第6話 対面、そして静寂
タクシーがレストランのエントランスに横付けされると、私は支払いを済ませて外へと飛び出した。
格式高いフレンチレストランらしい重厚なドアを抜けると、ロビーのソファに座っていた人影が勢いよく立ち上がった。
「お母さん!」
「ごめんね美咲、待たせたわね」
駆け寄ってきた美咲の顔を見て、私は胸が締め付けられた。
先ほどまで泣きそうな顔をしていたのだろう。
化粧を直した跡があるが、その表情は疲労と怒りで強張っている。
「ううん、いいの。それより……本当に行くの? もう帰っちゃってもいいんじゃないかな。あの人たち、私の顔を見るなり『お母様はまだ? 社会人のマナーがなってないわね』って、そればっかり……」
美咲の声が悔しさで震えている。
やはり、私がいない間もネチネチと攻撃されていたようだ。
私は美咲の背中を優しく、しかし力強くさすった。
「大丈夫よ。むしろ、逃げ帰ったらあっちの思う壺だわ」
「でも……」
「美咲。母さんを信じなさい。絶対にスカッとさせてあげるから」
私が不敵に微笑むと、美咲は少し驚いたように目を丸くし、それから小さく頷いた。
「……うん。わかった」
「よし。案内してちょうだい」
私たちは係の店員に導かれ、廊下の奥にある個室へと向かった。
一歩進むごとに、私の腹は据わっていく。
ハイヒールのコツ、コツ、という足音が、戦いの始まりを告げるドラムのように響く。
個室のドアの前で、店員が足を止めた。
私は一度深呼吸をし、乱れた呼吸を整える。
怒りを消すためではない。それを冷徹な刃に変えるためだ。
コンコン、とノックの音が響く。
中から、不機嫌そうな男の声が聞こえた。
「……どうぞ」
店員がドアを開ける。
私は背筋を伸ばし、堂々とその部屋へと足を踏み入れた。
部屋の中央には円卓があり、奥の上座に男女が二人、並んで座っていた。
男は白髪交じりの頭髪を整髪料で撫でつけ、恰幅の良い――悪く言えば締まりのない体型をしている。
女の方は、年齢をごまかすような厚化粧に、派手なブランドもののスーツ。目つきの鋭さは相変わらずだ。
私が部屋に入った瞬間、二人は露骨に侮蔑の色を浮かべて私を睨みつけた。
女――玲子が、甲高い声で口火を切る。
「あら、やっとご到着? ずいぶんと待たせてく……」
言いかけた言葉が、宙で止まった。
私が顔を上げ、二人の顔を真正面から見据えたからだ。
「…………え?」
男――健一郎の目が、点になった。
ワイングラスを持ち上げようとしていた手が止まる。
玲子の顔から、先ほどまでの傲慢な笑みが消え失せた。
まるで幽霊でも見たかのように、口を半開きにして私を凝視している。
無理もない。
二十年だ。二十年間、彼らは私を記憶から消し去り、自分たちの都合の良い人生を生きてきたのだろう。
でも、忘れるはずがない。自分たちが踏みにじり、捨てた女の顔を。
部屋の中を、重苦しい沈黙が支配した。
カチャリ、と健一郎の手から滑り落ちたフォークが皿に当たる音だけが、やけに大きく響く。
「あの……父さん? 母さん?」
異様な雰囲気に気づいた翔太さんが、おずおずと声をかけた。
しかし、二人は答えられない。
顔面蒼白になり、パクパクと口を開閉させるだけで、声が出てこないのだ。
私はゆっくりと席に近づき、二人の目の前の席――下座の椅子を引いて腰を下ろした。
そして、ナプキンを膝にかけると、凍りついている二人に向かって、氷点下の微笑みを向けた。
「はじめまして……とは、言いませんよ?」
私の低い声が、静寂を切り裂く。
健一郎の喉がヒュッと鳴った。
「お、おま……お前……まさか、ノゾ……いや、佐和子、なのか……?」
「さ、佐和子……!? なんで、あんたがここに……」
二人は震える指で私を指さし、ガタガタと震え始めた。
その反応を見て、何も知らない翔太さんと美咲が困惑した顔を見合わせている。
私は二人を睨みつけたまま、静かに、けれどドスを利かせた声で告げた。
「おい……片親だから、なんだって?」
ピシャリ、と空気が凍りついた。
「お前たちがそんな事言うなんて、頭がおかしいのか?」
「…………ッ!」
「お前たちのせいで片親になった美咲に不満があるなんて、よく言えるね」
もはや敬語を使う必要もない。
私の罵声に、二人は蛇に睨まれた蛙のように縮み上がり、視線を泳がせた。
逃げ場なんてどこにもない。
ここはお前たちが用意した、お前たちのための処刑場なのだから。




