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18/30

鉄が来ないなら、古い炉を直せばいい

第18話です。

偽物騒動を公開検査で退けたリーベル村ですが、次に問題になるのは、村を直し続けるための鉄材でした。

 公開検査の翌朝、リーベル村の水番小屋には、木札と封印箱が一つずつ増えていた。


 偽の白露草粉を入れた小袋は、ガンズが作った木箱に収められている。

 釘は二本。

 抜けば木肌に跡が残る位置で打ってある。

 箱の側面には三滴印を押した封印札を貼り、エルシアの立会記録も添えた。


 それ自体は、昨日のうちに終わった作業だった。


 だが、問題はそこではない。


「釘が残り七本。使える留め金が三つ。樽輪から切り出せる鉄は、せいぜい二本分だな」


 ガンズが水番小屋の床に鉄くずを並べながら言った。


 釘。

 折れた蝶番。

 樽の輪金。

 錆びた鎖の切れ端。

 昔の戸板から外した取っ手。


 リーベル村の中で使えそうな鉄を集めた結果が、それだった。


 俺は記録帳に数字を書き込む。


『村内鉄材在庫。釘七本、留め金三、樽輪二本分、鎖片三、蝶番二。赤線あり。再使用前に加熱、打ち直しが必要』


 書いてから、もう一度床の鉄を見る。


 赤線が多い。

 折れているわけではないものでも、錆びが芯へ入りかけている。

 そのまま水路の留め金や封印釘に使えば、数日で割れるだろう。


「思ったより少ないですね」


 エルシアが言った。


「少ないどころじゃねえ」


 ガンズは眉をしかめた。


「リーベル一番枠を増やすなら留め金がいる。二番枠の水量板にも小さい押さえがいる。封印箱を増やすなら釘がいる。三滴印の保管箱にも、まともな金具が欲しい。鉄がなきゃ、記録を守る箱も、水路を守る枠も作れねえ」


「木だけでは駄目ですか」


 ミラが尋ねた。


 ガンズは床の木片を拾い、指で折った。


「木は便利だ。だが、水を吸う。火に弱い。力をかけると割れる。水路の枠なら使えるが、封印箱の釘や留め金には向かねえ」


「じゃあ、鉄がないと村が止まる?」


「全部じゃねえ。だが、次に進む時に止まる」


 その言い方は正確だった。


 水は戻った。

 薬草は育っている。

 検査票も始まった。

 規格部品も、形だけなら作れる。


 しかし、それを維持するための小さな部品は、少しずつ鉄を必要としている。


 鉄材が切れれば、修理は止まらない。

 だが、修理を続ける仕組みが止まる。


 ドランは荷馬車の横で、別の封書を広げていた。


「南西の鉄商からの返事です。注文は受けられないそうです」


 エルシアが目を細めた。


「理由は?」


「在庫不足、だそうです」


 ドランの声は平坦だった。

 商人が本音を隠す時の声だ。


「本当に在庫不足なのですか」


「少なくとも、昨日までは不足していませんでした」


 ガンズが鼻を鳴らす。


「わかりやすいな」


「断定はできません」


 俺は言った。


 王都薬商会。

 ロア薬材店。

 偽の白露草粉。

 途中で開けられた封書。


 線はつながりかけている。

 だが、まだ記録として断定できる段階ではない。


「現時点で書けるのは、南西の鉄商から鉄材供給を断られた、という事実だけです」


「それで十分面倒だ」


 ガンズは立ち上がった。


「鉄が来ないなら、古い炉を使う」


「古い炉?」


 俺が聞き返すと、ガイ老人が水番小屋の戸口から答えた。


「西の外れに、昔の鍛冶場がある」


「西ですか」


 その方角に、俺は無意識に反応していた。


 あの夜、中央井戸の底で見えた西方不明流路。

 王都の技官マルクが言葉を詰まらせた西方流路。


 西には、地図にない線がある。


「丘の手前だ。昔は村の道具をそこで直していた。釘も、鎌も、鍋もな。ただ、水が枯れてから誰も使わなくなった。ふいごも破れ、炉も崩れたはずだ」


「ふいご?」


 ミラが首をかしげる。


「火に風を送る袋だ」


 ガンズが説明した。


「強い火を作るには、薪だけじゃ足りねえ。風を送る。鉄は火と風で柔らかくなる」


「火にも順番があるの?」


「ある。風の順番を間違えると、煙だけ出て鉄は温まらねえ」


 ミラはすぐに木札を取り出した。


「火にも順番」


「まだ書かなくていい」


 俺はそう言ったが、彼女はもう炭を握っている。


 ガンズは笑った。


「まあ、悪くねえ。水に順番があるなら、火にも順番がある」


 俺たちは西の外れへ向かった。


 中央井戸から西へ進むと、家の跡は少なくなり、代わりに崩れた石垣と雑草が増える。

 低い丘陵が近づくにつれ、土の色が少し黒くなった。

 昔、炭を扱っていた場所なのだろう。


 ガイ老人の案内で、半ば土に埋もれた小屋の前に着いた。


 屋根は落ちている。

 壁は片側だけ残っている。

 中には、黒く焼けた石組みと、潰れた革袋のようなものがあった。


「これが炉か」


 ガンズがしゃがみ込む。


 俺も近づき、【修正眼】を使った。


 赤線が、すぐに見えた。


 炉の底石に三本。

 風口の周囲に二本。

 煙の抜け道に、太い一本。

 そして、潰れたふいごの革には、無数の赤線が走っていた。


「使えますか」


 エルシアが聞く。


 ガンズは炉を見た。

 俺は赤線を見た。


 二人で、ほぼ同時に答える。


「このままでは無理です」


 ガンズが俺を見た。


「お前はどこを見た」


「煙の抜け道が詰まっています。風口の角度もずれている。火を入れると、熱が炉の奥ではなく手前へ逃げます」


「合ってる。俺は底石の割れが気になった。熱を入れたら広がる」


「割れの全部を塞ぐと、逆に圧が逃げません」


「そこも見えるのか」


「黄線があります。塞いではいけない線です」


 ガンズはしばらく黙った。


 それから、楽しそうに笑った。


「面白いな。炉は水路より正直だ。間違えればすぐ煙を吐く」


「危険では」


「危険だ。だから直す」


 彼は小屋の外へ出て、土を掴んだ。


「ここの黒土は使える。灰も残ってる。粘土は足りねえが、東水路の掘り土を混ぜれば炉の隙間を埋められる」


「水は使いますか」


「使う。泥を練る」


 ミラが木札を見た。


「水の順番だと、火の水は二番」


「人の飲み水の次です」


 俺は頷いた。


「ただし、量は少しだけです。中央井戸には負荷をかけない」


 エルシアが手帳に書き込む。


「炉修理用の水。用途は火を扱うため。取水量、桶一杯未満。立会い、私」


 水を使うだけで記録がいる。

 面倒だ。

 だが、この面倒さが井戸を守る。


 修理は、昼まで続いた。


 まず、煙の抜け道を掃除する。

 十年分の灰と鳥の巣が詰まっていた。

 ミラが枝を使って少しずつ掻き出し、ネリアが布で口元を覆いながら灰を集める。


「この灰、薬草畑に使えますか」


 ネリアが聞く。


「今は使わないでください。炉の灰です。混じり物があります」


「では、保管札をつけます」


 彼女はもう記録の扱いに慣れてきている。


 次に、底石の割れを泥で塞ぐ。

 ただし、全部ではない。

 黄線のある場所は残す。

 熱が逃げる小さな隙間を作る。


 ガンズは最初、不満そうだった。


「穴は塞ぐもんだ」


「全部塞ぐと、ここが割れます」


「見えるのか」


「はい」


「なら、残す」


 判断が早い。


 王都なら、ここで理由を書かされる。

 数値を求められる。

 根拠を出せと言われる。


 ガンズは違う。

 見えるか、と聞き、見えるなら現場で試す。

 ただし、失敗すれば文句を言う。


 わかりやすい相手だった。


 問題は、ふいごだった。


 潰れた革袋は、ほとんど使えない。

 押すと、横から空気が漏れる。

 赤線だらけだ。


「新しく作るには革がいる」


 ガンズが言った。


「村に革は?」


 俺はエルシアを見る。


「馬具の予備布ならあります。革ではありませんが、厚手です」


「布だけじゃ空気が逃げる」


 ガイ老人が杖をついて近づいた。


「水番小屋に古い油布がある。桶にかぶせていたものだ。穴はあるが、切れば使えるかもしれん」


「使えます」


 俺はすぐに答えた。


「見たのか」


「前に水番小屋を見た時、棚にありました。赤線は端だけでした」


 ガンズは水番小屋へ取りに行った。


 油布、馬具の予備布、針金、木板。

 それらを組み合わせ、即席のふいごを作る。


 見た目は悪い。

 王都の工房なら失格だろう。


 だが、押すと風は出た。


「一回目は試験です」


 俺は言った。


「鉄は入れません。まず煙の流れだけ見ます」


「わかってる。鉄を無駄にする余裕はねえ」


 ガンズが炉に炭を入れた。

 火種を置き、ふいごを押す。


 ごう、と音がした。


 しかし、すぐに煙が手前へ戻った。


 ミラが咳き込む。

 エルシアが彼女を後ろへ下がらせた。


「失敗です」


 俺は言った。


「わかってる」


 ガンズは目を細め、煙の流れを見る。


 俺には、煙道の奥に赤線が見えていた。

 詰まりは取った。

 だが、風口の角度がまだ浅い。

 風が火の底を通らず、表面だけを撫でている。


「風口を下げます」


「下げすぎると灰が詰まる」


「少しだけです。石一枚分ではなく、薄板一枚分」


「薄板一枚か」


 ガンズは泥で固めた風口の縁を削り、薄い木片を当てて角度を見た。


「ミラ。水路ものさしを持ってこい」


「水路の?」


「角度を見る。水でも風でも、傾きは傾きだ」


 ミラは走って水路ものさしを持ってきた。


 水路用に作ったはずのものさしを、今度は炉に当てる。

 それが少しおかしくて、少し嬉しかった。


 同じ基準が、別の場所でも使える。


 風口を調整し、二回目の火を入れる。


 今度は、煙が上へ抜けた。


 ふいごを押すたび、炉の奥が赤く光る。

 火の音が変わる。

 ぱちぱちという薪の音から、ごう、と低く吸い込むような音へ。


 ガンズの目が変わった。


「入れるぞ」


 彼は錆びた鎖片を一本、火の中へ入れた。


「これを使うのですか」


「試験だ。駄目なら捨てる」


 鎖片はすぐには赤くならない。

 錆びが多い。

 芯まで熱を入れるには時間がかかる。


 ガンズがふいごを押す。

 ミラも手伝おうとしたが、彼は首を振った。


「まだ熱い。見るだけにしろ」


「はい」


 しばらくして、鎖片の端が赤くなった。


 俺には、その中に細い赤線が見えた。

 錆びで割れやすい場所。

 叩けば折れる場所。

 逆に、まだ芯が残っている場所。


「中央は使えます。両端は落としてください」


「どっちの端だ」


「右は二節。左は一節」


 ガンズは返事をしなかった。

 ただ、鎖片を金床代わりの平石に置き、槌を振った。


 かん。


 乾いた音がした。


 右端の二節が割れる。

 左端の一節も落ちる。

 中央だけが残った。


「確かに芯は残ってる」


 ガンズは低く言った。


「これを伸ばす」


 赤く熱した鉄を、槌で叩く。


 かん。

 かん。

 かん。


 廃村の西の外れに、鉄を打つ音が響いた。


 その音は、井戸の水音とはまったく違う。

 硬く、熱く、荒い。


 だが、不思議と同じように聞こえた。


 失われていた村の音が、一つ戻ってきたのだ。


 ミラは両手を握りしめていた。


「鉄、のびてる」


「伸びてるな」


 ガンズが短く答える。


 彼は赤い鉄を細く伸ばし、先を尖らせ、頭を潰した。

 形は粗い。

 だが、釘だった。


「一本目だ」


 ガンズが水の入った小鉢へ釘を落とした。


 じゅ、と音がした。


 水面に白い湯気が上がる。


 俺は冷えた釘を取り出し、【修正眼】で見る。


 赤線はない。

 白線はある。

 もっと良くできる余地はあるが、使える。


「使えます」


「当たり前だ」


 ガンズはそう言ったが、口元は少しだけ緩んでいた。


 ミラが札を持ってきた。


「名前、つける?」


「また名前か」


 ガンズが顔をしかめる。


「リーベル一番枠、二番枠ってあるでしょ。これは三番?」


 俺は考えた。


 リーベル一番枠は、木樋の留め金。

 リーベル二番枠は、南畑用の細い水量板。


 そして今できたのは、封印箱や留め金に使える小さな釘。


「リーベル三番釘」


 俺が言うと、ガンズはため息をついた。


「安直だな」


「覚えやすいです」


 エルシアが言った。


「規則にも書きやすい」


「お前ら、規則に書きやすければ何でもいいのか」


「かなり重要です」


 俺は記録帳を開いた。


『旧鍛冶場炉、応急復旧。煙道清掃、底石補修、風口角度調整、簡易ふいご作成。錆び鎖片より釘一本を試作。赤線なし。リーベル三番釘として仮記録』


 さらに追記する。


『新鉄材ではない。村内廃鉄の再生。用途は封印箱、留め金、検査票保管箱の小釘に限定。武具、荷重部材には使用不可』


 書き終えると、ガンズが覗き込んだ。


「武具に使えねえって書いたのか」


「使えませんから」


「まあ、正しい」


「正しい指摘には反論しません」


 エルシアが小さく笑った。


 午後までに、釘は十一本できた。


 成功したのは九本。

 折れたものが二本。

 使える九本のうち、三本は封印箱へ。二本はリーベル一番枠の予備留め金の固定へ。二本は三滴印の保管箱へ。残り二本は水番小屋に見本として置く。


 ミラが水番小屋の壁に新しい札を書いた。


『リーベル三番釘

古い鉄をもう一度打った釘

赤い線が出たら使わない

武器にはしない』


「最後の行、必要か」


 ガンズが聞く。


「必要です」


 エルシアと俺が同時に答えた。


 ガンズはまたため息をついた。


「まあ、釘で剣を作ろうとする馬鹿が出ても困る」


 夕方、ドランが旧鍛冶場を見に来た。


 彼は炉を見た。

 釘を見た。

 水番小屋の札を見た。


 そして、商人らしい嫌な顔をした。


「これは、鉄商が嫌がりますね」


「売れるほど作れません」


「売れなくても嫌がります。買わない相手は、商人にとって一番扱いにくい」


「自給できる量はごく少しです」


「それでも、村の足を止めるには足りなくなる。そういう意味では大きいです」


 ドランは釘を一つ、指で転がした。


「リーベル村は、水を直し、畑を直し、部品を直し、今度は鉄を戻した。外から見ると、ただの村ではなくなってきました」


「まだ再開拓準備村です」


「だからこそ厄介です。準備村なのに、準備の仕方が普通ではない」


 俺は旧鍛冶場の炉を見た。


 赤線はまだ残っている。

 ふいごは応急品だ。

 風口も本格修理にはほど遠い。

 鉄も、村の廃材を打ち直しているだけだ。


 それでも、今日の火は消えていない。


 ガンズが炉の灰を掻き出していると、炉の底石の下に、薄い刻印が見えた。


「待ってください」


 俺はしゃがみ込んだ。


 灰を払う。


 古い石板があった。

 そこに、三つの水滴に似た印と、火を示す小さな円が刻まれている。


 三滴印。

 いや、完全に同じではない。

 中央、北森、南畑を示す三つの滴。

 その横に、炉を示す円。


 そして、その円から西へ、細い赤線が伸びていた。


 俺の喉が乾く。


 西方不明流路。


 中央井戸から見えた線と、同じ方角だ。


「どうした」


 ガンズが聞く。


「この炉、ただの鍛冶場ではないかもしれません」


「炉にまで古代式か?」


「まだわかりません。ただ、井戸の流路と何かがつながっている可能性があります」


 エルシアが表情を引き締めた。


「王都の技官が反応した西方流路ですね」


「はい」


 ミラが小さな声で言った。


「井戸と火、つながってるの?」


 俺はすぐには答えられなかった。


 水と火。

 井戸と炉。

 薬草畑と鍛冶場。


 別々に見えていた村の古い設備が、一つの線でつながり始めている。


 俺は記録帳を開き、今日の最後に書いた。


『旧鍛冶場炉底石に古印を確認。三滴印類似印および炉印。西方へ伸びる赤線あり。中央井戸の西方不明流路との関連、要調査』


 中央井戸のほうから、水音が届いた気がした。


 ぽちゃん。

 ぽちゃん。


 その音に重なるように、炉の奥で炭が小さく爆ぜた。


 水の音と、火の音。


 リーベル村には、まだ俺たちが知らない順番が残っている。


 けれど今日、少なくとも一つだけ確かなことがあった。


 鉄が来なくても、村は止まらなかった。


 壊れた炉を直し、古い鉄を打ち直せば、次の部品は作れる。


 外から止められても、リーベル村は自分の手で直し続けられる。


 その最初の釘が、俺の手の中で冷たく光っていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

第18話では、鉄材不足をきっかけに旧鍛冶場の炉を復旧し、リーベル村で最初の再生鉄部品が生まれました。

次回、第19話「辺境市、開かれる」。水、白露草、規格部品、再生鉄。少しずつ価値を持ち始めたリーベル村に、人と荷車がさらに集まり始めます。

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