第4話 本家への根回し
翌朝。
私は会社に半休の連絡を入れると、深呼吸をしてスマートフォンを手に取った。
画面に表示させているのは、二十年前の電話帳データから引っ張り出してきた番号だ。
『二階堂本家』。
かつての義父であり、美咲にとっての祖父にあたる人の連絡先だ。
離婚後、私たちが申し訳なさから疎遠にしていた時も、義父だけは毎年、美咲の誕生日に図書カードとお手紙を送ってくれていた。
『困ったことがあればいつでも言いなさい』
その言葉に甘えることなく二十年生きてきたが、今日、初めてそのカードを切らせてもらおうと思う。
数回のコールの後、重厚な、けれど懐かしい声が響いた。
『……はい、二階堂です』
「ご無沙汰しております、お義父さん。……佐和子です」
『おお! 佐和子さんか!』
義父の声がパッと明るくなるのがわかった。
『久しぶりだねえ。元気にしてたかな? 美咲ちゃんも、もう立派な社会人になった頃だろう』
「はい、お陰様で。実は今日お電話したのは、その美咲のことでご報告がありまして」
『ほう、なんだろう? まさか、結婚かな?』
さすがは年の功、鋭い。私は苦笑しながら肯定した。
「ええ、そうなんです。大学時代からのお付き合いしていた方と、そろそろ身を固めたいと」
『そうかそうか! それはめでたい! いやあ、孫の花嫁姿が見られるとは長生きはするもんじゃな』
電話の向こうで破顔しているであろう義父の様子に、私の心も少し温かくなる。
だが、ここからが本題だ。私は声を少し低めた。
「それで……そのお相手のことなんですが。実は、少し困ったことになっていまして」
『困ったこと? 相手に問題があるのか?』
「いえ、ご本人はとても誠実な方なんです。問題は、そのご両親でして……」
私は、美咲が相手の両親から受けた仕打ちをありのままに話した。
片親であることを理由に侮辱されたこと。
躾がなっていない、財産目当てだと罵られたこと。
そして、その相手の家名が「二階堂」であり、父親の名前が「健一郎」であること。
話を終えると、受話器の向こうから長い沈黙が流れた。
やがて聞こえてきたのは、地を這うような低い声だった。
『……あの大馬鹿者が』
温度のない、冷え切った怒りの声。
『まさか、自分の娘とも知らずに、そんな暴言を吐いたというのか。しかも、二階堂の名を笠に着て?』
「はい。どうやらご自分たちを『由緒ある名家』として振る舞われているようで……私としては、美咲がこれ以上傷つけられるのを見過ごせません」
『当たり前だ! 言語道断!』
ドン! と机を叩くような音が響いた。
『あいつは勘当同然で家を追い出した身だぞ。二階堂の敷居を跨ぐことすら許しておらん。それなのに、外で名家気取りだと? しかも未だに養育費も払っておらんかったとは……私の目が黒いうちに、とっちめてやらねば気が済まん!』
義父の怒りは凄まじかった。
健一郎たちが、いかに親の威光だけで生きている空っぽな人間かがよくわかる。
私は、一番確認しておきたかったことを尋ねた。
「お義父さん。健一郎さんは、ご自分が長男だからと、家の格式や財産の話をされていたようなのですが……」
『はん。寝言を言うのも休み休み言え、だ』
義父は鼻で笑い飛ばした。
『あやつの遺留分なんぞ、とうの昔に放棄させておるわ。それに、二階堂の跡取りはとっくに決まっておる。長女の……健一郎の姉の旦那に継がせることになった』
「ああ、やっぱりお義姉さんが」
『うむ。来月の親族会議で正式に発表する予定だが、実質的にはもう代替わりしておるよ。健一郎には一銭たりとも渡すつもりはない』
確証が得られた。
健一郎たちが拠り所にしている「名家の長男」「将来の遺産」という武器は、すべて彼らの妄想であり、砂上の楼閣だ。
『佐和子さん。わしが乗り込んでいって、その場で怒鳴りつけてやってもいいが……』
「いえ、お義父さん。お気持ちは嬉しいですが、まずは私と美咲、そして婚約者の翔太さんでケジメをつけさせてください。美咲も、自分の力で乗り越えようとしていますから」
私がそう伝えると、義父は少し考えてから『わかった』と頷いてくれた。
『だが、もしあやつらが二階堂の名前を出して威張り散らすようなら、遠慮はいらん。わしの名前を出せ。「本家の当主が激怒していた」と伝えてやれ。必要なら、いつでもわしに電話をよこせばいい』
それは、これ以上ない最強の「委任状」だった。
二階堂家のトップが、私に全権を与えてくれたのだ。
「ありがとうございます。……それと、もし養育費を回収できたら、全額美咲の結婚式の費用に充てようと思います」
『それがいい。あやつの汚い金も、孫の為に使われるなら浄化されるというものだ』
義父との通話を終えた私は、スマホを胸に抱いて深く息を吐いた。
勝てる。
いや、勝つだけではない。
彼らが二十年間積み上げてきた虚栄心を粉々に砕き、その上で、未払いのツケをきっちりと支払わせることができる。
これで武器は揃った。
あとは、敵がのこのこと処刑台に上がってくるのを待つだけだ。
私は手帳のカレンダーに書き込まれた『食事会』の日付を指でなぞった。
その日は、美咲と翔太さんにとっては新しい人生の始まりの日。
そして、健一郎と玲子にとっては――終わりの日になるだろう。




