3-3 魔王という存在
クレイグは逡巡したように少しの間目をさまよわせて、それから意を決したように口を開いた。
「俺は人間としての生を取り戻したいと思っているんだ」
「人間としての生……」
「その方法は魔王が取ったものと同じで、俺を限界まで弱体化させて、精神を核から切り離さなければならない。そのために、魔王と同等以上の力を持つ魔法使いを育てたくて学校を創ったんだが――」
いつか復活する魔王を倒す勇者を育成するためのカーヴェル魔法学園。
目的そのものに違いはないが、実は二百年も前に魔王が復活していて、自分を倒す人間を育てていたとは。
ステラはそんな事実を聞かされても、どう反応していいのか分からなかった。
「……それで勇者が育ったら、先生もその身体を乗っ取って、入れ替わるつもりだったんですか?」
「誤解しないでくれ。魔王はあくまで魔王だった。俺の心は今でも人間だと思っている。誰かの人生を奪うようなことはしない。入れ替わるのではなく、俺の精神を移す。そのための肉体はすでに用意してある」
「先生の肉体?」
「魔王も人間の生を本気で求めていたようで、結婚して子どもをもうけていたんだ」
「勇者ヘイデンの子孫……」
「そう。俺が目覚めてしばらくして、子孫の一人を見つけた。その男は年齢も顔立ちも俺に近かった。だから、彼の一部――髪を少しもらって、複製の魔法で肉体を復元したんだ」
「すごい力ですね……」
オズワルドが書類を複写していたのと、同種の魔法なのだろう。
今のクレイグは、復活した魔王とも呼べる最強の魔族。あらゆる魔法を自在に使えることは、ステラでも容易に想像できた。
「問題は学園を創って二百年経っても、ダンジョンの百階層に到達できる人間が現れないことだった」
クレイグはそう言って、落胆したような表情を浮かべた。
「百階層を突破したら、勇者ヘイデンと同じ力を持つって聞いていましたけど、本当だったんですか?」
「そうなるようにダンジョンを設計した。実際、百階層の魔素濃度はここと同じにしてある。しかし、八十階層を過ぎると、魔物の強さよりも魔素濃度に誰も耐えられなかった。人間の生は短い。時間をかければ到達できたのかもしれないが、その前に老いが先にきて、みな引退してしまう」
「それで、八十階層が魔導師の検定階層に?」
「魔法使いとしては最高レベルという意味で、いつのまにか称号になっていた」
「でも先生は三百年前、人間のヘイデンとして魔王と戦える力を持っていたんですよね?」
「ああ、俺が持って生まれた素質があったのは間違いないだろう。しかし、『勇者』として魔王に対峙するだけの力を得たのは、そこからの成長があったからだ」
「……ええと?」
「俺がこれまでやってきたことは、魔王がやったことと変わりない。俺はダンジョンを訓練の場としたが、魔王はこの世界でそれをやった」
「それはどういう……?」
「魔王はここにたどり着く道に、弱い魔物から強い魔物まで故意に用意した。順番に戦わせることで、人間を強化していったんだ」
「魔物を故意に用意する……? そんなことが可能なんですか?」
魔素は風や水とともに流れて、窪地や池などのたまりやすい場所――『魔素たまり』に集まる。そういう場所では、魔素が結晶化しやすくなって、それを核とする魔物の発生源になる。
生まれた魔物は魔素をまき散らしながら魔素濃度の低い場所へ移動して、やがてすべては魔素の粒子に戻り、大気や大地に散っていく。
クレイグの話が正しければ、魔王はそんな自然のことわりに反して、自由に魔物を生んでいたということになる。
世界に魔王が出現して魔物の数が増えたのは、単に魔素そのものが増えたからだと習った。魔王が倒された後、魔物は激減して、世界が平和になったのは間違いない。
ところが、厳密には魔王は倒されることなく、今こうしてクレイグとして存在している。にもかかわらず、魔物による被害が減ったということは、世界の魔素が減ったということ。
その魔素はどこに行ったのか。『魔素は消滅しない』のだから、この世界のどこかに存在しなければならない。
(魔王っていったい……?)
これまで最強の魔物という認識だったが、もっと別の存在に思えてくる。
ステラの胸の内の疑問に答えるように、クレイグは小さくうなずいて応えた。
「魔王は魔素を自由に操る、世界の秩序を保つ存在なんだ」
「それってつまり、神様のようなものなのでは……?」
「そうかもしれないな」と、クレイグはその表現に満足したように口元に笑みを浮かべた。
「魔王は魔素を増やして魔物を生み出すことも、魔素を減らして人類や生物を滅ぼすこともできる。すべては魔王の心次第ということだ」
「それが今は、先生の役割なんですか?」
「先の魔王に無理やり押し付けられた役割だ」
クレイグは不本意と言わんばかりに肩をすくめた。
「なら、先生はこの世界から魔物をすべて消すこともできるということですよね?」
「当然、可能ではある。しかし、人間にとって最適な魔素濃度というものは存在していて、自然発生的に現れる魔物まで消してしまうと、人類も滅亡する。そのバランスが大事なんだ」
「そ、それもそうですね……。変なことを聞いてしまいました」
ステラは恥じ入ったが、クレイグは穏やかな表情でかぶりを振った。
「いや、いい質問だと思う。現実に今の世界の魔素濃度は高めに調整していて、出現する魔物の数は必要以上に多い」
「そうなんですか? でも、どうして……」
「こんなことを言うと卑怯に思われるかもしれないが、世界を平和に保つためには、各国に共通する『脅威』があった方が簡単なんだ」
「世界には人間に害をなす魔物が必要ということですか?」
ステラはいま一つ腑に落ちないまま尋ねてみた。
「少なくとも俺はそう思っている。この世界から魔物の脅威が失われたら、人間は人間同士で争いを始める。魔物討伐や自国の防衛のために持っている各国の軍は、今度は国の利益のために隣国を攻撃するかもしれない」
レジカント自治領の総督でもあるクレイグは、政治にも携わっている。世界の魔素濃度を調整するばかりでなく、国同士の均衡も考えて、今の平和を維持しているのだ。
「つまり、魔王というのは、世界の平和を守る王様なんですね」




