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16/30

薬草畑を増やしたら、王都の薬が売れなくなりました

第16話です。

リーベル村の白露草が外へ知られ始めたことで、今度は王都の薬商たちが動き出します。

 マルク・レインズを乗せた王立錬金術院の馬車が去った翌朝、南畑の空気はいつもより少し甘い匂いがした。


 花の匂いではない。

 薬草を乾かす時に出る、青くて薄い香りに近い。


 南畑の試験区では、白露草の葉先に小さな白い露が浮いていた。


 朝日を受けると、その露だけが淡く光る。

 水滴のようでいて、水だけではない。

 中に細い魔力の筋が見える。


 俺には、それが赤線ではなく、白線として見えていた。


 白線。

 今すぐ直さなければ壊れる場所ではない。

 けれど、扱い方を整えれば、もっと良い状態へ伸ばせる余地。


 王都では、白線を見つけても報告書の最後に小さく書くだけだった。

 改善余地あり。

 再調整を推奨。

 たいてい、その行は読まれなかった。


 だが、ここでは違う。


「葉が増えています」


 隣で膝をついていたネリア・セーヴェルが、息を殺すように言った。


 彼女は薬草師見習いだ。

 まだ正式な薬草師ではないと本人は何度も言うが、この村で白露草を一番よく見ているのは間違いなく彼女だった。


「昨日は五枚だった株が、今朝は七枚。白い露も、昨日より均一です。普通の白露草なら、根が弱っている時にここまで露はそろいません」


「赤線は減っています」


 俺は葉の根元を見た。


 数日前まで根の周りには、細い赤線が絡んでいた。

 水の流れが偏り、土の魔力が南へ逃げすぎていたせいだ。


 今は違う。

 南畑の試験区の中だけなら、赤線はかなり薄くなっている。


 ただし、畑全体を見ればまだ不安定だった。

 試験区の外側には、乾いた土が広がっている。

 そこへ無理に水を流せば、せっかく安定しかけた白露草の根を傷める。


「増やせますか」


 ネリアが尋ねた。


「一列だけなら」


「一列だけ?」


「はい。今の水量と南畑流路の状態なら、試験区を一列増やすのが限界です。二列目から先は赤線が濃い。水を入れた瞬間に、魔力が外へ逃げます」


 ネリアは少し残念そうに畑を見た。


「一列だけでも、大きな前進です」


「採取はまだできません」


「わかっています」


 返事は早かった。

 前なら少しだけ惜しそうな顔をしたかもしれない。

 けれど今のネリアは、葉を取ることより、株を残すことを優先している。


 それは良い変化だった。


「お兄さん」


 ミラが木札を抱えて、畑の端からこちらを見ていた。


「白露草、増えるの?」


「少しだけ」


「じゃあ、札も増やす?」


「増やします。ただし、採っていい札ではありません」


「採っちゃだめ札?」


「それでいいと思います」


 ミラは真剣にうなずいた。


 彼女は最近、札を書くことに慣れてきた。

 最初は『水のじゅんばんをまもる』だけだったが、今では水番小屋の壁に、取水順、三滴印の保管場所、外へ出してよい水の量、白露草試験区への立入禁止まで書いている。


 難しい言葉は使わない。

 けれど、村で暮らす人間にはそのほうが伝わる。


「採っちゃだめ。ふまない。水をやりすぎない」


 ミラは木片に炭でそう書いた。


 俺はその横に、小さく補足を書き足す。


『白露草試験区第二列。水量、一日二杯まで。確認者、ネリア、ルカ』


 ネリアが木札を見て、少し笑った。


「ミラちゃんの札のほうが、薬草師ギルドの札よりわかりやすいかもしれません」


「ほんと?」


「本当です。薬草は、難しい名前で守るより、踏まれないようにするほうが大事ですから」


 ミラは得意そうに胸を張った。


 そこへ、東水路のほうから重い足音が近づいてきた。


「なんだ、試験区を増やすのか?」


 鍛冶屋ガンズだった。

 肩に木板を担ぎ、腰には槌を下げている。


 彼はリーベル一番枠の留め金を作ってから、結局毎日のように村へ来ていた。

 ハルカ村の鍋は逃げない、と言っていたが、実際にはハルカ村からの仕事も少しずつこちらへ持ち込んでいるらしい。


「水路を増やすなら、土の溝だけじゃまた崩れるぞ」


「細い木樋を一本、南畑用に作れますか」


「幅は?」


「リーベル一番枠の半分で十分です。水量を絞りたい」


「半分か。なら、二番枠だな」


 ガンズは当然のように言った。


「二番枠?」


「一番枠を半分にした薬草畑用の枠だ。名前がないと、いちいち説明が面倒だろう」


 俺は少し驚いた。


 規格名をつけるのは、こちらから言い出すつもりだった。

 だが、ガンズのほうが先に言った。


 同じ形で作る。

 同じ名前で呼ぶ。

 同じ記録に残す。


 それが職人の側から出てきたのなら、この村の仕事は少しずつ俺一人のものではなくなっている。


「では、南畑二番枠として記録します」


「勝手に長くするな。リーベル二番枠でいい」


「用途がわからなくなります」


「札に書け」


 ガンズは面倒そうに言いながら、もう木板に墨線を引き始めていた。


 ネリアは試験区の端へ移動し、土を指でほぐした。


「ここから先は、まだ乾いています」


「水を直接入れると、根が追いつきません」


「では、先に土を湿らせる?」


「はい。ただし中央井戸の水をそのまま入れるのではなく、南畑の土で一度受けます」


 俺は小さな素焼き鉢を持ってきた。

 底に細い穴を開け、南畑の古い土を入れる。

 そこへ中央井戸の水を少しだけ落とす。


 水は土を通って、ゆっくり滲み出る。


 白露草の根は、急な変化を嫌う。

 王都の温室なら、魔導管で水温も魔力濃度も調整できるのだろう。

 だが、ここにはそんな設備はない。


 なら、土を使って緩める。


 古い畑には、古い畑のやり方がある。


「これで一晩見ます」


 俺が言うと、ネリアはすぐに記録板へ書き込んだ。


『白露草第二列予定地。中央井戸水を南畑土で濾過。直接灌水なし。葉先の露量、明朝確認』


 その文字を見て、俺はうなずく。


 記録の書き方が、以前よりずっと正確になっている。


 王都なら、見習いの記録など軽く扱われただろう。

 だが、今のリーベル村では違う。

 白露草を守るためには、ネリアの記録が必要だった。


 昼前、村の入口から馬車の音がした。


 エルシアが先に気づき、入口へ向かう。

 ミラは反射的に三滴印の箱を抱えた。


「ドランさんかな」


「鈴の音は似ています」


 俺が答えると、しばらくして見慣れた荷馬車が見えた。


 旅商人ドラン・マルクだった。


 ただ、いつもより顔が固い。

 荷台には布袋と塩樽のほか、細長い木箱が一つ積まれている。


「ルカさん」


 ドランは馬車を止めるなり、帽子を取った。


「良い話と悪い話があります」


「悪い話から聞きます」


「商人は普通、良い話から売ります」


「今は売り込みではないので」


 ドランは苦笑し、荷台の木箱を叩いた。


「では悪い話から。王都薬商会が動きました」


 ネリアの肩がぴくりと動いた。


「薬商会……」


「白露草の検査票が、商人ギルドの南西支部に届きました。まだ王都本部ではありません。ですが、白露草という名前と、リーベル水で育っているという記録だけで、薬草商たちの耳には十分届いたようです」


「まだ売っていません」


「ええ。だから余計に厄介です」


 ドランは懐から一枚の紙を出した。


 羊皮紙ではない。

 安い紙だが、印だけは大きい。


『王都薬商会南西連絡所』


 その名が書かれている。


「内容は?」


 俺が尋ねると、ドランは紙を読み上げた。


「未認可薬草の産地表示について注意喚起。白露草の名称は薬草師ギルド認定品に限る。薬草師見習いによる確認札は商取引上の薬効証明とは認めない。出所不明の白露草類似品は、混入、変質、毒性の危険があるため、取引を控えること」


 ネリアの顔が青くなった。


「毒性って……そんな」


「毒があると書いているわけではありません」


 ドランは紙をたたむ。


「ですが、読む側はそう受け取ります。薬草の世界では、危険がある、という一文だけで十分です」


 俺は白露草の試験区を見た。


 赤線はない。

 少なくとも、今朝確認した限り、危険な毒性の筋は見えていない。


 だが、それは俺に見えているだけだ。

 外の商人や薬師にはわからない。


 だから検査票を作った。

 それなのに、その検査票の確認者が見習いだというだけで、信用を削られる。


「良い話は?」


 俺が聞くと、ドランは今度こそ商人の顔をした。


「王都の薬が止まりました」


「止まった?」


「すべてではありません。ですが、南西支部周辺の薬師たちが、王都薬商会の清露膏の追加注文を一部見合わせています」


 ネリアが目を見開いた。


「清露膏って、白露草を使う傷薬ですよね」


「はい。正確には白露草を乾燥させた粉と、浄化水を混ぜて作る軟膏です。王都では小瓶一つで銀貨が飛びます」


 ドランは木箱を開けた。


 中には、小さな陶器の瓶が入っていた。

 封蝋に王都薬商会の印がある。


「これが、その清露膏です」


 ネリアは瓶を見ただけで、表情を引き締めた。


「高いものです」


「ええ。だから辺境の薬師は困っていた。そこへ、リーベルで白露草が育ち、しかも水質検査票と栽培記録がついているという話が出た。まだ売っていなくても、待とうと考える薬師が出ます」


「つまり、俺たちが薬草を売ったからではなく、売るかもしれないと思われたから、王都薬の注文が止まった」


「その通りです」


 ガンズが鼻を鳴らした。


「まだ何も売ってねえのに、売れなくなるのか。商売ってのは面倒だな」


「期待も商品ですから」


 ドランはさらりと言った。


 俺は清露膏の瓶を見た。


 王都の薬が悪いわけではない。

 むしろ、きちんと作られているなら、必要とする人は多いだろう。


 問題は、価格と独占だ。


 白露草を育てられる場所が限られ、浄化水を扱える者が限られ、検査証明を王都側が握っている。

 その結果、辺境では必要な薬が必要な時に届かない。


 リーベルの白露草は、まだ試験株にすぎない。

 けれど、記録がある。

 水がある。

 育てようとしている者がいる。


 それだけで、王都の価格に穴が開いた。


「ネリアさん」


「はい」


「清露膏を見てもらえますか。開封はしません。外側だけで」


「わかりました」


 ネリアは瓶を受け取り、封蝋と薬名を確認した。


「王都薬商会の正規品です。白露草粉末、浄化水、羊脂、銀葉粉。一般的な処方です。ただ、この封蝋だと中身の採取日まではわかりません」


「検査票は?」


 ドランが箱の底から小さな紙片を出した。


 王都薬商会の検査証だった。


 俺はそれを見て、眉を寄せた。


 採取地、乾燥日、調合日、確認者の名前。

 項目はそろっている。


 だが、薬草の状態がない。

 葉の色も、露の量も、乾燥前の水質も、何も書かれていない。


「これでは、完成品が合格したことしかわかりません」


 俺が言うと、ドランはうなずいた。


「王都の薬商会にとっては、それで十分なのです。完成品に印がある。それが信用になる」


「リーベルでは足りません」


 ネリアが静かに言った。


 俺とドランが彼女を見る。


 ネリアは清露膏の瓶を両手で持ったまま、続けた。


「白露草は、完成品になってからでは遅いです。水を入れすぎた日、根が弱った日、露が少なかった日、その時の記録がなければ、薬になった時の違いがわかりません」


 声は少し震えていた。

 けれど、言葉ははっきりしていた。


「私はまだ見習いです。でも、この村の白露草を毎日見ています。だから、見ていない人に毒性の危険だと言われるのは、納得できません」


 ミラが大きくうなずいた。


「ネリアさん、毎日見てる」


 ガイ老人も戸口から言った。


「井戸番の記録と同じだ。見ていない者ほど、大きな言葉で片づける」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ熱くなった。


 見ていない者ほど、大きな言葉で片づける。


 自然枯渇。

 無能。

 危険な類似品。


 どれも、記録を見ずに押しつけられた言葉だ。


「ルカさん」


 ドランが尋ねた。


「どうしますか。薬商会の注意喚起を無視して試験株の記録を広めれば、反発は強くなります。逆に引けば、リーベルの白露草は危険かもしれない、という印象だけが残ります」


「薬草は売りません」


 俺は答えた。


 ネリアが少しだけ目を見開く。


「ただし、記録は出します」


「記録だけ?」


「はい。販売ではなく、公開検査です。白露草試験株の状態、採取禁止、検査方法、毎日の水量、葉の数、露の量、土の状態をすべて出します。毒性があると言うなら、どの項目に危険があるのか、相手にも記録で示してもらう」


 ドランの目が細くなった。


「商人ギルド支部で公開検査を?」


「いいえ」


 俺は首を振った。


「白露草を村から動かせません。だから、検査するならこの村です。来る者にはエルシアさんに立ち会ってもらい、ネリアさんが薬草師見習いとして記録を説明する。俺は水と土の状態を出す。ガイさんは井戸番として水音の記録を出す。ミラは札を出す」


「わたしも?」


「はい。採っちゃだめ札は重要です」


 ミラは真剣な顔でうなずいた。


 エルシアが腕を組んだ。


「辺境警備隊として、公開検査の立会いは可能です。ただし、薬商会側が来るなら警戒が必要ですね」


「なぜですか」


 ネリアが聞く。


 エルシアは淡々と答えた。


「相手が本当に品質を疑っているだけならよいのです。ですが、信用を落としたいだけなら、検査前に何かを混ぜる可能性があります」


 空気が少し冷えた。


 俺は白露草の試験区を見た。


 今朝の時点で、赤線はなかった。

 しかし、外から何かを混ぜられれば、話は変わる。


「試験区の周囲を封鎖します」


 俺は言った。


「水路はリーベル二番枠だけ。水量は記録通り。夜間はエルシアさんか俺が見張る。三滴印とは別に、白露草用の封印札を作ります」


「封印札か」


 ガンズが腕を鳴らした。


「札を差す杭くらいなら作れるぞ」


「お願いします。抜いたら跡が残る形にしてください」


「面倒な注文だな」


「必要です」


「知ってる」


 ガンズはそう言って、もう道具箱を開いていた。


 ネリアは清露膏の瓶をドランへ返し、試験区へ向き直った。


「私、記録を書き直します」


「書き直す?」


「今までの記録は、私たちが見るためのものでした。今度は、外の薬草師にも読まれる記録にします。白露草を知らない人が見ても、何をしたか追えるように」


「できますか」


 俺が尋ねると、ネリアは少しだけ不安そうに笑った。


「正直、怖いです。でも、見ていない人に危険だと言われるほうが、もっと怖いです」


 その言葉で十分だった。


 俺は記録帳を開く。


『白露草試験区、第二列拡張開始。リーベル二番枠を用いた微量灌水。薬草採取なし。販売なし。王都薬商会南西連絡所より未認可薬草に関する注意喚起あり。対応として、現地公開検査を検討』


 そこまで書いた時、ドランの荷馬車のほうから声がした。


「ドランさん!」


 若い配達人が、息を切らして村の入口へ駆け込んできた。

 ドランの商会で使っている小僧だろう。顔に見覚えがある。


 彼は封書を握っていた。


「南西支部から、追加です。急ぎだって」


 ドランの顔が険しくなる。


 封書の封蝋は、商人ギルドのものだった。

 ドランはそれを開き、すばやく目を走らせた。


 そして、こちらを見た。


「悪い知らせです」


「今度は何ですか」


「リーベル産を名乗る白露草粉が、南西の町で出回りました」


 ネリアの顔から血の気が引いた。


「白露草粉? でも、私たちは一枚も採っていません」


「ええ。だから偽物です」


 ドランは封書を握りしめた。


「しかも、その粉を混ぜた薬で腹を壊した者が出た、と書かれています」


 ミラが三滴印の箱を抱きしめた。


「リーベルのじゃない」


「わかっています」


 俺は試験区を見た。


 白露草は、まだ朝露をつけて静かに揺れている。

 採っていない。

 売っていない。

 外へ出していない。


 それなのに、リーベル産を名乗る薬草粉が出回った。


 誰かが、リーベルの名前だけを先に盗んだのだ。


 俺は記録帳を閉じた。


「公開検査をします」


 声は、自分で思ったより冷静だった。


「リーベルの白露草がここに残っていること。採取していないこと。三滴印の検査票がないものはリーベル産ではないこと。それを、記録で証明します」


 ネリアが白露草の前に立った。

 ミラは三滴印の箱を抱え、ガンズは封印杭を握る。

 エルシアは村の入口へ目を向けた。


 中央井戸の水音が聞こえる。


 ぽちゃん。

 ぽちゃん。


 水が戻った村に、今度は信用を汚す噂が流れ込んできた。


 けれど、噂も誤差と同じだ。

 見えたなら、原因を探せる。

 原因があるなら、記録で追える。


 俺は南畑の白露草を見て、静かに言った。


「まず、ここにあるものを守りましょう。話はそれからです」

ここまでお読みいただきありがとうございます。

第16話では、リーベルの白露草が外部に知られたことで、王都薬商会側が動き始めました。まだ薬草を売っていない段階で「リーベル産」を名乗る偽物まで出回り、村の信用が狙われます。

次回、第17話「毒入り薬草の噂を、公開検査で潰します」。リーベルの白露草を守るため、ルカたちは現地での公開検査に踏み切ります。

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