5-1 魔素を司る王
クレイグの背におぶられて、ステラは再び魔王城に向かっていた。
上空の冷たい空気になぶられながら繰り返し頭に浮かぶのは、先ほどクレイグと交わした会話だ。
(勢いで言っちゃったけど……。そのことに後悔はしていないけど、やっぱり死ぬのは怖いよ)
肉体が死んでも本当に精神は失われないのか。
十六年間の思い出が消えてしまうことはないのか。
(先生を好きなこの気持ちも、ちゃんと残っているのかな……)
まるでデートのように二人でとった昼食。今さらながら、最初で最後の食事だったかのように感じてしまう。
それが分かっていて、クレイグがそんな時間を用意したのではないかと、不吉な想像に身体が震えるのを止められない。
こうしてクレイグの身体に触れられるのも、もしかしたら最後になるのか。
ステラはこの感触を死んでも忘れないように、自分の精神に刻み込めるように、きつくきつく抱きしめた。
(この温もりをちゃんと思い出せますように)
*
「お帰りなさいませ、ご主人様」
ステラがクレイグとともに魔王城の前にたどり着くと、前回と同じくリサとエルシーが入口まで出迎えに来ていた。
「部屋の用意はできているか?」
「もちろんでございます」と、リサが軽く頭を下げる。
「ご苦労」
クレイグの後に続いて、ステラは城の中を歩いていく。
(『部屋を用意する』って、まるで新婚初夜を迎えるカップルみたいじゃない!?)
これから生死を分ける大仕事が待っているというのに、ステラの頭はどうも変なことを考えてしまう。
だからこその現実逃避なのか。
先導していたリサが立ち止まったのは、城の入口から玄関ホールを通り過ぎて、真正面にある大きな両開きの扉だった。
扉が開かれた途端に、周囲を取り巻く黒い魔素が一層濃くなった気がする。
その向こうはパーティでも催されるような大広間だった。
黒い靄が重く立ち込める中、天井の大きなシャンデリアにはロウソクがすべて灯され、ほの明るく室内を照らしている。
歩みを進めるほどに視界は黒く染まって、先がよく見えなくなる。
広さのわりに他に誰かいる気配はなく、気味が悪いほど静けさが漂っていた。リサを含めて三人の足音がコツコツと反響するだけだ。
一番奥には数段の階段があって、その上には竜巻のように渦を巻く黒い靄が天井まで届いていた。それは天井をすり抜けて、魔王城を取り巻く靄に続いているのだろう。
さすがのステラもわざわざ聞く必要もなく、ここが世界を取り巻く魔素の中心だと分かる。
目を凝らせば、渦の中心には石造りのイスが一つ置かれていた。
そこに座るのは、漆黒のロングジャケットをまとった長い黒髪の青年。その顔立ちは、クレイグと寸分も違わない。組んだ脚の上に頬杖をついて、その両目は伏せられている。
まるで燃え盛る黒い炎の中で眠っているように見えた。
(きっとこれがクレイグ先生の本体――)
ステラが固唾をのんで見つめていると、本体の目がゆっくりと開いた。覗く瞳はやはりクレイグと同じ、きらめくような漆黒だ。
とその時、ステラの前に立っていたクレイグが突然両ひざを折って、その場に崩れ落ちた。
「先生……!?」
ステラは慌てて駆け寄ろうとしたが、倒れたクレイグの下に白く輝く魔法陣が現れたかと思うと、その身体は忽然と消えてしまった。
転移魔法でどこかへ飛ばされたようだ。
「気にしなくていい。あれは俺の分身だと言っただろう。今は必要ないからな」
言いながら、玉座の主がゆっくりと立ち上がる。
「今はそちらが先生、なんですか……?」
今一つ確信を持てないステラに、彼はうなずいてみせた。
「ああ。中身は何も変わっていない」
(そうかもしれないけど……)
黒い魔素を色濃くまとうクレイグは、小さな笑みを見せながらゆっくりと階段を下りてくる。
その立ち姿も風貌も、『王』と呼ぶのにふさわしい威厳と風格があった。
彼は魔素を司る王――魔王だった。
(先生、なんてカッコいいの……!!)
ステラは悶絶しそうになる自分を必死に押しとどめていた。
「怖いか?」
「い、いえ、先生があまりに素敵すぎて、見とれていました!」
クレイグは拳を口に当てて、ぷっと噴き出す。
「君は相変わらずだな」
(先生の笑顔が尊い!)
ステラは叫びたくなるが、単にあきれられたような気もして複雑な気分に陥った。
「こちらへ」と促されて、ステラはクレイグの後に続いて広間の壁際に向かった。
不意に黒い靄が視界から消えて、目の前には二つの簡易ベッドが並んでいた。
こんな謁見の間のようなところで寝るイメージは全くないので、異物感が甚だしい。まるで別の部屋に足を踏み入れたかのようだ。
片方のベッドには誰か寝ているのか、かけられたシーツがこんもりと盛り上がっている。
「ここは……?」
辺りを見回すと、ベッドを囲むようにドーム型の半透明の膜が取り巻いていた。膜の外には黒々とした魔素が漂っているのが見える。
「魔素除けの結界だ。中は人間に最適な魔素濃度にしてある。複製体はあくまで人間の肉体だから、この環境にただ置いておくわけにはいかないんだ」
「なるほど……」
言われてみれば、クレイグを取り巻いていた大量の魔素もほとんど消えている。この結界に阻まれて、中までは流れ込んでこないらしい。
「これが俺の造った複製体だ」
ベッドの傍らに行って覗き込むと、彼と瓜二つの青年が目を閉じていた。
人形というには枕に散らされた黒髪はつややかで、肌も血色がいい。なのに、呼吸をしている様子がないのが気味悪く、ステラは背筋が寒くなったような気がした。
「なんというか……死体みたいに見えますけど」
「時間停止魔法をかけてある。この環境でも、人間の生身の体は長時間放置すれば腐ってしまうからな」
「精神を移すことに成功したら、先生はこの身体で動けるようになるんですね」
「ああ。ずいぶん長い時間がかかったが――」
クレイグは感慨深い様子で横たわる自分の複製体をつかの間見つめてから、ステラに視線を移した。
「さて、君の複製体を作ろうか」




