≪番外編≫ 名前を忘れたときに開く頁 ――黒い手帳・人物確認記録――
いつ、誰の名前が消えるか分からない。
昨日まで一緒に食事をしていた仲間が、翌朝には最初から存在しなかったことになるかもしれない。出会った人の家が消え、道が塞がり、本人だけでなく、その人を覚えていた記憶まで書き換えられる。
だから俺は、これまでに出会った人々を一つの頁へまとめることにした。
これは人物名鑑ではない。
明日、誰かの席が空いていたとき。
その空席が、本当に最初から空いていたのかを確かめるための記録だ。
「それなら、全員で確認したほうがよいでしょう」
リアが手帳を覗き込み、銀縁眼鏡を押し上げた。
「ユーマさん一人の記憶が書き換えられる可能性もあります」
「俺も読む」
ノエルが反対側から身を乗り出す。
「自分の紹介に、変なことを書かれてないか確認する」
「事実しか書いていない」
「借金も?」
「事実だ」
「賭け事のことも?」
「確認済みの事実だ」
ノエルは真剣な表情で、手帳を奪う方法を考え始めた。
残念ながら、この頁はすでに五人へ分散記録してある。俺の手帳だけを奪っても、内容は消えない。
まずは、俺たち六人から確認する。
◇互いを記録する六人
【神崎悠真】
二十八歳。
日本と呼ばれる世界で、物流会社の事務職として働いていたと認識している男性。
剣と魔法の世界アルカ・レクシアへ来た経緯には、不明な点が多い。本人は異世界転生だと考えていたが、世界に残された古い記録や、正体不明の存在からは、別の呼び方をされている。
天恵は《記録》。
見聞きした事実を、正確な文章として黒い手帳へ残す能力。現地では最低等級のハズレスキルと判断された。
剣は扱えない。
魔法も使えない。
身体能力も、普通の事務職だった人間と大きく変わらない。
ただし、書類の数字、地図の矛盾、壁に残った削り跡など、誰も気に留めない小さな違いを見つけることができる。
《記録》には、世界から消された人や場所の情報を残し、一時的に存在を固定する力がある。
その代償として、悠真自身の大切な記憶が失われることがある。
すでに、日本で暮らしていた部屋と、母親だと認識していた人物の顔や声を失っている。
自分が何者なのかについては、本人にも分からない。
そのため現在の神崎悠真は、仲間たちが知る人物像によって分散記録されている。
ガルドによれば、自分の弱さを隠さず、今の自分にできる役割を探す人間。
ミレナによれば、他人の弱さを知っても、それを自分の利益のために利用しない人間。
セフによれば、自分の考えが間違っている可能性を認め、他者の知識を頼ることができる人間。
リアによれば、正体が不明であることを理由に、存在を否定してはならない人間。
ノエルによれば、世界が忘れた誰かを見つけても、手帳を閉じて見捨てることができない人間。
現在の役割は、〈灰色の雲雀〉の記録係。
「戦闘能力が低いという部分は、もう少し短くできないか」
俺が尋ねると、リアが首を横に振った。
「人物を正確に伝えるために必要です」
「お前は転びかけたことを削除しろと言っただろ」
「あれは事実認識に誤りがあります」
「自分の記録にだけ厳しいな」
【ノエル・ハース】
十六歳。
赤褐色の髪と、右耳につけた真鍮製の輪が特徴の少年。〈灰色の雲雀〉では、斥候を担当する。
身軽で、短剣を二本使う。危険や罠へ気づく能力が高く、初めて訪れる場所でも、地形や足跡から進むべき道を見つけることができる。
考えるより先に身体が動くため、誰かを助けるときも、自分が危険へ飛び込んだことへ後から気づく。
異世界へ来たばかりで、金も武器も居場所もなかった悠真を、最初に仲間へ誘った人物。
《記録》を役立たずだと笑う者が多い中、ノエルだけは「最高の能力だ」と評価した。
明るく、人懐っこく、軽口が多い。
自分が消されるかもしれないと知った後も、仲間の前では普段どおりに振る舞おうとした。
金銭管理能力は著しく低い。
報酬を得ると、食事、賭け事、旅芸人への投げ銭、見た目だけが派手な装備などへ使う。夕暮れ亭の宿代を長期間滞納しており、本人は「数字に裏切られた」と主張している。
将来の夢は、世界中を旅すること。
海の向こう。
空まで伸びる樹。
一年中燃えている山。
夜だけ現れる街。
仲間たちと旅先で見たものを、すべて悠真に記録させたいと考えている。年を取った後、五人で記録を読み返すことまで含めて、彼の夢である。
一度、世界から消されかけた。
現在は悠真と仲間たちの記録によって存在を保っているが、その状態が完全なものかは分かっていない。
「借金の部分が長くないか?」
ノエルが不満そうに尋ねた。
「人物を正確に伝えるために必要らしい」
「リアみたいな言い方をするなよ」
【ガルド・バルガス】
三十四歳。
〈灰色の雲雀〉の代表を務める重戦士。
身長は二メートル近く、太い腕と、大きな斧を持つ。普段は巨大な盾を使い、仲間へ向けられた攻撃を正面から受け止める。
口数は少なく、判断は慎重。
正体の分からない現象へ感情だけで飛び込もうとする悠真やノエルを止め、証拠、退路、最悪の場合の対応を考える。
一方で、完全な証拠がないという理由だけで、仲間の言葉を切り捨てることはない。
悠真が〈灰色の雲雀〉へ加わった際には、冒険者の登録料や装備代を立て替えた。
そのとき悠真へ、戦えないことを恥じる必要はないと伝えている。
ノエルとは五年前から行動を共にしている。
市場で盗みを疑われ、右手を失いかけていたノエルを助けた。ガルド自身は理由がなかったと語っているが、彼が冒険者を続けている理由の一部に、ノエルの存在がある。
忘れている誰かを、過去に守れなかった可能性がある。
ただし、本人の記憶にも、現在の公的な記録にも、その人物は残っていない。
猫が苦手。
嫌いなのではなく、どこを撫でればよいのか分からないらしい。猫を胸へ押しつけられた際には、魔物と戦ったときにも出さなかった高い声を上げた。
「最後の情報は不要だ」
ガルドが低い声で言った。
「識別に役立つ」
「俺と同じ体格で、同じ武器を持つ人間が何人いる」
「猫を怖がるかで確認できる」
「怖がってはいない」
記録の修正要求は却下した。
【ミレナ・フォース】
二十二歳。
〈灰色の雲雀〉の治癒術師。
神官として治癒術や防護術を使い、傷ついた仲間を支える。普段は穏やかな笑顔を絶やさないが、本気で怒ると笑顔のまま声が冷たくなる。
その状態のミレナには、ノエルも逆らわない。
神への信仰を大切にしている。
同時に、祈るだけでは救えない人がいることにも気づいている。
神を信じていなくても善を選ぶノエルや、神殿や女神の記録さえ疑う悠真と旅をする中で、信じるとは何かを考え続けている。
困っている人を放っておくことができない。
敵意のない白い人影であっても、傷ついているように見えれば手を伸ばそうとする。その優しさが危険につながることもあるため、ガルドからは慎重に行動するよう注意されている。
甘いものが好き。
ただし、神官は質素であるべきだと考えているため、人前では滅多に食べない。
夕暮れ亭の厨房で、誰もいないと思って蜂蜜菓子を食べていた。
「ユーマさん」
ミレナが笑顔を向けた。
「その記録は秘密にしてくださると、約束しましたよね」
「誰にも話していない」
「手帳へ書くことも、話すことに含まれます」
笑顔だった。
俺は頁を閉じようとした。
ノエルが横から押さえた。
「大事な記録だから残そう」
「ノエルさん」
「はい。消していいと思います」
【セフ・アルノー】
二十歳。
〈灰色の雲雀〉の魔術師。
銀縁眼鏡をかけた細身の青年で、炎や風の魔法を使う。魔術、古代文字、遺跡の構造について豊富な知識を持ち、理解できない現象を理論的に分析する。
皮肉屋で、自尊心が高い。
悠真が加わることには最後まで反対し、戦えない《記録》の使い手は、守る対象を増やすだけだと主張した。
しかし、南水路で悠真の記録に救われた後は、能力の価値を認めている。
自分の誤りを簡単には認めないが、証拠が揃えば訂正できる。
かつて魔術師の昇級試験に失敗し、杖を捨てて街を出ようとしたことがある。そのとき、失敗を慰めず、普段と同じように食事を持ってきたのがノエルだった。
二人は頻繁に言い争う。
互いを面倒な人間だと思っているようだが、片方が本当に危険な状況になれば、もう片方は迷わず助けようとする。
寝起きが悪い。
朝は髪が跳ね、眼鏡を忘れ、左右で異なる靴を履くことがある。
「削除してください」
セフが静かに告げた。
「事実だ」
「その理屈なら、記録者を物理的に排除すれば、その後の記録は増えませんね」
「脅しまで人物情報に追加するぞ」
セフは眼鏡を押し上げ、何も言わなくなった。
【リア・エルセイン】
十九歳。
王立西方図書院で補助司書をしていた少女。
長い黒髪、淡い琥珀色の瞳、銀縁眼鏡が特徴。白い表紙の本を持ち歩き、消えた場所や、通常の人間には認識できない文字を記録している。
必要のない言葉を省いた話し方をする。
冷たい人物に見えることもあるが、過去に自分の話を信じてもらえなかった経験から、他人へ期待しないようにしている可能性が高い。
悠真以外では唯一、黒い手帳へ残された消えた人物の名前を、一部読むことができる。
七歳より前の記憶がない。
王立西方図書院の裏門で倒れているところを発見され、自分の名前が書かれた紙だけを持っていた。
家族。
出生地。
それ以前にどこで暮らしていたのか。
何一つ分かっていない。
幼い頃から、地図にない街、天井のない図書館、空を覆う銀色の樹などの夢を見る。
自分が何者なのかを確かめるため、図書院を離れて悠真たちへ同行している。
〈灰色の雲雀〉へ正式加入したわけではない。
理由の一つは、パーティー名が安直だから。
歩きながら本を読む癖がある。
南水路では足を滑らせ、悠真の外套を掴んだが、本人は転んでいないと主張している。
「事実認識が誤っています」
リアが言った。
「どこが?」
「足を滑らせたのはユーマさんです。私は転倒を防止するため、外套を掴みました」
「俺の腕に、指の跡が残っていた」
「支えるためには、必要な力でした」
ノエルが小声で俺へ尋ねた。
「本人が信じてるなら、嘘にはならないのか?」
リアは聞こえないふりをした。
◇ラトメアで出会った人々
【ヴェラ・グレン】
冒険者ギルド西区支部の副支部長。
短く切った灰色の髪と、左目を覆う黒い眼帯が特徴。現役時代は銀級冒険者だった。
悠真たちが南水路で経験した異変について報告を受けた人物。
証拠が不足している話を無条件には信じないが、説明できない点を無視することもしない。悠真の記録と現地調査の結果に食い違いがあることを認め、危険を承知で追加調査を許可した。
自分自身の記憶が書き換えられている可能性にも気づき始めている。
名前を失った水路作業員から報告を受けた記憶だけが残り、誰から聞いたのかを思い出せなかった。
悠真たちにとって、異常な世界とラトメアの日常をつなぐ人物。
完全に信じているわけではない。
それでも、話を聞くことをやめていない。
【夕暮れ亭の主人】
悠真たちが滞在している宿、夕暮れ亭の主人。
禿頭で、声が大きい。
食事の量が多く、宿代も比較的安い。ノエルが何度も料金を滞納しているため、彼を客として扱うべきか悩んでいる。
ノエルが失礼な発言をすると、厨房から木製のお玉を投げる。
命中率は高い。
名前は、まだ記録していない。
「毎日顔を合わせてるのに?」
ノエルが尋ねた。
「聞く機会がなかった」
「親父で通じるしな」
その呼び方を本人の前ですると、お玉が飛んでくる。
【マレイ・リセ】
ラトメア南西区、鈎針通りにあったパン屋〈青い窯〉の主人。
四十二歳。
声が大きく、右手の人差し指に火傷の痕がある。自分が時間を間違えたと気づいた際には、素直に非を認めた。
ノエルが以前、店のパンを盗み食いしたことを覚えていた数少ない人物。
現在のラトメアには、鈎針通りも〈青い窯〉も存在しない。
公的な名簿にも、マレイという女性の名前は残っていない。
しかし、隔離された鈎針通りの中で、白い人影として悠真の前へ現れた。
消える直前まで気にかけていたのは、自分自身ではなく娘だった。
【リナ・リセ】
十二歳。
マレイの娘。
茶色い髪を左右で結び、右側の結び目だけが少し低い。
冒険者へ興味を持ち、ノエルへ「パンは強いのか」と真剣に尋ねた。
鈎針通りが消された後、倉庫の壁の向こうから悠真へ助けを求めた。
現在も、隔離された領域に残されている可能性がある。
マレイとリナを取り戻す方法は、まだ見つかっていない。
◇ 北方遺跡へ向かう人々
【バルツ・オーン】
中央神殿遺構調査室に所属する、北方遺跡補給隊の責任者。
四十代半ば。
短く整えた黒髪と、細い口髭が特徴。
話し方は丁寧だが、荷物、人員、書類の数を何度も確認する慎重な性格。
当初は、公的な地図に存在しない旧第九巡回路へ入ることへ反対した。白紙鳥によって通常の経路情報が失われた後は、現在の道に残ることも安全ではないと判断し、補給隊全体で悠真たちへ同行することを決めた。
感情より責任を優先する。
悠真たちが戻らない場合でも、先発調査班へ物資を届ける役目を放棄することはできない。
甘いものが嫌いだと公言しているが、机の引き出しへ蜂蜜菓子を隠しているらしい。
「誰が記録したんだ?」
ノエルが尋ねた。
「エダンが皆の前で話した」
「分散記録には危険な一面がありますね」
バルツ本人が聞けば、そう言うかもしれない。
【エダン・クロウ】
中央神殿遺構調査室の若い連絡員。
北方遺跡へ向かう補給隊で、バルツを補佐している。
書類の封を少し曲がって押す癖がある。
白紙鳥に役割の記憶を奪われかけた際、バルツから名前と役目を呼ばれ、自分を取り戻した。
その後は、自分もバルツの癖や秘密を語り、互いの記憶を支えた。
一人の上司と一人の部下。
それだけではなく。
互いが互いを知っているからこそ、二人は世界から完全に切り離されずに済んだ。
【ミゼン・ロウ/ベック】
北街道を担当する二人の御者。
十年にわたり、同じ馬車を引いてきた相棒同士。
白紙鳥の襲撃で、ミゼンはベックを知らない人間だと思い込み、警戒した。
ベックはミゼンの名前だけでなく、雪道で助けられたこと、朝は左の馬から餌を与えること、亡くなった妻の話を酒の席ですることまで叫び続けた。
その言葉によって、二人の関係は戻った。
ベックは、ミゼンが壊した馬車の修理代を三年経っても請求している。
ミゼンは、その件だけは忘れたままでよかったと主張している。
人物を残すのは、美しい思い出だけではない。
長年の小言や、未払いの修理代も、二人が一緒に生きた証拠になる。
◇記録の端に残された名前
【ドルン】
南水路調査班の代表。
【ハーゼ】
南水路調査班の斥候。
【ジグ】
同じ調査班へ同行した水路管理官。
公式の報告書には、この三人の名前しか記されていない。
しかし、悠真の黒い手帳は、調査班に四人目が存在した痕跡を示している。
四人目の名前。
顔。
担当。
帰る場所。
現在は、何一つ分かっていない。
さらに、水路の中から鐘の音を聞き、ヴェラへ報告した作業員も、名前と宿泊記録を失っている。
名前が分からないため、この頁へ正式な人物として記録することはできない。
ただし。
名前が分からないことは、その人が存在しなかった証明にはならない。
◇ 四度目のオルネに生きる人々
【エッダ】
地図に存在しないオルネ村から、旧第九巡回路へ現れた老婆。
首から、オルネと刻まれた木札を下げている。
村人三百十二人を代表し、悠真へ「自分たちを記録しないでほしい」と願った。
過去にも、神崎悠真と同じ名を持つ存在に会ったことがある。
その人物について、エッダはこう語った。
優しい人だった。
だからこそ、自分たちを三度苦しませた、と。
オルネを救うと約束され、次の人生を信じて死んだ。
それでも、新しい人生には過去の苦痛が残った。
現在のエッダは、希望を与えられることさえ恐れている。
エリウス・ハーンの母親。
【ハルム】
現在のオルネ村の村長。
六十八歳。
第一のオルネでは十二歳。
第二では三十四歳。
第三のオルネには、ハルムという人物そのものが存在しなかった。
それでも、存在しなかった人生で負った傷の痛みまで、現在の身体へ残している。
どの人生が本当の自分なのか。
複数の人生を生きた人間は、同じ人物なのか。
本人にも答えは分からない。
【サナ】
オルネ村の薬師。
サナ、リィナ、アナトという、三つの名前が刻まれた木札を持つ。
現在はサナと呼ばれているが、別の名を呼ばれても、自分のことだと認識する。
現在のオルネには存在しない子供を覚えている。
別の人生で、その子を産み、育て、愛した。
今の世界に子供がいなくても、サナの中では、その関係は失われていない。
忘れれば、苦しみは薄れる。
同時に、子供が生きていた証拠も失われる。
彼女自身も、何を残すべきか答えを出せていない。
【エリウス・ハーン】
エッダの息子。
ルカの父親。
北方遺跡へ向かった先発調査班の六人目だった可能性が高い。
世界の記録から名前を失い、一時は悠真たちから「リウス」という仮称で呼ばれていた。
子供から届いた手紙。
木彫りの馬。
一人分多く用意された食料。
それらの痕跡によって、本当の名前の一部が戻った。
娘を救う方法を探すため、戻り木の内部からオルネの外へ出た。
現在は、悠真のものとよく似た、左右反転した黒い手帳を持っている。
村人たちが終わりを望んだとしても、娘だけは生き続けさせたいと考えている。
その願いが、本当に娘のためなのか。
本人にも、まだ見えていない可能性がある。
【ルカ】
九歳。
エリウスの娘。
父親を追い、オルネの人格や歴史を保存する戻り木の内部へ入った。
エリウスは、娘が一人にならないよう、新しいオルネを作ろうとしている。
ルカは、一人だけで永遠に生きることを望んでいない。
父親に守られるだけの子供ではなく、自分の未来を自分の言葉で選ぼうとしている。
エリウスは娘を愛している。
ルカも父親を愛している。
だからこそ、二人の望みは一致していない。
◇ 正体の分からない名前
【銀髪の女神】
悠真がアルカ・レクシアへ来る前、白い空間で出会った女性。
腰まで伸びる銀色の髪。
白い衣。
紫色の瞳。
頭上には光の輪が浮かんでいた。
悠真が死んだとは言わず、「前生は終了しました」と告げた。
《記録》を新しく与えたのではなく、返還したと説明している。
別れ際には、悠真へ「今度こそ、すべてを忘れないでください」と伝えた。
一瞬だけ、頭上の光へ『第八補助人格』と読める文字が浮かんだ。
女神なのか。
何らかの役割を演じている人間なのか。
現在は判断できない。
【第九管理人格/YUMA】
旧第九巡回路、オルネ村の記憶、正体不明の処理などに現れる名前。
神崎悠真と同じ読みを持つ。
エッダたちは、過去にオルネへ現れ、村を救うと約束した存在として認識している。
悠真本人は、そのときの出来事を何も覚えていない。
二人が同一人物なのか。
一方が他方から生まれたのか。
名前だけが受け継がれているのか。
現時点では不明。
分かっているのは、過去のYUMAが残した選択の結果を、現在の神崎悠真が引き受けようとしていることだけだ。
◇世界を書き換える存在
【省略官】
滑らかな白い仮面と、巨大な白い羽根を持つ存在。
人、場所、行動、記憶を省略し、最初から存在しなかった状態へ変える。
魔法を防ぐのではなく、「魔法を使った」という事実そのものを消すことができる。
ノエルの存在を省略しようとし、悠真を未承認の記録者として処理しようとした。
なぜ人々を消すのか。
誰の命令で動いているのか。
世界を守っているのか、壊しているのか。
まだ分からない。
【圧縮官】
複数の歴史や人格を、一つへまとめる権限を持つと考えられる存在。
オルネ村では、異なる人生を生きた住民の記憶が、現在の人格へ押し込まれようとしている。
何も消さない代わりに、すべてを一つへまとめる。
しかし、三人分の人生を一人へ詰め込んだとき、その人物が誰であり続けるのかは分からない。
姿は、まだ確認されていない。
【複製官】
額に『複』の文字が刻まれた白い仮面。
人間、人格、場所などの記録を複製する力を持つらしい。
エリウスの第五オルネ構築へ関与している。
エリウスの願いを叶えようとしているように見えるが、同時に、悠真がどのような選択をするのか観察している。
味方ではない。
ただし、単純な敵とも断定できない。
【白紙鳥】
白い紙を折って作ったような鳥。
人間ではないが、重要なため記録する。
文字、名前、役割、記憶、関係を紙の嘴で啄み、白紙へ戻す。
切れば二羽に増える。
燃やせば灰となり、触れた別の記録を消す。
一人の中にある記憶や、一枚の書類に書かれた情報は奪える。
しかし、複数の人間の間へ分けて残された関係は、一度に消すことが難しい。
白紙鳥との戦いによって、悠真たちは知った。
名前は、一つの手帳へ書くだけでは足りない。
人間は、誰かと誰かの間にも記録されている。
◇この頁に書かれていない人
ここまでに、俺が名前を知っている人々は記録した。
名前を知らない者もいる。
南水路の四人目。
鐘の音を聞いた作業員。
鈎針通りに残された四十七人。
これまで白紙鳥の材料にされた、数え切れないほどの記録。
顔も。
声も。
帰る場所も分からない。
人物紹介へ書ける情報が少ないからといって、重要ではないわけではない。
一度しか会っていない人でも。
一言しか話していない人でも。
誰かにとっては、家族かもしれない。
友人かもしれない。
帰りを待っている人かもしれない。
「これで全部か?」
ノエルが頁の最後まで読み、俺へ尋ねた。
「今、確認できる範囲では」
「また誰か増えたら?」
「書き足す」
「消されたら?」
「残っている人間が、書き直す」
ノエルは少し考えた後、手帳の最後に指を置いた。
「じゃあ、ここは空けとこうぜ」
「何のために?」
「まだ名前を取り戻してない奴のため」
最後の頁には、数行分の余白が残った。
俺は、その余白へ一つだけ記録する。
『ここに名前がないことは、その人が存在しなかった証明にはならない』
今度は、俺一人の手帳にだけ残さなかった。
ガルド。
ミレナ。
セフ。
リア。
ノエル。
六人全員で、その文章を読み上げる。
誰か一人が忘れても、ほかの誰かが覚えていられるように。
そして最後の一人になったとしても。
空いている席を見て、最初から五人だったとは思わないために。




