1-2. 死線のあとで
便箋一枚を前に、レオンはかれこれ半刻ほど頭を抱えていた。
『親愛なるバルド・ヘルマンの御家族へ』
「…………」
違う。
紙を丸めて床へ放ると、新しい一枚を引き寄せる。
『この度、バルド・ヘルマン殿は、ヴァンダルヴェ神聖国との戦闘において勇敢に——』
「…………」
これも違う。
ぐしゃり。二つ目の紙玉が床を転がった。
レオンは椅子の背へ体重を預け、天井を仰いだ。
バルドは勇敢だった。それは間違いない。
最後まで逃げず、レオンを飛来した矢から救い、そしてその直後に死んだ。だからきっと、軍から届く戦死通知にはこう書かれるに違いない。
遺族にとって誇るべき最期だった——と。
「……そうじゃねぇだろ」
三枚目を取った。
『レオンと言います。バルドが死んだ時、俺はそのすぐ隣にいた』
そこまで書いて、ペン先が止まる。しばらく考えてから、その続きを記した。
『バルドは俺を救って死んだ。貸し一つだと笑って、そのすぐ後に槍に貫かれた。最後まで仲間想いの、愛すべき馬鹿野郎だった』
『貸しは一つどころじゃなかったのに、とうとう返せなくなった。あいつが死んで、独り身の俺が生き残った。恨むならどうか俺を恨んでほしい。本当に、申し訳ない』
「…………」
これでいい。遺された者は欲しいのは、きっと「勇敢に戦死した」なんて一言じゃない。愛する者が最後までどう生きて、どう散っていったのかを知りたいはずだ。
少なくとも逆の立場なら、そうして欲しかった。
レオンは手紙を折り畳むと、小さな革袋を取り出した。今月分の給金だ。
英雄直属近衛兵の給金は高い。一般兵のざっと五倍はある。危険手当に遠征手当。さらに戦功を挙げれば報奨金まで付く。
命を金に換える仕事だが、金の事情で応募が一定数ある。レオンもその一人だった。
五枚、六枚、七枚。
銀貨を数える。今回の報酬から、既にかなりの額を抜いている。少し迷った後、もう一枚足してやる。
「……娘がいるんだもんな、バルド」
たしか名前は、リリアといったか。酒を飲むたび、聞いてもいないのに勝手に話すものだから覚えてしまった。
「俺に似なくてよかった」。よくそう言っては、豪快に笑っていた。
あれだけ自慢していた娘だ。どれだけ可愛いのか一度くらいは見てやりたい。それまでは——。
「……死ねねぇな」
革袋を手紙と一緒に包む。そこでレオンは、もう一つの革袋を手に取った。先ほどよりも少しだけ重い。
「……悪いな先生。今月はちっと少なくなるよ」
バルドの家族へ回した分だけ減った。
まあいい。チビ共には少し我慢してもらおう。それに院長ならどうにかやり繰りしてくれるだろう。
もっとも手紙を出そうものなら、「仕送りなんて良いから危険な事は止めなさい」と説教されるのは目に見えている。
「黙って送るか」
「何をだ?」
「うおっ」
不意に横から声を掛けられ、レオンは革袋を懐へ押し込んだ。隣の寝台に腰掛けていた同僚が、怪訝そうにこちらを見ている。
「な、何でもねえよ」
「なんだよ、怪しいな。女か?」
「うるせえな、ちげぇよ。早く寝ろ」
「女だろ?」
「だからちげぇよ、しつこいな! 女なら隠す必要もねぇだろが! ガキじゃあるまいし!」
「じゃあ何だよ。良いじゃねぇか。お互い先は短いんだ。隠し事は無しにしようぜ」
「……騎士になった時のための貯金だよ」
「は?」
「叙任されたって、馬も武具もタダじゃねえだろ。金がなきゃ話にならねえよ」
使い慣れた答え。同僚は「またか」と鼻で笑った。
「よくやるよ。昨日みてえな目に遭って、まだ騎士になりてえのか?」
「当たり前だろ。俺はいつか、王都の一等地に豪邸を建てんだよ」
「出たよ、成り上がり野郎。ヴァルカの田舎者が何夢見てんだ。その前に死ぬぞ?」
「死んだらそん時だ。平民が爵位持ちになるには戦功稼ぐしかねえんだよ。俺みたいな孤児なら尚更な」
「へぇへぇ。せいぜい頑張れよ」
同僚は肩を竦めるも、それ以上は聞いてこない。
騎士になりたい。それ自体は嘘ではない。だがそれだけなら、他にも選べる仕事はあった。
「そういや補充、今日も来ねえらしいぞ。西部戦線に回されたってよ」
「はぁ? またかよ。何人?」
「百二十」
「ひゃ、百二十?! 俺らの動員の三倍じゃねぇか?!」
「馬鹿なんだろ。上が」
西の戦局はそんなに悪いのか。しかし、第四英雄のプラエトルだって先日の戦闘で半数以上を失っている。本来ならとっくに補充が届いていなければおかしい。
レオンは盛大に溜息を吐いた。
「南じゃカルディアとやり合って、西はローデン。東部もまだ終わってねえんだろ?」
「終わるどころか、悪化してるって聞いたぞ」
「そんで極めつけに、俺たち極北のヴァンダルヴェか」
「四ヶ国同時に攻め入るとは……改めて頭おかしいな、うちの王国は」
「勝ってるから、余計にな」
実際、これが一番の問題だった。
昔なら、戦争なんてそう簡単に始められるものではなかった。
何万もの兵を集め、食わせ、武器を持たせ、何年も戦わせる。一度大敗すれば、それだけで国が傾く。勝ったところで無傷では済まない。
だから諸国は戦争を忌避した。
——七英雄が生まれるまでは。
たった一人で千を殺し、城門を砕き、戦場を蹂躙する。そんな化け物を七人も手に入れてから、レグナリアはおかしくなった。
勝てるなら、戦う。
土地を奪う。田畑を奪う。鉱山を、港を奪う。
そして勝てば、また次へ。
気づけば国境を接する四大国すべてと戦争をしていた。しかし七英雄はそれでも戦果を上げ続ける。問題は——。
「兵士の数が足りねぇ。畑から生えてくるもんじゃねぇからな」
「違いねえ」
英雄たちは占領地の統治も、補給路の確保も、捕虜の監視もしない。全て一般兵の仕事だ。程なくレグナリア王国は深刻な人的資源の枯渇に喘ぐことになる。
それでも英雄達の進軍は止まらない。最近では、家督を継ぐ貴族の嫡男まで占領地へ送り込まれる始末と聞いた。
そして中でも特に消耗が激しいのが、レオンたちプラエトルだった。
「まさか王都は、この人数でグリムヴァルトに攻め入れとか言いださねぇだろうな」
「さすがにそれは……」
二人は顔を見合わせる。
「…………」
「…………」
「なんか、言いそうだな」
「口に出すな。引き寄せるぞ」
***
ベルガは、ヴァンダルヴェ神聖国との国境に位置する小さな城塞都市だった。もっとも、いま城壁の上に翻っているのはヴァンダルヴェの旗ではない。青地に金刺繍の荒鷲、レグナリア王国旗だ。
陥落したのは一月前。現在は北部侵攻の中継拠点として、レグナリア軍が駐留している。
国境に面してることもあり、もともとレグナリアの移民も多い。戦禍を免れたレグナリア系の居住区画では、既に商売を再開する店も少なくなかった。
「お兄さん、また傷が増えたね」
「そりゃ増えるさ。戦争してんだから」
「大丈夫なの? 痛くない?」
「大丈夫じゃなかったら、わざわざこんな不味いパンなんて買いにこねぇよ」
「ははっ、それもそっか」
「いや納得すんな」
パン屋の店先で、女性がくすくす笑った。歳はレオンより少し下だろうか。亜麻色の髪を後ろで束ねた、愛嬌のある娘だった。
この町へ来てから何度か通っているうちに、すっかり顔を覚えられた。
「はい。いつもの」
「おう、ありがとうな」
焼きたての丸パンを受け取る。まだ温かい。
「……それと、今日はこれもあげる」
「ん?」
小さな包みを押し付けられた。開いてみると、蜂蜜を塗った焼き菓子が二つ。
「頼んでねえぞ」
「そうね。おまけだから」
「なんで?」
「……常連さんだから?」
「まだ数えられる程度だろ」
「……じゃあ、怪我人だから」
「怪我してねぇ日なんてねぇんだけど」
「じゃあ……」
娘は少しだけ頬を赤らめた。
「……私が、あげたいから。だめ?」
「…………」
なるほど。レオンも二十四年生きている。さすがにそれくらいの意味は分かる。
「……貰っとくよ。ありがとな」
「うん」
娘の顔がぱっと明るくなる。
悪い気はしない。むしろ、かなり嬉しい。戦場を離れればレオンだって健全な男だ。それに、ただでさえいつ死ぬとも分からぬ身だ。色恋に惹かれるのも無理はない。
「そういえば、お兄さん」
「レオン」
「え?」
「お兄さんじゃ呼びづらいだろ。レオンでいい」
「……レ、レオン」
「……おう」
「じゃあ、私も——」
「レオン」
背後から、冷たい声がした。
「…………」
聞き覚えがある。というより、聞き間違えようがない。レオンの眉間に深い皺が寄る。
——なんでいるんだよ、クソ女。
振り返れば、白銀の髪に、白磁のような肌。つり目の目元と、不気味なまでに透き通った紺碧の瞳。
町中なのに隙なく整えられた白と蒼の軍装は、彼女のために設えられた特注服だ。
第四英雄。王国最高戦力。ベルガ攻略戦の功労者。氷姫。二つ名は枚挙に暇がない。
アルティシア・フォン・エルセリオン。その人が立っていた。
「……何か御用ですか、氷姫様」
「別に。特にないわ」
「……じゃあ何で呼んだんだよ」
「レオンがいたからに決まってるじゃない」
意味が分からない。上官様はたまにこうなる節があった。
「あ、あの……」
パン屋の娘がおずおずと口を挟む。アルティシアの視線が、気怠げにそちらへ向いた。
「あなた、誰?」
「えっ」
「だから。あなた、誰なの?」
「え、えっと……クロエです。この店で働いてます」
「そう」
「…………」
「…………」
会話が終わった。クロエは助けを求めるようにレオンを見る。
「悪い、俺の上官様だ。あんま本気で相手しなくて良いぞ」
「……相手をしなくていい?」
アルティシアの声の温度が、一段下がった。
「レオン。なんでその女の肩を持つの?」
「は?」
「レオンは私の部下でしょ。私の味方をしなさい」
「……いや、何でそうなるんだよ」
ぷい、と顔を逸らす。表情が変わらないから、相変わらず何を考えてるのかが分からない。
「あ、あはは……私、そろそろ仕事に戻るね」
クロエが乾いた笑いを浮かべる。
「おう。悪かったな」
「ううん。それじゃあ、またね、レオン」
「…………」
アルティシアが無言でクロエに顔を向ける。
「……な、なんですか」
返事はない。じっとクロエを見つめ続ける。
「……っ」
数秒も保たなかった。
ついにクロエは逃げるように店の奥へと引っ込んでゆく。
「……おい」
「何?」
「何なんだよ、あの態度は」
「別に。普通じゃない」
「じゃあ何であいつは逃げてったんだよ」
「私の知った事ではないわね」
話にならない、とレオンは頭を掻く。
「……で? ほんとうに、何しに来たんだよ」
「何度も言わせないで。特に用事は無いわ。散歩中にレオンを見たから」
「散歩? 護衛も付けずに?」
「必要ないもの」
それはそうだった。この少女を襲うくらいなら、護衛されるべきなのは襲撃者の方だ。
「……じゃ、俺は宿舎戻るから。上官様は散歩を楽しめよ」
レオンは歩き出した。十歩ほど進む。
足音が付いてくる。振り返れば、アルティシアがいた。
「なんで付いてくるんだよ」
「方向が同じだから。当然でしょ」
「上官様の宿舎は俺たちとは別だろ。反対側の高級街の方だ」
「…………」
返事はない。アルティシアはレオンに追い付くと、当然のように隣に居座った。
これと言った共通の話題もない。なのに、一向に離れようとしない。
「……はぁ。何なんだよ全く」
レオンは諦めて、先ほど貰った焼き菓子を取り出した。一口齧ってみる。
「おぉ、美味いな、これ」
「……あの女が作ったの?」
「たぶんな」
アルティシアの視線が焼き菓子へ落ちる。
「捨てた方がいいわ」
「な、なんでだよ……」
「ベルガは元敵国領よ。毒が入っているかもしれないじゃない」
「だったら昨日まで普通にパン買ってた俺はもう死んでるって」
「…………」
「それにクロエは悪い奴じゃねえよ」
ぴたり。足音が止まった。レオンも数歩先で立ち止まる。
「……名前」
「は?」
「名前で呼ぶのね、あの女のこと」
「まあな。何度か買い物してるし」
「いつ?」
「はぁ?」
「何回来たの? 答えて」
「……なんで尋問されてんの、俺?」
「プラエトルの管理監督も私の仕事よ。いいから早く答えて」
アルティシアはただ無表情にレオンを見上げてくる。
「……やってらんねえよ」
レオンは大きく溜め息を吐くと、再び歩き出す。夕陽に照らされたその背中を、アルティシアは見つめていた。
「……私には」
——あんな顔、見せてくれないのに。
アルティシアは唇を結ぶと、またその背中を追い始めた。




