5-9 目覚め
「死ぬかと思ったぁ……!!」
ステラはがばっと身を起こして、ゼェゼェと息を吐いた。
なんだか長い夢を見ていたような気がするが、内容はあまり覚えていない。死ぬような目に遭った恐怖だけが心にこびりついている。
「お目覚めになったようで、何よりです」
やんわりとしたきれいな女性の声が聞こえて、ステラが顔を上げると、そこには水色髪の美女――リサが立っていた。
「ここは……?」
「魔王城ですよ」
ステラがぐるりと辺りを見回すと、そこはベッドの上で、ドーム型の結界の中だった。
「ほんとだ……」
「驚かないところを見ると、どうやら精神の移行は成功したようですね」
リサに言われて、ステラははっと自分の身体を見下ろした。
白いシーツに包まれているが、その下は何も着ていない。
「わたし、人間になったの……?」
腕や脚を曲げたり伸ばしたりしたところで、今までの身体と違うところは見当たらない。違和感もない。
「少なくとも魔物や魔族特有の魔素の気配はありませんね」
「や、やったぁ……て、喜んでいいところよね? 先生は!?」
「そちらに。まだお目覚めになっておりません」
リサが示すのは、並んで置かれたベッドの上。横たわるクレイグの複製体は、胸がかすかに上下していて呼吸をしている様子はあるが、閉じられた目はピクリとも動かない。
これでは彼本人なのか判別できない。
「ところで、先生の本体の方はどうなったんですか?」
「ご主人様の核は親指の先ほどの大きさになって、あちらに」
リサの視線の先は、半透明の膜の向こうにある玉座だった。
黒々とした靄は吸い込まれているのか、放出されているのか、その上に渦を巻いているのがかすかに見える。
「先生……!!」
ステラがベッドを飛び降りて駆け寄ろうとすると、リサに腕をつかまれて止められた。
「この結界を出てはなりません! あなたはもう以前の身体とは違うのです。ここを出たら、瞬時に消滅します」
「そ、そうだった……!!」
この結界内は人間が住む世界と同じ魔素濃度になっている。人間になった今のステラでは、魔王城の濃い魔素環境には耐えられない。ついさっきまで平気な顔でウロウロ歩いていたことの方が、信じられなかった。
「あなたはどうしてわたしを助けてくれるんですか?」
リサにはてっきり嫌われていると思っていたので、彼女の行動がステラには意外だった。
「ご主人様が命を賭けてまでお造りしたものを、わたしが勝手に壊すことはできませんので」
リサは悲しそうにわずかに目を伏せた。
「先生の精神は、まだあっちにあるってことですか?」
ステラは玉座の方を見つめながらリサに尋ねた。
「分かりません。精神を移すことに失敗したのなら、ああして失った魔素を集めて核を成長させて、いずれ魔王様として肉体を得る日が来るでしょう。人間の身体を得たあなたが生きているうちに、再び会えるかどうかは分かりませんが」
それは百年後なのか、二百年後なのか――。
「先生、そんなのイヤです……!!」
ステラは隣のベッドに駆け寄って、そこに横たわるクレイグの複製体を揺すった。
「先生、起きてください! わたしだけ人間になっても、何の意味もないんです。先生がいてくれないと……!! 二百年かけても人間になりたかったんですよね!? ちゃんとこっちの身体で目を覚ましてください……!!」
涙があふれてきて止まらない。ステラは涙声で「お願いします」、「目を覚ましてください」と、何度も繰り返した。
時が動き始めたクレイグの身体は、魔族だった時よりもずっと温かい。なのに、何の反応も返してもらえない。そこに精神がなければ、どこまでいっても人形でしかないのだ。
「先生、目を開いて、何か話してください……!!」
ステラがクレイグの上に突っ伏した時、彼の身体がかすかに動いたような気がした。
トントンと二の腕を軽く叩かれる。
ステラが怖々目を開くと、涙でかすむ視界の中で、クレイグがゆっくりと身体を起こすところだった。
「ステラ、俺が分かるのか?」
ステラは涙でボロボロになっているだろう顔を上げた。
「せ、先生……? そんな当たり前なこと、聞かないでください……!!」
「よかった。君の精神まで殺してしまったのではないかと、心配していたんだ」
この上なくきれいに微笑むクレイグの顔を見て、ステラの涙はぽろぽろと止めどなく頬を伝って落ちた。
「先生こそ……!!」
言いたいことはたくさんある気がしたが、言葉にならなかった。
「目が覚めたら、何よりもまず告白の返事をしようと思っていた」
「……え? はい? 告白の返事?」
この状況でいきなり何を言い出すのかと、ステラはぽかんと口を開けてしまう。
「ステラ、俺も君が好きだ」
クレイグは真剣な表情で両手を伸ばしてくると、ステラの頬をはさんで流れる涙を親指でそっとぬぐってくれた。
その手が熱いくらいに感じられて、彼が生きている人間だと意識せずにはいられない。
(今、先生がわたしのことを好きって言ってくれた……?)
空耳かと思ってしまう。まだ夢の続きを見ているのではないかと。
「――返事が遅くなってすまなかった。何度でも言おう。君を愛している」
そのままステラの顔は引き寄せられて、彼の唇にまっすぐ突進していた。
温かくてやわらかな唇の感触――。
ステラはキスをしていることにようやく気づいて、思考は完全停止。一拍遅れてから、ばっと身を引いて口元を覆っていた。
(う、うそ……!! 先生がキスしてくれた!?)
ステラの目に入ってくるのは、一目ぼれした時と寸分変わらない麗しい顔と、そしてきれいな筋肉をまとう裸の上半身――。
ステラの体中の血が頭に向かって駆け上って、鼻血を出してしまうかと思った。
「先生、まずは何か着ていただけませんか……!? 目のやり場に困るといいますか……」
「……それを言うなら、君の方だ」
クレイグは顔どころか耳まで茹ったように真っ赤にして、ふいと顔をそむける。
「……はい? わたしの方?」
ステラが首を傾げながら自分を見下ろすと――身体に巻き付けていたはずのシーツが消えていた。
「きゃあぁぁぁ! 見ないでください!」
ステラは全裸の自分の身体を抱きしめて、その場にしゃがみこんでいた。
*
その後、クレイグの命令でリサが二人の服を用意してくれた。どちらも魔王城に来る時に着ていたもの。
クレイグに殺された時に穴が空いたはずのステラのチュニックは、ほころび一つなく修復されていた。血の染み一つ残っていない。
「魔族のメイドさんって、すごいんですね」
ステラの褒め言葉に、リサはまんざらでもなさそうな顔でフンと鼻を鳴らした。
「人間ごときと比べられては困ります」
身支度を終えたところで、クレイグがステラの死んだ後に起こったことを語ってくれた。
しかし、正直なところ、彼の言葉はステラの耳を素通りするばかり。二人とも人間として復活した時点で、それまでの過程は半ばどうでもよくなっている。
それよりも、クレイグが好きだと言ってくれたことの方が、ステラにとっては重要だった。
(だって、だって、これからは先生と恋人同士なのよ!)
ついに初恋が実ったのだ。片思いが報われたのだ。
クレイグの顔を見るたびに、ステラの頭はほんわかととろけてしまって、顔がぐずぐず崩れるのを止められなかった。
(ああ、こんな幸せな日が来るなんて……!!)




