第6話 守るための夕食
こんばんは、孔雀丸です。
第5話では、斬牙による初めての襲撃と、老人が負傷するという重い展開になりました。
読んでいて胸が痛くなった方も多いかもしれません。
今回の第6話は、その夜の続きです。
事件のあとの宿坊で、十彩獣団の面々が夕食を囲みます。
戦いの話ではありません。
けれど、これは決して「箸休め回」ではないと思っています。
傷ついた日常のなかで、それでも笑い、それでも箸を持つ。
そうやって「日常を守ること」もまた、戦いの一部なのだと、この章を通して描きたいテーマのひとつです。
慎悟が「守られること」にどう向き合っていくのか。
歩美たちの回復札に、少しずつ違いが見えてくる場面もあります。
静かな夜の話ですが、次への大事な布石になっていますので、ゆっくり読んでいただけたら嬉しいです。
なお本作はAIとの対話を活用しながら執筆しています。
それでは、第6話「守るための夕食」をどうぞ。
無縁墓の謎は、まだ何も解けていない。それでも、日は落ちる。
日が完全に山の向こうへ落ちると、寿満寺の境内は昼間とはまるで別の場所になった。
木々の輪郭が闇に溶け、本堂の甍だけが星明かりを鈍く照り返している。宿坊の広間には長机がいくつもつなげられ、白飯と味噌汁、焼き魚、山菜の煮物、冷ややっこ、漬物が湯気を立てて並んでいた。素朴だが、丁寧に作られた夕食だとひと目でわかる。
十彩獣団の十人、脇出美奈子、指中莉奈、大溝奈緒、そして池口寿蒙。全員が、すでに膳の前に座っている。
けれど、誰も箸を伸ばさない。
慎悟は膳の前で膝の上の拳を握ったままだった。斬牙に切り裂かれた子猿の毛並み。血を流して倒れていた老人の顔色。夕闇へ消えていった斬牙の後ろ姿。まぶたの裏でそれらが繰り返し再生される。
隣では歩美が、自分の右手をじっと見つめていた。老人の傷口に触れたときの体温と、札を通して伝わってきた命の重さが、まだ指先に残っている気がした。
食器が触れ合う小さな音、遠くの虫の声。それだけが、やけに大きく聞こえた。
友紀と南海は、そんな慎悟の様子を横目でうかがっていたが、まだ声はかけなかった。かける言葉が見つからないというより、今はまだそのときではないと、互いに分かっているようだった。
脇腹の傷が、慎悟の姿勢が変わるたびに鈍く疼く。今日、自分が斬牙を追えていれば――その考えを、まだ手放せずにいた。
◇
重苦しい空気を最初に壊したのは、柿原翔一だった。
山盛りの白飯を前に、翔一が茶碗を持ち上げる。
「こういう時こそ食わねえと、戦えねえだろ」
誰かを励まそうとした言葉というより、本人が本気で腹を空かせている顔だった。翔一は勢いよくかき込み始める。
向かいに座った熊坂健太が、無言で自分の茶碗にさらに飯を盛った。翔一がそれを見逃さない。
「......おい。それ、俺への挑戦か?」
「別に。腹が減ってるだけだ」
健太は真顔でそう言ったが、翔一はすでに挑戦状として受け取っていた。
「よし、三杯先に食い終わったほうが勝ちな」
健太は少し考えてから、
「食べ物で遊ばないなら、いい」
と、妙に真面目な条件をつけた。
翔一は勢いよく飯をかき込む。健太は一定の速度を崩さず、淡々と箸を動かす。翔一が途中で味噌汁を一気に飲み、盛大にむせた。
「あんたたち、山で鬼が出た日の夜に何やってんのよ」
友紀が肩をすくめて言う。翔一が口いっぱいのまま何か言い返そうとしたが、
「飲み込んでから喋りなさい」
奈緒の一言が飛んできて、それより先に黙らされた。
南海が小さく吹き出す。蓮も口元だけで笑った。伊織はうつむき気味のまま肩を小さく揺らしている。綾実は呆れながらも、止めようとはしなかった。
誰かが笑ったから、次の誰かも笑えるようになる。広間の空気が、そうやって少しずつ緩んでいった。
◇
奈緒は食事が始まる直前まで、寿蒙と一緒に配膳を手伝っていた。
「先生なんだから座っててください」
生徒の誰かが言うと、奈緒は笑って返す。
「合宿で引率だけ偉そうに座ってたら、あとで何言われるか分からないからね」
最後に自分の茶碗を持ち、生徒たちの間へ自然に腰を下ろす。教師としての威厳を捨てたわけではない。ただ今夜だけは、監督者ではなく、この一日を共に過ごした一人として、そこにいた。
「今日は色々あったけど、食べられる時にちゃんと食べる。それも大事」
奈緒が静かに言うと、寿蒙が茶を一口すすってから応じる。
「生きる者には、食べる務めがあります」
「じゃあ俺、今めちゃくちゃ務め果たしてますね」
翔一の即答に、また小さな笑いが起きた。
◇
南海は慎悟の隣にいた。
急須へ手を伸ばしかけた慎悟より先に、南海がそれを取って茶を注ぐ。
「それくらい自分でできる」
「知ってる。でも今日は、私がやりたいからやるの」
柔らかい声で返されると、慎悟は言い返しにくくなる。
しばらくして、空になった味噌汁の鍋を運ぼうと慎悟が腰を浮かせかけた瞬間、向かいから鋭い声が飛んだ。
「兄ちゃん」
名前を呼ばれただけで、動きが止まる。
「それ、誰かに頼めばいいでしょ」
友紀の言葉に、慎悟の眉間がわずかに動いた。
「これくらい重くない」
「重いかどうかじゃないよ」
南海が横から加勢した。左右と正面、三方向から見られている状態になり、慎悟はどこにも逃げ場がない。
「俺、怪我人じゃなくて囚人みたいだな」
ぼやくと、蓮が箸を止めずに言った。
「今のお前なら、囚人のほうが自由かもな」
小さな笑いが起きる。慎悟が言い返そうとした瞬間、脇腹に鈍痛が走り、ほんの一瞬、表情が曇った。
南海と友紀はそれを見逃さない。二人とも大げさに騒がず、ただ黙って慎悟を見た。それだけで十分だった。慎悟は観念したように座り直す。
少し離れた場所から、綾実がその一連のやり取りを見ていた。
慎悟が固執しているのは「守る側」であることだけではない。「守られる側になること」に、まだ慣れていないのだ。そう思いながら、綾実は自分の茶碗へ視線を戻した。
◇
食事がある程度進んだところで、莉奈が寿蒙に子猿の様子を尋ねた。
「傷口は塞がっています。今は老猿のそばで休んでいますよ」
「良かった......」
莉奈は詰めていた息をゆっくり吐き出したが、すぐに眉を曇らせた。
「でも、怖がってたから......傷より、そっちのほうが心配です」
自分たちを見ただけで歯を剥いた子猿の姿を思い出す。あの目には、痛みだけでなく、もっと違う何かが浮かんでいた気がした。
「傷は、皮膚に残るものだけとは限りません」
寿蒙の言葉に、少し離れた場所にいた美奈子がわずかに反応した。だがそれ以上は何も言わず、黙って自分の膳へ視線を落とす。
◇
歩美が箸を置き、寿蒙に声をかけたのは、それから少し経ってからだった。
「私と莉奈ちゃんと住職さん、三人で同時に札を使いましたよね」
寿蒙が頷く。
「違う霊気を同時に流したら、普通はぶつかったりしないんですか?」
翼が興味を示し、食事の手を止めた。歩美は続ける。
「三人の札、打ち消し合わなかっただけじゃなくて......老人の身体の中に入ったあと、それぞれ別の場所へ、自然に流れていったような感じがしたんです」
寿蒙はすぐには答えず、しばらく考え込んだ。
「同じ回復でも、私たちは同じことをしていないのかもしれません」
歩美の黄色い札は、裂けた肉体そのものへ強く作用していた。傷口を塞ぎ、失われた肉体を本来の状態へ戻そうとする力。
莉奈の山吹色の札は、出血や痛みによって乱れた生命力を落ち着かせていた。
寿蒙自身の白金色の札は、弱まり続ける生命の火そのものが消えないよう、つなぎ止めていた。
「あくまで、私の推測に過ぎませんが」
寿蒙はそう前置きした。名称も、作用も、まだ確かなものは何もない。
「つまり、同じ場所を奪い合ってないから、干渉しなかった?」
翼が考えながら言う。
「可能性はあります」
寿蒙が短く答えた。
綾実が箸を置き、整理するように言う。
「回復っていう一つの言葉でまとめてしまうから同じ力に見えるだけで、実際には、役割そのものが違うのかもしれない」
莉奈は自分の札を見つめた。歩美も、自分の黄色い札を見つめる。
老人を助けた札。
けれど、鬼へ使えば激しい苦痛を与える札。
同じ「治す力」が、どうして相手によって救命にも攻撃にもなるのか。歩美にはまだ分からない。誰にも、答えは出せなかった。
◇
会話が途切れたところで、美奈子が静かに口を開いた。
「......あのおじいさん、すごく感謝してた」
全員が美奈子を見る。
治療を受けていた老人から、美奈子へ流れ込んできた感情。助けに来てくれたことへの感謝。生きられるかもしれないという安堵。
しかし、それとほぼ同じ強さで、別の感情もあった。
恐怖。
死ぬことへの恐怖。山の中に斬牙がまだ残っていることへの恐怖。猿たちがまた襲われることへの恐怖。そして、自分を襲った存在が人間ではなかったことへの、根の深い恐怖。
「感謝してても、怖いものは怖いんだと思う」
美奈子が呟く。
歩美は黙って考え込んだ。命を救えば、それで全て元通りになるわけではない。肉体を治すことと、恐怖から立ち直ることは、同じではない。
さっき莉奈が子猿について言った言葉と、静かにつながっていく気がした。
◇
空気が再び少し重くなりかけたとき、翔一が空になった茶碗を差し出した。
「おかわり!」
「三杯勝負じゃなかったの?」
奈緒が問うと、翔一は悪びれずに言う。
「三杯で決着つかなかったんで、延長戦です」
健太も無言で茶碗を差し出す。奈緒が視線を向けると、
「俺はそんな話、聞いてない」
そう言いながら、当然のように四杯目を平らげにかかる。
今度は全員が笑った。
慎悟は食卓を見渡す。隣には南海。向かいには友紀。翔一と健太は相変わらずくだらない勝負を続けている。翼と綾実はもう小声で札の話を再開していた。莉奈は子猿のことをまだ気にしている様子で、美奈子は皆の感情を感じながら、静かに食事を進めていた。蓮、伊織、歩美、奈緒、寿蒙。それぞれが、そこにいた。
昼間、人が死にかけた。
鬼はまだ、あの山のどこかにいる。
それでも人は飯を食べる。笑う。誰かへ茶を注ぐ。誰かの茶碗へ飯をよそう。
慎悟は、自分が何のために戦っているのかを、あらためて考えた。敵を倒すためではない。この、何でもない時間を奪わせないために戦っている。
「日常を守ることも、戦いの一部なんだな」
無意識にこぼれた呟きを聞き取ったのは、隣の南海だけだった。南海は説明を求めず、小さく笑っただけだった。
◇
食事を終えた一行は、協力して食器を片づけた。その後、夜の本堂へと移動する。
開け放たれた障子の向こうから、夏の虫の声が絶え間なく響いてくる。昼間の熱がまだ床板に残っている一方で、夜風には確かな冷たさが混じっていた。灯りは行灯だけで、本堂の中は薄闇に沈んでいる。
「今夜は、身体を酷使する訓練はしません」
寿蒙が静かに告げた。
最初の課題は、霊護獣同士の霊気を感じ取ることだという。
十彩獣団の十人が、それぞれの霊護獣を呼び出す。蒼牙、朱迅、桃麗、流風、翠凰、烈翔、玄牙、明駆、泉純、紫舞。十種類の異なる気配が、本堂の空気にゆっくりと広がっていった。
莉奈も光狐を呼び出す。美奈子は少し離れた場所から、その場に満ちていく感情の揺れを静かに見守っていた。
今回の指揮役に選ばれたのは翼だった。
「目に頼っている限り、霊気を感じる意味がない」
翼が説明すると、全員が目を閉じる。翼の指示で、音を立てずに本堂内をゆっくり移動し、誰がどこにいるかを霊気だけで判断する訓練が始まった。
◇
感知訓練は、思いがけず十人それぞれの個性を浮かび上がらせた。
翔一は動きも霊気も大きく、比較的すぐに分かる。
「翔一は目閉じてても翔一」
友紀の突っ込みに、翔一が「褒めてんのか」と苦笑いした。
伊織は霊気まで静かで、何人かが場所を間違えて手探りになる。
健太は動かなくても存在感が強い。
「岩みたい」
友紀の評に、健太は褒められたのかどうか少し考えてから、「そうか」とだけ返した。
南海の霊気は柔らかく広がり、正確な中心が分かりにくい。綾実はわざと霊気を絞ったり広げたりして、他のメンバーを惑わせている。蓮は流れるように位置を変える。翼は周囲へ意識を配っているため、本人の位置より結界のような広がりのほうが強く感じられた。歩美は温かく、動く光のような感覚。友紀は鋭く一方向へ伸びる印象を残す。
そして慎悟の蒼牙は、本来ならこの十人の中心を押さえるような、強い存在感を持つ気配だった。
「単純な強弱じゃなくて、特徴を覚えることが大事」
翼がそう説明する。十人の霊気が、それぞれまったく違う個性を持っていることが、声高に語られたわけではないのに、その場にいる全員へ確かに伝わっていく。
◇
慎悟も蒼王へ手を伸ばし、訓練に加わろうとした。
「北潟君。あなたは今夜、武器を持たないでください」
寿蒙の声が、その動きを止めた。
「感知訓練くらいならできます」
「できるかどうかではありません」
寿蒙は続ける。
「今のあなたに必要なのは、動くことではなく、見ることです」
慎悟には、その言葉の意味がすぐには分からなかった。他の仲間が訓練している中、自分だけ座っていることに、指先が意味もなく畳を掻いた。
友紀と南海からも、何も言わないまま無言の圧力が伝わってくる。慎悟は渋々、蒼王を壁際へ置き、本堂の端に腰を下ろした。
戦えないことが、そのまま「役に立っていないこと」のように思えて、喉の奥に苦いものが押し込まれたまま、下りていかなかった。
◇
訓練が始まると、慎悟はいつもの癖で口を開きかけた。
翔一の動きが大きくずれた瞬間、
「翔一、右――」
そう言いかけた声を、翼が先に追い越した。
「翔一、二歩戻って」
慎悟は口を閉じる。
友紀と健太の距離が近づきすぎた。慎悟が声を出すより先に、蓮がすっと間へ入り、二人の位置を静かに調整した。南海と莉奈の霊気が重なって判別しにくくなると、綾実がすぐに二人へ位置をずらすよう促す。
誰も、慎悟へ判断を求めなかった。
けれど、誰も勝手に動いているわけではなかった。蓮は全体を見渡しながら状況を修正している。翼は訓練全体を組み立てている。綾実は霊気の乱れと精神状態を読み取っている。三人は打ち合わせなどしていないのに、自然と役割を分担していた。
慎悟は、初めて外側から十彩獣団を見ていた。
いつも自分が前線に立っていたせいで、見えていなかった光景だった。
自分には主軸前衛としての役割がある。
しかし蓮には戦術判断がある。翼には戦場設計、綾実には均衡制御がある。
健太には前線固定、翔一には突破、友紀には高速機動。
南海には広域支援、歩美には救援、伊織には精密射撃と浄化。
誰か一人だけで、十彩獣団が成立しているわけではない。
慎悟は口を閉ざしたまま、しばらく黙って仲間たちを見ていた。そして、ふと言葉がこぼれた。
「俺がいなくても......ちゃんと回るんだな」
その一言のあと、慎悟はしばらく声を出せなかった。壁際に置いたままの蒼王へ目をやり、それからもう一度、仲間たちの背中を見る。誰かに置いていかれたわけではない。それでも、これまでずっと両肩に乗せてきた重さが、ほんの少しだけ軽くなったような気がした。
◇
慎悟の呟きを、寿蒙は聞いていた。
「あなたがいないのではありません」
寿蒙が言葉を継ぐように訂正した。慎悟が顔を上げると、寿蒙は仲間たちの訓練を見つめたまま続けた。
「あなたは今、外から見ている」
さらに言葉を継ぐ。
「前へ出る者だけが、仲間を守っているわけではありません」
慎悟は答えなかった。もう一度、仲間たちへ視線を戻す。
自分が戦えなくても、十彩獣団は動いている。そして、外から見ているからこそ、見える全体がある。
慎悟は初めて、「自分が戦うこと」と「十彩獣団を戦わせること」は、別の役割なのかもしれないと考えた。
それはまだ、完成した答えではない。
本堂の中では、翼の声が響いていた。
「もう一回。今度は全員、霊気を半分まで抑えて」
慎悟は今度は口を出さなかった。仲間たちの位置を、動きを、判断を、ただ黙ったまま追い続けた。
壁際には、蒼王が置かれたままだった。刀は抜かれていない。慎悟自身も、今夜は戦っていない。
それでも、十彩獣団は動いていた。
夏の虫の声が、開け放たれた本堂の闇の向こうから、絶え間なく響き続けていた。
明日もまた、この寺で何かが試される。
まだ誰も、それを知らない。
第6話、お読みいただきありがとうございました。
翔一と健太の大食い対決、南海と友紀に囲まれて逃げ場を失う慎悟、そして三種類の回復札が「同じ場所を奪い合っていないから干渉しない」という寿蒙の推測。
事件の翌日をどう生きるか、というささやかな一夜でしたが、書いていて温かい気持ちになれる話でした。
慎悟が「守る側」から「守られる側」へと、少しずつ変わっていく。
この変化は、この先の章でとても重要な意味を持ってきます。
さて、次話は一転して重い内容になります。
第7話「殺された父親」。
福江駅前のマンションで、優が父親と再会します。
そこで何が起きるのか。
今回の穏やかな夕食とは対照的な夜を、次はお届けすることになります。
心の準備をしていただけたらと思います。
それでは、また次話でお会いしましょう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




