1-3 憧れのクレイグ先生
ステラがはっと目を開いて身を起こすと、周りを囲む白いカーテンが目に飛び込んできた。少し硬めのベッドもまた、真っ白なリネンで覆われている。
「ここは……?」
額を押さえてつぶやいたと同時に、シャッとカーテンが開かれて、白衣を着た中年の女性が姿を現した。
「目が覚めた? 気分はどう?」
「特に問題ないですけど……あなたは?」
「医務室に来るのは初めてね。校医のパトリス・ホーウッドです」
「パトリス先生? 医務室? わたし、どうしてそんなところに……」
「ダンジョン内でイレギュラーが発生して、学園長が救出してくださったのですよ」
「学園長って……まさかクレイグ先生ですか!?」
「他にいらっしゃいません」
うなずくパトリスの顔は、ステラの目を素通りしていく。
「も、もしかして、わたし、クレイグ先生にお姫様のように、こう……抱っこされて運ばれてきたのでしょうか!?」
ステラは夢見心地で両腕を宙に差し出すが、パトリスは憐れんだような目をそらした。
「荷物のように肩に担いでいらっしゃいました」
「いえ、そ、それでもいい……!! クレイグ先生の肩がわたしのお腹に!? 腕がわたしの背中に回されちゃったりして!?」
自分が肩に担がれた姿を想像して、鼻血が出そうな勢いで興奮してしまった。
どうしてそんな貴重な感触を覚えていないのか。ステラは悔しさで涙目になってしまう。
「それでステラさん、学園長がお話を聞きたいそうです。お元気な様子ですし、これから来ていただいてもかまいませんか?」
「クレイグ先生とお話ができるんですか……!? もちろん喜んで……あ、でも、まずは身だしなみを整えて――」
頭に手をやると、結んでいたポニーテールはなくなっている。着ているローブも周囲の清潔さに反してひどく汚れていて、叩けば土ボコリがふわふわ舞う。
「まずは入浴してからでいいですか!?」
「必要ありません!」
パトリスにぴしゃりと断られて、ステラはしゅんと頭を落とした。
せっかく憧れのクレイグ先生と話せる機会ができたというのに、どうしてこんなみっともない姿で会わなければならないのか。
ステラは袖口を鼻に寄せてクンクンかいでみる。乙女心として、せめて『クサい』とは思われたくない。
(ホコリ臭いけど……これくらいなら大丈夫?)
パトリスがカーテンの向こうに消えた後、しばらくしてクレイグが姿を現した。
いつも通りシワ一つない濃紺のローブを優雅にまとっているが、端正な顔の眉間には、珍しくシワが寄っていた。
(やっぱりホコリ臭いのは苦手ですか!?)
「ステラ・フェルトンだな?」
クレイグの引き締まった美しい口元から、つややかな声で自分の名前がこぼれる。それだけでステラは昇天してしまいそうなほど頭に血が上ってしまった。
「名前を覚えてくださって、大変光栄です!」
クレイグは一瞬困ったように眉尻を下げて、それからイスに腰を下ろしながら問いかけてきた。
「ダンジョンの中で何が起こったのか、どこまで覚えている?」
「ええと……確か地震が起きて、足場が崩れて……そのまま落ちました」
「それから?」
続きを促されるが、ステラはすぐに思い出せない。
(落ちて……気を失った?)
目を閉じてその時のことを思い出してみると、まぶたの裏に浮かぶのは、緑の光に包まれた薄闇の空間だった。
一階層と変わらない光景だが、迷路のような造りだったそことは違う。
円形の舞台が見渡す限りに広がっていて、その周りには高い天井を支えるように太い円柱がいくつも並んでいた。
(あれはもしかして……二十階層?)
二十階層ごとにある通称『ボス部屋』。そこを守る巨大なドラゴンと戦うために、他の階と違って広く造られているという。
二十階層のボスはグリーン・ドラゴン。それを倒すと、『初級魔法士』の称号を得られる検定用の階層だ。この称号を得られれば、どの国の軍でも雇ってもらえるという一つの指標になっている。
(いやいやいや、天才クレイグ先生ならともかく、わたしなんかが足を踏み入れて、無事に戻ってこられる場所じゃないって)
「二十階層にいたような気がしますけど、きっと夢ですね」
ステラはニコリと笑ってみせた。
「いや、君は確かに二十階層で見つけた」
「……はい!? わたし、本当にそんなところまで落ちたんですか!?」
「普通に驚く。気は失っていたが、ケガ一つないとは」
『驚く』と言ったわりに、クレイグは無表情のまま。そんな様子はうかがえない。
「一応、風魔法で自分の身を守ったんですけど、効果があったってことですかね……?」
「ほう、風魔法を使ったか」
「ちょっと失礼する」と、クレイグの右手がステラの目の前に掲げられた。
そこに浮かび上がるのは、赤や青、緑や白と様々な色に明滅する魔法陣。何らかの魔法がかけられているようだが、魔法陣の変化が速すぎて、ステラの目では読み取ることができない。
クレイグの手から魔法陣が消えると、「ふむ、なるほど」と、その手は顎に当てられた。
「な、なんでしょうか!?」
「フェルトンという姓は聞いたことがないが、君の両親は魔法使いか?」
「ええと、『フェルトン』はわたしを育ててくれた養父母の姓でして。本当の母親が魔導師で、この学園で教師をしていたと聞きました。父親が誰かは養父母も知らないと言っていましたけど」
ステラは十三歳まで、フェルトン家の娘として疑っていなかった。
レジカントの下町で料理店『香味亭』を営む陽気な父ブルーノとやさしい母ローザ、少し生意気な三歳年下の弟ロニーの四人家族。
時々店の客に『両親のどっちとも似ていないね』などと言われることもあったが、家族だと疑う余地もないほど仲良く暮らしていた。
けっして裕福な暮らしではなかったが、幸せだった。
ある日、店に来た客に――
『君、魔法適性がありますね。将来は魔法使いになる予定ですか?』
カーヴェル魔法学園を中心に発展してきたレジカント自治領は、世界のどの国、どの街と比べても魔法は身近なものになる。
そんな街で育つ子どもなら、誰でも憧れるのが魔法使いだ。
このまま両親の店を手伝いながら、普通に結婚して、ありふれた人生を送るのがステラの将来だと思っていた。だからこそ、そのひと言は天変地異にも近かった。
『わたし、魔法使いになれるかもしれないんだって。十六歳になったら、魔法学園を受験してもいい?』
胸をときめかせて両親に聞いた時、『実はね――』と、本当の両親が別にいることを知らされたのだ。
実の母親はレジカント生まれで、ローザの幼なじみだった人。魔法適性を認められて、十六歳の時にこの魔法学園に入学したという。
『やっぱり血は争えないのかしらね』と、ローザは淋しそうに笑っていた。
仲の良かった家族を手放してしまったのは、ステラ自身だった。
それでも、学園に合格できた時はうれしかった。入学して、魔法を学ぶのも楽しかった。クレイグにも出会えた。
ただ、魔法使いとしては中途半端な能力しか持っていないと分かって、魔法適性があると知らない方が良かったと思うこともある。
(わたしが魔法使いになりたいなんて言わなければ、今でも普通の家族として暮らせていたのに……)




