【4】白樺の若君
ウィリアムという少年は、白樺の若君である。
絹のような夜色の髪、暁月を宿した檳榔子黒の眼。
薄氷のような花肌は、幼少にして美しい曲線を描いている。誰よりも黒が似合うくせに、故に春の白を引き立てる少年であった。
彼の眼差しは冷涼で、彼の声は清流のせせらぎのようである。
「愛しているぜ、おれのきょうだい」
そして彼は、きょうだいを愛している。
氷の冷ややかさの下に、確かに灼けるような情を抱く少年である。
ウィリアムの世界は、ブランノワールの敷地の隅っこにある小さな離れであった。
彼の世界は、片割れと、灰色の側仕えによって構成されている。
たった3人の箱庭。3人ぽっちの楽園。
「ビル」
「まったく。何やってるんだ」
ウィリアムの冬の夜を切り取ったような眼がわたくしを見て。呆れたように緩む。貴方の瞳に、淡花色の光が宿る瞬間が、好きだった。
「何って……、少々鍛錬を」
「少々でそんな土塗れになるものか。またアイツを泣かせるつもりか」
「あの子泣いちゃうの?それは困るわ」
ヴィクトリアは、女として生まれながら、外で駆け回る方が好きな少女であった。ウィリアムのように智慧はないが、身体を動かす才があった。生まれが違ったら違う形で花開いたであろう、天性の武才である。
だけれど。
ヴィクトリアは、きょうだいを愛していた。
例えもう一度生まれ直すことができたとしても、彼女は必ず同じ道を選ぶ。そこがどんな地獄であっても、畜生腹であることを選ぶことができる娘である。
「怪我だけはするなよ」
だって。服を泥だらけにして、まるで淑女らしくないヴィクトリアでも、一度も否定しなかった。ただ、言外に彼女の悪趣味を認めてくれるきょうだいがいるのだから!まぁ、ただ。ヴィクトリアが多少のお転婆をするたびに哀れなほどに青褪めて、小さな手で一生懸命服を洗う灰色の側仕えを泣かせてしまうのは本意ではないけれど。
「ふふ、ありがとう。気をつけるわ」
「そうしろ」
「汚れては駄目だったら、魔石でも使おうかしら。ビル、撃ち合いをしない?」
「もっとあいつ泣くだろ馬鹿」
「えぇ、怪我はしないわよ?」
「たしかに、俺たちが撃った魔法は互いを傷つけることがないけどな」
「でしょう?」
「それもお前が手元で風の魔法暴発させたからだろ。あの時、号泣してたアイツを思い出せ」
ウィリアムは、はぁっと大きな溜息を吐いた。それもこれも、数ヶ月前のヴィクトリアが、手元で弄っていた魔石を爆発させたことに起因する。まぁ、ほぼオチみたいなものだが、彼女が放った魔法は、離れの一室を無茶苦茶にぶち壊して、同じ部屋にいたウィリアムの身体にはひとつも傷をつけなかった。
畜生腹は、同じ胎から同時に生まれた異形である。
魂と血肉を分け、一人分に満たない生まれ損ないである。
ーーー魔法にも同一と見做されるのか。
畜生腹が放ったあらゆる魔法は、血肉を分けたきょうだいを一切傷つけない。その方式を一番に発見した事件であった。
(ヴィーは、こういうところがムカつくんだよな)
理不尽だ。過程も理論も飛び越えて、正解だけを叩き出すような女である。そんな少女は、「ちょっとほら……驚いた拍子に出ちゃったのよね。すかしっぺみたいに」と微笑んでいた。どうかと思う。俺と同じ顔で言わないで欲しい。
まぁ、そんなヴィクトリアも、惨憺たる室内の様子と、そこにケロッと立つ2人を見て、息もできないくらいに号泣して号泣してゲロ吐いて熱が出るくらいに泣いた灰色の子供に、流石にこれ以上ないほど青褪めていたけれど。当たり前の話であるが、子供にとって目の前で2人が爆死したかもしれないという局面におけるストレスは莫大なものだったらしい。
後にも先にも、ヴィクトリアが心の底から反省していたのは、泣きながら「置いていかないで……」と魘されているあの子の看病をしていた期間くらいである。
「それになぁ、魔石だって無限じゃないんだぞ」
「そうなの?」
「当たり前だろう。魔石は最近出てきたが……どんな鉱脈でも掘れば枯れる。それに………、」
「それに?」
「ーーーあまり、魔石を掘らない方が良いと思う。巡り巡って、お前に穢れたものを食べさせるわけにはいかないからな」
ぱち、とヴィクトリアは瞬いた。彼女には、ビルの言っていることがさっぱり分からない。ビルが見ている世界を理解できない。ただ、それでも。
「分かったわ」
彼女は、ウィリアムを信じている。
魔法のように綺麗になれる白粉を使うな、あの川下産の魚は食べない方が良い、煙草は吸うな、あそこには行くな、アイツとは喋るな。
ウィリアムのどんな無理難題にも、平然な顔で答えるのである。
「そういえば、あの子はどうしたの?」
「ああ、アイツは、」
ふと、思い出されるのはここにはいない3人目。ヴィクトリアとウィリアムに与えられた、灰がかった側仕えであった。
ヴィクトリアにとって、ウィリアム以外の唯一である。幼い頃から3人で暮らしてきた。やはり、あの子がいなければ気になるものだ。うろ、と周囲を見回したヴィクトリアは、ウィリアムの横顔に目を留める。
(あらまぁ。やっぱり、とびきり素敵な顔)
まだ幼い少年だというのに。雪花石膏の肌にさらりもした黒髪がかかる様は、浸るような色気に満ちている。扇のように拡がる睫毛は目元に影をつくりーーー窓の下で駆け回っている灰色の側仕えを見下ろしている。
その眼差しが、どれだけ優しく暖かいものかなんて、痛いほどに知っている。
彼女達だけに与えられるそれが、どれだけ美しいのかを知っている。
「今日も元気そうだぞ」
「ああ、あの子……。転んだらどうするのかしら」
「お前が言うな」
まぁ、と可憐な唇から溢れた声も、同じように蕩けているのだけれども。
「そんなこと言わないで、ビル。わたくし達の矜持、覚えているでしょう?」
「愚問だな」
ころりと笑って。鼻で笑って。少女と少年は口を開く。
「ひとつ、華麗で優美たれ」
「ふたつ、聡慧で強者たれ」
「「みっつ、高雅で深愛たれ」」
この瞬間、言い切ったウィリアムの前に立っていたのは。
彼と同じ顔、同じ色。
まるで妖精のような、まるで咲き初めの花のような。彼とはまた別種の美しさを持つ少女だった。
彼等は同じ日、同じ時に生まれた。
故に、彼らに姉も兄もない。故に、彼らは〝〝きょうだい〟〟と呼ぶ。上も下も無いからだ。
けれど。
「そういえば、まだ私を姉と呼んでくれないの」
「ふぅん、そうか。お前を姉と認めてないからじゃないか?」
バチっと音を立てて視線が合う。
ヴィクトリアは微笑んだ、ウィリアムは笑わなかった。
「そういえば、俺のことは兄と呼んでいいと常日頃から言っているのだけれどな」
「あら、兄なんてどこにいるの?」
バチっと果たしても視線が合う。
ヴィクトリアは笑った、ウィリアムは真顔だった。
「あらあらまぁまぁ、ひどいきょうだい。傷ついちゃうわ」
「俺のきょうだい殿は非常に手厳しくいらっしゃるな」
「きょうだいが冷たくてお姉ちゃんはさみしいわ」
「きょうだいがつれなくてお兄ちゃんは悲しいな」
「……………」
「……………」
「私の方が先よ」
「俺のが先だろ」
「……………………………」
「……………………………」
「わたし、お姉ちゃんなのよ」
「奇遇だな俺もお兄ちゃんだ」
ふふ、と声を漏らしてヴィクトリアは笑った。
くつりと喉を鳴らしてウィリアムは微笑んだ。
「どっちが先か」
「どっちが上か」
瓜二つの檳榔子黒の瞳が絡む。
「心の底から楽しみね」
「ああ本当に楽しみだな」
ヴィクトリアは、愛している。
その箱庭を、己の最愛を愛している。
どんなに土に塗れても、きょうだいを想う彼女は一層美しい。
空気が揺れ、音もなく、ヴィクトリアは足を踏み出した。そして花弁のような唇が、形のいい耳朶に触れ。
「わたくし達、ずっと一緒よ」
「ーーーああ、そうだな」
(あの時、お前がそう言ったから)
彼方の記憶を思い出し、ウィリアムは微かに睫毛を震わせた。
彼等の世界には己と片割れと、灰色の側仕えがひとりだけ。
ヴィクトリア・ブランノワールは。彼女はきょうだいを愛している。
須く平等で、平坦な世界に輝く最愛のひと。
人生掛けてでも愛した唯一無二。
彼女にとって、きょうだいは本当に。
命よりも世界よりも、本当の本当に特別だった。
「愛しているわ、わたくしのきょうだい」
ーーーだから、彼女はその手を離したのだ。
*
「ウィリアム様。私、伯爵家に養子入りすることが決まったんです」
「嗚呼。ーーーすごいな、レティシアは」
檳榔子黒がはつりと瞬いた。その視線の先で、頰を染める娘は、優美でありながらも気品がある。
まるで、生まれながらの貴族の娘のようであった。
それなりに時が経った。一ヶ月後、レティシアは学園を卒業する。最後には、平民でありながら生徒会の副会長を務め第二王子を支えたほどの華々しい学園生活であった。彼女は、今も旧図書館に訪れ続けている。
「凄いもんじゃないですよぉ!ウィリアム様!平民でここまで成り上がったの前代未聞ですよ!ヤバすぎますって!」
今日もまた騒がしいのはジョーカーである。お茶を淹れる腕前と、ティーカップをサーブするその指先の優美さは、流石と言わんばかりだったけれど。
「それにしても。ウィリアム様ってとっくの昔に卒業してたんですね」
「なんだ。今更知ったのか」
「おかしいと思ってたんですよ!私より先輩の筈なのに、平気な顔でいらっしゃるから……」
「留年でもしたかと思ったのか?」
「もう!」
頰を膨らませるレティシアは兎も角、サイレントで爆笑しているジョーカーは何とかならないものか。バシバシと容赦なくソファーを叩くものだから、座っているウィリアムが不快そうに眉を顰めている。
「〜〜ッッ!ゲホッ、あ、あのですねレティシア嬢」
目尻残った涙を拭いながら、執事が声を震わせる。
「うちの主人、レティシア嬢と出逢った時には既に卒業しておりましたよ」
「えっっっ!!!?!!?!??」
淑女らしからぬデカい声が出た。目を丸くしたレティシアに、執事が吹き出しかけてビンタの勢いで口を押さえたのが視界の端に映る。
えっ何だって?????なんて言った?
「えっ!ウィリアム様、凄い歳上だったんですね」
「ファーーーーーッッッ!!!!!」
「ジョーカー」
「いやぁ、勘弁してくださいよ主人!笑うしかないじゃないですか!」
もう無理とひっくり返って笑うのはジョーカーである。ゲラゲラと笑いながら芋虫のように床で蠢いていた男は、10分ほど経ってようやっと立ち上がる。
「うちの主人、王太子殿下と在学期間被るんですよ。同い年ですし」
王太子殿下。レティシアは、数年前の薄暗い眼差しを、翳った緑色を思い出す。見惚れるような美貌なのに、どこか薄寒い空気を纏う青年であった。
「それを嫌がってですね。この人、ありとあらゆる無茶をして、半年で総スキップして卒業したんですよ」
「………!」
「言っておくが、正当な手段を使ったぞ」
「金を積む以外の何でもやったでしょうが。制度の穴をついて横紙破ってレポートとテスト受けまくって、先生方認めさせて半年卒業って前代未聞らしいですよ」
「お前、前代未聞が好きだろう?」
「私を異常性癖みたいに言うのやめてくれません!?……ま、まあ。そう言った事情でですね、この人半年で卒業したくせに、勝手に旧図書館に入り浸っているのですよ」
「入り浸ってる」
「失礼な。卒業生が学園を訪れてならないというルールは無い。数年前、レティシアに接触したアレと同じだ」
檳榔子黒と目が合ってドキリとする。
彼は、アロイスとの出来事を、当たり前のように把握している。
「そもそも何でここに居るんですかぁ。日がな一日ここに居るかフラフラ出歩いているかじゃ無いですか」
「まぁ。ーーーここが一番、都合がいいからな」
レティシアの心臓が跳ねる。
期待してもいいのかしら。ウィリアム様が私に会いたいとーーーそう思ってくれているのかしら。
恋に侵された娘の心臓は、まるで小鳥のそれである。
「それにしても。気をつけろよ」
「ウィリアム様?」
「最近、あまりこの国は良くないからな」
気怠げに瞼が伏せられ、形のいい檳榔子黒が闇色のカーテンに隠れる。
ウィリアムの言葉に、顔を引き締めてレティシアは頷いた。
ーーー最近、この国の治安は悪化している。
副会長として学園を走り回り、貴族の世界に触れるようになったら尚更。
突如退学する生徒。
派閥抗争は過激さを増し、貴族界では次々と告発がされているのだと言う。
実家が急に没落し、売られていくように去っていく生徒。
各地で頻発する貴族の抑圧に対する叛乱。
双子を殺すべきだと叫ぶ国教会。
双子を殺すなと主張する異教徒集団。
急に羽振りが良くなった生徒。
各国からの政治的圧力。
一気に噴き上がるように、幾つもの主張と思惑を持った集団の争いが激化しているのである。
「立ち回りには気をつけろ」
「ええ。わかっております」
素直に頷いたレティシアを見て、しなやかに青年は立ち上がる。その背後には、澄ました顔で長身の執事が侍っている。
「あ、あの!」
その背中に向かって、上擦った声が掛けられる。
バネのように立ち上がった娘は哀れなほどに顔を真っ赤にして汗みずくだ。
「いま、ダンスの練習を頑張っているんです!今はまだ、全然ですけれど。もし、もし……」
沈黙が落ちる。僅かに振り返った彼は、黙ったまま。滲んだ涙を瞬きで散らして、レティシアは息を吸った。
「私が夜会に出られるようになったら、私と踊っていただけませんか!?」
「ーーーああ、」
穏やかな声だった。少し甘く掠れた、貴方の声だった。
緩められた口元、細められた眼差し。花降るような檳榔子黒に宿る光を見た瞬間、レティシアの心臓は最後の音を立てて止まる。
「お前が、そう望むのなら」
ーーーそう告げて、貴方はたしかに微笑んだのだ。




