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薬草畑のズレを直したら、王都級の素材が生えました

第5話です。

中央井戸に戻った水音は、捨てられていた薬草畑にも変化をもたらします。


中央井戸に戻った水音は、捨てられていた薬草畑にも変化をもたらします。

本文

 旧リーベル村に水音が戻って、二度目の朝が来た。


 夜明け前、北の森から狼の遠吠えが何度か聞こえた。

 だが、村の中までは来なかった。


 エルシアが焚き火を絶やさなかったことと、井戸の周囲に張った縄が獣避けの役目を多少は果たしたのだろう。

 俺は井戸の縁に手を置き、水音の間隔を記録帳に書き込んだ。


 ぽちゃん。

 ぽちゃん。


 昨日より、わずかに早い。

 だが、急激ではない。


 水面はまだ低い。井戸として十分に使える量には程遠い。

 それでも、底にある青白い光は昨日より少しだけ明るくなっていた。


「中央井戸は安定していますか」


 背後からエルシアの声がした。


 振り返ると、彼女は外套を肩にかけたまま立っていた。

 昨夜はほとんど眠っていないはずだが、姿勢は崩れていない。

 ただ、腰の剣には手を置いていなかった。


 昨日、俺が指摘した鍔元の亀裂を、彼女自身も確認したからだ。

 今は左腰の短剣を使うつもりらしい。


「今のところは。水量は少し増えていますが、制御陣の負荷は許容範囲です」


「許容範囲、ですか」


「はい。危険な赤線は薄くなっています。ただ、南側の流路に変化があります」


「南側というと、薬草畑の井戸ですか」


「ガイさんの話では、南畑井戸ですね」


 エルシアは村の南へ目を向けた。


 旧リーベル村の南側には、畑の跡が広がっている。

 今は雑草と乾いた土に覆われ、畑だったと知らなければ、ただの荒れ地にしか見えない。


 だが、ガイ老人は言っていた。


 中央井戸は飲み水。

 北森井戸は家畜と森番。

 南畑井戸は薬草畑。


 三本の井戸は、別々に存在していたのではない。

 中央井戸を基点に、北と南へ水と魔力を分けていた可能性が高い。


 中央井戸が動き始めたことで、南畑の流路にも何かが起きている。


「今日は南畑を見ます」


「中央井戸の完全復旧が先ではなかったのですか」


「中央井戸だけを見ていると、流れの逃げ道を見落とす可能性があります。南側が詰まったまま水量だけを上げると、中央の制御環に負荷が戻る」


 エルシアは少し黙った。


「つまり、井戸を直すには畑も見る必要があると」


「はい」


「あなたの説明は、いつも遠回りなのに結論だけは妙に早いですね」


「すみません」


「責めてはいません。確認しただけです」


 その時、ガイ老人の家からミラが出てきた。

 手には昨日よりも少し大きな布袋を持っている。


「助手、準備できた」


「ミラ、今日は歩く距離がある。無理はしない」


「でも、南畑なら知ってる。お母さんが薬草を見に行く時、ついていったことある」


 その言葉に、俺は一瞬だけ返事を迷った。


 ミラの両親は、南の町へ水を買いに行って戻らなかった。

 昨夜、ガイ老人から聞いたことが、頭をよぎる。


 だが、ミラは俺をまっすぐ見ていた。


「道、教えられる」


「わかった。ただし、疲れたらすぐ言う。井戸のお医者さんの助手は、倒れたら失格だ」


「失格、いや」


「なら、約束だ」


 ミラは真剣にうなずいた。


 エルシアはそのやり取りを見て、少しだけ表情を緩めた。


「私は同行します。監視と護衛です」


「助かります」


「信用したわけではありません」


「昨日も聞きました」


「大事なことなので、何度でも言います」


 そうして、俺たちは村の南へ向かった。


 旧リーベル村は、中央井戸の周囲だけがわずかに生活の形を残している。

 そこから南へ進むほど、家屋は少なくなり、代わりに低い石垣と畑の跡が増えた。


 石垣は崩れ、畝は消えかけ、ところどころに枯れた蔓が絡みついている。

 水路だったらしい浅い溝には、白い結晶がこびりついていた。


 中央井戸の内壁に付着していたものと同じだ。


「この白いものは?」


 エルシアが尋ねる。


「魔力水脈が長く詰まった時に出る析出物です。王都では魔導管の内側にできます」


「井戸にも、水路にも同じものが出るのですね」


「同じ流れに属しているなら」


 俺はしゃがみ込み、溝の縁に触れた。


 赤線が走る。


 水路そのものが壊れているわけではない。

 だが、勾配がずれている。


 石の一つが沈み、別の一つが浮いている。

 水を流せば、表面上は南へ向かうだろう。

 しかし魔力の流れはそこで反転し、中央井戸へ戻る。


 薬草畑へ届くはずの水が、途中で押し返されているのだ。


「流路が逆流している」


「水路が、ですか」


「水ではなく、魔力のほうです。水だけを流しても、土が受け取れない」


 ミラが首を傾げた。


「土が、お水を受け取れないの?」


「喉が渇きすぎた人に、いきなり大量の水を飲ませると体に悪い。それと似ている」


「昨日、お兄さんが言ってた」


「ああ。畑も同じだ。十年乾いた土に、急に水を入れると崩れる。まず、通り道を直す」


 エルシアは南畑を見渡した。


「この広さを、今日中に?」


「無理です」


 即答すると、エルシアは目を瞬いた。


「無理と言い切るのですね」


「全部は無理です。今日は一列だけ。畑全体を起こすには、中央井戸の復旧と並行して数日必要です」


「一列だけ直して、意味があるのですか」


「あります。畑が本当に死んでいるのか、それとも眠っているだけなのかを確認できます」


 俺は記録帳を開き、畑の簡単な配置を書いた。


 中央井戸。

 南へ伸びる浅い水路。

 南畑井戸の跡。

 その周囲の薬草畑。


 青線が見えるのは、南畑井戸へ向かう途中の石組みだった。

 そこを直せば、水と魔力が一列だけ畑へ入る。


「ミラ。ここから先は、俺が指示した場所だけ歩いてくれ。土の下に古い水路がある」


「踏んだら壊れる?」


「壊れる可能性がある」


「わかった」


「エルシアさんも」


「私もですか」


「鎧と装備の分、ミラより重いので」


 エルシアは一瞬、何か言いかけた。

 だが、昨日自分の剣の亀裂を指摘されたことを思い出したのか、結局うなずいた。


「……わかりました。足を置く場所を指示してください」


「ありがとうございます」


 俺は青線に沿って、石を一つずつ確認した。


 使える石。

 割れている石。

 触ると崩れる石。

 動かすべき石。


 視界の中に、赤線、黄線、白線が重なる。


 完全に直すには材料が足りない。

 だが、仮の通り道なら作れる。


「この石を少し持ち上げます。エルシアさん、右側を支えてください。ミラは木片を取って」


「はい」


「うん」


 エルシアが石の右側に手をかける。

 騎士だけあって、力はある。

 俺一人では動かせない石が、ゆっくりと持ち上がった。


「そのまま。動かしすぎないでください」


「この程度ですか」


「あと指一本分」


「細かいですね」


「細かいところが大事です」


 ミラが木片を差し込む。

 俺は角度を確認し、白い結晶の一部を小さな鑿で削った。


 ぱき。


 結晶が剥がれる。


 水路の底で、乾いた音がした。


 次に、沈んだ石を起こす。

 さらに、浮いていた石を押し込む。

 ほんのわずかな角度の違いだ。


 王都なら、また笑われただろう。

 そんな小さな誤差で何が変わるのか、と。


 だが、この村では違う。


 小さなズレが、井戸を十年止めていた。

 なら、小さな修正で、流れが戻ることもある。


 最後に、南畑井戸の縁へ向かった。


 中央井戸より小さい。

 石組みも粗い。

 だが、内側には同じ系統の古代式制御陣が刻まれていた。


 水面はない。

 完全に乾いている。


 しかし、底に赤線は見えなかった。


 見えたのは、細い青線だった。


「南畑井戸は、死んでいない」


 俺は言った。


 ミラが息を呑む。


「ほんとう?」


「水はまだ来ていない。でも、流路は残っている。中央から送れば、畑の一部は反応するはずだ」


「送るって、どうやって」


「少しだけ水を流す」


 俺たちは中央井戸から汲んだ水を、革袋二つ分だけ運んだ。


 貴重な水だ。

 ミラとガイ老人の飲み水を削るわけにはいかない。

 使える量は限られる。


 だから、畑全部に撒くことはしない。

 修正した水路の始点に、ほんの少しだけ流す。


 俺は革袋の口を開けた。


「一気にではなく、細く」


 水が落ちる。


 乾いた溝を伝い、白い結晶の間を通る。

 最初は土に吸われ、途中で消えそうになった。


 だが、修正した石組みのところで、水の進み方が変わった。


 細い流れが、南畑へ向かう。


 同時に、俺の視界で青線が明るくなった。


 土の下に眠っていた魔力の通り道が、水に反応している。


 赤線が、少しずつ薄くなる。


「動いた」


 思わず呟いた。


 エルシアが水路を見た。


「私には、ただ水が染み込んだようにしか見えません」


「それで十分です。土が受け取った」


 数呼吸の後、畑の一角で土がわずかに盛り上がった。


 ミラが小さく声を上げる。


「今、動いた」


 乾いた土の割れ目から、薄い緑がのぞいた。


 芽だった。


 一本。

 それから、もう一本。


 枯れた茎の根元から、淡い緑の芽がゆっくりと顔を出す。


 急激な成長ではない。

 だが、死んでいたはずの畑が、確かに反応していた。


「生きてた」


 ミラの声が震えた。


「畑、生きてた」


 俺はすぐに芽の周囲を見た。


 赤線はない。

 ただし、黄線がある。


 ここで水を増やしすぎると、根が耐えられない。


「今日はここまでだ」


「もう少しお水をあげたら、もっと出るんじゃないの?」


「出るかもしれない。でも、枯れるかもしれない」


 ミラは残念そうにしたが、すぐにうなずいた。


「確認してから、大丈夫って言うんだよね」


「ああ」


 俺は芽の周囲に小さな石を置き、立ち入りの目印を作った。


「この一列だけ、今日の試験区にする。水量、土の湿り方、芽の色を記録する」


「試験区」


 エルシアが繰り返す。


「畑にも検査があるのですね」


「あります。むしろ、畑のほうが炉より難しいかもしれません。炉は部品を交換できますが、土は交換できない」


「あなたは、何でも炉に例えますね」


「王都で見ていたものが炉ばかりだったので」


 エルシアは答えず、芽を見ていた。


 辺境騎士である彼女にとっても、枯れた村の畑に芽が戻る光景は軽いものではなかったのだろう。


 その時、南の低い丘のほうから、草を踏む音がした。


 エルシアが短剣に手をかける。


「誰です」


 声は低かった。


 崩れた石垣の向こうで、小さな影がびくりと止まる。


「あ、あの、すみません。怪しい者では……」


 現れたのは、薬草籠を背負った少女だった。

 年は十五、六ほど。薄茶色の髪を三つ編みにし、袖の擦り切れた作業着を着ている。

 籠の中には乾いた根や野草が少しだけ入っていた。


 エルシアが眉をひそめる。


「名を」


「ネリア・セーヴェルです。南の町の薬屋で、見習いをしています」


「なぜ旧リーベル村に」


「この辺りの乾き根を採りに来ました。水がない村の根は、安い傷薬の材料になるので……その、村には誰もいないと聞いていて」


 ネリアは言いながら、こちらの顔を順に見た。

 俺、エルシア、ミラ。

 そして、足元の芽。


 その瞬間、彼女の表情が変わった。


「待ってください」


 ネリアは籠を地面に落としそうになりながら、畑へ近づこうとした。


 俺は手で制した。


「踏まないでください。試験区です」


「試験区? いえ、それより、その芽」


 彼女は膝をつき、目印の石の外から身を乗り出した。


 そして、枯れた茎の根元から出た淡い緑の芽を凝視する。


「白露草……?」


「知っているのですか」


 俺が尋ねると、ネリアは目を見開いた。


「知っているというか、薬草師なら見間違えません。中級治癒薬の基礎素材です。でも、こんな辺境の露地で生える草じゃありません。王都の温室か、清浄な水脈の近くでしか育たないって」


「清浄な水脈」


 エルシアが俺を見る。


 俺は中央井戸の方向を見た。


 水脈は、確かに戻り始めている。

 だが、それだけで王都の温室級の薬草が出るのか。


 畑の土に、もともと力があったのかもしれない。

 十年前まで、南畑井戸が薬草畑に使われていたのなら、不思議ではない。


「まだ芽です。品質は判断できないのでは」


 俺が言うと、ネリアは首を振った。


「芽の根元を見てください。白い産毛みたいな光があります。これ、魔力の濁りがない白露草の特徴です。王都で売られる温室物でも、こんなに綺麗なのはめったにありません」


 俺には、白い光そのものは薄い線として見えた。

 赤線ではない。

 白線。


 最適化の余地を示す線だ。


 つまり、この芽はまだ完成ではない。

 適切に育てれば、さらに品質が上がる可能性がある。


「ネリアさん。この草は、価値があるのですか」


 ミラが尋ねた。


 ネリアは少し息を呑んだ。


「あります。普通の白露草でも、町なら一本で銅貨数枚。王都なら銀貨になることもあります。まして、この品質なら……」


 そこで彼女は言葉を止めた。


 エルシアの表情が引き締まる。


「具体的に」


「乾燥させず、生のまま薬師ギルドに持ち込めば、一本で銀貨一枚でもおかしくありません」


 ミラは銀貨という言葉に反応した。


「銀貨って、たくさん?」


「たくさんです」


それを聞き、ミラは芽を見て目を輝かせていた。


「畑、すごい」


「まだ、すごいと決めるのは早い」


 俺は言った。


「一列に数本の芽が出ただけです。水量も安定していない。今は価値より、安全と再現性を確認するべきです」


「再現性?」


 ネリアが聞き返す。


「同じ条件で、同じ品質の芽が出るか。偶然ではないか。どの水量なら根が傷まないか。どの時間帯に水を入れるべきか。それを確認しないと、畑としては使えません」


 ネリアはしばらく俺を見ていた。


「あなた、薬草師ですか」


「元品質管理官です」


「ひんしつ……?」


 ミラが胸を張った。


「井戸のお医者さんだよ」


「井戸の?」


「今日は畑のお医者さんもしてる」


 ネリアは混乱した顔で俺を見た。


 エルシアが短く補足する。


「王都から来た開拓補助員です。現在、監視中です」


「監視中の人が、王都級の薬草を生やしたんですか」


「正確には、畑の流路を一列だけ修正した」


 俺が言うと、ネリアはさらに混乱したようだった。


「流路を一列だけ修正すると、王都級の白露草が出るんですか」


「可能性を確認している段階です」


「……意味がわかりません」


「俺も、全部はわかっていません」


 だから記録する。

 わからないものを、わかったふりで進めないために。


 俺は記録帳を開き、今日の作業を書き込んだ。


『南畑水路、一部仮修正。中央井戸水を革袋二つ分投入。試験区一列に白露草と思われる芽を確認。薬草師見習いネリア・セーヴェルにより、王都温室級の可能性を指摘』


 書き終えると、エルシアが覗き込んだ。


「また個人名まで」


「証言者なので」


「あなたの記録帳は、そのうち証拠品になりそうですね」


「なら、正確に書きます」


 エルシアは小さく息を吐いた。


「そこは否定しないのですね」


 ネリアは、まだ白露草の芽から目を離せないでいた。


「この村、枯れたんじゃなかったんですか」


「枯れたことにされていたのかもしれません」


 俺が答えると、彼女は唇を噛んだ。


「もし、この畑が本当に戻るなら、薬草師は放っておきません。薬師ギルドも、商人も、たぶん貴族も」


 エルシアが静かに言った。


「つまり、危険が増えるということですね」


「価値があるものには、人が来ます」


 ネリアの言葉は、率直だった。


 水が戻る。

 畑が戻る。

 薬草が生える。


 それは良いことのはずだ。


 だが、エルシアが昨日言った通り、水の匂いに獣が寄るように、価値の匂いには人が寄る。


 俺は芽の周りに置いた石を確認した。


 赤線はない。

 だが、畑の奥にはまだ無数の赤線が走っている。


 直すべき場所は、増えた。


 そして、守るべきものも増えた。


「今日は、この試験区だけを守ります」


 俺は言った。


「畑全体には触りません。中央井戸の水量、南畑の土、白露草の反応を一晩見ます」


「一晩で、何がわかるのですか」


 ネリアが尋ねる。


「枯れるか、耐えるか」


 その答えに、三人が黙った。


 ミラは芽を見つめている。

 エルシアは周囲の石垣と森の影を見ている。

 ネリアは薬草師の目で、白露草の葉先を追っている。


 俺は記録帳を閉じた。


 薬草畑は、まだ戻ったとは言えない。

 王都級の素材が生えた、と喜ぶには早い。


 だが、枯れたとされた畑に、緑が出た。

 その緑を見て、外から来た薬草師見習いが価値を認めた。


 それは、旧リーベル村がただ水を取り戻しただけではないという証拠だった。


 ぽちゃん。


 遠くの中央井戸から、水音が聞こえた気がした。


 南畑の小さな芽は、その音に応えるように、朝の光の中で白く淡く光っていた。


次回、第6話「商人は水を見ただけで顔色を変えた」。

リーベル村に戻った水と薬草は、村の中だけでは収まりません。初めて商人の目に触れた時、ルカは自分の仕事が“値段”を持つことを知ります。


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