【7】悪逆の舞台
「ウィリアム様ッッ!!!!!」
「嗚呼、来たかレティシア」
扉を開け放って駆け込んだレティシアを見て、貴方は機嫌良く微笑んだ。
玉座の王と側妃、そして鬼気迫る形相のアロイス殿下。それっぽっちの伽藍堂の大広間で。側近も護衛の一人もいない、まるで誂えたかのような死の舞台で。
中央に一人立つ貴方は、涙が出るほど美しかった。
前々から賛同してくれていた仲間を集め、説得した。方々からの協力を得て、手を借りながら城門を突破して駆け抜けた。例え斬首になろうとも、貴方だけは救いたかった。貴方に一人じゃないと伝えたかった。
ーーーそれにしては、導くかのように手薄ではなかったか?
「貴様ァ!何をした!!!!!何故、兵も宰相も側近たちも来ぬのだ!」
「なにも」
吠えたてたアロイス殿下に対して、返された声は、場違いな程に穏やかだった。あまりにも異常な場に平然とした顔で立つ貴方は、息が苦しくなるほど綺麗だった。
「皆も、私の意見を汲んでくださったのですよ」
この期に及んで。この場に誰も来ないことが、彼の恐ろしさの証左だった。
信者に囁き、敵対派閥さえも絡め取って、王宮内の全ての人間を誘導し意のままに操って。この瞬間、彼はこの国の中枢を支配している。
ギリ、と歯を噛み締める音が響いた。憤死せん限りの凄まじい形相で、アロイス殿下がウィリアムを睨みつけている。そんな、今にも首を食いちぎられんばかりの憎悪に対して、やや目を伏せて口元だけ微笑む青年は、いっそ平坦なまでに完璧な微笑であった。
「……忌まわしき畜生腹め」
歪な笑みを浮かべてアロイスが言った。その目はゾッとするほど真っ黒である。
「殿下!!!!!」
「……嗚呼、君は平民の。いや、今はもう貴族の養子になったのだったか。どうしたんだい?」
「殿下、畜生腹と彼を呼ぶのはやめてくださいませんか」
真っ直ぐに見上げて告げると、アロイスの顔からフッと表情が消えた。
「何故だい?事実を言って何が悪い」
「何が事実なのですか!彼らは人間です!同時に生まれただけの……私たちと同じ人間なのです!」
「ふざけたことを言うな!私たちが穢らわしいこの男と同じだと!?」
「ふざけているのは貴方でしょう!!!」
叫ぶようにレティシアは言った。
嗚呼、そうだ。
レティシアは、ずっとずっと思っていた。ウィリアムを見かけたあの日から、彼に救われたあの日から、彼女の心の中では、ずうっとこの耐え難い感情が燻り続けていたのだ。
「ウィリアム様は、ずっとずっと優しかった!平民の、人間じゃ無い私にも当たり前のように手を差し伸べてくれた!この王都で誰も見なかった私を、見つけてくれた!」
誰も、助けてくれなかった。
あの暗闇で、光るように美しい檳榔子黒だけが、私を見つけてくれた。
「平民如きが何を言うか!お前は、この男のことを何も知らないだけだ!この男がお前に優しくしたのも騙すために違いない!」
「騙されているのでもなんでも、救われた事実は変わらないでしょう!手を貸さない正義より、助け起こす偽善の方がよっぽど素晴らしいわ!」
荒い息を吐いて、レティシアはアロイスを睨みつけた。不敬であると、理性は囁く。ただ、それ以上の怒りが全身を駆け巡っている。
「貴方様達が己を人間と定義して、ウィリアム様が畜生腹と言うのなら。弱者を見捨てるのが人間で、弱者さえも救い上げる聖人が畜生腹ということになるわね。どちらの方が、本当の意味で劣っているのかしら?」
「なんだと貴様ァ!!!!!」
「そもそも、殿下の筆頭婚約者候補だった方は、ウィリアム様の姉君であったと聞きます!……ウィリアム様を畜生腹と呼ぶのなら、姉君のことも貶すことになるのではないでしょうか」
「………なら、どうすれば良かったんだ」
トーンを抑えたレティシアに対して。返ってきたのは、押し殺したような声だった。暗く、昏くーーー厳しい冬に閉ざされた声だった。
先ほどまで激昂してた青年は、生気のない無表情でこちらを見ている。
「あの子は死んだ。畜生腹だからと言う理由で殺された」
そうだ。ヴィクトリアという少女は、10になる前に死んだのだ。世界の悪意によって、幼い内にその命を奪われたのだ。レティシアはひっそりと唇を噛んだ。彼女のことをーーーそして残されたウィリアムのことを思うと、胸が苦しくなる。
「ウィリアム・ブランノワール。お前が死ねば良かったんだ」
「殿下!」
「何故、お前が生き延びた?何故、なぜお前が生きているんだ。引き篭もりのお前より、あの子の方が、社交界に受け入れられていた。王太子妃になるべき娘だった」
アロイスの脳裏に浮かぶのは、愛らしい夜の姫君であった。陶器のような肌、薔薇色の頬。深海の真珠のような檳榔子黒の眼が柔らかく綻ぶ様を見るのが、どうしようもなく好きだった。
嗚呼、そうだ。
せめてお前が一緒に死ねばと思ってしまった時点で。
アロイスはもう正気では無かったのだ。そのことを、自覚していた。
君が損なわれた。そのことに、耐えられなかった。
「畜生腹だからあの子が死んだのならば、何故お前が生きている!あの子の骸の上で、なぜお前がのうのうと息をしているんだ!」
見つかったあの子は黒焦げだった。
愛らしい相貌どころか、面影も性別も分からないくらい黒く焼け炭化した可哀想なあの子。何かを抱え込むように丸まって死んでいた、愛しいあの子。
医者が、数々の死体の中から体格で漸く判断したと言うほどの、凄絶な死に方を思うたびに。彼女の苦しみを想うたびに。独りぼっちで死んだ、彼女の孤独をおもうたびに。
五体満足で生き残り、平然とした顔で社交界を闊歩する貴様が、憎くてたまらない。
(せめて、貴様も死んでいたなら。私は彼女の死を純粋に悼めたのだろうか)
彼女を見殺しにしてお前が生き延びたせいで。
畜生腹への、彼女を死に追いやったお前への怒りと怨みが止まらない。
アロイスはドス黒く濁った緑の目を歪ませて。
「生まれた時に母親を殺し、片割れを見殺しにしておいて。のうのうと生きているお前は、なんて悍ましい!お前なんぞ、生まれてこなければよかったんだ」
言い放たれた言葉に、レティシアは息を呑んだ。
(それは、それだけは)
それだけは、駄目でしょう!
刹那、鮮やかに脳裏に蘇ったのは。
二度と消えない傷を指先でなぞった、貴方の姿。
思考が奔るよりも速く、身体が動く。
弾かれたように振り向いた彼女は、彼の顔を見て、目を、見開いてーーー、
「アロイス、それくらいにせよ。……ブランノワールの継嗣よ、其方の望みはなんだ」
低く深い声が響く。ハッと意識を取り戻したアロイス殿下が「父上……」と呻くように呟いた。呆然とウィリアムを見ていたレティシアも、ハッとして振りあおぐ。
そうだ。玉座には、王がいた。
この国を統べる、頂点がいた。
妃殿下と並んで座っていながら、この異様な雰囲気に欠片も動じていない。
威風堂々、流石の迫力である。
「なにも、」
「何もとはなんだ。其方がこのような手段を取るということは、不満でもあったか」
対するウィリアムも、堂々としたものである。緩やかな笑みを口許に湛えたまま、穏やかに首を振る。
「特に、望みなどありません」
「そうか?この首を獲るのかとも思ったが」
「陛下!!!」
「いいえ。王の首に興味などございません。私が欲しいのはこの国の首でございます」
ハハッと王は笑い声を上げた。
「なんと剛毅なものよ」
その瞳は、背筋が震えるほど苛烈な光を湛えている。笑っていた口元がふと歪み。
「容易くこの国を獲れると思うな!畜生腹め!!!!!」
大声一喝。ビリビリと空気を肌を伝い、建物も震わせたのではないかというほどの裂帛の気合いである。
(なんて、)
なんて凄まじいの、とレティシアは息を呑んだ。恋のために全てを捨てたはずだった。例え処刑されたとしても、ウィリアム様の助命を嘆願するつもりだった。
その覚悟にうそはない。
その決意に偽りはない。
………けど、レティシアの足を縫い止めるのは。
(貴方、そんな顔で笑うの)
歯を剥き出しにして笑う、貴方の姿。
ウィリアムは、この局面においても笑っている。心の底から、愉悦にその目尻を歪ませて。
タクトを振るように口角を吊り上げて、ウィリアム・ブランノワールは。
「10年前、私のきょうだいを殺したのは、お前だな?」
ーーー王国の秘密に、手を掛けた。
*
「ハッ、何を言っている!」
静まり返った広間に、アロイスは鼻で笑った。何を言うのかと思えば。見当違いなことを言い放った愚か者に失笑が止まらない。
やはり畜生腹。畜生にも劣る忌み子である。
「王も妃殿下も、ヴィクトリアを許嫁にすることを許してくれていた!ヴィクトリアこそ王太子妃に相応しいと」
「その名を呼ぶな」
鋭い声がアロイスを遮った。
ゾッとする声だった。おどろおどろしい声だった。
アロイスを見る目は恐ろしく、その底では悍ましい何かが煮え立っている。
思わず、アロイスが口を閉じてしまうほどのーーー憎悪と呼ぶのも生温いほどの激情であった。
「確かに。両陛下は、私のきょうだいを許嫁にすることを許したのでしょう。ただ……ひとつも、認めてなどいなかっただけで」
「何を言う貴様ァ!両陛下を愚弄するか!!!それで王家の威信にヒビを入れようなどと片腹痛いぞ嘘つきめ!!!」
(でも。ウィリアム様に嘘を言う理由はない。ここで嘘をついてまで、王家に喧嘩を売る理由もない。)
レティシアは、そう思った。
ずっと王家から遠ざけられていた、王太子に恨まれ憎まれていた。そして同じように、ウィリアムも王家のことを厭っていた。当たり前だ、誰が己を、家族を迫害する大元と仲良くしようと思うものか。
ウィリアムは、同い年の王太子に近づきたくないが故に、無理を通してでも飛び級をしたと。そう、ジョーカーは言っていなかったか?
(畜生腹以外で、王家から遠かったウィリアム様が王家を憎む理由もない。畜生腹を理由に恨むことにーーーわざわざ、ヴィクトリア様の死因に嘘をつく理由もない)
嗚呼、そうだ。
あのひとは、ある種とても正直で。弩級の嘘吐きだ。これだけの激情を綺麗に押し隠して、平気の顔で生きてきた。息を潜めるようにして十年を過ごしたあの人が、ここでカードをひっくり返した意味は。
「十年前、民間人を扇動するために、近衛を動かしたのは失策でしたね」
綺麗に笑って、ウィリアムが言った。左右非対称の、傷ひとつない滑らかな笑みである。
真っ直ぐに見つめられた王は、ひとつ、大きな溜息を吐いた。
「ーーーそれがどうした?」
「ち、父上?」
「ああ、認めよう。私の命で、お前の片割れを処分した。」
「まさか、まさか父上が!!!!!」
一気に蒼白になって、愕然と口元を戦慄かせるアロイスを見下ろして。人前で父と呼んだ後継者に向ける視線は呆れ果てている。
「甘やかしたせいか、とんだ甘ったれに育ってしまった。畜生腹を妻に据えるーーーその意味も、苦難も、想像もつかないまま。現実を見ないまま、できやしないことを軽々しく言った。私たちは、この国を割るわけにはいかない。畜生腹は悪しき怪物だ。そんな怪物を、王家に、国の中枢に迎え入れるわけには行かなかった」
「そんな……、そんな………っ!!!!!」
「お前が甘かったからだ。アロイス。お前が私たちが選んだ令嬢たちを顧みもせず、あの娘を離さずに宣言したせいで、私はあの娘を弑するしかなくなって、目の前の男も片割れを喪った。全て、お前の甘さが招いた出来事だぞ」
厳しい声だった。いっそもう遅い叱責だった。けれど、突きつけられた事実はアロイスを嫌というほど打ちのめす。
恋をした。
どうしようもない恋をした。
一目惚れだった。一生で一度の恋だった。本当に、君しか見えないくらい。どうやって君に振り向いてもらえるか、寝ても覚めてもそればっかりなくらい。苦しくなるほど、悲しくなるほど、それ以上に幸福に満たされるくらい、本気で君が好きだった。
そんな己の我儘が。一世一代の覚悟が、君を死に追いやった。
アロイスは膝から崩れ落ちた。
もう、立てやしなかった。蒼白なまま、全身を絶望に染め上げたまま。この世の終わりとばかりに無様に震えて。
そこには、完璧な王太子などいなかった。
王国中の乙女の憧れを集める、素晴らしい王太子など、どこにも。
「ああ、あぁ……!」
息をするたび、脳裏に君の顔が思い浮かぶ。美しく笑う、私が恋した君の横顔を思い出す。
アロイスは頭を掻きむしった。髪を振り乱して、爪を立てて、さながら狂人の形相で頭を振りたくって。
「ーーーーーーーーーーッッ!!!!!!!!!」
喉から迸るのは、絶叫であった。哀れで無様な、男の断末魔であった。
その青年を見下ろす檳榔子黒に、温度はない。
美しい笑みを変わらず象ったまま、口を開いて。
「ーーーラースの花畑に一緒に行けなくて残念ですね?」
穏やかな声で、そう告げた。
変化は劇的である。
王と妃殿下の顔色が変わり、アロイスの絶叫が途切れる。驚きに目を見開くレティシアの目の前で、廃人の如きアロイスの表情が戦慄く。
「何故……なぜ、貴様がそれを、」
王が怒声をあげる。妃殿下が、衛兵を呼ぶ声が遠くに聞こえる。
ラースの花畑とは、王家に伝わる秘伝の花畑である。
建国神話にまつわるその地は、古き魔法に護られている。ラースの花畑は、王家の口から語られた名を直接耳にした者しか、口に出来ない。筆談でも不可能だ。
そして、ウィリアム・ブランノワールは、かつてアロイスがラースの花畑を口に出した場にいなかった。あの時いたのは、ウィリアム・ブランノワールでは無い。
「………まさか、」
呆然の見開かれた眼の先。青年は、花開くように一等美しく微笑んで。
「あら。漸く気づいたの?酷いわ、花の王子様」
ーーー歌うように、そう告げた。




