顔をみる
「ところでおまえ、しばらく顔をみせなかったね。どうしてた?」
「いや、・・・ちょいと売り物をさばくのに、手間がかかっちまって・・・」
「おや、めずらしいね」
ほんとうは、《乾物屋》のことをききたいのだが、なんときりだそうか?
はじめてあの《じゃべる黒い猫》に会ったのはこのセイベイの庵でだった。そしてその猫の正体が、ヒコイチもよく知る、亡くなった《乾物屋》のカンジュウロウだと教えてくれたのは、このセイベイだ。
死んだはずの年寄が、猫の毛皮の中に『はいりこんでいる』なんてとてもしんじられなかったが、顔の見合った猫に名をよばれてはなしかけられ、『それ』が、カンジュウロウだと認めるしかなくなってしまった。
はじめのうちは寒気におそわれながら、両手をふりまわして追い払っていた猫とも、それが三度四度となり、きづけば寒気に舌をうち、普通に言葉を交わすようにまで落ち着いてしまった。
それからは、日をおかずに家の中や街なか、もしくはこのセイベイの離れでかならずあっていたのに、この半月近く、一度もみていない。
きょうこそはここで姿をみるだろうと、なかばいのるように足をむけたのに、いまみわたしている広い庭にも、池のそばにもその影はみあたらない。
しかたなく、部屋の中をみまわしながら、もごもごときりだしてみる。
「 ・・・そのぉ・・・、おれが顔をだしてねえ合間に、《乾物屋》は・・・、かわらず、ここにいるよなあ?」
「カンジュウロウかい?なんだい?あたしじゃなくてカンジュウロウに会いにきたのかい?」
年寄がうまそうに茶をのんだ。
「っや、そうじゃねえけど、その、なんだ、」
くちごもるヒコイチを、うれしげにながめたセイベイは、ヒコイチが持ってきたまんじゅうを皿からもちあげほおばった。
ゆっくりかんであじわってから、「 ―― おまえはほんとに、おもしろい男だね。あの『猫』のことだって、忘れろと言ったんだからあとは知らぬふりをしてればよかったのに」
「そんなこと、できるわけねえや」
「気味がわるかったろう?」
「まあ、そりゃ・・・ でも、ありゃあ、『乾物屋』じゃねえか」
「ああ、そうか・・・」
こっちを見る年寄の顔がまるでこどもを眺めるような顔で、ひどく恥ずかしいことをくちにした気になる。ごまかすように湯呑をつかんでいっきにあおると、そうだねえ、とうなずいた年寄が「顔をみるかい」ときいた。
「 ・・・顔を、って・・・」
そんな、臥せったあいてをたずねるようなきき方を・・・
ついておいでと立ち上がったセイベイのあとにつき、母屋の方へすすむ。台所にゆきサネに「オオクロはどこだい?」と隠居はたずねた。いつものトコですよ、とサネがこたえる。
『乾物屋』である黒猫が、あるとき黒い子猫をくちにくわえて帰ってきてから、この店に黒猫は二匹になった。すると『乾物屋』の呼び名であった『クロ』は子猫のものになり、もとからいた『乾物屋』のほうは、『オオクロ』とよばれるようになった。
いまでは二匹ともおなじような大きさになり、ヒコイチなどは見た目で区別はつけられないが、トメヤのものたちはみな、見分けがつくらしい。
台所からずっと中を通って奥の客間をすぎ、その隣の少しせまい板敷きの部屋を廊下からのぞきこんで年寄は手でしめす。
障子などないその部屋で膝をつめあう男たちがいる。ぶあつい帳面をひらき、壁を背にした若旦那とむきあう男たちをセイベイが目でしめす。
「あの二人は、知ってるかい?」
「大番頭さんと、あの、若いかたは・・」
見たことがない。




