5-12 目を覚まして
「とはいえ、その期待に応えられるのか、俺にもよく分からない」
そう言ったクレイグは、悩ましげに暗い表情を見せた。
「でも、わたしたちはうまくいって、人間になれたじゃないですか。先生の精神移行魔法は完璧です」
どうしてクレイグが今さら謙遜するのか、ステラには理解できない。
「精神は肉体に付随するものだ。シンシアの場合、俺や君のように突然に死を迎えた健康な精神を複製体に移すのとは状況が違う。肉体がボロボロなら、精神も薄弱になっている可能性がある。弱った精神を移したところで、複製体が動くのか保証はできない」
「それでも可能性があるのなら、やってみる価値はあると思います! お母さんも健康な身体を手に入れたら、きっともっと生きたくなると思います!」
「君がそう言うと見越して準備していたのだが。ランドル、お前はどうだ? 成功したところで、シンシアがその先何年生きられるのかは分からない。失敗すれば、最後の言葉すら交わすことなく、シンシアの精神はそのまま消滅するかもしれない」
ランドルはすっと片ひざをついて、頭を下げた。
「どうかご主人様のお力でシンシアをお救いください……!! たとえ一分一秒でも長く彼女と過ごせる時間を持てるのなら、私はそれに賭けてみたいと思います。もう独りはイヤなのです……」
泣いているかのように、ランドルの肩は震えていた。
「ならばランドル、お前の力でシンシアの精神を移せ」
「……え? 先生がやってくださるのでは?」
ステラはきょとんとしてしまう。
「だから、俺には魔力の限りがあると言っただろう。残念ながら、精神を移すような人間離れした大魔法はもう使えない。転移魔法くらいはともかく――」
クレイグがベッドに手をかざすと、白く光る魔法陣が浮かび上がり、そこにもう一人の女性が現れた。
シンシアとよく似ているが、やせ細った彼女に比べて頬はふっくらとして血色がよく、こちらの方がよほど眠っているだけのようだ。
実際、すうすうと呼吸をしていて、時を止めているシンシアの本体よりも生きている人間に見える。
「これがお母さんの複製体……」
元気だった頃は、さぞきれいな女性だったのだろうと想像できた。
「シンシア……」
ランドルがよろけながら立ち上がって、ベッドに横たわる二人の女性を交互に見つめた。
「お前ほどの魔素があれば、造作もないだろう。精神移行魔法のかけ方は知っているな?」
ランドルははっきりうなずくと、右手をシンシアの上にかざした。
ぶわりと音が聞こえたと勘違いしそうなほど、漆黒の魔素がランドルの体を取り巻く。それは人間の身体を持つステラとクレイグにとって、身を滅ぼすほどの有害物質でしかない。
それまでランドルは、その身からもれ出さないように完璧に抑えていたということだ。
間髪をいれずにクレイグが手を上げると、魔素を押し返すように半透明の膜――防御結界を張って、ステラとともに覆った。
「今さら人間の身体に戻ると、不便なこともあるものだな……」
遠い目をしてぽつりとつぶやくクレイグに、ステラもしみじみとうなずいていた。
「ほんと、そうですね」
その二人の傍らで、ランドルはシンシアと複製体の上にそれぞれ黄金に輝く魔法陣を描いていた。
それも一瞬のこと、すぐに魔法陣は消えて、ランドルを取り巻く濃い魔素もその体に吸収されていった。
「精神移行魔法はかけられたと思いますが――」
ステラが予想していたよりあっという間のことで、思わず声を上げていた。
「もう終わったんですか!?」
驚くステラに、クレイグが説明してくれる。
「精神を移動させる時は、なるべく素早くやった方がいいんだ。もたもた時間をかけている間に、精神の一部が離れたり、消えたりしてしまう可能性がある。その結果、人格が変わったり、記憶の一部が失われてしまうこともある」
「なるほど……」
ランドルは再びシンシアの胸元に手をかざすと、そこに現れた黒光りする魔法陣を手の中に吸い込んだ。
「これで時間停止魔法は解除されました」
ランドルはシンシアのやせ細った手を取り上げて、その手首に親指を当てると、悲しみに満ちた顔で目を伏せた。
「こちらの身体は死を迎えたようです」
「そうか。これまでよく頑張ったな。おかげでステラは今まで普通に生きてこられた」
クレイグはシンシアにささやくように話しかけて、もう動くことのない彼女の額をやさしく撫でた。
ランドルだけでなく、クレイグにも生前のシンシアとの思い出があったのだろう。
ステラだけが取り残されたような気がして、少し淋しかった。
ランドルは泣きそうな顔で枯れ果てたシンシアの手を離して、代わりに複製体の方の手を取り上げた。
「シンシア、どうか目を覚ましてくれ。ステラがここにいる。君はずっと会いたかったのだろう? 私たちの娘がこんなに大きくなったんだ。会って話をしたくないか?」
ランドルの語りかける声は穏やかで、それでいて切なくなるほどに悲しい響きを持っていた。
何度も何度も繰り返し、シンシアに呼びかける。
それでも、シンシアは眠り続けたまま、目を開くことはなかった。




