勝ちの定義を量り直す
※本作の相場や金融商品、取引制度は物語上の架空設定です
九月に入った。
朝五時に起きた。窓を開けると、空気が少し違った。湿気はあるが、八月の重さとは違う。風が通る。蝉の声がまだあるが、数が減っている。代わりに、虫の音が朝から聞こえる。
窓の向こうに海峡が薄く見える。九月の朝の海は色が違った。八月の白っぽい光ではない。水面が青みを帯びている。空が高くなった分、海の色が深くなっていた。
対岸の尾道の山が、朝の光の中でくっきりと稜線を見せている。その稜線に沿って、寺の甍が点々と並んでいた。朝の光を小さく反射している。
近江の家の方から、水を流す音がした。朝の始まりだった。四月に来た頃は、この音を「ノイズ」と呼んでいた。今は聞こえる。聞こえるだけだった。排除しようとも、気に障るとも思わない。そのこと自体が、少し変わっている。
台所で水を出し、コーヒーを淹れた。コーヒーミルは持っていないから、インスタントのままだった。だが淹れ方だけは決まっていた。マグカップにスプーン一杯半。湯は沸騰から少し落とす。四月から四ヶ月、同じやり方を繰り返している。この台所で。
六畳間に入り、PCを起動した。米国市場を確認する。小幅高。VIXは低水準に戻っている。八月の急変はすでに織り込まれた。市場は次の材料を待っている。
スプレッドシートを開いた。資産の推移を見る。
八月は結果として悪くなかった。月初のVIX急騰で含み損を抱えたが、その後のIV低下とセータの効きで取り返した。SQも無事に通過した。月次の損益はプラスで終えた。森脇が落ちた日も、追加の売りを見送った日も、結果的には正しかった。攻めなかったことで壊れずに済んだ。守ったことが成果になった。
一億までの距離を見る。
遠い。四月に来た頃よりは近い。だがまだ遠い。このペースでは、あと一年以上かかる。もう一度大きな波が来て、そこで正しく取れれば、半年短縮できるかもしれない。
以前なら、その計算で終わっていた。距離を確認し、シナリオを組み、次の波を待つ。それだけで一日の始まりは十分だった。
今日は、その計算のあとに、少し間が空いた。
指先がトラックパッドの端に触れていた。考え込むときの癖だった。画面の数字はまだ見ている。見ているのに、目の焦点が少し遠くなっている。
一億に届いたとして、と南里は考えた。
届いたら、ここを離れる。東京に戻る。もう少し環境のいい場所で、トレードを続ける。そういう計画だった。
その計画は変わっていない。変える理由もない。
だが「ここを離れる」と頭に浮かべたとき、前ほどすっきり消えないものがあった。
近江の朝の声。森脇の軽トラのエンジン音。片岡の「日替わりですか」。排水溝の泥。雨戸の戸車。冷蔵庫のフィン。近藤の庭の蛇口。
どれも小さい。どれも南里の損益曲線には載らない。
載らないのに、消えない。
四月にここへ来たとき、南里は何も持ち込まなかった。モニターと机と回線だけだった。生活は最小限に圧縮し、人間関係はゼロから始める気もなかった。ゼロのまま終わらせるつもりだった。
四ヶ月経って、ゼロではなくなっている。ゼロにしたつもりのものが、生活の側から勝手に増えていた。
南里は指先でトラックパッドの端を触った。癖だった。考え込むときに出る。
一億はまだ必要だった。あの失敗を「途中の損失」にするために必要だった。自分はまだ壊れていないと証明するために必要だった。その気持ちは変わっていない。
だが、一億に届いたとき、何が残るのかを前より考えるようになっていた。
数字は残る。口座に残る。証明になる。
でもそれだけか。
会社にいた頃、成果は数字で出た。ボーナスに反映された。評価に載った。それが全てだと思っていた。そう信じていたから、数字が壊れたとき、自分まで壊れた。
一億に届いても、同じことが起きないとは限らない。数字だけで自分を測り続ける限り、次の大敗で同じように壊れる。
南里はその思考を止めた。相場の前にこういうことを考えるのはよくなかった。判断が鈍る。
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九時、前場が始まった。板を見る。IVは低水準。出来高は薄い。九月に入って市場は落ち着いている。八月の混乱が嘘のように、板は動かなかった。
ストラングルのポジションはセータが効いている。含み益が少しずつ積み上がる。指数が百円動いても、デルタはほぼフラット。ガンマも小さい。こういう日は相場を見ていても何も起きない。触る必要のない日だった。
触る必要がないのに、画面の前にいる。これが仕事だから、と思う。だが以前はこの「何もしない時間」が苦痛ではなかった。ポジションを管理すること自体が目的であり、結果だった。今は、何もしない時間に、別のことが頭に浮かぶ。
十時過ぎ、窓の外で近江の声がした。隣の家の誰かと話している。言葉の中身は聞き取れない。声のトーンだけが届く。日常の会話だった。
十一時半、前場が引けた。片岡の店へ行った。
車で五分。橋を渡らない。島の中を走る。道は覚えた。信号のタイミングも、対向車の多い時間帯も分かっている。
店に入った。カウンターに先客が一人。端の席に座った。いつもの席だった。いつの間にか「いつもの席」ができていた。
片岡が目を上げた。
「日替わりですか」
「はい」
「今日は秋刀魚の塩焼きです」
秋刀魚。九月の魚だった。四月から通って、鰆、鯛、鱧、穴子と変わってきた。季節が魚に出る。東京にいた頃、魚に季節を感じたことはなかった。
定食が出てきた。秋刀魚は焼きたてで、皮がぱりぱりしている。焦げ目がきれいについている。大根おろしが添えてある。味噌汁はなめこ。小鉢はいんげんの胡麻和えとかぼちゃの煮物。
食べた。秋刀魚はうまかった。脂が乗り始めている。箸で身を割ると、白い身の中に脂の層が見える。
「秋刀魚、もう出てるんですね」
「走りですけどね。これからもう少しよくなります」
「来月の方がいいですか」
「たぶん。でも走りは走りの味がありますよ」
片岡は手を動かしながら言った。次の客の盛り付けをしている。手が止まらない。走りは走りの味。今あるものを、今の形で出す。待てばもっとよくなるかもしれない。でも今日の魚は今日しかない。
南里はその理屈を、相場に置き換えて聞いていた。最適なエントリーを待ち続ければ、永遠に入れない。今の水準で入って、そこから育てる。それも一つの判断だった。オプションの売りも同じだった。完璧なIVの高さを待つより、今のプレミアムを取って、時間を味方につける方が現実的なことがある。
食べ終えて、会計をした。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございます」
片岡が釣りを数えている間、南里はカウンターの木目を見ていた。四ヶ月間で何十回と見た木目だった。
店を出た。駐車場に向かう途中で、足が止まった。
海が見えた。店の前の坂の下に、尾道水道が広がっている。
島と島のあいだの水面が午後の光を受けて、白く、平らに光っていた。
手前に造船所のクレーンが見える。その向こうに、対岸の尾道の山。
空を見上げた。九月の空は八月より高い。雲の形が変わっている。入道雲ではない。薄く、横に長い雲が東から西へ流れている。光の角度が少し低くなっている。
見上げるつもりはなかった。目に入った。四月には目に入らなかった。
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後場を見た。動きはなかった。指数はほぼ横ばい。IVは朝と変わらない。ポジションの含み益は前場から二千円増えただけだった。
十五時十五分、引けた。微増。
振り返りをノートに書いた。損益、ポジション、IV。いつものフォーマット。最初の頃はこのノートだけが一日の証拠だった。数字を記録し、判断を振り返り、翌日の行動を決める。それが南里のルーティンだった。
書き終えて、ペンを止めた。
ノートの前のページをめくった。八月のメモが並んでいる。VIXの急騰。ポジションの調整。含み損と含み益の推移。その隙間に、「森脇・骨折・因島」というメモがあった。「冷蔵庫・フィン・片岡」というメモもあった。「近江・雨戸・戸車」という走り書きもあった。
相場のノートに、相場以外のことが書いてあった。以前はなかったことだった。東京にいた頃のノートには、数字しか書いていなかった。日付と損益とポジションと、時々市場のメモ。それだけだった。
南里はノートを閉じた。
窓の外は暮れかけていた。九月の夕方は、八月より早く暗くなる。六時前なのに、もう光が赤くなり始めている。
隣の屋根の向こうに空がある。赤というより、橙に近い色だった。
屋根の隙間から、尾道水道が夕焼けを映しているのが見えた。水面が一面の橙色に染まっている。
対岸の山並みが黒いシルエットになり、空と海の境を分けていた。渡船の灯りが一つ、橙色の水面をゆっくり横切っていく。
会社にいた頃は、夕方の色を見たことがなかった。オフィスの窓は見えていたはずだが、見ていなかった。画面を見ていた。数字を見ていた。
一億はまだ必要だった。ただ、それだけでは前ほど足りなかった。




