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氷姫のサングストゥム  作者: フルツ好き男


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1-3. 神罰の門

 ベルガに駐屯してから一月半が経った頃。レオン達の元に王国軍総司令部から二通の通達書が届いた。


 一つ。

 補充の英雄直属近衛兵(プラエトル)二十名がベルガへ向けて行軍を開始し、二日後には到着予定であること。

 

 七英雄にはそれぞれ、専属のプラエトルからなる近衛隊が置かれている。いずれも仕える英雄を象徴する固有の名を冠し、第四英雄・氷姫アルティシアのそれは、白霜(フリーギア)と呼ばれていた。

 白霜(フリーギア)は元来、四十名を定数としていた。だが先日のスカルヘイム高原でその半数以上が戦没している。補充兵が全員無事に到着して、ようやく定数に戻る計算だ。これから向かう場所を考えれば、十分とは到底言い難い。


 そして、二つ目。

 こちらは想定の範囲内でありながらも、現実になってほしくはなかった知らせだった。


『第四英雄アルティシア・フォン・エルセリオン及び、麾下の白霜(フリーギア)へ通達。五日後にベルガを発ち北進せよ』

『当初の軍略通り、グリムヴァルト要塞に攻め入り、これを必ず陥落せしめること』


 ——グリムヴァルト要塞。

 ヴァンダルヴェ神聖国最大の防衛拠点。峻険な山脈の僅かな切れ目を縫うように走る街道を、丸ごと塞ぐ形で築かれた巨大城塞である。

 築城から三百余年。十を超える包囲戦を経験しながら、ただの一度として外郭すら破られたことがない。


 母国ヴァンダルヴェでは神敵を拒む「神罰の門」と讃えられ、諸外国では「不落」の代名詞として有名だ。

 他国の要塞とはいえ、レグナリア王国軍にその名を知らない兵士などいなかった。


***

 

 その日の夕刻。生き残ったプラエトルの面々が駐屯宿舎の一室に集められた。中央の長卓には、一枚の巨大な地図が広げられている。


 グリムヴァルト要塞の周辺図。

 レオンは地図を一目見ただけで苦虫を潰したような顔をする。


「……改めて見ると、ひでぇ場所だ。こんなに効率よく人を殺せる場所、他にはねぇぞ」

「だから三百年間、落ちていないのだ」


 答えたのは、アルティシアの隣にいた女騎士だった。

 背筋は槍のように伸び、濃紺の髪を後頭部できつく束ねている。鎧の上からでも分かる引き締まった体躯。そして歩くたびに響く、硬質な音。

 左脚だった。膝から下を欠損している。代わりに精巧な金属と木材で組まれた義足が、彼女の身体を支えていた。


 第四英雄の副官にして、白霜(フリーギア)の兵長。

 イレーネ・セヴェリス、二十八歳。数年前の戦場で左脚を失い、それでも軍籍を離れないどころか、自らプラエトルに志願した変わり者。

 そして何より、アルティシアへの忠誠心に関しては少々——いや、かなり面倒臭い女であった。


「姫様。まず結論から申し上げます」


 イレーネはアルティシアへ向き直ると一礼した。


「正面突破は、我々をもってしても不可能です」

「そう」

「…………」


 沈黙。レオンが眉を寄せる。


「……おい」

「何だ、ヴァルカ」

「俺たち、そこを攻めろって言われてんだよな?」

「そうだが」

「いやでも、いま突破は不可能って言ったよな?」

「正面からは、と言った。貴様の耳は飾り物か?」

「……相変わらず可愛げねぇな」

「構わん。そして貴様と話していない。私は姫様にご説明申し上げている。黙れ」

「はいはい」


 相変わらず面倒だ。イレーネはアルティシアの前ではいつもこうだった。


「申し訳ありません、姫様。続けても宜しいでしょうか」

「構わないわ。私ではなく、皆に説明して」

 

 イレーネは小さく息を吐くと、地図を指した。


「皆の知っての通り、グリムヴァルト要塞は二つの山脈が最も接近する狭隘部に築かれている。こちらが南部街道。そして、ここが第一城門だ」


 指先が、細い一本道で止まる。


「左右は断崖。軍を横に展開する余地はない。攻め手は必ず、この坂を真正面から登ることになる」

「その間、上から撃ち放題ってわけか」

「そうだ。第一城門楼と左右の防衛塔から、矢、投石、大型弩砲、火炎魔術が絶え間なく降ってくる。しかも坂が狭いせいで攻め手は密集せざるを得ない。贅沢すぎるほど殲滅の選択肢がある」

「最高だな」

「ちなみに、我が軍の間でこの坂は『死者の坂』と揶揄されているそうだ。戦になれば文字通り死体で埋まり、後続は土ではなく、先に死んだ者を踏んで登ることになる」

「……良い名前だ。ほんと、最高だよ」


 レオンの軽口に誰も笑わない。イレーネは続ける。


「私が確認した限りでは、過去、最大規模の攻略戦では一万二千の兵がこの坂へ投入された」

「結果は?」

「三日で七千が死傷。第一城門には触れることすらできず撤退したらしい」

「…………」


 一万二千で攻めて、七千。それだけ死んでも、門に触れることすらできなかった。


「……でもよ」


 プラエトルの一人がアルティシアを見る。


「俺たちにはアルティシア様がいるだろ」


 その一言に、何人かが頷いた。

 七英雄。通常の戦争の常識など、一人で覆してしまう存在。ましてやアルティシアなら、死者の坂など登らなくとも城壁ごと凍らせ砕くことすら不可能ではない。


「私もそう考えた。だがそれは難しい」

「何でだ?」

「グリムヴァルトにはヴァンダルヴェ有数の神官団が常駐している。並の連中ならまだしも、奴らが要塞全体に施した反魔力術式は厄介だ」

 

 地図上の城塞を指で囲う。


「外部から放たれた魔術は、城壁へ届くまでに大幅に減衰させられる。いくら我が国の至宝たる姫様のお力をもってしても、遠距離から要塞全体を凍結させることは困難だ」

「じゃあ、どこまで近づけりゃいいってんだ」

「最低でも……」

 指が死者の坂を登っていく。そして。第一城門のほぼ目前で止まった。

「ここだな。城壁から三百歩以内。そこまで近づけば魔術の減衰は追いつかない。より確実を期すのであれば、城壁内部だ」

「お、おいおい……」


 誰かが呻いた。レオンも腕を組んだまま地図を見る。


 つまり、やることはいつもと変わらない。

 敵の槍を受け。矢を受け。魔術を受け。アルティシアが敵を皆殺しにできる場所まで、生きたまま確実に送り届ける。

 違うのは、その道が三百年間、一度として破られていないということだけだ。


「正規軍は?」


 レオンが尋ねた。


「二個大隊の増援を要請していたはずだろ」

「ああ。却下された」

 

 即答だった。

 

「……は?」

「西部戦線でローデン軍が攻勢を強めた。南部も東部も兵が足りていないとのことだ」

「だから?」

「まどろっこしい。手っ取り早く、総司令部からの返答をそのまま読み上げてやろう」


 イレーネは一枚の書簡を手に取った。


「『第四戦線には七英雄が一角、氷姫アルティシア・フォン・エルセリオン在陣につき、現有戦力をもって十分に攻略可能と判断する』」

「…………」

「以上だ、質問はあるか」

「……上官様が一人いりゃ戦争できると思ってんじゃねぇだろうな」

「いや、これは方便だ。単純に他の戦局は我らよりも厳しいのだろう。他の戦線にも七英雄は割かれているのだからな」


 レオンは返す言葉を失った。なるほど。どこもかしこも地獄らしい。


「いずれにせよ正規軍の増派は望めない。プラエトルも二日後に到着する二十名を加えて三十七名。それ以上の補充予定はない」

「それで死者の坂を登れってのか。全滅が目に見えてるだろ」

「あぁ。正面から行くならな」


 その一言に、レオンが顔を上げた。


「……あるのか?」

「ある」


 イレーネの指が、第一城門から離れる。

 山腹、要塞の東側。地図に細く描かれた青い線をなぞった。


「……これは?」

「排水路だ」

「排水路?」

「グリムヴァルトは山から湧く地下水を飲用だけでなく城門や防衛設備の動力にも利用している。その余剰水を外へ逃がすための古い水路が、東側の断崖に存在する」

「中に入れるのか?」

「偵察兵の報告では、小柄な人間ならと」


 室内がざわめいた。


「ただし内部には鉄格子がある。さらに、この水路が現在も要塞内部まで繋がっている保証はない」

「……正面切って犬死にするよりマシか」

「同感だ」


 イレーネが頷いた。


「よって作戦はこうだ。少数の兵を排水路から潜入させる」


 指が水路を進み、第一城門の内側で止まる。


「排水路は、第一城門楼の地下へ繋がっている可能性が高い。侵入に成功したなら、まず城門楼を内側から制圧する」

「……城門を開けるんじゃないのか?」

「それだけでは意味がない」


 イレーネの指が、第一城門から南へ伸びる坂をなぞる。


「門が開こうと、死者の坂は残る。辿り着く前に坂の一部になっては何の意味もない」

「……なるほどな」

「最優先で潰すのは、大型弩砲と投石設備。それから城門楼に詰める弓兵と魔術師だ。可能であれば左右の防衛塔間の連絡も断つ」

「そこまでやって、ようやく坂を登れるってわけか」

「それは違うぞ、ヴァルカ」


 イレーネは即座に否定した。


「単に死ににくくなるだけだ」

「…………」

「西側の防衛塔までは流石に排水路から手が届かん。そこからの射撃は残る。死者の坂が安全になることなどない」


 淡々と告げる。


「城門楼を無力化した後、地下の水門機構を操作して第一城門を強制開放する。そして合図を送る。それをもって、正規軍が死者の坂へ突入する。残った防衛塔からの攻撃を引き受けつつ、第一城門を確保」

「そのあとは?」

「言うまでもない」


 イレーネの指が、坂を一気に駆け上がる。第一城門を抜け、外郭へ。


「我ら白霜(フリーギア)が姫様を護送する。そして氷結魔術の有効圏内へ入った瞬間……」


 さらにその先。指先が内郭で止まった。

 全員の視線がアルティシアへ向く。ただ椅子に腰掛け、地図を眺めていた。


「ええ。私が全て凍らせるわ」


 さも何でもないことのように言った。しかし誰ひとりとして疑わない。

 そこまで辿り着けさえすれば、この少女なら、本当にやってくれる。


「問題は潜入役だ」


 イレーネが話を戻す。


「水路は狭く、重装備では通れない。潜入できるのは少数……最悪、一人だ。ゆえに小柄で身軽、暗所での行動に長け、単独でも任務遂行が可能の者。加えて、少人数で城門楼を無力化するとなれば、爆薬の扱いにも通じていることが望ましい」

「お、おいおい……そんな都合のいい奴いねぇだろ」

「ああ。少なくとも、貴様らの中にはな」

「……じゃあどうすんだよ」

「明後日到着する補充兵の経歴を精査する。到着次第、適性も至急確認せねばならん。決行は五日後だからな」


 イレーネは傍らに置いていた革製の文書入れを開き、二十人分の兵籍書を取り出した。


「諸君。この中に適任者がいる可能性に、我らの命運を賭けよう。それしかないだろう」

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