あふれのみこむ
二十四、
つながった手を、そのままに、ゆっくりと正面にまわるこどもの姿だけが、浮き上がる。
ヒコイチの前に立ち、両の手でこちらの手をにぎるこどもが、わらいながら言った。
「なんでえ。ヒコ、なさけねえなあ」
最後カワキタ屋にいっしょにいたあのときのマツキチの声で、カンジュウロウがやさしく言う。
「 なあ、ヒコよ、 ・・・おれは、おめえとおんなじで、この世にはいろんなことがあるってのを知ってたさ。 それならよ、セイベイとセイイチのことも、どうにかなるかもしれねえって思ったのよ。べつに、いいことをして地獄ゆきを極楽ゆきにしてほしいって思ったわけじゃあねえんだ。 ただ、ただよお、 ―― 人のおもいってのは、ときどき、すれちがったり、まちがったりしたほうにいきすぎると、おれみたいなことになるってのを、知ってただけよ」
「・・・あんたのおかげで、西堀のじじいは生きてるし、息子ともうまくやってるんだ」
「ああ、そうだな。 うん、セイベイは、・・・よかった」
右手をつつみこんでいた子どもの手の感触が、ふいにゆるく、たよりないものになる。
「おい、乾物屋、どうしたよ?きょうはなんの駄洒落もいわねえじゃねえか」
言って、子どもの手をつよくにぎろうとしたのに、その、てごたえがない。
「そりゃな、もう、くだらねえことを言って、わらおうとしなくってもいいって、言ってもらったからよ」
だれに?と聞く前に、マツキチが振り返ってむこうの闇をみた。
そこには、おおがらな男が立っていた。
ぼんやりと光るように黒に浮かぶ男は、頭に黒い布をかけ、なにやら杖をもち、すりきれたような汚い着物をきている。ヒコイチが口をあける前に、男は、すうっと息を吐くように、経のようなものを唱えはじめた。
それをみたマツキチが、嬉しそうに声をあげる。
「おうおう、まったくありがてえもんだなあ。 まさか『ジョウカイさま』におくってもらえるなんてよ」
「 じょ、ジョウカイ!? 」
ヒコイチのおどろきように、唱える男のくちもとがすこし笑む。
「い、 いや、まってくれ。 そりゃ、たしかに、あの、 納屋で、」
ジョウカイに、あの納屋での『後始末』をみせられてから、夢の中をころがるようにして、こうして、『乾物屋』に会えたのだ。
「 だ、だけどよ、」
『後始末』はあの場で終わったはずだ。 それに、たしかジョウカイは、もう戻れないと・・・。
だが、ヒコイチのおどろきをよそに、ジョウカイの声は朗々と響き続ける。耳慣れない言葉のつらなりは、なんだか懐かしく、なにかを思い出しそうになる。
「 おい、 ヒコよ、 」
ヒコイチとつないでいるはずのマツキチの手の感触は、もうほとんどない。
「 ―― セイベイに、おめえもほどほどであの世にいけってつたえとけ。 それと、『オオクロ』がいなくなってセイイチがさわぐだろうが、 そのぶん 『クロ』をかわいがるだろうよ 」
「 お、おい、かんぶつや、まっ、 て ・・・・」
子どもの手は消えて、ヒコイチの手は、ただ、こぶしをにぎっているだけだった。
まだ目の前に残っているマツキチが、ゆっくりと薄い色になってゆく。
「 まあ、セイベイはわかってるだろうが、 おれは おめえらと行き先が違うんでな。 あの世で待ってる なんて言わねえさ 」
「ま、まてよ」
《ジョウカイ》が、経をとなえながら、地面に、杖で何かを描くようにうごかしはじめる。
ここでヒコイチは、長屋のチョウスケからきいた、坊主のはなしを思い出す。
《 坊主は手にした杖で地面になにかをかいて 》
三人の女をとりこんで鬼になるところだった『旦那様』を救った『すごい法力』の坊主は、きっと、この『ジョウカイ』だ。
「おい!ジョウカイ!まってくれ!まだ、はなしたいことが、」
まだ、はやい
ヒコイチがそう思ったとき、ジョウカイが地面についた杖を、す、っとななめ上へとひきあげた。
すると、まるでその杖の先が、空に光る切れ目をいれたように、ながい光の線からどんどんと光があふれだし、あたりがまぶしく真っ白になってゆく。
「 ま、 まだ、 」まってくれ、と続けようとしたヒコイチの言葉は、あふれた光にのみこまれた。
「にいちゃん!ねえちゃん!」
さけんだマツキチが、ふりかえって、光をめざして走り出す。
ああ・・・・
こえもだせないヒコイチは、真っ白な光の中に、ヨシスケとおトヨが立っているのをみた。
走り寄ったマツキチを、二人はかがんでだきとめ、影の重なった三人が、さらにまぶしくひかりだし、
―― もう、みていられなくなったヒコイチは、
濡れた目を、とじるしかなかった。




