前のように周りに愛され、孤独を味わうことなく成長し、王太子と結婚した。
「……いっそ、私が公爵家に行く?」
そんな思いが頭に過る。
だが、公爵家に行って聖女になれなかったなら、それは意味がないと頭を横に振る。
ふうっと息を吐きながら部屋を出る。
今日やるべき仕事は全て終え、あとは自由時間だ。
頭を使い、少し疲れたから考え事をしようと外に出ると、冬の冷たい風を一身に浴びて思わずブルリと震え上がる。
何故こんなことになってしまったのか、こんな所にいるのか。
冬の寒さで白い息を吐きつつ、考えても仕方がないとわかりながらも、考えるのをやめることができない。
「ソニア! 仕事終わったなら手伝ってよ」
ニタニタと、見下すように笑う同じ孤児……マカロは腕を引こうとするのを振り払う。
以前ならば引っ張られ、ただオドオドと言われるがままに手伝っていたが、今はそんなことはない。
中には入ろうとすると「ちょっと!」 という叫び声が背中に叩きつけられたが、それを無視して食堂へと向かった。
夕食時。全員でテーブルにつき、人参の皮やレタスの芯、えらく小さく切られたじゃがいものスープを食べていると、修道女がパンパンっ! と手を鳴らす。
「えー、皆さんにお伝えしたいことがあります。この食糧難の中、一人の入所者が出ました。こちらに」
修道女がそういうと、扉から入ってきたのは四歳程の小さな少女。
本来は銀髪なのだろうが、砂や泥のせいで黒くなった髪に、どこか濁った金の瞳。そして傷だらけの手足。
その独特の髪色を見て、それが本に出てくる例の『魔女』だと察する。それ程までに、異質さを放っていた。
少女が入ってきた瞬間、辺りはざわめきヒソヒソと陰湿で嫌な空気に包まれる。
「名前は……そうね、イミゴとでも。ほら、イミゴ。挨拶を」
「……えっと…………よろ、しく……」
どこか呂律の回らない少女にドクンと心臓が強く脈打つ。
そしてなる程、と。少女の名前の由来を知り、胸が痛くなると同時に胸糞悪くなる。
「犬っころみたいで変なの」
「腐ったものでも食ったんじゃないの?」
「いやいや、病気持ってるんだろ」
その言葉に思わず歯軋りしてしまう。
イミゴは完全に俯いてしまい、こちらを見る気配はない。
イミゴが……少女が世界を呪う理由が、少しわかった気がした。




