【12】真実の愛
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「よく、間に合ったわね」
「ええ。つれない主人が無茶振りをしでかして下さったお陰で」
そう端的に言った青年は振り返らない。彼に背負われた女は、口元に笑みを刻んだ。
そこは、異様な空間であった。
両腕を広げても抱え切れないくらいの大木が天を衝き、足元は一切の道がない。
鳥の声、獣の息遣い。僅かに聞こえるけれど、どこか薄寒く、ひたひたと暗闇が足元で揺蕩っている。致命的なまでに、死に満たされた森である。
そこを、ジョーカーは迷う素振りもなくザクザクと踏み入っている。その足は速く、最早駆けているようである。
「ここです」
「ありがとう。ここに降ろして」
開けた広場が現れ、その中心に、蔦と苔に覆われた巨大な建物がある。
それは、怪物の森の中心部にある霊廟にして、かつて弟王が斃れた地であった。
その入り口。巨大な扉に背を預けるようにして座った女は、薄寒くなるほどの美貌に、刃のような笑みを浮かべた。
「気づいていたの」
「ええ。当たり前でしょう。貴方は私のことを舐めすぎている」
「それは失礼。でも、本当に驚いたのよ?レティシアもあの男も驚いていたというのに……今の私を見て、驚かないのだから」
いま。彼女は何一つ取り繕っていない。ウィリアムを演じていない。
服装や髪型では一切惑わされないくらい。どこからどう見ても、美しい女である。
ジョーカーはひとつ、溜息を吐いた。
己の能力を疑われたというのに、その顔に怒りは一つもなく。眼差しにあるのは呆れだけである。
「どれだけ共にいたと思っているのでしょうか」
「あら、それは感謝しているわ」
「はい、でしたら」
彼は、一段高いところに座る彼女の足元に膝をついた。己の主人を真っ直ぐに見上げて、口を開く。
そうして、
「ヴィクトリア様でもウィリアム様でもない。主人の本当の名前を教えていただいてもよろしいでしょうか」
ーーー女の逆鱗に、手をかけた。
***
ーーー10年前。
ブランノワールの畜生腹を襲った悲劇を紐解こう。
その日、館には3人いた。
ヴィクトリア・ブランノワール
ウィリアム・ブランノワール
灰色の髪をした側仕え。
そして。
事件の後の生存者は子供が一名。焼け跡からは子供の黒焦げの遺体がひとつ見つかった。
誰も、アロイスさえ、側仕えのことなど気にせぬがゆえに、違和感を覚えなかった。
誰も、引っ掛かることのないまま真実は闇に葬られた。
事件前後で、子供の数は3人から2人。
生き残ったのは檳榔子黒の瞳を持つ子供。
灰を被ったかのようなくすんだ髪色の側仕えは闇に消えた。
計算が合わない。数が合わない。
ーーー生き残ったのは、誰だ?
*
あの日は、誕生日の前日だった。
絶望と悲痛に満ちた地獄の淵で、わたくしは。
咄嗟に庇ったのか、矢を肩に受けて転がったきょうだいを、その奥で振り上げられる斧を、鉈を見て。
『にいさま!!!ねえさま!!!』
悲痛な貴方の声が、耳から心臓を貫いた。
反射的に視線を交わすーーー檳榔子黒の眼が交差する。呆然と目を見開いているウィリアムも、同じことを考えていたと察していた。
同じ顔。同じ色。わたくしの片割れ。わたくしの唯一。
蔑まれ憎まれるべき畜生腹。どちらかが死んでおくべきだった、悍ましき双子。
ーーー違う。
全てが嘘で、全てが偽り。
わたくしたちが与えられた全てが、わたくしたちを否定する全てだった。
わたくしたちは、初めから3人だった。
(嗚呼、そうよ)
ブランノワールの子供は、双子ではない。
彼等が畜生腹と蔑まれても護りたかったのは、互いではない。
幼い頃。
ヴィクトリアの世界は、たった3人ぽっちだった。
愛らしい姉、美しい弟、……顔を隠したみずぼらしい下女。
灰を被ってくすんだ髪の奥に、輝くような檳榔子黒の瞳をもつ女の子。
双子が決して離さなかった、唯一の側仕え。
同じ色、同じ顔をした3人目の子供。
(わたくしはーーーお姉さんだもの)
ブランノワールの双子など存在しない。
同じ日、同じ夜に生まれたのは二人ではない。
たった数分違いで産まれたきょうだい。予想しなかったがゆえに、二番目までは隠せなかった。二番目まではバレてしまった。それでも、醜悪な悪逆貴族はせめてものの抗いで三人目を無いことにした。
双子とされてしまった姉兄が、それでもどうにかして隠し通そうとした末の妹。畜生腹と蔑まれながら、絶対に手放さなかった、きょうだいの絆。
「愛しているわ、わたくしのアネモネ」
ーーーブランノワールの畜生腹は、三つ子である。
*
「お嬢さま」
澄ました顔でわたくしを呼ぶ貴女を、心の底から、愛していた。
ヴィクトリア・ブランノワールが知る世界は、ブランノワールの敷地の隅っこにある小さな離れ。彼女の世界は、彼女と、片割れと、小さな小さな妹で構成されていた。
生まれた時から共にあった一番小さな女の子。
誰に言われるまでもなく、誰に教えられるわけでもなく。
わたくしもビルも、この女の子が、私たちの末妹だと知っていた。
「お嬢さま!」
「あらあら、わたくしの可愛いアネモネちゃんは、お姉ちゃんと呼んでくれないの?」
「お嬢さまはお嬢さまですっ!」
愛らしく頬を膨らませて駆けていくあの子を見るのが、好きだった。
毎朝せっせと灰でくすませる髪は気に食わないけれど。その奥に隠された檳榔子黒を知るのが、わたくしたちだけだと思うと気分がよかった。
隣にいたビルが、白い目でわたくしを見る。
「お前……可愛いくてしょうがないのは分かるが、あまり揶揄いすぎるなよ」
「ふふ、しょうがないじゃない」
愛しいあの子。
可愛いあの子。
私とビルの大事な妹。
この世で一番愛らしい宝物。
ヴィクトリアは。あの子が、己だけが側仕えであることではなく、兄姉と違うことに拗ねていることを知っていた。あの「お嬢さま」呼びも「若君」呼びも、小さな反抗期ゆえだ。嗚呼、わたくしたちの小さなアネモネが、愛おしすぎて涙が出る。
可愛いものが好きで、甘いものが大好きで、
お勉強よりも外で駆け回る方が好きで、
物語のお姫様に憧れて、素敵なドレスと王子様とダンスに夢を見る、そんな可愛い女の子。
可愛がるより可愛がられる方が好き、抱きしめるより抱きしめてもらう方が好き。頭を撫でてもらうのが好きで、己が一番愛されていたい、子供っぽくて眩しい女の子。
(なんて、愛おしいのかしら!)
嗚呼、そうだ。
ヴィクトリアもウィリアムも、逆立ちしたってそんな子供になれやしない。生まれながらに欠けていた、生まれながらに不完全な彼等からして、どんなに眩しく愛らしい怪物であることか!
ーーー3人で一番子供っぽくって、一番普通の女の子で、一番素直で無垢な愛をくれる女の子。
そんな女の子が、己の趣味嗜好を振り捨てて、姉兄とおんなじでいたがった。己の好きなものより何よりも、兄姉と一緒が良いと背伸びする。自分の不遇よりも何よりも、姉兄と一緒にいたいと小さく強請った。
不完全な怪物に、無垢な愛情を向けてくるのだから本当に堪らない。
きょうだいのとびきり愛しいお姫さま。ブランノワールの怪物たちが、その全てを注いで愛でて慈しんで育んだ小さなアネモネ。
生まれた瞬間、生まれていないことにされてしまった可哀想な女の子だった。ビルとヴィーしか知らない、特別大事な女の子だった。
「お二人は、もっと自分の意志を皆に主張するべきです!お二人とも、側仕えが私だけで、こんなところにいていい方ではありません!」
可愛らしい顔で怒るあの子が、私たちの枷であると、気づいていた。
だから、だからーーー。
「おねえさまっ、あにさまが、あにさまがっ!!!」
愛らしい顔を涙でぐちゃぐちゃにして、小さな手で懸命にウィリアムの傷を抑える貴女の頬を撫でた。漆扇のような睫毛が広がって、花降るように美しい檳榔子黒を隠す。
(嗚呼、なんて愛らしいのかしら)
魂の芯から震えるような感覚だった。
さっき人を殺したばかりの怪物を、素直に「おねえさま」と呼ぶいとしいあの子。
その無垢な涙を、わたくしたちのために流す貴女が、あまりにも可愛くって、愛しくって。
生まれながらに逸脱しているウィリアムとヴィクトリアとは違い、末妹の彼女は平凡な少女であった。三人揃って同じ顔、同じ色。だけど、ウィリアムが笑って「ギフトだな」と言うように、ヴィクトリアが甘く蕩けて「最高よ」と言うように。三人の中で、彼女だけが、どうしようもなく普通だった。
「ねえさまっ!!!」
「そうね。……ありがとう、こっちを向いて」
「?ねえ、さま」
「お願いがあるの。ウィリアムはわたくしが見ておくから。あのタンスの裏にある抜け道から、外に助けを呼びに行ってほしいの」
「そんな!私も一緒にここに!」
「それじゃ、きっとビルは助からないわ。私なら、魔法でビルを守れるから」
「ッ……!!!」
痛々しい顔で、小さなお姫様は唇を噛んだ。
悲壮な顔をしていても愛らしいこの子を抱きしめてとびきり甘く慰めてあげたいと思った。けれど、察したのか、お姫様の後ろから睨んでくるウィリアムに諦めて。
ゆったりと笑みを浮かべる。
「ここは私に任せて。ビルを助けるために、行ってちょうだい」
ーーー嘘だ。
この子をここから離す理由なんて、生かすため以外に理由はなかった。それは、ヴィクトリアとウィリアムの共通した意志だった。
目の前の少女の、今にも大きな目から決壊しそうな涙を見て。
もし、さっさとこの子を平民にでも養子に出していれば。と、ふとヴィクトリアは思いを馳せた。
幼い頃から側仕えとして働かされるのでもなく、存在を隠されることもなく。
きっと。貴女は普通の女の子のように生きていけたのでしょう。
普通の女の子のように恋をして、好きな人と共に生きて、子供ができて孫もできて、愛し愛され、寿命で死ねた。
そんな人生をぶち壊して、いきつく先が地獄だとして。
世界で一番可愛くて愛しい妹が、不幸になるのだとしても。
そうと分かっていて、私たちを「お姉さま」と迷わず呼ぶ小さなアネモネを、手放してなんてやれなかった。かわいい妹を、離さずにはいられなかった。
それが、ヴィクトリアとウィリアムのとびっきりの悪逆だった。
「わ、わたしはっ」
言葉を遮るように、細い腕が少女を掻き抱く。
ふわりと鼻を擽る姉の香りに、鉄錆のそれが混じっていることにもう何度目かの痛みを感じて。導かれるように顔を上げた少女は、視界に広がるそれに息を呑む。
見上げた姉の瞳は、綺羅星を溶かし込んでいるかのようで。咲き初めの美貌は、凄絶なまでの美しさで輝くかのようだった。
(嗚呼、わたくしの妹は、なんて)
………愛とは、無防備に身を委ねることだ。
どんな時でも愛らしい眼がわたくしを見ていて。逸らさないということだ。
抱き締めてキスをしたって、この世の地獄の淵で死の影が迫っていたって。腕の中の小さな身体はくたりと柔らかなままだ。無防備に身を委ねて、きゃらきゃらと笑う貴方に、きらきらとした瞳で、臆せずわたくしを見つめる貴方に。
生物としての生存本能も、生まれながらの警戒心も全て投げ捨てて、全身全霊で寄りかかる貴方に。
どうしようもなく、愛されていることを知っている。
「おねえさま、」
ーーーかわいい声で、愛らしい顔で、わたしを呼ぶ貴女が、なんていじらしいことか。
絢爛たる極上の檳榔子黒が、やわらかく光って。
蕩けるように。
融けるように。
明けるように。
解けるように。
うつくしい極彩色の感情を溢れさせてーーー笑う。
「愛しているわ、わたくしの小さなアネモネ」
少女は、出そうとした言葉を失ってしまった。
はくり、と息を呑んで。
真っ白になった顔は、声を失った小鳥のようで。
振り絞るようにウィリアムに二、三言話しかける様は、痛ましくも愛らしい。幾らか逡巡して、振り切るように「必ず助けを呼んできます!」と駆けて行った少女の背中を、ヴィクトリアは見送った。
大好きよ、わたくしの小さなお姫さま。
わたくしの可愛いアネモネ。
貴女の幸せを、心の底から願っているわ。




