【3】初恋のきみ
王太子、アロイスには、決して忘れられない少女がいる。
この人生が終わる瞬間まで、手放せないくらいの宝物。かつて奪われた彼方の春。硝子の花園。
美しい少女であった。愛らしい姫君であった。
畜生腹であると言う事実を塗り潰し忘れさせるほどのいっそ暴力的なまでの美しさだった。
「殿下?」
君の可憐な唇から零れる、小鳥のように愛らしい声さえも愛していた。
*
十数年前、ブランノワール侯爵家に双子が生まれた。母親を殺して生まれた双子………その畜生腹を侯爵家が生かしたことで社交界は揺れる。
ーーーウィリアム・ブランノワール。
ーーーヴィクトリア・ブランノワール。
ブランノワールを一夜にして悪逆に貶めた。
生まれながらに忌み嫌われた美しい双子。
十年前の悲劇の渦中となる畜生腹である。
*
アロイスは、人生で二度、大きな決断をした。
幼い頃から大人びた少年であった。記憶にないくらい小さな頃に母は死に。義母である側妃に我が子のように育てられた少年であった。聞き分けが良く、賢く、聡明で、非常に優秀な王子として育ったのである。
「王太子殿下!」
「なんだい」
「さすがは王太子殿下でございます!今後のわが国も安泰となるでしょう」
母代わりであるが、実子ではなく。
王国の正統後継者として、期待がかかる日々。誰も彼もが彼を優秀な王太子と見る。当たり前だ。それが当たり前だった。
彼の心は凪いだまま、穏やかなまま。
己の息苦しさを知らずに、生きていた。
その中で、彼は見つけたのである。
誰よりも美しい一番星。花のような運命の乙女。
出会いは偶然だった。故に運命だった。
婚約者候補を選ぶ茶会にて、人目から隠れるようにして彼女はいた。今思えば、ただでさえ双子、畜生腹と忌まれる子供である。人前に出て、王太子であるアロイスに挨拶することなど出来なかったのだろう。それでも、シンプルなドレスを着た黒髪の少女が、側にいる灰がかった髪の側仕えに何事かを話しかけて。
絢爛たる極上の檳榔子黒が、やわらかく光って。
蕩けるように。
融けるように。
明けるように。
解けるように。
うつくしい蜜色の光を燻らせてーーー笑う。
(嗚呼、なんて)
一目惚れだ。
声も知らない、性格も知らない。それでも、下の者相手にそんな顔で笑いかける君に、一目で惚れた。
どうしようもなく君がほしかった。
春の嵐よりも烈しく、春の雷よりも劇的なひかりだった。
君が隣にいることを想像した。垣間見たあの顔で、私の隣で笑っている未来を思ってしまったら、堪らなかった。
「父上。母上。妻にしたい人がいました」
だから、アロイスは決めた。我儘だと言われようと、これまでの評判を崩そうとも。それでも譲れないくらい、人生でこれ以上ないほどの決断だった。
どんな困難があろうとも、どんな苦難があろうとも。君と話してみたいと。誰よりも美しく眩しくーーー愛情を形にしたような顔で笑える君と生涯を共にしたいと、その努力を惜しまないと決めたのだ。
「はじめまして。わたくし、ヴィクトリアと申します」
渋る両親に強請って、どうしてもと説得して、はじめて話した君は、想像よりも美しく、可憐で、愛らしく、そして芯の通った人だった。
「貴方の努力に、敬意を払います」
貴方は、私を王太子として見なかった。ただのアロイスとして、ただの少年として真っ直ぐに見つめ続けた。
「殿下はそう仰いますけれど。わたくし、あの方の言い分が正しいと思いましたの」
君は、一度も私におもねらなかった。自分の意見をしっかりと持って、それでもきちんと他者の意見に耳を傾けるひとだった。
「わたくしは、きょうだいを誇りに思っております」
何憚ることなく、一等美しい顔で、きょうだいを好きだと言う君の強さが、眩しかった。
話すたび、接するたびに君に惹かれた。
会うたび、同じ時を過ごすたびに、新しく恋をした。
いつだっただろう。彼女だけを呼んだ、何度目かの茶会の時だったと思う。
「ブランノワールの矜持?」
「ええ。ご存知?私たちきょうだいには、三つの矜持があるの」
ひとつ、華麗で優美たれ
ふたつ、聡慧で強者たれ
みっつ、高雅で深愛たれ
「素敵でしょう?」
とびきり愛らしい顔で、ヴィクトリアは笑う。気品ある黒が、彼女をより引き立てて目が離せなくなる。畜生腹だと言うのに、それを忘れさせるほど眩しい光だった。
「嗚呼……とても素敵だと思う」
「ふふ、ありがとうございます」
「君は、何もしなくとも素敵だけれど」
「あら、嬉しい。でも、この矜持が私の励みになるのです」
「励みに?」
「ええ」
ブランノワールの双子。悍ましき畜生腹。
そう言われていることを知っていて。そう蔑まれていることを知っている。
でも。それでも、
「わたくし達きょうだいには、この矜持がある」
透徹した眼差しだった。凛とした声だった。
「わたくしには、きょうだいがおります。わたくしは、きょうだいを愛しております。わたくしは……」
柔らかい光が宿り、瞳が細められる。
「大輪の薔薇よりも、美しい白百合よりも。花壇で精一杯に咲く小さな花が好きなのです。」
あの花みたいに。目立たなくても、誰にも顧みられなくとも、確かに咲いていたいのです。
君を想うとき、いつもこの時の君の笑顔を思い出す。
赤い野花が好きだと笑う、君の横顔をいつまでも見つめていたかった。涙が出るほど美しかった。もう二度とないくらい鮮やかな思い出だった。
こくり、と唾を呑む。当たり前のように人の上に立つ、そう育てられた少年が、高鳴る心臓を抑えきれずに身を乗り出す。
「……ねぇ」
「はい、どうしましたか?」
「君を、連れて行きたいところがあるんだ」
「まぁ!どちらにですか?」
「〝ラースの花畑〟」
「?有名なお花畑ですか?初めてお伺いしましたけれど……」
「ふふ、そこは王家の所有の土地なんだ。父上も、母上とよくそこに行ったという、思い出の場所らしいんだ」
そこで、父王が母に告白したということは、気恥ずかしくて言えなかったけれど。
「そうなのですか?」
「私も花が好きだし、君も好きだと言っていただろう?」
「ええ。そうですね」
穏やかに相槌を打つ君の声に、一気に頭の先まで熱が昇る。
アロイスは、あの、その……と真っ赤な顔でもじもじして。
意を決して、顔を上げた。
「私も!君と行きたいな」
「嬉しゅうございます。ぜひ、お供させてくださいな」
そうして君は、まるで花の王子様ですね、と笑ったのだ。
ーーーいつまで経っても。夢の中で。
手を取る前に二度と失ってしまった、君のことを思い出す。
「ブランノワールの屋敷で火災がありました!離れが焼け落ち、行方不明者、死者多数と見込まれます!生存者はひとり!!!」
もう少しだった。あと少しだったのに。
母を説得し、父に覚悟を示した。重臣たちも納得させて、君を婚約者に迎え入れられる。ラースの花畑に共に行ける。
あと、1週間。
たったの7日間だったのに。
残酷なまでに、世界は私たちに牙を剥いた。畜生腹を憎む誰かに、呆気なく君は殺された。
この人生で一番真剣に祈った。
これ以上なく。今後の人生全てを捨ててでも、君が生き延びていて欲しいと願っていた。
そして、生き残った者が、少年だと知らされた時。
私を襲った絶望に、なんて名前をつけようか。
世界から色が失われたような気持ちだった。これ以上ない、身を引き裂かれるような、息も出来ないような、そんな絶望だった。
たった二分の一で、君を失った。
君が死んでも、畜生腹ということで杜撰な後始末しかされず。君を殺した犯人も見つからない始末。
私の世界は暗闇だった。
これ以上ない、漆黒だった。
ーーー黒白の世界の中で、お前は現れた。
「お初にお目にかかります。姉が、お世話になったようで」
黒白の中でも際立つ純粋な黒。
月光に透かしたかのように蒼めいた肌。
この世に二つとない。
鮮烈にして絢爛たる、極上の檳榔子黒。
恋した君と同じ色だった。どこか知っている顔だった。
心の底から憎らしく悍ましい、仇の顔だった。
(何故お前が)
刹那、アロイスはそう思った。取り繕うことも誤魔化すこともできない、正直な気持ち。
二分の一。たった二分の一だ。
この男が生まれたから彼女は畜生腹と謗られて、短い人生を閉じることとなったのだ。
この男が生き延びたせいで、彼女は死んだのだ。
何より。
『いやあ、ブランノワールの跡継ぎは優秀ですなぁ!』
『流石でございます、ウィリアム様』
『正直なところ、生き延びたのが貴方様で良かったと思っておりますの』
そんな声を聴くたび。青年を囲んで笑いあう声を聴くたびに。
腹の奥、その底がぐつぐつと音を立てて煮えて腐り落ちてゆく。
(許すものか)
アロイスは、そう決めた。
畜生腹なんてものが、この世にあるから悪いのだ。
この世界から、1人残らず、畜生腹を排除する。
そうして、悍ましき畜生腹という存在をこの世から消しきって。貶める理由も、憎む由縁も、誰もが忘れるほどに、全部更地にして。皆殺しにして、畜生腹という概念が失われてしまえば、例え次のあの子がどんな形で生まれたとして、傷つけるものはいないだろう。
嗚呼、そうだ。次に生まれたあの子が、殺されないような、憎まれないような、そんな世界をつくる。
誰よりも愛しく可憐な君を、生まれながらに穢した畜生腹を、決して赦しはしないのだと。
だから、アロイスは、ウィリアム・ブランノワールのことを一生許さない。
何がなんでも、排除してみせる。
あの子の代わりにお前が生き延びたことを、後悔させてみせる。
お前が生まれたせいで、私の姫君の人生は翳り汚されたのだ。
だから。
反畜生腹の勢力を纏め上げて。
畜生腹への憎悪を、悪感情を煽り立てて。
畜生腹を排斥する空気を作り上げて。
「何も知らずに、双子の姉を殺してでも生き残ったあの悍ましい畜生腹の側にいるなんて。なんて可哀想なのだろう」
畜生腹の中でも最も悪逆な、ウィリアム・ブランノワールを慕う哀れな女子生徒に真実を告げることを、厭わないのである。
*
「………ィアさん、レティシアさん?」
「あっ、あっ、はいっ!!!」
「どうしたの?何か様子が変よ」
「あー、あはは……、あの、すみません……」
訝しげに令嬢に声を掛けられて、ハッとしてレティシアは頭を下げた。明らかに調子を崩していた。心あらずで、覚束ない様子だった。
彼女が王太子と出会って、2週間が経った。
この半月、レティシアは旧図書館に訪れていない。
(どんな顔で、)
会いに行けばいいと言うのか。
畜生腹。その言葉こそ、なんとも悍ましい。
今まで、一年以上彼のことを見てきた。彼が、意外と穏やかで、意外と抜けていて。執事の無礼も、平民との対話も、全てを許してしまうほど寛容で変わった人だと知っていると言うのに。
ーーー畜生腹。
幼い頃から叩き込まれる忌み言葉。問答無用で拒絶反応が出るほどの、恐ろしさ、悍ましさ。
(学園で、ブランノワール様を見たことがない)
その理由が、分かってしまった。
あの美しい人が、ひっそりと佇む旧図書館に籠っている理由を、レティシアは知ってしまった。
畜生腹と聞いただけで、足が竦んでしまう己が恨めしかった。日が過ぎれば過ぎるほど気まずくなると知っていても、怯んでしまう己の弱さが憎かった。
生徒会活動も終わり、夕暮れの中をとぼとぼと歩く。
でも。
「レティシア嬢」
「あっ、は、はいっ!ジョーカーさん!!?」
常に彼に付き従い、旧図書館以外で会ったことのない執事が、学園内にいた。ぐるぐると考え込んでいたことも忘れて飛び上がったレティシアは、次いで、夕陽を背にした、いつも騒がしい執事の凪いだ眼差しに、静かな微笑に、息を呑む。
「我が主人は、悍ましいですか」
「っ!!!」
「もう二度と見たくないくらい、醜いですか」
「ちがっ、」
醜いものか。
どんな理不尽も跳ね飛ばすぐらい、美しい人だった。人類の努力も追いつかないくらい、驚くほど完成された顔面だった。積み上げられた本、深い教養。誰よりも努力し、誰よりも学び続けていた人だった。
一番初めの邂逅を思い出す。
あの人が歩くだけで、誰も彼もが気圧され静まり返った。その突き抜けた美貌に、圧倒的な存在感に、誰も立ちはだかることもできずに道を譲った。
簡単に悪意を投げつけることさえ許されないくらい、それだけ、真っ直ぐに歩くひとだった。
「世界で一番、きれいな人ですっ!」
誰にも存在を許されなかった山猿に、はじめて声を掛けてーーー人として扱ってくれたひとだったのだ。
「ええ。ーーー私も、そう思っております」
その穏やかな同意を聞いてしまったら、堪らなかった。
勢い良く地を蹴って駆け出す。もう夜も迫っているというのに、向かう先は、とっくのとうに通いなれてーーー半月ぶりになる、旧図書館。
貴方の檳榔子黒が見たかった。
その穏やかな声を聞きたかった。
「ーーー来たのか」
果たして、ウィリアムは、いつもの部屋にいた。
ソファーに身を預けるように横になって、静かに煙草を燻らせていた。前髪が目元に掛かって見えない。甘く苦い匂いが噎せ返るように溢れ、掠れたような声が背筋を震わせた。
「何の用だ?」
「私は、ブランノワール様にーーーウィリアム様に、謝りたいことがあります」
一歩、足を踏み出す。もう、足は震えなかった。
「貴方が、知らないところで、貴方が双子だったと知りました」
「そうか」
「それだけじゃありません」
もう一歩、踏み出す。
「私は、どうしても貴方が嫌いになれませんでした。畜生腹と分かってなお、双子だと分かってなお、思い出すのは、この部屋の貴方で。ーーー私は、貴方に出逢わない未来を選べなかった」
いつもの定位置だ。ウィリアムと遠くもなく近くもない、向かい側のソファー。
一度足を止めて。
そして。
レティシアは、己の意志で、見えない一線を踏み越えた。
「私は、貴方と会えない方が嫌なんです」
無様な声だった。一年かけて必死に身に着けた、貴族らしい言葉遣いなんて影も形もなくなった。山猿だったレティシアの、ありのままの言葉だった。
「そうか、」
色のない薄い唇が開き冷淡な声が零れた。ゾッとするほど長い睫毛が、微かに震える。
ウィリアムは、肘をつき、その身体を起こして。この日はじめて、彼と彼女は真正面から向き合った。
「ーーーーーーは、」
「それは、喜ばしいことだな」
傷むことを知らぬ闇に溶けるような純黒の髪、透けるような氷肌、深淵よりも艶やかな檳榔子黒の瞳。
その完璧な曲線を描く頬から、優美な首筋、そして服の下まで伸びるように灼きついた火傷痕。
いくつも咲き誇る大輪の薔薇のごときそれは、妖しくも魅入られる、闇夜に惑わす月のような美しさ。染み一つない雪肌の上を這い、酩酊するような滴る色気を醸している。
二度と見て忘れられぬほどの凄絶さ。
いっそ残酷なほど、完成された美しさだった。
「それは……」
「私の姉は、死んだ。この火事で」
掠れてなお艶やかな、天鵞絨のような声だった。
その青褪めた唇から、たらたらと流れる細煙さえ、背骨が融けるほどに美しかった。
長い睫毛に隠された眼差しに狂おしいほど焦がされる。そっと己の首筋を、色の変わった痕を撫でた、その指先が痛々しい。
「普段は、この前話題になった白粉で隠しているのだがな。………今日のような日ばかりは、傷が痛む」
(ーーーあ、そういえば、今日)
今日、この日。ヴィクトリア・ブランノワールは死んだのだ。
ウィリアムを置いて、ひとりで去っていったのだ。
掠れた息を、一つ零して。
「ーーー私のきょうだいは、何処にいるのだろうな」
その言葉を聞いた瞬間、レティシアは、どうしようもなく哀れんでしまった。
この人の傷を、痛ましく思ってしまった。それが最後だった。
「なんて顔をしているんだ」
だって、泣いていないのに、泣いているようだったから。決して声を荒げてないのに、慟哭しているかのようだったから。
どうにもその目元は渇いていたのに、微かに震える睫毛が胸を衝いた。
(どうして……)
呆然と、口元を震わせながらレティシアは思った。
指先が疼く。目の前にいるのに、手を伸ばせば貴方に触れれるほど近くにいるのに、貴方に触れられないことがこんなにも苦しい。目の前で、薄闇の中で、仄かに光るような貴方は、今にも消えてしまいそうなほど朧気だ。貴方の傷の形をした、貴方の虚が胸を灼く。
窓から切り取られた残光が差し込む中で。
死の影をベールのように纏う、うつくしい、貴方。
(どうして神様は、貴方をひとりぼっちになんてさせたの)
そう思ってしまったら、しまいだった。
「わたし、は……」
瑞々しい果実のような唇に、歯が立てられる。
「わたしは、猟師の娘です」
父はむかし、季節外れの狩りに行くと言い置いて、とうとう帰ってきませんでした。雪降る村に残されたのは、幼い娘と身体の弱い母が1人。
たった二人で生きてきた。身を寄せ合って、必死に働いて。
レティシアが気に掛けるのは母親だけで、母親さえ幸せだったらそれでよかったのに。
村の大領主様の若君が、若者のためと教育を広げた。
村の端っこに住むような小娘さえ、勉強できるようになった。
レティシアが覚えた知識で、母の容体は快方に向かっていた。
レティシアは、より稼ぐため、将来母を養うために、進学を決めた。
「貴方がいなければ、私はここに居ませんでした」
闇にぼうっと白く浮かび上がる美貌を眺め、煙るように闇に溶ける長い睫毛と、それに隠された同色の瞳の先を追った。人形のような無表情のくせに、白樺の枝のような指先だけが優しい青年を。
貴方はどうしようもなく優しくしたくせに、わたしなんて見ていない。その心はわたしになんて向けられていない。
そんなひどい人を、抱きしめてあげたくなってしまった。
どこか悲しい目をした人を、胸に抱いてあげたくなってしまった。
その仄暗い眼さえ、どうしようもなく愛おしくなってしまった。
未来予想図も、覚悟も、村への思いも、何もかもを捨てさせてしまうほどに。捻じ曲げてしまったほどに。そんな顔をする貴方から、目が離せなかったから……。
「貴方のおかげで、私はここに来ました。私は、貴方に出逢えました」
琥珀色の大きな瞳が潤む。差し込む光を孕んだそれは、あまりにも清らかだ。
ひとつ息を吸って、吐く。
レティシアは、胸の内から湧き上がる感情のままに、口を開く。
「わたし、いつか、貴方の隣に立ちたい。胸を張って、立てるようになりたい」
少女のまろやかな頬を転げ落ちる雫は、胸が苦しくなるほど澄んだ光を放っている。
(嗚呼、そうだ)
とうとう、レティシアは観念した。
今まで、名前を付けないまま見ないふりをしてきた、己の中の情と向き合うことに決めた。
「協力させてください」
「ーーー協力?」
「わたしは、畜生腹のない世界を作ります。もう誰も傷つかないようなーーー誰も、泣かないような。双子で生まれたって、何人で生まれたって、誰も憎まれないような、そんな世界をつくります」
ーーー恋をした。どうしようもないくらい、恋をしたの。
馬鹿と言えばいい。愚か者だと蔑めばいい。
畜生腹と呼ばれることに誰よりも傷ついて、かつて喪った片割れを抱えてずっと苦しみ続けているこの人を。
薄暗い眼差しで、悲しげに伏せられた睫毛の奥で、片割れを思い続けているあの人を。
生まれも身分の差も何もかもを飛び越えて、貴方のことを好きになった。
貴方の薄い唇が、呆れたようにふっと緩むのが嬉しかった。静かな眼差しが私を映して柔らかな色を滲ませる様に歓喜した。過去を見つめ続けている人が、私の名前を呼ぶだけで……。それだけで、わたしは。
(ウィリアム様、)
わたしの、わたしだけの王子様。
狭い村を飛び出て、王都の華やかさを知り。
友を得て、尊敬する先輩を、貴族の矜持を知った。
そして……、何より、貴方に逢えた。貴方のお陰で、一生分の恋を知った。骨の髄まで爛れて、胸を掻きむしるような、どうしようもなく苦しくて幸福な恋を知りました。
(貴方の苦しみを、少しでも和らげることができたなら)
誰も知らないところで零された貴方の涙を、いつか受け止めることができるのだろうか。
「それは、」
半ば、呆然としたまま聞いていたウィリアムが一つ瞬く。
そして。
「……それは、楽しみだな。レティシア」
後に過去を振り返るとき、いつも思い出されるのは、この時のウィリアム様の顔だった。
満天の夜空を背にした彼は、淡く光るように輝いている。新月の闇より美しく、磨き抜かれた氷像よりも艶やかな檳榔子黒が音もなく細められて、ゆるりと口角が上がる。
それは。その顔は。脳髄が痺れて、息が止まって苦しくなるくらい。
目が醒めるほどの隔絶した美しさ。
毛穴が全部開いて総毛立つような。涙が出るほど、美しい微笑だった。
レティシアは恋をした。
二度目はない、どうしようもなく苛烈で焦がれるような恋だった。
ただの平民の少女は、理想を追うことに決めた。貴方の隣に立つことを夢見て、駆け抜けることを決めた。
ーーー少女は、恋のために生きることを決めたのである。




