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第8話 剥がれ落ちたメッキ


不倫の事実を暴かれ、息子からも軽蔑の眼差しを向けられた健一郎と玲子。

 普通ならここで引き下がるものだが、彼らのプライドの高さは、それを許さなかったらしい。


健一郎が、顔を真っ赤にしてテーブルを叩いた。


「だ、だからなんだと言うんだ! 過去のことは過去だ!」


彼は脂汗を拭いながら、必死に虚勢を張り直そうとしている。


「俺は二階堂家の長男だぞ! この由緒ある家を守る立場にある人間だ! たとえ過去に多少の過ちがあったとしても、今の俺の社会的地位や、二階堂の格式が変わるわけではない!」


玲子もまた、夫の言葉にすがるように喚き立てた。


「そ、そうよ! 結局のところ、あなたたちのような片親家庭の貧乏人とは住む世界が違うのよ。美咲さん? だったかしら。あなたが二階堂の嫁として相応しくないという事実に変わりはないわ。こちらの財産を食い潰されるのは御免ですからね!」


……呆れた。


まだ言うか。この期に及んでまだ、「自分たちは選ばれた特別な人間だ」という幻想にしがみついているのか。

 滑稽を通り越して、哀れみすら感じる。


私は小さくため息をつくと、冷ややかな視線を二人に向けた。


「ねえ。さっきから『家の格式』だの『財産』だのとうるさいけれど……あんた達、鏡を見たことある?」


「な、なんだと!?」


「あんたが継げない家の格式とか、ちょっと意味が解らないんだけど?」


健一郎の動きがピタリと止まった。

 私は彼が反論する隙を与えず、畳み掛ける。


「意味が解らないって顔してるわね。いいわ、教えてあげる。……あの時のW不倫騒ぎで、お義父さん――本家の当主が激怒していたこと、まさか忘れたわけじゃないでしょうね?」


健一郎の目が泳ぎ始めた。

 当時の義父の怒りは凄まじかった。それを思い出しているのだろう。


「そ、それは……親父も一時的に怒っていただけで……」


「一時的? おめでたい頭ね」


私は鼻で笑った。


「私、昨日お義父さんと電話で話したのよ」


「は……?」


「で、親父、なんて?」


健一郎の声が裏返る。

 私は昨日の会話の内容を、一言一句、噛み砕いて教えてあげた。


「『あの大馬鹿者は、勘当同然で追い出したはずだ』『二階堂の敷居を跨ぐことすら許しておらん』『それなのに外で名家気取りとは片腹痛い』……ですって」


「う、嘘だ! そんなはずは……!」


「嘘じゃないわよ。だって、跡取りの件も聞いたもの」


私はとどめの一撃を放つ。


「二階堂の跡取りは、お義姉さん――あんたのお姉さんの旦那様に決まったそうよ。来月の親族会議で正式発表だって。……やっぱり、あんただけ教えて貰って無かったんだね?」


「な…………」


健一郎は絶句し、口をパクパクとさせている。

 酸素を失った魚のようだ。


「お義父さん言ってたわよ。『健一郎には遺産など一銭たりとも渡すつもりはない』って。あんたが持ってると思っている『将来の遺産』も『長男の特権』も、全部あんたの妄想。ただの空っぽな『自称・名家』のおじさんってわけ」


「そ、そんな……俺は長男だぞ……! 俺が継ぐはずじゃ……」


ガタガタと震えだし、魂が抜けたように背もたれに沈み込む健一郎。

 そして、それを見て悲鳴を上げたのは玲子だ。


「ちょっと健一郎さん! どういうことよ! あなた、『いずれは本家に戻って莫大な遺産が入る』って言ってたじゃない! だから私、養育費の不払いも目をつぶって、あなたについてきたのに!」


おやおや、仲間割れの開始だ。


玲子にとって健一郎は、「名家の御曹司」というアクセサリーであり、金づるでしかなかったようだ。

 そのメッキが剥がれた今、彼女にとって健一郎はただの「慰謝料を踏み倒した情けない男」でしかない。


「うるさい! 俺だって知らなかったんだ!」


「嘘つき! 私の人生を返してよ!」


醜い罵り合いを始めた両親を見て、翔太さんが深く、深くため息をついた。

 その目には、もはや怒りすらなく、あるのは深い失望だけだった。


「……もう、いいよ」


翔太さんの静かな声が、場の空気を鎮めた。


「父さんも、母さんも。……本当に、呆れたよ。救いようがない」


「しょ、翔太……」


「俺は、二階堂の家なんてどうでもいい。遺産なんて最初から当てにしてない。でも、あんた達はそれしか見てなかったんだな。家族も、人の心も、何一つ大事にしてなかったんだ」


翔太さんは立ち上がり、美咲の手をしっかりと握った。


「俺は美咲ちゃんと結婚する。もちろん、あんた達とは縁を切る。二度と俺たちの前に現れないでくれ」


「そ、そんな! 翔太、待ってちょうだい! 私たちにはもう、あなたしか……老後の面倒は誰が見るのよ!」


玲子がすがりつこうとするが、翔太さんの決意は固かった。


息子に見限られ、実家からも絶縁され、金も名誉もない老後が確定した瞬間だった。

 二人はテーブルに突っ伏し、絶望に打ちひしがれている。


ザマァミロ、と言ってやりたいところだが、まだだ。

 精神的な断罪は終わった。


ここからは、現実的な「精算」の時間だ。


私はバッグから、計算済みのメモを取り出した。

 にっこりと微笑み、絶望の淵にいる二人に声をかける。


「さて。感傷に浸っているところ悪いんだけど……ここからは法律の話をしましょうか」


「法律……?」


涙目の玲子が顔を上げる。

 私はメモをテーブルの上に、バシッと叩きつけた。


「離婚するときに約束してくれた養育費。一銭も払って貰ってないんだけど? 今日はそれを回収しにきたのよ」

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