1-4. 適任者
「補充の兵が来たぞ!」
その一言で、酒場がにわかに騒がしくなった。レオンたちが徴用して以来、白霜の仮宿舎として使っている店だ。
「やっとか。待たせすぎだろ」
「まさか行軍中に減ってたりしねぇだろうな……」
「例の潜入役が務まりそうな奴がいりゃいいんだが」
口々に飛び交う声を聞きながら、レオンは宿舎を出た。
ベルガ南門には、三台の荷馬車が止まっていた。その前に、二十人の兵士たちが整列している。
若い。ほとんどが二十歳前後だろう。
鎧と盾だけは使い回しなのか、それなりに傷が刻まれている。だが装備とは対照的に、当人たちの顔は妙に青臭い。
どこまで使い物になるかは、正直怪しいところだ。
その姿に、ふと一人の青年が重なる。スカルヘイム高原で散った三男坊。彼は戦いの前日に配属され、翌日には喉に矢を生やして死んだ。
「…………」
レオンは無意識に隊列から目を逸らす。
「あ、あの!」
「……ん?」
一人が列から飛び出してきた。
女だった。十八、十九といったところか。肩口で切り揃えた金髪。随分と小柄だが身体は無駄なく引き締まっている。華奢というより、身軽そうな体つきだった。
「レ、レオン・ヴァルカさんですよね!?」
「……そう言うお前は誰なんだよ」
「はい! マノン・フェルティスです! 本日付で白霜に配属されました!」
「それは見りゃ分かる。てか声がでけぇ」
「すみません!」
嫌味を吐いたつもりなのに、返ってきたのは屈託のない笑顔だった。レオンは思わず頭を掻く。
「で。何で俺の名前知ってんだ」
「出立前に噂で聞きました! 一年もプラエトルをやってる古参なのに、まだ現役なんだって」
「…………」
「本当に凄いです! 私、色々教えていただきたくて!」
「……お前、マノンって言ったな」
「はい!」
「なら、早速一つ教えてやる」
レオンは一つ息を吐いた。
「ここで一年生きてる奴を見て、すげぇなんて言うな」
「え?」
「長生きしてる奴ほど、大勢の仲間が死ぬのを見てきたってだけだ。褒められることじゃねぇんだよ」
「……あ、えっと……」
マノンの笑顔が、さっと曇った。
少し言い過ぎたか。そう思ったが、撤回する気はさらさらなかった。それに、どうせ五日後には嫌でも思い知らされる。
「それと」
レオンは彼女の盾を指差した。
「それ、ちょっと構えてみろ」
「えっ……あ、はい!」
マノンが盾を身体の正面へ構える。真正面。教本通りと言わんばかりの、馬鹿正直な構えだった。
「……やっぱりな。お前、攻撃を全部まともに受けるつもりだろ」
「え? で、でも訓練所では、盾面を相手に向けろと……」
「それで十発も受けてみろ。腕が上がらなくなるぞ」
「じゃ、じゃあどうすれば……」
「受けるんじゃねぇ、流すんだよ。貸してみろ」
おずおずと差し出された盾を受け取る。革帯を締め直し、腕を通して見せた。
「俺たちは一発ずつ綺麗に防いで、一対一で斬り合うような兵じゃねぇ。前から剣、横から槍、上から矢だ。全部まともに受けてたら身体がもたねぇ」
盾面を僅かに傾ける。
「真正面で受け止めるな。角度をつけて逸らせ。腕だけで止めようとせず、肩と身体も使って捌く」
「な、なるほど……」
「あと、盾の上から頭を出すな。矢が来たら真っ先に死ぬぞ」
「でも、それじゃ前が……」
「見えなくていい。足音と気配で探れ。慣れりゃ大体の位置は分かる」
マノンの目が、きらきらと輝き出す。
「す、すごい……! これが実戦の戦い方なんですね……!」
「だから声がでけぇんだって……」
「す、すみません!」
声は変わらず大きい。レオンはつい堪えきれず、ふっと吹き出した。
「お前、なんかちょっと面白いな」
「あ、それはよく言われます! 何ででしょう?」
「ははっ、自覚なしかよ」
レオンは盾を返してやる。
「……悪いな。名前は聞き流しちまった」
「えっ」
「次の一戦を生き抜いたら覚えてやるよ」
一瞬きょとんとした後、マノンの顔がぱっと明るくなる。
「お、おおお……! こ、光栄です、レオン先輩!」
「先輩はやめろ。俺はただの一兵卒だ」
「…………」
少し離れた場所で、アルティシアはその様子をじっと見ていた。
「……姫様?」
傍らに立つイレーネが声を掛ける。
「何?」
「あ、いえ」
イレーネは手元へ目を落とした。彼女が持っている書類。その端に、うっすらと白霜が降りている。
「……ご進言をお許しください。もしご気分が優れぬのであれば、どうかご休息を。補充兵の審査など、姫様のお手を煩わせるほどのことではございません。私が責任をもって執り行います」
「別に、問題ない。私も同席するわ」
「……左様ですか」
イレーネは補充兵の隊列へ向き直ると、声を張った。
「フェルティス! マノン・フェルティス!」
「え。あ、はい!」
マノンが振り返る。
「こちらへ来い」
「えっ? わ、私ですか? ど、どうして——」
「私は、こちらへ、来い、と言ったんだが?」
「は、はいぃ!」
口元を手で隠すと、レオンにだけ聞こえるように囁いた。
「……じゃあレオン先輩。また後でお願いしますね」
「おう」
こっそりと手を振り、アルティシアとイレーネの元へと駆けてゆく。
——ヒュオ。
「……?」
不意に、冷たい風が頬を撫でた。レオンは思わず振り返る。
だがそこにあるのは、いつもと変わらぬベルガの街並みだけだ。
「……そうか。もう秋か」
気にも留めず、踵を返しかける。
そのとき、レオンの目が卓上の兵籍書に留まった。一番上に置かれた一枚。
その名の横には、赤墨で一言書き加えられている。
『マノン・フェルティス——潜入役、最有力候補』
「……あ?」
その一文を理解した瞬間、レオンは勢いよく顔を上げた。マノンは何も知らない様子で、イレーネの前に立っている。
——こいつが?
「マノン・フェルティスだな。遠路はるばる死地までの行軍、ご苦労だった」
「は、はい! 光栄であります、セヴェリス兵長!」
「貴様、山岳地方の出身らしいな。父親は山羊猟師。十の頃から父に連れられて山へ入り、弓による狩猟、獣の追跡、登攀を日常的にこなしていた、と」
「はっ! そ、その通りであります!」
イレーネは書類から目を上げ、マノンを頭から爪先まで眺めた。
「なるほど。想像以上に小柄だな。肩幅も狭い。排水路を通すには好都合だ」
「はっ! ……えっ? は、排水路、ですか?」
「お、おいおい」
レオンが割って入った。
「ちょっと待てよ兵長」
「何だヴァルカ。貴様、昨日から少し鬱陶しいぞ」
「例の話、こいつを行かせる気か?」
「ああ。現時点では最有力候補だ」
「……女だぞ」
「見れば分かるが」
「敵陣への潜入だぞ! しくじって捕虜にでもなったら、何されるか分かんねえだろうが!」
イレーネの眉が、ぴくりと動く。
「……随分妙なことを言うな、貴様」
「な、何がだよ」
「陵辱の危険なら、戦場に立つ全ての女が背負っている。無論、この私もな」
そこでイレーネは、ふと意地の悪い笑みを浮かべた。
「だが妙だなぁ、優男。私は一度たりとも貴様に身を案じてもらった覚えがない。それとも何か? 貴様は、私なら敵の慰み者になっても構わぬとでも言うのか?」
「いや、兵長をどうこうできる奴なんざいねぇだろ」
「そういう話をしているのではない」
ぴしゃりと遮られた。
「そもそも、男なら捕虜になって構わんのか? 拷問され、情報を吐かされ、用済みになれば首を刎ねられる。それなら貴様は納得できるのか?」
「…………」
「性別は任務から外す理由にならん。必要なのは適性だけだ。そして現状、それが最も高いのがこのマノン・フェルティス。それ以上でも以下でもない。まだ質問はあるか?」
「……適性と実戦は違うだろ」
「無論だ。だから今から実践査定を行う。ただでさえ時間がないのに、無駄な問答に付き合わせるな」
「…………」
正論だった。レオンは舌打ちし、それ以上の言葉を呑み込む。
ふと、マノンを見る。当の本人は二人の言い争いを前に、おろおろと視線を往復させていた。
「あ、あの……私、何をすればいいんでしょうか?」
イレーネが書類を閉じる。
「まずは登攀だ、フェルティス」
「と、トウハン……ですか?」
「そうだ。貴様がどれほど山羊じみているのか、見せてもらおうじゃないか」




