1-2 まだ死にたくなーい!
外から入る光でかろうじて明るい石階段は、地下水がもれているのか表面が濡れている。気をつけないと滑って転びそうだ。
「独特の空気があるわね。なんだか嫌な感じだわ」
前を歩くエミリーの声が聞こえてくる。
「長時間いたら、気分が悪くなりそうだぜ」
「こんなところで一週間も生活しなけりゃならないなんてな」
ジョセフとヴァージルもぶつぶつこぼしていた。
(独特な空気って?)
ステラは四人の後に続いて階段を下りながら、首を傾げた。
外は夏真っ盛り。学生用の黒いローブを着ていると、数分で汗だくになってしまう陽気だ。それに比べたら、ダンジョンの中は多少の湿気はあるものの、嘘のように涼しくて快適だと思う。
「魔素の濃度が地上より高いんだろう。こういう環境に慣れるのも、訓練のうちってことだな。具合が悪くなりそうなら、早めに防御魔法を発動しよう」
まとめるように言ったのは、リーダーのルーカスだった。
(なるほど、そういうことだったのね……)
魔素は空気と同じく、世界のいたるところに存在する黒い微粒子。周囲の魔素を体内に取り入れて魔法に変換する魔法使いにとっては、必要不可欠なものになる。
一方で、魔素は凝縮するとやがて結晶になって、それを核に魔物が生み出される。魔物を倒すということは、その核を破壊して元の魔素に戻す行為だ。
外であればその魔素は大気中や地中に散っていくところ、この閉鎖されたダンジョン内では、外に流れ出ることがない。一定の時間を過ぎると再び結晶ができて、新たな魔物として復活する。
おかげで学生は、何度でも魔物を相手に戦闘訓練ができるのだ。
この環境において、地上よりはるかに魔素濃度が高いのは間違いない。
濃すぎる魔素というものは、人体に悪影響を及ぼす。軽ければ、眠気やめまい、吐き気といった『魔素酔い』程度。しかし、重度になると体表や内臓の細胞を破壊されて死に至る。
実のところ、魔物が人類にとって脅威になるのは、その凶暴性よりまき散らす魔素の方が問題なのだ。
そんな魔物に対峙する魔法使いは、魔法を使うにしても身を守るにしても、周囲の魔素濃度の変化に敏感でなければならないのだが――
(まったく反応できていないわたしは、人間に毛が生えた程度の魔法使いでしかないということで……)
ステラは改めて現実を突きつけられて、がっくりと項垂れた。
たどり着いた地下一階層は、緑に発光するヒカリゴケがみっしり石壁にはびこっていて、行く先を淡く照らしていた。
二十階層まで『緑の階層』と名付けられた理由がよく分かる。
その幻想的な光景に、ステラは『なんてきれいなの!』と感嘆の声を上げそうになったが、慌てて口をつぐんだ。
(ただでさえ役立たずなのに、観光気分なのかって白い目で見られそうだし……)
地下一階層は前知識の通り、迷路のように入り組んでいて、先に入ったグループの姿も見当たらない。
地図を作りながら歩みを進めること十五分ほど――。
「魔物がいたぞ!」
先頭を歩いていたルーカスが振り返った。
地下百階層まであるこの訓練用ダンジョンは、下に行くほど魔物が強くなっていく。一階層に出没するのは、最弱のスライムといわれている。
ステラが背伸びをして四人の前を覗くと、半透明の粘り気のある物体がゆるゆると地面を這っていた。
(うわぁ、本物の魔物! スライム!)
スライムの討伐方法は、体内にある黒い核を物理攻撃、もしくは魔法攻撃で破壊。最弱の魔物だけあって、人間を攻撃してくることはないし、魔法を使わなくても武器で簡単に倒せる。
「おい、Eクラス。いくらポンコツでも、スライムくらいは倒せるよな? 譲ってやるから、戦ってみせろよ」
ルーカスがニヤリと嫌な笑みを浮かべて、ステラを振り返った。
「お、いいじゃん。ここから先、お前が勝てるような魔物は出てこないからな」
「先のことを考えたら、一階層くらい魔力を温存したいところよね。ほら、やってみなさいよ」
メンバーに口々に言われて、ステラは無理やり先頭に押し出された。
スライムを一匹倒したところで、能力値が大きく変わるようなことはない。それでも彼らの言う通り、この先ステラに太刀打ちできない魔物しかいないとなれば、せめてスライム一匹でも倒しておきたい。
「で、では、お先にやらせてもらうということで……」
ステラは背負っていたリュックを地面に下ろしてから、右手を掲げて、宙に素早く魔法陣を描いた。
「ファイア・ボール!」
赤く輝く魔法陣の中心に、こぶし大の炎がポッと灯る。と同時に、それを投げるように手を振った。
火球は魔法陣を離れて、スライムに向かってふわふわ、ゆらゆら漂っていく。
「あともうちょっと……!!」
ステラの懇願もむなしく、火球が着弾する前にスライムはサササッと奥の暗闇に消えていってしまった。
「スライムに逃げられるとか、ありえねえ」
「うっそ、スライムすらまともに倒せないの?」
「こりゃ、マジで役立たずだわ」
ブハハハハッと嘲笑がわき起こって、ステラはガタリと両ひざをついた。
『弱い魔物ほど素早いんです!』と、言い訳する気にもならない。
(さすがのわたしも、これは心折れるわ……)
「すみませ――」
ステラが『ん』を口にしようとしたその時、地面がゴゴゴッと音を立てて揺れ始めた。
「地震か!?」
「え、ちょっと何……!?」
ふらついたメンバー四人が焦ったように辺りを見回している。
這いつくばったステラの視線の先、確か火球が着弾した辺りの地面に亀裂が入っていた。
その亀裂は縦横無尽に地面から壁に広がって――ステラは突然足場を失った。
「きゃあぁぁぁぁ……」
ふわりと無重力感に包まれて、瓦礫と化した石壁や石床とともに下へ下へと落ちていく。
(いやあぁぁぁ、まだ死にたくなーい……!!)
ステラは無我夢中で右手を下に向けて、風魔法を連発した。
自分の身体を押し上げる風が、クッションの役目を果たしてくれるだろうと期待して――。




