表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
9/30

戻れと言われても、俺はもう村の井戸番なので

王都で事故が続く中、旧リーベル村に王立錬金術院からの使者が来ます。

魔狼の群れが北の森へ帰ってから、旧リーベル村の夜はいつもより短く感じた。


 結界柱の応急修正は成功した。

 灰牙狼の群れは村の手前で進路を変え、森へ戻った。


 だが、それで安全になったわけではない。


 中央井戸の水音は続いている。


 ぽちゃん。

 ぽちゃん。


 南畑の白露草は、試験区の中で淡く光っている。

 北森の結界柱は、三本ともまだ応急状態だ。


 どれも、戻り始めただけだ。

 完全に直ったものは、一つもない。


 俺は夜明け前に北側の境界へ出て、結界柱の根元をもう一度確認した。


 中央柱に絡んでいた黒い根は、昨日より赤線が薄くなっている。

 封印紐で縛った箇所も、今のところ崩れてはいない。


 ただし、黄線は残っていた。


 限界を示す線だ。

 強い風か、大きな魔力の乱れがあれば、また傾く。


「一晩は持った。けど、これ以上は危ないな」


 記録帳に書き込む。


『北森境界結界柱、応急修正後一夜経過。誘引波なし。忌避波弱。中央柱根元に黄線残存。完全修正には掘削、根除去、杭再固定が必要』


 書き終えると、背後から草を踏む音がした。


 エルシアだった。


 彼女は外套の前を留め、左腰の短剣に手を添えている。

 長剣はまだ鞘に納まったままだ。鍔元の亀裂は応急で布を巻いてあるが、実戦で使える状態ではない。


「また一人で見に来たのですか」


「一人で来ましたが、結界の外には出ていません」


「そういう問題ではありません」


 エルシアは俺の横に立ち、結界柱を見た。


「昨日の魔狼は、もう戻ってこないと思いますか」


「今の波長なら、すぐには戻りません。ただ、結界柱は本来の出力まで戻っていない。群れが別方向から回れば、村の柵だけでは止められません」


「柵も、ほとんど柵とは呼べませんからね」


「はい」


「はい、ではありません」


 昨日、ネリアにも同じようなことを言われた気がする。


 エルシアは小さく息を吐いた。


「あなたは、危険を小さく言いませんね」


「小さく言っても、危険が小さくなるわけではないので」


「王都では、その言い方で嫌われたのでは?」


「かなり」


 そう答えると、エルシアは少しだけ目を細めた。

 笑ったわけではない。

 だが、責める目でもなかった。


「旧リーベル村では、その言い方のほうが必要です」


「そうだと助かります」


「助かるかどうかではありません。昨日、あなたが危険を小さく言っていたら、私たちは魔狼を剣で迎え撃つしかありませんでした」


 エルシアは北の森を見た。


「この村には、まだ守る力が足りません」


「直す場所も足りません」


「人も足りません」


「道具も足りません」


「あなたの睡眠も足りません」


「それは、後で」


「後ではありません」


 厳しい声だった。

 だが、その言葉を遮るように、村の入口のほうから馬の嘶きが聞こえた。


 エルシアの表情が変わる。


 俺も顔を上げた。


 村の南側ではない。

 北の森でもない。

 街道へ続く、崩れた入口のほうだ。


 荷馬車ではない。

 足音が軽い。

 馬は一頭。たぶん、早馬だ。


「ドランさんではありませんね」


「ええ。あの商人の荷馬車なら、もっと車輪の音がします」


 エルシアは短剣の柄に指を置いた。


「ミラとネリアをガイさんの家へ」


「わかりました」


 俺たちが村の中央へ戻ると、ミラは井戸のそばで桶を磨いていた。

 ネリアは南畑から戻り、白露草の葉先を記録している。


「ミラ、ガイさんの家へ。ネリアさんも一緒に」


「また狼?」


「狼ではない。人です」


 ミラは一瞬だけ安心した顔をした。

 だが、エルシアが短剣に手を置いているのを見て、すぐ表情を引き締めた。


「人のほうが危ないこともあるの?」


「あります」


 俺が答える前に、エルシアが言った。


 ネリアは白露草の記録板を抱え、ミラの肩に手を置いた。


「行きましょう。試験区の前には、触らないって札も立ててありますし」


「でも、井戸は」


「俺が見ます」


「お兄さん、戻っちゃだめだよ」


 ミラの言葉に、俺は動きを止めた。


 戻る。


 その言葉が、なぜか胸の奥を押した。


「まだ、誰が来たかわかりません」


「でも、王都の人だったら?」


 ミラはまっすぐ俺を見ている。

 あの痩せた少女は、もう井戸の陰に隠れているだけではない。

 水を取り戻した村で、井戸番見習いの助手を自称している。


「井戸は、まだ直ってないよ」


「わかっています」


 俺はうなずいた。


「だから、勝手には離れません」


 ミラはそれで少しだけ安心したらしく、ネリアに連れられてガイ老人の家へ向かった。


 村の入口に立つと、相手の姿が見えた。


 王都式の黒い乗馬服。

 肩に王立錬金術院の銀糸紋章。

 胸には、事務官用の細い鎖章。


 白衣ではない。

 研究技官でもない。

 命令書を運ぶための院付き事務官だ。


 馬から下りた男は、俺を見るなり眉をひそめた。


「ルカ・オルメインだな」


「はい」


「王立錬金術院院長、バルド・レイヴン閣下の命令書を預かっている」


 男は革筒から封書を取り出した。

 封蝋には、王立錬金術院の紋章が押されている。


 隣にいたエルシアが、一歩前へ出た。


「辺境警備隊、エルシア・グランツです。旧リーベル村は現在、巡回監視下にあります。命令書の確認前に、使者の氏名と所属を」


 男は不快そうに顔をしかめた。


「王立錬金術院事務官、セドリック・ロウ。私は錬金術院の内部命令を届けに来ただけだ。辺境警備隊の許可は必要ない」


「この村で人員を移動させるなら、必要です」


「ルカ・オルメインは王立錬金術院の除名処分者であり、辺境開拓補助任務中の身だ。任務の変更権限は院長にある」


 セドリックは俺へ封書を差し出した。


「読め」


 命令口調だった。


 懐かしい、と一瞬思った。


 王都では、俺に対してこういう口調で話す者が多かった。

 品質管理官という名札をつけていても、実際には計測係。雑用。研究の邪魔者。


 セドリックの態度は、王都の廊下の空気をそのまま持ってきたようだった。


 俺は封書を受け取った。


 封蝋に赤線はない。

 封は切られていない。

 少なくとも、途中で開けられた形跡はなかった。


 羊皮紙を広げる。


 そこには、整った字でこう書かれていた。


『ルカ・オルメイン。王立錬金術院における設備確認のため、一時的に王都へ出頭せよ。なお、私物記録帳、検査覚書、旧リーベル村において作成した水源記録を持参すること。命令不履行の場合、辺境開拓補助任務違反として処分を追加する』


 読み終えて、俺はもう一度最初から確認した。


 処分の取消しとは書かれていない。

 除名を撤回するとも書かれていない。

 協力を求めるとも書かれていない。


 出頭せよ。

 持参すること。

 命令不履行。


 書かれているのは、それだけだった。


「設備確認、ですか」


「そうだ」


「どの設備ですか」


 セドリックはわずかに口元を歪めた。


「君に説明する必要はない」


「確認対象がわからなければ、必要な道具も記録も選べません」


「王都へ戻ればわかる」


「戻る前に確認します。炉ですか。薬品庫ですか。結界石ですか。魔力管ですか」


 セドリックの眉が動いた。


 ほんのわずかだった。

 だが、その反応だけで十分だった。


 どれか一つではない。

 複数が絡んでいる。


「君は、相変わらず面倒な男だな」


「仕事なので」


「もう君の仕事ではない」


 その言葉に、手の中の羊皮紙が少しだけ音を立てた。


 もう俺の仕事ではない。


 王都の炉も、薬品庫も、結界石も、魔力管も。

 確かに、俺は除名された。

 品質管理室の机も、測定器具も、検査台帳も失った。


 だが、記録帳だけは持ってきた。

 俺の目も、まだ残っている。


 そして今、その目で見なければならないものは、王都ではない。


 足元の村だ。


 中央井戸。

 南畑。

 北森の結界柱。

 まだ見ていない北森井戸。

 西へ伸びる不明流路。


 どれも、放っておけばまた壊れる。


「セドリック事務官」


「何だ」


「この命令書には、旧リーベル村の引き継ぎについて何も書かれていません」


「廃村の引き継ぎなど不要だ」


 隣で、エルシアの気配が冷えた。


 俺も、少しだけ息を止めた。


「不要ではありません」


「水も出ない廃村だろう」


 セドリックは周囲を見回した。

 そして、言葉を止めた。


 中央井戸の水音が聞こえたのだ。


 ぽちゃん。

 ぽちゃん。


 それから、彼の目が南畑のほうへ動く。

 遠目にも、試験区の白露草が淡く光っているのが見えたのだろう。


 最後に、北森側の結界柱を見た。

 昨日直したばかりの封印紐が、朝日に細く光っている。


「……何だ、これは」


「旧リーベル村の復旧作業です」


「復旧?」


「中央井戸は応急復旧中。南畑では白露草の試験区を観察中。北森境界では結界柱を応急修正済み。ただし、すべて不安定です。今、俺が村を離れれば、中央井戸の水量変化、白露草の魔力反応、結界柱の再傾斜に対応できません」


 セドリックは俺を見た。

 その目に、先ほどまでの軽蔑とは違う色が混じっている。


 困惑だ。


 彼は、おそらくここを本当に廃村だと思って来たのだ。

 水のない、価値のない、命令を受けた男が一人いるだけの場所だと。


「そんな報告は、院には届いていない」


「でしょうね。まだ正式報告を出していません」


「ならば、なおさら王都へ戻って報告すべきだ」


「戻れば、ここが壊れます」


「廃村一つと、王都の設備を同列に語るな」


 その言葉は、王都の人間らしい言葉だった。


 廃村一つ。


 そう言われた瞬間、ガイ老人の声が背後から聞こえた。


「その廃村一つに、わしらは住んでいる」


 振り返ると、ガイ老人が家の戸口に立っていた。

 ミラがその横で、老人の腕を支えている。

 ネリアも後ろにいた。


「ガイさん、無理をしないでください」


「無理をする時だろう」


 ガイ老人はゆっくり歩いてきた。

 まだ足元はおぼつかない。だが、目には力が戻っている。


 セドリックは老人を見て、明らかに戸惑った。


「村人が残っていたのか」


「十年前からな」


 ガイ老人は言った。


「十年前も、王都の白衣が来た。井戸を覗き、記録を持ち去り、自然に枯れたと言って帰った。返せと言った井戸番の記録も、戻ってこなかった」


「それは私の担当ではない」


「そうだろうな。いつも担当ではない」


 ガイ老人の声は静かだった。

 静かだからこそ、重かった。


「だが、ルカさんは水を戻した。まだ細い水だ。まだ危うい水だ。それでも、十年ぶりにリーベルの水を戻した」


 ミラが俺の袖を掴んだ。


「お兄さん、行かないよね」


 その手は細い。

 力も弱い。


 それでも、俺を引き止めるには十分だった。


 セドリックは苛立ったように言った。


「子どもの情に流されるな。君は院長命令を受けている」


「院長命令には、処分の取消しが書かれていません」


「何?」


「俺は除名されています。王立錬金術院の職員ではありません。辺境開拓補助任務は、王立機関の懲戒処分として命じられたものです。その任務地で水源復旧作業を行っている以上、途中で引き上げるなら、少なくとも現地状況の確認と引き継ぎが必要です」


 王都で報告書ばかり書いていたおかげで、命令文の穴は読める。


 セドリックは顔を赤くした。


「詭弁だ」


「手続きです」


 俺は羊皮紙を返した。


「正式な協力要請なら、受け取ります。対象設備、事故内容、必要な検査範囲、責任者の署名、こちらの作業中断に伴う旧リーベル村の安全確保。そのすべてを明記してください」


「君は自分の立場をわかっていない」


「わかっています」


 俺は記録帳を胸の内側に押さえた。


「王都では、俺は誤差しか見えない無能でした。計測係でした。雑用でした。報告書は握り潰され、事故の責任を押しつけられました」


 セドリックの目が泳いだ。


 彼がそれを知っていたかどうかはわからない。

 だが、知らない顔ではなかった。


「ですが、ここでは違います」


 中央井戸の水音がした。


 ぽちゃん。


「この井戸は、まだ俺の確認を必要としています。南畑の白露草も、北森の結界柱も、まだ安定していません。ミラは勝手に水を飲まないと約束しています。ガイさんは十年ぶりの井戸の音を聞いています。エルシアさんはこの村を巡回報告に載せると言いました。ネリアさんは白露草を枯らさないために見張っています」


 言葉にして初めて、わかった。


 王都では、俺の仕事は邪魔だった。

 ここでは、俺の仕事を待っている人がいる。


「だから、戻りません」


 セドリックの顔が固まった。


「何だと」


「戻れと言われても、俺はもう村の井戸番なので」


 ミラが袖を握る手に、少しだけ力を込めた。


 エルシアが隣で、静かにうなずいた。


 ガイ老人は、目を閉じて中央井戸の音を聞いていた。


 セドリックはしばらく言葉を失っていた。

 やがて、吐き捨てるように言う。


「後悔するぞ」


「後悔なら、王都で何度もしました」


「院長は、君の記録帳を必要としている」


「記録帳は提出しません」


「王都の設備に異常が出ているとしてもか」


 その一言で、空気が変わった。


 セドリックは、しまったという顔をした。


 やはり、王都で何か起きている。

 炉か、薬品庫か、結界石か、魔力管か。

 あるいは、その全部か。


 俺は静かに言った。


「異常が出ているなら、隠さず正式に報告してください。事故内容を伏せたまま記録帳だけ求められても、原因は特定できません」


「君が王都へ戻れば済む話だ」


「俺を追放した時点で、王都はその選択肢を捨てました」


 その言葉を、自分で言ったのに驚いた。


 強い言葉だった。

 王都にいた頃の俺なら、口にできなかっただろう。


 セドリックは唇を噛んだ。


「では、命令拒否として報告する」


「正確に報告してください」


 俺は記録帳を開き、新しいページに書き始めた。


『王立錬金術院事務官セドリック・ロウ来訪。院長命令書により王都出頭および私物記録帳、水源記録の持参を要求。対象設備、事故内容、現地引き継ぎ、安全確保について記載なし。旧リーベル村の復旧作業継続を理由に、現時点での出頭を拒否』


 書き終えて、セドリックへ見せた。


「こちらの記録には、こう残します」


「君は、本当に記録ばかりだな」


「はい」


「だから嫌われるのだ」


「かもしれません」


 俺は記録帳を閉じた。


「ですが、記録があれば、なかったことにはできません」


 セドリックは返事をしなかった。


 馬の手綱を取り、乗り直す。

 その動きは荒かった。


 だが、村を出る直前、彼は振り返った。


「旧リーベル村は、正式な再開拓地ではない。王都の台帳上では放棄村だ」


 エルシアが目を細める。


「それが何か」


「放棄村の水源、薬草、旧式設備の管理権が誰にあるか、王都で確認されることになる」


 予想していた言葉だった。

 だが、実際に聞くと、胸の奥が冷えた。


 この村は、まだ正式には守られていない。

 水が戻った。薬草が芽吹いた。結界柱が動いた。

 だからこそ、奪われる可能性が出てきた。


 セドリックはそれ以上何も言わず、馬を走らせた。


 蹄の音が遠ざかっていく。


 しばらく誰も喋らなかった。


 中央井戸だけが、水音を立てている。


 ぽちゃん。

 ぽちゃん。


 ミラが不安そうに俺を見上げた。


「村、取られちゃうの?」


 俺はすぐには答えられなかった。


 井戸の詰まりなら見える。

 結界柱のズレなら見える。

 薬草畑の流路なら見える。


 だが、王都の台帳や貴族の権利や、放棄村の管理権は、赤線としては見えない。


 俺の【修正眼】は、人の思惑までは見抜けない。


 エルシアが口を開いた。


「取らせません」


 短い言葉だった。


 彼女は手帳を取り出し、素早く書き始めた。


「旧リーベル村に居住者あり。中央井戸の水源復旧あり。南畑に薬草発生あり。北森境界に旧式結界設備あり。王立錬金術院事務官による人員引き上げ要求あり。辺境警備隊として、上申します」


「上申?」


「この村を、ただの放棄村として扱わせないための報告です」


 エルシアは俺を見た。


「ルカさん。あなたは井戸を直してください。私は手続きを直します」


 その言い方に、少しだけ笑いそうになった。


「手続きも、直せるんですか」


「剣より面倒ですが、やるしかありません」


 ネリアが小さく手を上げた。


「あの、私は薬草の記録を出せます。白露草が出たこと、南畑の土が死んでいないこと、薬草師見習いとして証言します」


 ガイ老人もうなずいた。


「わしは井戸番として、十年前のことを話す。記録は持ち去られたが、音は覚えている」


 ミラは胸を張った。


「わたしは助手」


「助手は何をしますか」


 俺が尋ねると、ミラは真剣に考えた。


「井戸の水を勝手に飲まないって、みんなに言う」


「重要ですね」


「あと、お兄さんを寝かせる」


 エルシアとネリアが同時にうなずいた。


「それも重要です」


 思わぬ方向から包囲された。


 だが、不思議と悪い気はしなかった。


 王都からの命令書は、俺を連れ戻そうとした。

 記録帳を取り上げようとした。


 けれど、俺は戻らなかった。


 戻らない理由が、今はある。


 俺は中央井戸の縁に手を置いた。


 水音は安定している。

 だが、奥にはまだ赤線が残っている。


 旧リーベル村も同じだ。


 水は戻った。

 人も少し戻った。

 価値も見え始めた。


 だが、まだ不安定だ。

 直すべき場所は、井戸の底だけではなくなっている。


 俺は記録帳を開き、今日の最後に一行を書いた。


『旧リーベル村、王都からの干渉を確認。水源復旧作業を継続。現地記録の保全を最優先とする』


 書き終えると、井戸の底から水音がした。


 ぽちゃん。


 その音は、昨日よりも少しだけ強く聞こえた。


 俺は顔を上げた。


「まず、中央井戸を安定させます。それから北森井戸を確認する。南畑の試験区も続ける。エルシアさんの報告に必要な検査結果は、俺がまとめます」


「お願いします」


「それと、王都へ返す文書も書きます」


 エルシアが眉を上げた。


「返答書ですか」


「はい。正式な協力要請なら受ける。ただし、事故内容を開示し、旧リーベル村の安全を保証し、記録帳の接収を目的にしないこと。それを書面にします」


 ネリアが苦笑した。


「王都の人、嫌がりそうですね」


「でしょうね」


 ガイ老人が低く笑った。


「いい。嫌がるくらいが、ちょうどいい」


 ミラは井戸を見ていた。


「お兄さん」


「何ですか」


「今日も、水、鳴ってるね」


「はい」


「じゃあ、まだ大丈夫だね」


 俺は少し考えて、うなずいた。


「まだ、大丈夫です」


 完全ではない。

 安全でもない。

 問題は増えた。


 だが、井戸は鳴っている。

 記録は残っている。

 この村を守ろうとする人がいる。


 なら、今はそれでいい。


 遠くで、王都へ戻る馬の音が消えていった。


 旧リーベル村には、また水音だけが残った。


 ぽちゃん。

 ぽちゃん。


 その音を聞きながら、俺は初めて、自分の意思で王都に背を向けた。

次回、第10話「旧リーベル村、再開拓村として認められる」。

王都からの干渉を受け、ルカたちは旧リーベル村をただの放棄村として扱わせないために動き始めます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ