いつから
猫を抱えた隠居とヒコイチは離れに戻り、障子をしめると、黒猫はするりと下におりてすぐにまるまった。
『 まったく 肩がこっていけねえや 』
てっきりそんなことを口にするかと思った猫は、ただ、ミャウ、と鳴く。
「なんだよ、乾物屋。ずっとセイイチさんにひっついてたのか?」
ヒコイチがからかいのつもりで腕をくんで猫をにらむ。
「 ・・・なあ、ヒコ。これはたしかにカンジュウロウだがな・・・、」セイベイは床の間のそばにある箪笥から小箱をとりあげると、黒猫のそばにすわり、箱の中から色鮮やかな布でできた細長いものをとりだしながら、猫を膝の上へあげて、つづけた。
「・・・もう、 ―― しゃべらない黒猫だよ」
その言葉の意味をヒコイチが理解できるまでに、猫の首にトメヤの売り物の端切でつくった、細いヒモがまきつきおわった。
「 な、・・・ え?なにだって?・・・ 乾物屋で・・・ しゃべらないって・・・」
ヒモをつけられた黒猫をあらためて見る。
それは・・・じぶんのしらない間に、《成仏》を・・・
ミャアウ
セイベイの手をのがれ部屋のすみにいった黒猫は、新しく首についたものが邪魔であるように首をふると、こちらに腹をみせながら、《下》のほうから毛づくろいをはじめた。
「 ―― おい、じいさん、こいつはまだ《乾物屋》だろお?」
この、ひとをバカにした態度。絶対にそうだ。
「だから、言っただろう?まだカンジュウロウなんだが、どうしたわけか、しゃべらないんだ」
西堀の隠居ことセイベイと息子のセイイチのあいだにあった親子の情のねじれで起こった《騒動》前から、黒猫のカンジュウロウはこの『トメヤ』にいて、そのあともたいていはここにいた。
そののちにはさらに、ダイキチという、この世からすこしばかり外れぎみの、ちょうどよい年寄仲間ができたので、そこへも入り浸っていたが、このごろ来なくなったのだと、ダイキチも心配していた。
「なんでエ。しゃべれなくなったんで、ダイキチさんのところにも顔をださねえってことか?おい、どうしたよ? ・・・いつからしゃべらなくなったんだよ?」最後をセイベイに聞いてみる。
「それが、どうにもはっきりとはしないんだが・・・。ほら、カンジュウロウは、うちではセイイチがかわいがっている猫ってことになってるだろう?」
《騒動》あと、この家の庭で、猫好きだった息子に見つかってしまったカンジュウロウはその日から『クロ』と名付けられ、《普通の黒猫》として飼われることとなった。なにしろ、《乾物屋》が『黒猫』になって現れてから、このあたりの普通の猫たちの姿は消えてしまっていたので、猫の姿をもとめていたセイイチのかわいがりかたはひどかった。
『おめえのボンクラ息子ア、おれに残りもんの飯なんか出しやがるから皿をひっくり返してやったら、わるかったよとか言ってぴかぴかの白飯に、めざし持ってわびにきたぜ』
調子にのった態度で息子のことをからかうが、《親子》のことについてはなににもふれず、そのままトメヤに気ままに顔をだす猫として、店のものにもかわいがられた。




