セイベイと倅(せがれ)
六、
ながくかこった壁沿いに歩いて曲がったさきのこの裏木戸からはいるのにも、このごろは慣れてきた。
ただ、ここに住む『西堀の隠居』が大店の隠居であることにかわりはないので、はいるときにいつも気おくれはする。息を吸い、手土産のまんじゅうを持ち直して木戸をくぐれば、濃い緑の木々に迎えられる。勝手知ったる細い道をたどり立派な庵の縁側にでる。きょうも池をみながらむこうに建つ祠にかるく手をあわせてから、気楽に声をかけた。
「ご隠居、いるかい?」
ヒコイチの声に、中で「おう」という年寄の声がした。
縁側にたてた障子がひらき、すこし驚いたようなセイベイの顔が「やっときたか」と出迎えた。そのそばに、同じように驚いた白い顔があるのを認め、ヒコイチはあわてて頭をさげた。
「 こりゃあ、若旦那、親子みずいらずのところを邪魔しちまって」きょうは『じいさん』とよばずによかったと胸をなでおろす。
「いや、いいんですよ。ヒコイチさんがこのごろ、とんとかまってくれないと親父もさびしがっていましてね」
立ち上がってヒコイチに座布団をすすめたのは、息子のセイイチのほうだった。
「あたしがそんなこといつ口にしたって?」
息子の言葉に隠居が口をまげる。
「口にしなくともわかりますよ。外をうかがって誰かを待ってる顔でいれば」わらいながらセイイチは畳にひろげていた布をしまいはじめた。
「 どうも、とんだおじゃまを。 またでなおしてくるんで」
どうやら商売のはなしのじゃまをしたらしいと悟ったヒコイチの言葉を、「いいからこれをみてごらん」とさえぎった隠居は、息子が丸めている、やたらと幅のある反物をさした。
「着物の・・・じゃあなくって、洋装のですかい?」
その織は、お坊ちゃまが着ている外套のものに良く似ていた。
「さすがヒコイチさんだ。一条のお坊ちゃまのお友達だけあって、物をご存じだよ。ほら、親父、これからは、こういう『もの』がたくさん出回るようになるんだ」
「はん。そんな荒い糸の重い着物、誰も買わないだろうよ」
年寄の言葉にヒコイチはつい口をだす。
「着物じゃあなくって、洋装の外套は、そういう織の布をつかうんだ。ほんとかどうかはしらねえが、綿入みてえにあったかいうえに蝋がぬりこんであるとかで、そのお国じゃあ、雨のときもかっぱのかわりに着て出るらしいぜ」
これはお坊ちゃまからの受け売り文句だ。
「ほら、わたしの言ったとおりだろう?ヒコイチさんならわかってくれると思ったよ」
セイイチが膝をうってわらいかけてくるが、ヒコイチとしては息子の肩を持つ気などさらさらなかっただけに、笑い返すことはできない。年寄のなんともいえない顔を見て、悪いことをしてしまった気にさえなる。
だが、腕をくんでいた隠居の顔がふっとゆるんだ。
「 そうかい・・・ こういう『もの』が、出回る、か」
独り言のようなそれを息子は聞き逃さず、「ええ。これからは」と居住まいをただして父親のほうをむいた。
「 ―― なら、おまえの腕のみせどころだ」
観念したような年寄の言葉に息子は手をついて頭をさげ、ヒコイチにも頭をさげて反物を抱えながら出て行った。
「 いや、まいった・・・ 」
さきほど下働きのサネが持ってきてくれたお茶をすすって、松庵堂で買ってきたまんじゅうを押しこんだくちからついもれた言葉に、西堀の隠居、セイベイがわらう目をむけた。
ヒコイチは縁側にすわり、隠居も庭をむき障子をあけはなしている。きょうもまた、灰のような色の空だが、雨はふりそうもない。
「なんだい。おまえが『まいった』かい」
「ああ。まいった。 ―― ありゃあ、やっぱりじいさんのせがれだ。おれが口にすることじゃあねえが、しっかり《商売人》になってるじゃねえか」
初めて会った時からついさっきまで、自分には理解できない類の男だとばかり思っていたのに。
「ほお。ヒコにそう言われたんじゃあ、あいつの商売をみとめるしかなさそうだ」
庭を眺めながら縁側にならんだ年寄は、池のはたに建つ小さな祠にむけて微笑みながら手を合わせた。
ああ、そうか・・・
今のセイイチとセイベイにある親子の情は、あの《祠》があるがゆえのものだ。
それはすこし、暗くて重いねじ曲がった親子の情が、どうにかおさまっただけなのを知るヒコイチは、尻のすわりが悪くなる。
だが、当人同士がそのおさまりで良しとするならば、他人がくちをはさむところではないのだ。




