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【8】きょうだいの証明

あの晩。あの地獄を振り返ろう。

炎が踊り、ブランノワールの畜生腹が、固く結んだ手を離した、かつての時である。

彼らの襲撃は唐突だった。


「……招かれざる客が来たわ」


ふと顔を上げ、ヴィクトリアが言った。彼らは、ウィリアムの案で離れの周辺に感知結界を巡らせており、魔術式の構築を天才であるウィリアムが、起動と供給は莫大な魔力を持つヴィクトリアが行っていたのである。


ヴィクトリアは、駆け足で階段を駆け上がる。最上階の部屋に、戯れで組み立てた(設計はウィリアムである)バリスタの前に立ち、ドレスを捌きながら片膝を立てて構える。

その隣に滑り込むように入ってきたウィリアムが、双眼鏡を構える。


「ヴィー、確かに見たことのない奴らだ。しかも、物騒な物を持っているな。……上58、右30、背の高い男が来ている。構えろ……放て。」


一射、ニ射、三射。


間断なく放たれるそれが、あやまたず、ならず者を貫いていく。その精度は、既に素人のそれではない。

次々と倒れていくならず者達を見下ろしながら、ウィリアムはひとつ舌打ちを打つ。


「キリが無いわね」


思考を読んだかのように、ヴィクトリアが言った。

決して大軍ではない。けれど、寄せ集めのそれは十分に脅威であった。素人であろう影に混じる、手練の姿……。


「若様!お嬢さま!言われた通り、部屋に鍵を掛け、仕掛けをしてきました!」

「嗚呼、助かった。奥の部屋へ行くぞ」

「ええ。わかったわ」


パァン!と音を立てて窓硝子が内側に弾ける。飛んでくる矢の位置が分かったのだろう、狙われたのだ。優雅に硝子の軌道を避けたヴィクトリアは、肩をすくめて笑う。青褪めた側仕えを連れ、奥の部屋まで駆け抜けた。階下からは、仕掛けが発動したのだろう、破裂音や喚き声、悲鳴が響いている。


「王家だな」


走りながら、ウィリアムは断言した。息を呑む音がして、ますます側仕えの顔が白くなる。怯える姿に憐憫の念が湧く。


「あら、どうして?」

「それは、こういうこと、だ、なッッ!!!!!」


曲がり角を曲がりながら、その先にいた男の顔面に魔石を叩きつけーーー破裂させる。その傍にいた男の心臓を、頭が吹き飛んだ男の腰から引き抜いた剣で貫きながら、「どういうこと?」とヴィクトリアは首を傾げた。


「お前が奪った剣、近衛のだろ」

「あらまぁ」

「王家め。お前が王妃になることが、よっぽど気に食わないらしいぞ」

「まぁ。ひどいわ。私は20になってもずっときょうだいと一緒にいるもの。失礼しちゃうわね」

「いやそこは結婚してくれよ」


ウィリアムは思わず素で突っ込んだ。何を言ってるんだ俺のきょうだいは。畜生腹といえど、ブランノワール家の唯一の令嬢である。結婚してもらわないと困る。というか、いつまで居座る気だ。


「あら、ひどいわ。ビルったら。ねぇ、20を過ぎても私たち一緒よね?」

「えっ……あ、………は、はい」

「おい、困らせるな。可哀想だろう」

「だったら、ビルは20になった頃どうなりたいの?」

「さぁ、」


ウィリアムは、ひとつ笑う。


「一蓮托生ってことぐらいしか、分からねぇな」


そう。その時の私たちは、どこまでもずっと共に駆け抜けていけると、そう、思っていた。


「あそこだ!」


ウィリアムが鋭い声を出した。廊下の先に部屋が見える。そこが彼らの目的地であり。


ーーー彼らの終着点でもあった。


「ヴッ!!」

部屋へ飛び込んだヴィクトリアが振り返った時。

側仕えを庇ったのだろう。左肩に矢を受けたウィリアムが、抱き込むようにして転がって。


「ーーーーーーーッッ!!!!!」

「ーーーーーーーッッ!!!!!」


庇われた子供が、叫ぶ声がする。その言葉の意味を理解する前に。


「見つけたぞ!死ねッッ、この、畜生腹がァ!!!!!」


松明が揺れ、男達が現れる。

血走った目で、振り上げられた鉈が、斧が、わたくしのきょうだいに、



ーーー気づけば、室内で生きている人間は、ヴィクトリアとウィリアムだけだった。



扉は固く閉ざされーーー扉の前に積み重ねられた家具越しに、幾重にも怒声が響いている。

ヴィクトリアは、ひとつ息を吐いた。血でぬめる手が、柄に張り付いたかのようだった。

彼女の視界の端で、伽藍堂の琥珀の眼が己を向いている。今まで生きていたそれは、腹を掻っ捌かれ頭をかち割られ……無惨な死体を晒している。


「………なぁ、きょうだい」

「ええ。どうしたの、きょうだい」


愛らしいドレスをぐっしょりと血で濡らしながら、可憐な声は穏やかであった。隣に凭れ掛かる少年から流れ出した命が、今まさに尽きようとしている。

その背に受けた深傷は骨まで届き、肺に血が入ったのか呼吸のたびに嫌な音がする。

もう絶え絶えの少年を支える少女は、いまだに柔らかな微笑を湛えたままだ。



「……いっしょうに、いちどの。おれの、最期の願いを、きいてくれるか」


俯いたまま、呻くようにウィリアムは言った。

彼は、己の願いがどんなに残酷なことか分かっていた。どれだけ、酷いことか分かっていた。



「ええ。あなたがそう願うなら」

けれど、迷いなんざ一つもなく。

当たり前のように、ヴィクトリアは答えたのだ。




「………ウィリアム、さま?」

「どうしたの?レティシア」



一瞬だ。一瞬で、世界が塗り変えられる。

短い髪をさらりと手で払って、小首を傾げて笑う。

品のある立ち姿、柔和な顔、眉を下げた笑い方、甘く軽やかな声。

黒真珠を砕いて散りばめたような黒髪は銀河を溶かし込んだかのようで、夜露の如く光る檳榔子黒の眼は、まるで薔薇のように華やかだ。薄氷のような花肌は仄かに光を放つようで、一片の花弁のような唇は、口付けたいくらいに可憐である。

地獄の闇よりも美しく、深淵の闇よりも絢爛な黒を身に纏うひとであった。


嗚呼、そうだ。

耳の上で揺れる髪も、身体の線に沿う紳士服も、磨き抜かれた革靴も、男性に並ぶほど高い身長も、火事で焼けた声も、淑女にあるまじき全てが、彼女を何ひとつ損ないやしない。


「改めて自己紹介を。私の名は、ヴィクトリア・ブランノワール」


どれだけの激情も……思わず声を失ってしまうほどの圧巻の存在感。脳に焼きついて離れない絶対の気品。彼女は派手な動きをしているわけではない。穏やかな声で、微笑んでいるだけだ。

ただ、彼女が視界にいるだけで、一気に世界の彩度が上がる。そんな、隔絶した美しさ。


大理石の白さも、天窓から差し込んだ光も、どんなに綺麗に整えられた庭園も、どんなに澄み渡った空も、花も、宝石も、王族さえも、全てが有象無象に成り下がる。その絢爛にして清廉な檳榔子黒を前に、全ての色彩がただの引き立て役に成り下がる。

  

「貴方達が、殺し損ねた畜生腹ですわ」


傾城傾国。絶世たる黒の女王が、大広間に顕現した。


「……ヴィクトリア?」

「えぇ。どうしたの?花の王子様」

「嗚呼、ああ!生きていたんだね!良かった、よかったっっ!!!!!」


衝撃で静まり返った広間に響くのは、歓喜に満ちた声である。アロイスは、呆然とした顔から、徐々に頬を染め上げ、歓喜に満ちた表情で、ヴィクトリアを見つめていた。涙で顔をぐしゃぐしゃにして、それでも心の底から喜んでいる。


「あら、ありがとうございます」


対して、ヴィクトリアは。己の生存を心の底から、全身で寿いで歓喜している男に向かって。


「ウィリアムの時は、死ねと言っていたのに。不思議だこと」と、完璧な微笑を浮かべたのである。


(ーーーああ、怒っているんだわ)


真っ白な頭で彼女を見ていたレティシアは、ふとそう思った。騙されていた、嘘を吐かれていた、ウィリアムは存在しなかった。己の信じていたものが、心を預けていたものが、目の前でいとも簡単にぶち壊された。

それに怒る前に、悲しむ前に、苦しむ前に。ありとあらゆる感情が動く前に、自然と彼女はそう思った。


「な、ち、違う!ヴィクトリア、私は君に言ったつもりではなくて」

「あら。それでは、アレを私の片割れになら言ってもよかったというの?」

「ああっ、ちがうんだ。そうじゃないんだ……私は、」


でも、考えなくとも当たり前の話である。

己の片割れが、「お前が代わりに死ねば良かった」と詰られて。己と片割れの命を天秤に掛けて、「何故お前が平気な顔で生きているんだ」と当たり前の顔で責められて。


畜生腹は、ひとつの魂を分け合ったからこそ、不完全な生物なのだと言う。その不完全さが罪だと言うのならば。


ーーー魂を分けた片割れを侮辱されて、魂のもう半分を奪われて、怒らぬ者が何処にいる。



全くもって当たり前だ。その当たり前のことに、今気がついた。

そこまで気づかせなかったこの(ひと)に、脱帽する。その怒りの深さに総毛立つ。


「全く、ひどいわ」


哀しそうに眉を下げるだけで、何でもしてあげたくなるほどの愛らしさだった。萎れた花のような美貌は、それでも狂おしいほど美しい。


「……生きていたのか、ヴィクトリア・ブランノワール」

「ええ。アレだけ無様に焦って仕掛けてきたのに、殺し損ねて残念でしたわね?」

「嗚呼、最悪だ。お前こそ、その杜撰な暗殺で片割れを遺して生き延びた気分はどうだ?」

「最高で最悪に決まってるでしょう?」


王と言葉を交わしながら、くすくすと笑う。

嗚呼、最悪だった。最悪というのも生温いくらいの、生き地獄だった。


隠し隠し息を潜めるようにして隠し通した。

そんな、十年だった。


「お前が生き延びたとて、お前がどれだけアロイスに媚びようと、畜生腹に王妃の座を渡すことは何がなんでも許さぬ。残念だったな」

「あら、それはどうでもいいのですけれど。王よ、嘘をつきましたね?」

「ーーー嘘?」

「あらあら。しらばっくれるなんてひどい人。まぁ、いいでしょう。私はある方に伝えました、〝気持ちはわかる〟と」

「は?」


怪訝そうな顔の王に向けて、鈴を転がすような軽やかさで笑いながら、ヴィクトリアは言った。


「私が、何も考えず、この男なんぞを喜ばせるために、秘密を明かしたとでも?」


極上たる檳榔子黒の眼が星々の輝きを放ち、真紅の薔薇の花弁のような唇が甘く動いて、吐息混じりに囁く。


「畜生腹の、王子様」


怪訝な顔の人間たちの中で。王が唯一、顔色を激変させる。それは、王家が連綿と守り続けた秘密。


「待てっ貴様っ!まさかそれをーーー!」

「ねぇ、レティシア。一緒に勉強した、怪物の神話を覚えているかしら?兄王と建国の決定打となった物語よ」

「えっ、あ、あの。確か……」

「お前お前お前ッッふざけるなその言葉を言うな!何としてでもお前を殺ーーーッッ!!!!!!!!」

「ほら、レティシア。お願いよ、言ってみて」


ヴィクトリアの柔らかい声に背中を押されて、強張る口を開く。


「この国は、兄王と弟王によってつくられた。弟王が死んだ後、怪物が現れた。失意のまま、兄王は怪物と戦うことになる……」


怪物は、兄王を苦しめた。

何故なら、怪物は兄王と同じ顔をしていたからと言う。


「怪物が死ぬと、その腹からは弟王が使っていた剣が出てきた。兄王は、怪物を倒し封じた森を忌み地と定めた。そこを、死の森と呼ぶ……」


パチリ、と最後のピースがはまり、頭の中で答えに辿り着く。

言い切る前に、語尾が震えていた。

ヴィクトリアは、柔らかく微笑んで。


「よく出来ました。歴史は寓意と教訓にあふれているわ」


かつてのように、そう言った。

弟王と入れ替わるようにして現れた怪物。

兄王と同じ顔をした怪物。

怪物の腹から弟王の剣が出た。


「怪物の森をご存知?死の森とも呼ばれているの」


王国の端に、怪物の森と呼ばれる場所がある。読んで字の如く、怪物が棲むと言われる森である。噂に聞くそれは、複数の眼、針金のような体毛、四つの耳、四本の腕。耳の横まで裂けた口は赤く、何重もの乱杭歯が剥き出しになっている。

怪物を見たものは呪われる。怪物と出会ったものは殺される。死の森に入って、帰ってきた者はいなかった。


「複数の目、四つの耳、四本の腕……まるで、双子がくっついたかのようね?」


目の前で微笑む女は、確信を持っている。確信に至る、何かを握っている。


「畜生腹は、その呪いは、王家の祖から始まりました。そしてその忌み名は、死の森の悪名は、今もなお囁かれ続けております」

「やめろ!やめろ、辞めろ!!!!!くそッ、アロイス!!!あの女を討てェ!!!!!」

「ち、父上!?」


建国の王は、双子だったのだ。双子の弟は死の森に追いやられ、兄の手で討たれた。

死の森とは、王族に生まれた双子の、流刑地である。


「畜生腹の王子様」


その森が、今もなお使われているとしたら?


「貴方、不思議に思わなかったのですか?貴方の口で言ったのですよ」

「な、何をだ。ヴィクトリア、」

「まぁ、察しの悪い方。父君は痛いほどに分かっておりますのに。その罪を知らずに生きていくには業が深いのではなくて?」

「なにをっ」

「親心というものですね。まったく涙が出てしまいそう!……私のきょうだいが殺されたのは、ヴィクトリア・ブランノワールが暗殺者を差し向けられたのは、民衆の声を、王家の影響力を気にしたからではございません。」



それは、王家のとびきりの秘密。

王が、何がなんでも守り抜こうとした致命傷。



「王家は、祖の血筋から畜生腹が生まれやすい家系です。ーーー貴方の母君(王妃)は、いつ他界されたのでしたっけ?」



柔らかな声で、甘やかな言葉で。

彼女は、王家の秘密(くび)にナイフを突き立てた。

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