【10】畜生腹の王子様
「さて、花の王子様」
「ヴィク、トリア……」
嗚呼、とアロイスは感嘆の息を吐いた。
この期に及んで、お前は狂おしいほどに美しい。
黒真珠を散らしたかのような髪は黄金比の輪郭を彩り、薄氷の花肌は透き通るようである。
夜風にそよぐ凍蝶の翅のような睫毛が、微かに震えて。
ーーー地獄の闇より悍ましく絢爛な檳榔子黒の眼が、私を見ている。
それは人を殺せるほどの隔絶した美しさ。
どんな激情も一瞬で醒めるほどの美しさだった。
「畜生腹の王子様、」
淡く色づいた唇が、柔らかく歪む。
そうして、美しいままの顔で、女はアロイスを串刺しにする為の剣を握る。
「貴方、ビルの姿をした私に何と仰ったのかしら?」
忌まわしき畜生腹。
生まれながらに母を殺し、
きょうだいを犠牲に生き延びた。
何故のうのうとお前は生きている。
「お前も殺した」
畜生腹。
その言葉こそ、なんと悍ましい。
王国において。畜生腹とは何よりも唾棄すべき存在である。一つの腹につき一つの命。そんな自然の摂理に逆らう悪しき存在。生まれるはずのなかった命。祝福されるべき子供達の中の、唯一の例外。
どれだけ身分差があっても、どれだけ貧富の差があったとしても。これだけは、王国で共通する唯一の価値観。王様から貧民まで、全てが適用される絶対的ルールだ。
畜生腹は、生まれる瞬間に殺されるのが普通である。どんなに高貴な身でさえ、畜生腹がこの世に生き残っていることなど、禁忌に近い。
「貴方は言いました。畜生腹たるウィリアム・ブランノワールは生まれてこなければ良かったと」
ーーー自分のこと。よく、分かっているじゃないですか。
声を高鳴らせて、ヴィクトリア・ブランノワールは綺麗に笑ってみせる。激情も殺意も甘いジャムと蜂蜜に完璧に包んで、とびきり素敵な顔で微笑んでみせる。そうして、薔薇の花弁のような唇をより深い笑みの形に歪ませて、
「母親も片割れも殺しておいて、のうのうと生き延びるなど、なんて恐ろしい」
ーーーとびきりの猛毒をたっぷり塗りたくって、囁いてあげる。
「あ、あぁ……ッ!!!!!」
声なき絶叫があがった。青年は呻きながら、己の顔に爪を突き立てている。
一瞬にして深い絶望に塗り替えられたアロイスに、ヴィクトリアは口笛を吹きたくなった。
嗚呼、なんて清々しいの!
ゆったりと目を細め、顔を上げる。まるで、広大な草原でひとり、夜明けの風を全身に受けているかのような心地だった。
己を理由に、目の前できょうだいを陥れる様を見せつけられて。
己を理由に、目の前できょうだいを散々に罵倒された。
それでも隠し隠し息を潜めるようにして隠し通した。そんな、十年だった。
そうだ。ヴィクトリアは、この男にずっとこう言ってやりたかった。
「お前の周りを固める側近達も、派閥の人間も、そして世論さえも。畜生腹を憎み排斥する急先鋒となった気分はいかが?」
とうとう、アロイスの息の根が止まる。
貴方が言ったのでしょう。畜生腹の分際で、双子の片割れを犠牲にしておいて、のうのうと息をしているなんて。なんて無様で悍ましく、烏滸がましいと。
畜生腹の王子様。
生まれるべきでなかったのに、正しいことにされた怪物の子。
本来なら、きょうだいと揃って打ち捨てられる筈だった。それが、王の傲慢でひとり、高みに残された。双子の片割れを踏み躙っておいて、生まれながらに母君を殺しておいて、のうのうと息をしている王太子。
(自分のことをそう思っているなんて、殊勝なこと。)
滑らかな微笑を口元に湛えながら、ヴィクトリアはそう思った。
貴方は、生き残ったウィリアムを憎んだ。己の恋の名の下に、畜生腹を滅ぼす道を選び、扇動した。
知らないうちに、自己否定を繰り返し己の存在すらも許されない世界をつくっていた。
貴方を囲むのは、畜生腹を唾棄し決して許さない過激派たち。ウィリアムが作り上げた畜生腹擁護派からは、当たり前のように距離を取られている。
(私がそうなるように調整したのだもの。当たり前ね)
アロイスの企みをずっと前から知っていて、それでも手を打たなかった。畜生腹の忌み名を打ち消す方法なんて、無数に考えていたというのに、そうすれば、貴方の未来が開けてしまうと予想したら、どうにも世界を救ってやろうとは思えなかった。
嗚呼、そうだ。そうなのだ。
畜生腹と謗られて、生きるだけで憎まれ恨まれ嫌われて、最愛という名の翼を捥がれ地に伏せた。
己も同じ畜生腹であるくせに。
片割れの人生を踏み躙り奪った罪人のくせに。
素知らぬ顔で最愛のきょうだいを責め立てた。最愛のきょうだいを追い詰めようとした。
……私ときょうだいが傷ついて苦しんで悲しんで、爪が剥がれて血を吐いて這いずってでも歩んできた道を、貴方にも味合わせる。特別製の地獄を貴方にあげる。
(私のきょうだいとの共同作業を、楽しんでもらいたいわ)
そう笑った女のきょうだいは、非常に優れた政治家であり、商人であった。
ウィリアムは、500年もの歴史を進めたと呼ばれるほどの天才だった。
貴族で爆発的に人気が出た鉛白粉、水銀で出来た美白水。安価で美しいが故に国中に広がったシェーレグリーン。クズ魔石の需要の拡大と共に採掘が盛んになり、鉱毒が土を川を海を汚染していく。
きょうだいが見出した、国を滅ぼす為の時限爆弾を、あちこちに散りばめて。そうして笑う彼女は、今日も国で一番美しい。
彼が残した言葉を、将来予想日記を使うだけで、彼女はここまで来れた。最愛のきょうだいが遺したものをつかって、地獄をつくった。その理由はただひとつ。
「己が簡単に虐げ迫害した畜生が何なのか、思いしればいい」
お前が煽った憎悪は、いつかお前に牙を剥く。お前は死ぬまで、己の秘密を恐れ続ける。
お前の真実が、いつかお前を殺す日を恐れ続けたまま自己否定をし続ける道か。血反吐吐いて、苦しんで、お前が憎み抜き滅ぼそうとした畜生腹を肯定し、10年かけて作り上げた恋の証明を己の手でぶち壊して葬り去る道か。
行きは地獄、帰りも地獄。
左右どちらも悪逆の花道。
お前の未来を全て。地獄で塗り潰してあげる。
「これからを、貴方は耐えられるかしら?」
「ヴィクトリア……」
呻くように絞り出して。とうとう、アロイスはその目から一粒の涙を落とした。その一滴を落としてしまったら、しまいだった。
恋をした。どうしようもなく恋をした。
過去のことにして忘れられないくらい。平気な顔で生きていけないくらい好きだった。
君が居ないだけで世界が翳り、苦しくなっても走り続けたほどに君の残像を追いかけた十年だった。
その十年が、気づけば己を否定し殺す世界を創り上げていた。
(君は、それほどまで、)
君に捧げた十年は、君の復讐のために使われてしまった。伸ばした手を弾かれて、君は二度とこちらを向いてくれなくなった。
君を思えば想うほど、過去の己の言動がーーー己の罪が、喉を締めていく。
許すものか、赦すものか。
声なき声が、アロイスを追い詰める。
顔がぐしゃぐしゃになるまで泣いて、絶望に身を塞いだとき。
「……それくらいにしましょう、ヴィクトリア様」
細い足が、アロイスを庇うように立ちはだかったのである。




