5-4 後悔(クレイグ視点)
(人間の身体というのは、こんなにも熱いものだったとは……)
ステラの心臓をまっすぐ目指したクレイグの指先は、ぬめりのある血と肉の中、求めるものを探してさまよっていた。
こうして熱いと思うのは、自分の体温が低いせいなのか。
眼前に迫るステラは大きく目を見開き、その若草色の瞳はすでにガラス玉のように生気を失っている。彼女の胸に右手を突き立てた時に吐き出された赤黒い血が、唇の端からこぼれ落ちていた。
初めて人間を殺した。
それまで当たり前のように動いていた人間が動かなくなる。その過程の一瞬一瞬がゆっくりと目に映った。
『先生、大好きです』
ステラの声と彼女の笑顔が、その瞬間を切り取ったようにクレイグの脳裏に刻まれた。
最後まで彼女の想いに応えてやれなかったことが、クレイグの心を冷たく凍りつかせる。
(俺も好きだと返していたら、彼女の苦痛を少しはやわらげてやれたのだろうか)
今さらながら、この選択をしたことを後悔していた。
こんな風に今ここでステラを殺さなくても、彼女が寿命を迎えるまでシンシアの時を止めておけば、世界を守れたかもしれない。
たった数十年、クレイグさえ辛抱すればよかった。
その間に己の力をもってすれば、ステラが魔素を取り入れて消滅させることを止める方法を見つけられたかもしれない。
(なのに、そうしなかったのは――)
ようやくシンシアの言っていた『希望』の意味が分かった気がした。
ステラはクレイグの存在を認め、正体を知ってもその好意が揺らぐことはなかった。
高濃度の魔素がある環境でも平然としていられる彼女は、クレイグとともに生きられる存在だ。ランドルとシンシアのように種族の違いを越えて愛し合い、子をなすこともできた。
それだけで、クレイグの長年求めてきたものは叶えられるはずだった。
人間に戻らなくても十分に幸せになれると、シンシアはランドルとの恋を成就させることで証明したかったのだろう。
シンシアがクレイグを倒せる魔導師になる代わりに残したものが、ステラだった。
なのに、それを壊す選択をしてしまった。
(――俺が人間に戻ることにこだわったせいだ)
『みんなの幸せがかかっているのなら、この策に賭けてみる価値はあります!』
ステラはまさしく『みんなの幸せ』のために、世界の平和のために、その身を危険にさらす道を選んだ。
かつてのヘイデンが、世界の平和のために魔王を倒そうと誓った時のように。
(俺は長い時を過ごす中で、いつの間にか人間らしい部分を失っていたのかもしれないな……)
クレイグは『みんな』のためではなく、『自分』のためにステラの言葉に突き動かされた。今度こそ人間に戻れるかもしれないと、はやる気持ちを抑えられなかった。
(ステラ、俺の我がままに付き合わせて、本当にすまない)
クレイグはこぶし大の硬いものを握りしめて、ステラの身体から引き抜いた。
穴の開いた胸からは血しぶきが飛んで、顔に、服にその飛沫が染みをつける。
クレイグの手の中には血にまみれた魔素の結晶が残った。
クレイグのものよりは小さいが、その核を切り出して造った魔族のものよりはよほど大きい。
核を失ったステラの身体は、ただの人間の肉体となった。クレイグを取り巻く濃い魔素にさらされて、体表から塵となって大気中に散っていく。
抱き寄せていた彼女の身体は徐々に軽くなって、ほどなくしてすべてが塵と化し、彼女の着ていた服だけを残して消えた。
計画はすでに動き出してしまった。もう後戻りはできない。
「ステラ、俺はこの賭けに必ず勝つ……!!」
クレイグは手の中の核をひと振りして、周りにつく血を払った。
魔素でできた漆黒の結晶。その周りは金色の細い鎖がみっしりと巻き付いていた。
それがシンシアの施した封印の魔法だ。
その鎖の一部が黒くくすんでいて、周囲の魔素がゆるやかに流れ込んでいる。
ステラが魔法使いとして魔法を使えたのは、この封印のほころびがあったからだ。そうでなければ、彼女に魔法適性があったのかも疑わしい。
体外から取り込んだ魔素の一部が消滅させられたとしても、残りは彼女の意思で魔法として放出することができた。もっとも、そのほとんどが外部の魔素を消滅させる危険な魔法として発動されていたが。
ランドルはもっと早くそのことに気づいてほしかったのだろうが、それにはステラはあまりに最弱すぎた。
最低ステータスのEクラスの学生。自分を倒せるほどの才能を持つ魔法使い以外に、クレイグが興味を持つことはなかった。
ステラがダンジョンを崩壊させて初めて気づいたことだった。
(遅くなってすまなかった)
クレイグはシンシアとランドルに向けて、胸の内でつぶやいた。
命を賭けてステラをこの世に生み出してくれたシンシア。
ステラを見守り続けたランドル。
その二人が作ってくれたこの好機を、無駄にはできない。
「リサ、エルシー、オズワルド、カーティス、直ちにここへ来い!」




