『やまいぬか』
とめられた男はおどろいた顔でたちどまり、そこでようやく、タキチじいさんとヒコイチをみとめたようだ。
驚いたままで止まり息はまだととのわず、喉がひゅうひゅうと鳴っている。まさかこの着物で峠を越えてきたとは思えなかったが、足元は旅姿の脚絆とわらじのままだった。
先に動いたのはその後ろに立つ男で、いそいで頭をさげ、「ご挨拶がおくれまして、てまえどもは材木商をしておりますカギフジ屋と申しまして、こちらは主人のショウエモンでございます。てまえは番頭のイキチと申します。その、えー、たしかに、こちらへ主人からの手紙をおもちしましたが・・」なんと続けてよいか迷うようにじいさんをうかがった。
と、突然、
「 その『ばかな親父』はわたくしめにぞんじます 」
と、ショウエモンがじいさんに土下座した。
「 ―― マツキチの大事さにきづかず、このとしになってようやく目がさめまして、このたび、マツキチを預かり大切に育ててくださったカワキタ屋さんにご挨拶にあがろうとしたところ、一大事がおこったとききおよびかけつけてみれば・・・、このようにお若いお二人はすでに亡くなられているなど、どのように、どのように、お、御礼もうしあげればよいのか~ 」
のばした声はそのまま大きな泣き声となった。
「だ、だんなさま、だんなさま、どうか、立ってごあいさつを」
地べたで体をふるわせる男の背をたたく番頭は、ヒコイチをみてかるく頭をさげると、そのまま頭をめぐらせ、誰かをさがすようなそぶりをみせてから、こうきいた。
「 あ、あの、カワキタ屋さんのおふたりは、 どういった、その、わけで・・。 山賊ですか?それとも、強盗でしょうか?」
『強盗でしょうか』?
「番頭さん!なんてぶしつけな聞き方をするんだい、おわかい二人が亡くなったばっかりなんだよ。しかも、マツキチの前でそんなこと!」
「ああ、もうしわけございません」
主人に叱られ頭をさげるが、その主人はいまだに地べたに手をついたままだった。
みかねたようにじいさんが「とにかく立ちなされ」とうながす。
顔をふき、あらためてじいさんに頭をさげ挨拶をしたショウエモンは、息をふきかえしたようにすらすらとよどみなく、手紙にしるしたことを話した。
はじめは眉をよせこわい顔できいていたタキチじいさんも、子供が病で亡くなったときのことを鼻水をたらしながら話す男の様子に同情したのか、何度か振り返っては、マツキチを見た。
子どもは、自分の意見などきかれることもなく、大人同士が、『また』、マツキチをどこかへ行かせようとする話を、ただ、言葉もなく見つめていた。
たまりかねて、ヒコイチが口をだす。
「なあよオ、カギフジ屋さん、あんたがここにきて、まっさきに頭をさげなきゃいけねえのは、あそこにいるマツキチなんじゃねェですかね? そんで、それからでしょう?戻ってきてほしいっていうのは。そんで、戻るかどうかを決めるのは、あんたじゃなくて、マツキチだ」
「ああ・・・、そうです。たしかにそうだ」
言って、ショウエモンは板の間の奥に座るマツキチと目をあわせるようにかがみこむと、「マツキチ・・・すっかり大きくなったねえ」と目をほそめた。それからにじり寄るようにしてあがってゆき、「おまえには、ほんとうにすまないとおもってる。わたしがもっとしっかりしていれば、ずっと手元にのこしていられたのに・・・」
そのまま肩をふるわせ、膝をつめた。
「・・・どうか戻ってほしい。本当ならおまえを育ててくれたカワキタ屋のみなさんに、・・みなさんがお元気なうちに、こうやってご挨拶にこなきゃあいけなかったんだ。だのに、こんなことになってしまって、ほんとうに悔しいよ。山犬が憎いよ」
こぶしをにぎる男は本心からの言葉を吐きだしているようだった。
「・・やまいぬか・・」
ヒコイチの耳に、番頭のイキチが息とともにもらした声がとどいた。
ふいに目があった相手はあせったように、「いや、わたくしはその、しりませんで、」と言い訳のように首をふる。




